百田尚樹のレビュー一覧
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ネタバレやはり歴史小説は面白い。
ただ、なぜ主人公を実名にしなかったのかという疑問が最初にわきました。
内容は個人の誹謗中傷など一切なくほとんど事実だと思われますが・・何か出光家から「待った!」がかかったのでしょうか?
それにしても、敗戦で負け犬根性に成り下がっていた多くの日本人の中で、孤立無援でこれだけ自分の信念を貫きとおし、その夢を実現させた彼の手腕はやはり驚異です。
その強引ともいえる手法には毀誉褒貶があるでしょうが、彼の信念に共鳴して集う多くの人間がいたという事実は、やはり魅力的な人たらしだったのでしょう。
昔、「民族資本」って何だろう?と思ってはいましたが、「外国資本」と対義語で使われていたのですね。
こうした事実をもっと早く知っていれば、出光SSでしか給油しなかったのに・・
とはいえ、企業の神格化はいけませんので、問題も指摘しておきます。
諸問題:(ウィッキペディア)
・出光タンカー廃油投棄事件 - 1980年(昭和55年)
出光のタンカーが洋上に廃油を不法投棄していた事件が発覚した。
出光は原油を運んだ空きのタンカーに廃油を積み込んで洋上で投棄していた。
当時、国会でも海洋汚染の問題として取り上げられた。
・公害防止協定の虚偽報告 - 2003年(平成15年)
愛知製油所において、愛知県および知多市との公害防止協定に基づく報告データを虚偽報告した。
2003年(平成15年)1月から2005年(平成17年)12月までの3年間、愛知県および知多市に報告した管理項目の報告データ1,454件中584件において測定データと異なっており、報告値を改ざんしていた。
この虚偽報告のうち、ばいじん総排出量1件、ばいじん濃度16件の協定値超過であった。
なお、ばいじん濃度16件中2件は「大気汚染防止法」および「電気事業法」の規制値を超過していた。
本事件は、電気事業法に関する中部近畿産業保安監督部の立入り検査(2006年(平成18年)2月22日)中、過去のばい煙管理項目について整合の取れない記録が確認されたことを契機に社内調査した結果判明した。
・北海道製油所の火災不届け事件 - 2003年(平成15年)
北海道苫小牧市の製油所における火災を消防署に届けず、報道された。
最初のタンカー廃油投棄事件は出光佐三が経営から既に退き、第4代の社長の時、しかも亡くなる1年前の出来事ですので、社名に泥を塗ったと烈火のごとく怒ったのでしょうね。
ヤマト運輸もそうですが、創業者がどんなに偉くても、その魂を引き継げない経営者にバトンタッチされると企業は容易に腐っていくという事例なのかもしれません。
文庫本での堺屋太一氏の解説は、元通産官僚としての「官僚の倫理と論理」について説明をしています。
ことごとく出光を目の敵にした当時の官僚には「愛国心」がないのかという疑問に対し、戦後の復興期に必要だった「供給安定、過当競争排除」こそが優先されるべき目標だったとしているが、抜け落ちているのは技術革新や企業努力によってのコスト削減での消費者への利益還元だったと告白しています。
ただし、官僚の企業寄りのスタンスは未だに彼らの省益確保という名目で温存されているのには困ったものです。
そして百田氏がこの小説を書くきっかけになったのが、
【朝日放送の人気番組『探偵!ナイトスクープ』に「アポロマークの首から下はどんな感じなのか調べてほしい」という依頼が送られたことがある。
ちなみに同番組のチーフ構成作家・百田尚樹は、後に創業者の出光佐三と日章丸事件をモデルとした小説「海賊とよばれた男」を著している】
というめぐり合わせだったことも面白い。 -
Posted by ブクログ
最近は成長の過程で他人と競争をするという経験に貧しく負けることになれていない若者が増えているのではないか負ける経験をさせない教育問題
負ける経験を積んでないと敗北と向き合うことができない
それをけいけんして
優先順位が考えられる
負けてもいいものはあっさり捨て
大事な勝負にかける
無駄な勝負はせず逃げることができる
人生には色々な道があるにも関わらず、レールを外れることが恥ずかしいとかありえないと思い込んでる
これは知らず知らず親から植え付けられている
人付き合いには優先順位
snsでいいねしているような人は
困ったときにたすけてくれない
自分に合わない理由で逃げるやめるのはだめ
仕事は怒られるのは仕方ない。遊びではない
好きなことを仕事にしたいと辛いことをとっとと逃げ出していては逃げグセがつく
