相変わらず百田節が満載ですが、多くのことがもっともなことだと頷けるものでした。特に以下は共感できた。とはいえ、これらもまともな本ではよく言われていることなので、本質は変わらないということだと思う。そして、本ばかり読んでいて知識を増やしても、行動しなければ意味がないという自分への戒めにもなった。
子供には「敗北感を味あわせろ」、「悩むときは視野を広げろ(もっと苦しんでいる人は世界中にいっぱいいる)」「心を痛めているのはちっぽけなプライド」「限界を見極めて耐えられなくなったら周りを気にせず素早く逃げろ」「他人の目を気にし過ぎる人は尊敬されない」「自分の価値観で生きる」「人が変わるためには時間がかかるからすぐに行動に移す」「へらへら愛想笑いをしない(笑顔は良い)」「空気を読まない」
・中学受験で有名な経営者に「何が子供たちの成績を伸ばすのか?」と伺ったところ、「競争心」と答えた。その塾では、生徒たちの成績も順位も常に公開発表されているということでした。競争心も敗北の痛みも教えない教育は、実はすごく脆い人間を作っているのではないかと思ったのです。敗北すれば、自尊心は傷つき、打ちひしがれることになります。特に幼い子供にとっては残酷な体験です。しかし精神力というものは敗北によって鍛えられます。「敗北の痛み」を知らないで育つた人は、いずれ大きな挫折を味わった時に、それをはねのける力が備わっていないような気がします。
・小学校や中学校受験には、二つの点で受験勉強の効用を認めています。一つは、「楽しいことを我慢して、やらねばならない(と決めた)ことをやる精神力が身に付く」ということ。もう一つは、「挫折を知る」ということです。
・人は負けることを嫌がる。ところが、実は敗北が辛くて悔しいからこそ、勝利が楽しくて心地よいということを多くの人は忘れています。負けても悔しくない勝負は、勝っても楽しくはないのです。負けることが嫌でタフな戦いを挑まないというのは、勝利することもない、つまり方は成功も手に入れることができないということになります。
・本を読むことで、二十世紀にあった二つの世界大戦でどれだけ多くの命が奪われたかも知りました。またスターリンの大粛清、毛沢東の文化大革命、ポル・ポトの大虐殺など、戦争以上に恐ろしいことがたくさんあったことも学びました。近代以前の歴史はさらに悲惨です。戦争だけでなく、飢餓、疫病、絶対的な身分制度に奴隷制、もちろん人権などはどこにもありません。いや二十一世紀の現代においても、人権どころか明日の命さえ保障されない世界で生きている人たちが大勢います。そうしたことを思えば、この日本に生きていることはどれだけ幸福なことでしょうれは百年前の人から見れば、はたして今、自分が悩んでいることは本当に「悩み」に値するものなのだろうかと自問すると、恥ずかしくなってくることさえあります。生直に言えば、現代人の苦しみのハードルは随分下がっているような気がします。おそらく現代人にとって、生きることが当たり前になったからではないかと思います。想像力が足りないのです。
・心は外からのダメージには意外に強いのです。それよりも内側からのダメージに弱いのです。つまり敢えて言えば、心を壊す人は、自分で壊しているようなところがあります。人は環境の変化によってダメージを受けることがありますが、実は環境の外部からダメージを受けているのではなく、自分はその環境にいるという意識が心にダメージを与えているのです。出向や希望しない転職によって絶望的な気持ちを味わった人は少なくないでしよう。そうした時に立ち直れるかどうかは、気持ちを切り替えることができるかどうかにかかっています。つまり心を壊すのも自分なら、それを立て直すのも自分だということです。
・理想や夢は大切です。人間は理想や夢を持っているからこそ頑張れるし、努力もできます。しかし、それが強すぎると危険なのです。夢が大きく育ちすぎると、それが破れた時、夢が逆に心を食いつぶしにかかることがめるのです。そうなれば夢はもはや怪物と化しています。
・よく一流会社でリストラしたい社員を会社がいじめるという話を聞きます。そういう屈辱に耐えかねて、多くの人が職場を去っていくようですが、私に言わせれば精神力が弱すぎます。しかし多くの人はプライドを傷つけられて退職するようです。プライドって何でしょう。同期社員が小便をしている横で便器を洗うのはたしかに楽しくはありません。でもどうということはありません。トイレ掃除を本職にしている人は世の中に山のようにいるのです。彼らはもっと安い給料にもかかわらず、黙々と仕事をしています。要するにそれに耐えられないというのは、実に薄っぺらいプライドなのです。同時に精神力が足りなさすぎです。なまじ一流会社の社員だっただけに、くだらないプライドと見栄に縛られているのです。本気で嫁や子供の生活を守るためなら、そんなものはいくらでも耐えられるはずなのです。
・耐えることや我慢することも大切ですが、自分の限界を見極めることも重要です。これ以上、耐えると潰れるというラインを自分でわかることは不可欠です。これは慣れで獲得するしかありません。そして実生活において、「これ以上、頑張ると潰れるかもしれない」と判断した時は、素早く逃げるべきです。自分の体くらい大切なものはありません。そして逃げると決めたら、一刻も早く逃げるのです。そんな時に社会的体面や人間関係や義理などを考慮する必要はありません。逃げる時は何もかもほっぽりだして逃げるのです。逃げると決めたら、「無責任な奴」と非難されようが、「いい加減な野郎!」「薄情者!」と罵られようが、そんな声は無視すればよいのです。そういう「弱さ」を持っているがゆえに、限界以上に自分を追い込んでしまって、取り返しのつかないことになってしまう人が少なくありません。
