百田尚樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
丁度、地図と拳を読んだばかりで、
第二次世界大戦後の話、
まさに、太平洋戦争での話で、あった為、とてもすんなり入ってきた。
国岡商店の国岡鐵造(てつぞう)が石油屋として、油がなく経営困難であった。でもかつての大恩人日田重太郎の言葉、
諦めるな!失敗した場合は一緒に乞食になろう!
という言葉どおり、社員を首にする事なく、乗り切ろうと考えた。
しばらくして、元海軍大佐の藤本から鐵造宛に、ラジオ修理を請け負ってくれないかと依頼が来た。
単純にGHQから新品ラジオでは間に合わない為、800万台のラジオを復旧させろとの指示があったとの事だった。鐵造は藤本の元海軍大佐だけでなく、目や姿勢が気に入り作業にラジオ部部長を命じた。また店舗を50店舗としたが、鐵造から300店舗を目標にと、そして、部下には武田がついた。
藤本は総務の隅からラジオ部をスタートし、銀行へ500万の融資にでかけた。相手は日田の副社長であっかが、人蹴りされた。そして、今度はラジオを実際修理する所を見せた所、1000万の融資が可能となった。
藤本が一斉に店を構えた。
一方、フィリピンなどの東南アジアの石油販売管理を頼まれていた、東雲(しののめ)が帰還した。
宇佐美幸吉は、4年の徴兵から帰ってきた。
国岡商店に戻る気はなかったが、徴兵にいってた4年間も国岡商店から、給料が支払われていた事をしり、国岡商店なら戻る事にした。
昭和21年、GHQから、旧海軍燃料タンクの底を浚えと役人を通じて命令がきた。石統が受けるはずだったが、労力を危惧して、断ったようだ。タンクは8箇所
重機は使えず、ロープで人を下ろし、バケツで汲み上げていく算段だ。鐵造は、これを機にGHQから石油が
支給されるようになれば、これほど素晴らしい事はないという考えだった。
宇佐美も東雲も参加した。
そんな中、鐵造に公職追放令が出て、鐵造は、通訳の飯田と柏井でGHQに乗り込んだ。
GHQにも日系のアイソという人間がおり、鐵造の威勢に関心した。
公職追放は一旦保留となった鐵造は、商工会に力を合わせて石油の、配給に努めようと手紙を送ったところ、商工会には相手にもされず、馬鹿にされた。鐵造は、石統を解体させなければ、日本に石油産業はアメリカのいいなりにやってしまう。と決意し、GHQや商工会に石統の解体し、新たな体制を作る事を手紙で送りつけた。
意外にもGHQが注目してくれて、石統の体制を改めさせる事に成功した。しかし、名ばかりの改めは、石油配給統一の統一がなくなっただけの、石油配給会社だった。
GHQも馬鹿ではなく、旧石統ではなく、国岡商店に石油の主導権を持つべきと考えた。GHQのモア大佐やスタンバック(石油販売大手)のコッドは鐵造は会談を重ねた。
コッドは是非、鐵造に特約店になってほしかったが、
そのまま特約店になっては、ただの外資系の企業になってしまう。
鐵造は一旦、断り、日本の石油配給団体の土台を作る事を決めた。総裁副総裁には、商工省の官史を据えたが、それ以下は、旧石統のメンバーだった。
鐵造の生まれは明治18年福岡県。裕福な家庭ではなかったが、勉強熱心で神戸高商(今で言う大学?)への進学も父親に禁止されていたが、父の目を盗んで勉強し、合格した。また卒業時には、一流企業の鈴木商店に受かったが、酒井商会を選んだ。店主の賀一郎の人柄、仕事ぶりにほれた。
また、ある常務まで上り詰めた矢先、父親の家業が潰れた事を知った。鐵造はお金が必要だったし、独り立ちしたい気持ちが強くなった。そこへ昔からの顔馴染み、日田から独り立ちをしたいんだろうと言われ、日田の京都の家を売り、鐵造の独り立ちの資金として、渡した。鐵造は門司で旗揚げをしたが、3年で資金が尽きた。日田に謝りに言ったが、神戸の家も売り日田に託した。そして、鐵造は、軽油に目をつけた。当時は、軽油に税金はかかっておらず、灯油より安かった。軽油で船が動けば、かなりの商売になるのではないかと踏んだ。そして、関門海峡一帯に海上に軽油を売り尽くした。次に鐵造は、満州へ鉄道の油を売る事にした。満州は当時日本の領土となっていたが、アメリカのスタンダード石油を使用していた。凍結に強い日本の油を売り込んだ。しかし、満州では規格外との事で再三練り込んだ。
それから、満州から車軸用の油がほしいと連絡があった。
スタンダード、ヴァキューム、国岡商店の3社での戦いとなったが、無事、国岡商店が勝利した。
商売は順調であったが、オイルショックが起き、第一銀行から貸付してある金を返して欲しいと言われた。田岡商店は、金の回収に時間がかかる為、返すと潰すしかないという結論となった。
しかし、大変贔屓にしてくれる二十三銀行が今の貸付金に第一銀行への返却分を丸々貸してくれる事となった。
国岡商店は無事、会社を整理せずに済むこととなった。
そんな中、妻のユキと子供ができず、社員を子供と思ってきた鐵造も子供が欲しい欲が抑えきれなくなってきた。そして、春子という女性に、妾として、子供が欲しいと思った。
鐵造は妾という物に興味はなかったが、ユキから自ら12年の結婚生活で子供ができず申し訳ない為、離婚してほしいと要望があり、離婚に承諾した。
春子は他所の男に言い寄られ、いなくなっていたが1年後、25歳の多津子と結婚し、長男 昭一が誕生、
女子3人 5人目に次男が誕生した。
鐵造は50歳だった。
日中戦争等戦争がそこら中で起きる中、真珠湾攻撃を皮切りに、第二次世界大戦が勃発。
国岡商店からも、南方サイパンの方へ調査団として、長谷川、東雲、小松を派遣した。
軍隊顔負けとなっていた長谷川は将来、国岡商店を任せようと思っていた矢先に戦死した。
鐵造が海から石油を運ぶ為に、作った日章丸も沈没した。
1945年だった。ポツダム宣言(アメリカ、イギリス、中国からの日本降伏依頼受諾を全世界に発信した。
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Posted by ブクログ
★3.5
なんと興味深い!!心が動いたというより、しっかりしろと頭が動かされた感じ。
日本の情勢がカエルさんたちの寓話で
表現されていますので、とても分かりやすく、読みやすいです。
私は無宗教(神社もお寺も行くしクリスマスも祝う、祖父母宅には仏壇も神棚もあるおそらく日本人の多数派)で政治もあまり詳しくないのですが
もしかして、ここに書かれているように平和ボケ?の洗脳されているのかも。。。
日本って、これからもずーーーっと
平和で、戦争をすることも、巻き込まれることもなくて、安全な国( ー̀ωー́)!
って当たり前に信じてしまっていました。
戦争はよその国の出来事、と。
しかし百田尚樹さんのおっしゃるように、どこにもその根拠や保証なんてないのですよね。
とても俯瞰して日本の情勢をみることができました。良い気づきになりました。
世間知らずな私に、新しい視点や価値観、考え方を教えてくれた、
問題提起として素晴らしい1冊★