忙しいというひとほどだらだらしてる
日本もブラック企業にいながらに逃げられず何も身動きできない状態
虚栄心 怠惰 恐怖あっても言うべきことは言う
幸せ絶対的基準は何か
決まってないと相対的基準になる他人と比べて勝ってるかしまう
家族は替えがきかない -
Posted by ブクログ
日本人の民族性から展開される反戦論。
平和ボケの日本人には必読と思います。
本書では、全3章からなっており、
第1章ではゼロ戦とグラマンの設計思想をベースに日本人の思考を明らかにし、さらに、戦争状況下の日本人の思想・行動から、日本人は戦争に向いていない民族という論旨を展開しています。
この考え方は今までなかったのでとても新鮮でした。
技術を突き詰めたゼロ戦に対して、大量生産が可能なグラマン。
職人気質で技術を研ぎ澄ます日本人に対して、合理主義なアメリカ。
攻めることばかりで守りを考えない日本人。
言霊信仰ゆえにリスクを考えない日本人に対して、対策、リスク管理がしっかりされているアメリカ。
責任が問われない高級士官。
戦闘状況にありながらも縦割りでありつづける官僚制度。
最悪の状態を想定しない日本人の性格。
などなど。
日本人が戦争に向いていない民族ということを様々な事例を基に語っています。
ここで指摘されている内容、民族性はまさに、現在の日本人そのものであり(当り前か)、戦争じゃなくてもビジネスの世界でも同じことが起きていると思います。
第二章では「永遠の0」にこめた思いが語られています。
これについては、なんら異論はありません。
「永遠の0」で語られるセリフが引用され、小説の世界観に引き込まれます。
第三章では自衛隊をテーマに、護憲派に対してのメッセージ、さらに、戦争抑止に必要なモノは何か?を強く伝えています。
そのための憲法はどうあるべきか。
我々もしっかり考えなければなりません。
ということで、戦争を回避するためにはどうすればよいか、とてもわかりやすく、伝えている内容となっています。
今まさに、必読の書です。 -
Posted by ブクログ
書店で韓国に土下座している広告を見た記憶が有るのだが。。こういった内容だったとは。まあ目を覚まさなければならないなとは思い、毎回欠かさず選挙には行くが政治に感心が薄いことを再自覚。
こんなにも反日感情を持ち、行動している人がいることを残念に思ったり、大袈裟すぎでは?と思ったり。
虎ノ門ニュースを見ているという同僚に話すと、「その本を読んだのにまだ朝日新聞を読んでるなんて信じられない」となじられる。妻に産経に変えてみようかと言ってみるものの却下された。まあ、私もそんなに新聞読んでいる方ではないし、ブツブツ。。。
【心に残る】
韓国、中国の被害者ビジネス
戦後、日本をこんなに悪くしたのは、メディアだ
WGIP:ウォーギルドインフォメーションプログラム
原爆に関しフランクリン・ルーズベルトの策略で、完成したら日本に投下する事が決まっており、トルーマンはそれを阻止出来なかった -
Posted by ブクログ
ネタバレ相変わらず百田節が満載ですが、多くのことがもっともなことだと頷けるものでした。特に以下は共感できた。とはいえ、これらもまともな本ではよく言われていることなので、本質は変わらないということだと思う。そして、本ばかり読んでいて知識を増やしても、行動しなければ意味がないという自分への戒めにもなった。
子供には「敗北感を味あわせろ」、「悩むときは視野を広げろ(もっと苦しんでいる人は世界中にいっぱいいる)」「心を痛めているのはちっぽけなプライド」「限界を見極めて耐えられなくなったら周りを気にせず素早く逃げろ」「他人の目を気にし過ぎる人は尊敬されない」「自分の価値観で生きる」「人が変わるためには時間がかかるからすぐに行動に移す」「へらへら愛想笑いをしない(笑顔は良い)」「空気を読まない」
・中学受験で有名な経営者に「何が子供たちの成績を伸ばすのか?」と伺ったところ、「競争心」と答えた。その塾では、生徒たちの成績も順位も常に公開発表されているということでした。競争心も敗北の痛みも教えない教育は、実はすごく脆い人間を作っているのではないかと思ったのです。敗北すれば、自尊心は傷つき、打ちひしがれることになります。特に幼い子供にとっては残酷な体験です。しかし精神力というものは敗北によって鍛えられます。「敗北の痛み」を知らないで育つた人は、いずれ大きな挫折を味わった時に、それをはねのける力が備わっていないような気がします。