・実は「他人の目を気にしすぎる」人は、周囲の人からは、まさに「他人の目ばかり気にしている人間」と見られているのです。他人の目を気にして言いたいことも言えないで苦労しているのにもかかわらず、周りの人からは「あいつは他人の目ばかり気にして、本音を言わない人間」と見倣されているのですから。そして敬意を持たれるどころか、むしろ軽く見られることになるのです。自分の周囲にも、「自意識過剰」の「言いたいことを言えずにいる自信のない人」「人と争うことが出来ずに、すぐに迎合的な意見ばかり言う人」「いつも人の顔色ばかり見ている人」はいませんか。そういう人をあなたは尊敬できますか。
・心理学の世界では、人は自分がおかれている経済的な状況の価値を判断するのに、絶対的な数値で見るのではなく、周囲との比較で見ていることがわかったのです。また別の調べでは、人は生活満足度を「所得額」よりも「所得順位」で見ていることがわかっています。つまり人が金銭的な幸福を感じるのは、身近な人よりどれだけ多く稼いでいるかを確認できた時なのです。に自分を他人と比べて、勝っているか負けているか、幸福かそうでないか、意識的、無意識的にかかわらず、そんな比較ばかりしている人は、はっきり言って一生、本当の幸福感を味わうことはないでしよう。
・目分を変える意志があれば、人は誰でも変われます。ただ、それは簡単なことではありません。肉体改造をするためにハードなトレー二ングを続けるのと同様の、辛さを厭わない精神力が必要です。二時間くらいの自己啓発セミナーで変われるような簡単なものではありません。世に溢れる自己啓発本も同じです。「大放言」で「自己啓発本は栄養ドリンクのようなものだ」と書き表した。飲んだ直後は効いたょうな気になって元気になるのですが、効果は三日くらいで消えるので、また新しいのを飲む。自己啓発本を一冊読んだくらいでスーパービジネスマンになれるなら、これほど楽なことはありません。
・自分を変えるためには、まず行動です。努力できる人間になろうと思えば、まず努力してみることです。人前で物怖じしないで話せる人間になろうと思えば、とにかく人前に出ることです。優しい人間になろうと思えば、人に優しく接することです。そういう積み重ねが徐々に人を変えていくのです。ただそれには時間がかかります。また日々の変化が小ざいので、短期間に変わりたい人にとっては、全然変わっていないように見えます。成果を急ぎすぎる人は途中でその努力を放棄してしまいます。すると、その人は一生変われません。
・口論のテクニックはいろいろありますが、そんな小手先のテクニックよりもはるかに大事をことは、相手に呑まれないことです。気圧されたり、びぴったりしたら、口論には絶対に勝てません。逆に相手を呑んでかかれば、八割方勝てたようなものです。
・へらへら笑いをする人で、出世した人はほとんど見たことがありません。へらへら笑いをしている人は始終笑い顔を浮かべているわけですから、相手から嫌われることはあまりありません。ですが、ここは重要なところですが、尊敬きれることもまずありません。彼らは他人に嫌われるのが怖いのではないでしょうか。相手の言うことに笑ってさえいれば、少なくとも嫌われることはないと無意識に思っているのではないでしょうか。また彼らは、非常に人の顔色を見ます。ですから、相手にぶすっとした顔をされると途端にうろたえます。これらは「自分に自信がない」ためです。彼らが自分と対等かそれ以上の人を相手に議論をするのは見たことがありません(目下の者を相手にするのは別)。これは学歴とか大学の偏差値とはあまり関係がありません。東大や京大を出ていても、そういう人はいます。どうやらこれは勉強の自信とは別のもののようです。「あ、もしかしたら、自分はへらへら笑いをしているかもしれない」と思った人は、明日からそういう笑いをやめてください。人はあなたが気にしているほど、他人の笑いやリアクションを気に留めていません。ここで誤解のないように言っておきますが、へらへら笑いと笑顔は似て非なるものです。笑顔は「笑い」ではなく表情です。それは周囲の人の心を癒すものですから、笑顔を出し惜しみする必要はありません。
・大人になると、少しくらいの衝撃では弾まないように、感情の弾力性を抑制するようになります。そんなふうに感情の表現を抑制しすぎると、いつのまにか感情そのものが鈍くなっていくのです。これは心理学の世界では常識だそうです。つまり感情を長らくセーブしていると、やがて「喜怒哀楽」の幅がどんどん小さくなります。そうなるとどうなるか、感情の起伏がない人間になってしまうというのです。従って「喜怒哀楽」の感情を必要以上に抑えないでほしいのです。泣きたい時は泣き、怒りたい時は怒りましよう。
・蛇足ながら申し上げることがあるとするなら、「空気を読むな」ということでしょうか。日本人は往々にして自らの意志ではなく、周囲の空気を読んで行動したり、発言したりすることが多いように思います。ちなみに「空気を読む」という言葉は、英語やフランス語にはないそうです。