・小学校や中学校受験には、二つの点で受験勉強の効用を認めています。一つは、「楽しいことを我慢して、やらねばならない(と決めた)ことをやる精神力が身に付く」ということ。もう一つは、「挫折を知る」ということです。
・人は負けることを嫌がる。ところが、実は敗北が辛くて悔しいからこそ、勝利が楽しくて心地よいということを多くの人は忘れています。負けても悔しくない勝負は、勝っても楽しくはないのです。負けることが嫌でタフな戦いを挑まないというのは、勝利することもない、つまり方は成功も手に入れることができないということになります。
・本を読むことで、二十世紀にあった二つの世界大戦でどれだけ多くの命が奪われたかも知りました。またスターリンの大粛清、毛沢東の文化大革命、ポル・ポトの大虐殺など、戦争以上に恐ろしいことがたくさんあったことも学びました。近代以前の歴史はさらに悲惨です。戦争だけでなく、飢餓、疫病、絶対的な身分制度に奴隷制、もちろん人権などはどこにもありません。いや二十一世紀の現代においても、人権どころか明日の命さえ保障されない世界で生きている人たちが大勢います。そうしたことを思えば、この日本に生きていることはどれだけ幸福なことでしょうれは百年前の人から見れば、はたして今、自分が悩んでいることは本当に「悩み」に値するものなのだろうかと自問すると、恥ずかしくなってくることさえあります。生直に言えば、現代人の苦しみのハードルは随分下がっているような気がします。おそらく現代人にとって、生きることが当たり前になったからではないかと思います。想像力が足りないのです。
・心は外からのダメージには意外に強いのです。それよりも内側からのダメージに弱いのです。つまり敢えて言えば、心を壊す人は、自分で壊しているようなところがあります。人は環境の変化によってダメージを受けることがありますが、実は環境の外部からダメージを受けているのではなく、自分はその環境にいるという意識が心にダメージを与えているのです。出向や希望しない転職によって絶望的な気持ちを味わった人は少なくないでしよう。そうした時に立ち直れるかどうかは、気持ちを切り替えることができるかどうかにかかっています。つまり心を壊すのも自分なら、それを立て直すのも自分だということです。
・理想や夢は大切です。人間は理想や夢を持っているからこそ頑張れるし、努力もできます。しかし、それが強すぎると危険なのです。夢が大きく育ちすぎると、それが破れた時、夢が逆に心を食いつぶしにかかることがめるのです。そうなれば夢はもはや怪物と化しています。
・よく一流会社でリストラしたい社員を会社がいじめるという話を聞きます。そういう屈辱に耐えかねて、多くの人が職場を去っていくようですが、私に言わせれば精神力が弱すぎます。しかし多くの人はプライドを傷つけられて退職するようです。プライドって何でしょう。同期社員が小便をしている横で便器を洗うのはたしかに楽しくはありません。でもどうということはありません。トイレ掃除を本職にしている人は世の中に山のようにいるのです。彼らはもっと安い給料にもかかわらず、黙々と仕事をしています。要するにそれに耐えられないというのは、実に薄っぺらいプライドなのです。同時に精神力が足りなさすぎです。なまじ一流会社の社員だっただけに、くだらないプライドと見栄に縛られているのです。本気で嫁や子供の生活を守るためなら、そんなものはいくらでも耐えられるはずなのです。
・耐えることや我慢することも大切ですが、自分の限界を見極めることも重要です。これ以上、耐えると潰れるというラインを自分でわかることは不可欠です。これは慣れで獲得するしかありません。そして実生活において、「これ以上、頑張ると潰れるかもしれない」と判断した時は、素早く逃げるべきです。自分の体くらい大切なものはありません。そして逃げると決めたら、一刻も早く逃げるのです。そんな時に社会的体面や人間関係や義理などを考慮する必要はありません。逃げる時は何もかもほっぽりだして逃げるのです。逃げると決めたら、「無責任な奴」と非難されようが、「いい加減な野郎!」「薄情者!」と罵られようが、そんな声は無視すればよいのです。そういう「弱さ」を持っているがゆえに、限界以上に自分を追い込んでしまって、取り返しのつかないことになってしまう人が少なくありません。
・実は「他人の目を気にしすぎる」人は、周囲の人からは、まさに「他人の目ばかり気にしている人間」と見られているのです。他人の目を気にして言いたいことも言えないで苦労しているのにもかかわらず、周りの人からは「あいつは他人の目ばかり気にして、本音を言わない人間」と見倣されているのですから。そして敬意を持たれるどころか、むしろ軽く見られることになるのです。自分の周囲にも、「自意識過剰」の「言いたいことを言えずにいる自信のない人」「人と争うことが出来ずに、すぐに迎合的な意見ばかり言う人」「いつも人の顔色ばかり見ている人」はいませんか。そういう人をあなたは尊敬できますか。
・心理学の世界では、人は自分がおかれている経済的な状況の価値を判断するのに、絶対的な数値で見るのではなく、周囲との比較で見ていることがわかったのです。また別の調べでは、人は生活満足度を「所得額」よりも「所得順位」で見ていることがわかっています。つまり人が金銭的な幸福を感じるのは、身近な人よりどれだけ多く稼いでいるかを確認できた時なのです。に自分を他人と比べて、勝っているか負けているか、幸福かそうでないか、意識的、無意識的にかかわらず、そんな比較ばかりしている人は、はっきり言って一生、本当の幸福感を味わうことはないでしよう。
・目分を変える意志があれば、人は誰でも変われます。ただ、それは簡単なことではありません。肉体改造をするためにハードなトレー二ングを続けるのと同様の、辛さを厭わない精神力が必要です。二時間くらいの自己啓発セミナーで変われるような簡単なものではありません。世に溢れる自己啓発本も同じです。「大放言」で「自己啓発本は栄養ドリンクのようなものだ」と書き表した。飲んだ直後は効いたょうな気になって元気になるのですが、効果は三日くらいで消えるので、また新しいのを飲む。自己啓発本を一冊読んだくらいでスーパービジネスマンになれるなら、これほど楽なことはありません。
・自分を変えるためには、まず行動です。努力できる人間になろうと思えば、まず努力してみることです。人前で物怖じしないで話せる人間になろうと思えば、とにかく人前に出ることです。優しい人間になろうと思えば、人に優しく接することです。そういう積み重ねが徐々に人を変えていくのです。ただそれには時間がかかります。また日々の変化が小ざいので、短期間に変わりたい人にとっては、全然変わっていないように見えます。成果を急ぎすぎる人は途中でその努力を放棄してしまいます。すると、その人は一生変われません。
・口論のテクニックはいろいろありますが、そんな小手先のテクニックよりもはるかに大事をことは、相手に呑まれないことです。気圧されたり、びぴったりしたら、口論には絶対に勝てません。逆に相手を呑んでかかれば、八割方勝てたようなものです。
・へらへら笑いをする人で、出世した人はほとんど見たことがありません。へらへら笑いをしている人は始終笑い顔を浮かべているわけですから、相手から嫌われることはあまりありません。ですが、ここは重要なところですが、尊敬きれることもまずありません。彼らは他人に嫌われるのが怖いのではないでしょうか。相手の言うことに笑ってさえいれば、少なくとも嫌われることはないと無意識に思っているのではないでしょうか。また彼らは、非常に人の顔色を見ます。ですから、相手にぶすっとした顔をされると途端にうろたえます。これらは「自分に自信がない」ためです。彼らが自分と対等かそれ以上の人を相手に議論をするのは見たことがありません(目下の者を相手にするのは別)。これは学歴とか大学の偏差値とはあまり関係がありません。東大や京大を出ていても、そういう人はいます。どうやらこれは勉強の自信とは別のもののようです。「あ、もしかしたら、自分はへらへら笑いをしているかもしれない」と思った人は、明日からそういう笑いをやめてください。人はあなたが気にしているほど、他人の笑いやリアクションを気に留めていません。ここで誤解のないように言っておきますが、へらへら笑いと笑顔は似て非なるものです。笑顔は「笑い」ではなく表情です。それは周囲の人の心を癒すものですから、笑顔を出し惜しみする必要はありません。
・大人になると、少しくらいの衝撃では弾まないように、感情の弾力性を抑制するようになります。そんなふうに感情の表現を抑制しすぎると、いつのまにか感情そのものが鈍くなっていくのです。これは心理学の世界では常識だそうです。つまり感情を長らくセーブしていると、やがて「喜怒哀楽」の幅がどんどん小さくなります。そうなるとどうなるか、感情の起伏がない人間になってしまうというのです。従って「喜怒哀楽」の感情を必要以上に抑えないでほしいのです。泣きたい時は泣き、怒りたい時は怒りましよう。
・蛇足ながら申し上げることがあるとするなら、「空気を読むな」ということでしょうか。日本人は往々にして自らの意志ではなく、周囲の空気を読んで行動したり、発言したりすることが多いように思います。ちなみに「空気を読む」という言葉は、英語やフランス語にはないそうです。