Posted by ブクログ
2017年08月18日
読まなくてもいいかも。
「永遠の0」を通して、ゼロ戦とグラマンの戦闘から見える日本軍と米軍の違いに迫る。良く知られているようにゼロ戦は他を圧倒する攻撃力と、一たび被弾すればすぐに炎上する脆弱な防御力という長短が両極端の戦闘機だ。これを著者は日本刀に例える。それに比べて米軍のグラマンはというと、...続きを読む攻撃力も速度も旋回能力もゼロ戦とは比べ物にならないくらい劣る。ゼロ戦と遭遇したら戦わずに逃げろという指令が出ていた。グラマンがゼロ戦より優れているところはただ一つ。頑丈さ。とにかく何十発被弾しても墜落しないように、燃料タンク、操縦室の装甲は分厚くした。
日米の違いは機体のフォルムにもよく表れている。ゼロ戦は曲線が多い。対してグラマンは直線が多い。当たり前だが曲線を多用するほうが組み立てには熟練を要する。ゼロ戦は熟練工がいないと組み立てに苦労するが、グラマンは誰でも作れるということ。それはゼロ戦は大量生産が難しいが、グラマンは大量生産が容易ということでもある
操縦士に関しても日本は精鋭主義、対してアメリカは、誰でも操縦できるように簡素が基本。
この開戦当初の両国の哲学の違いが、後のガダルカナル戦線で、ゼロ戦の熟練パイロットを次々と死なせてしまう遠因となっているのだが、「永遠の0」を読んだ方には説明しなくても明らかだろう。
この本、「永遠の0」を簡単に要約したようなところがある。読まなくてもいいかも、というのはそういう意味。
新しい部分は、出版に至った動機、ベストセラーになった経緯、そして最も多いのは「永遠の0」を戦争礼賛だとか、右翼エンタメだとか言って非難してくる論評に対する反論。どこをどう読んだら戦争礼賛と取れるのだ、と怒っている。確かに。自分も読んだけど、戦争礼賛やら、特攻を美化してるだとか言う人たちに対しては、どう読んだらそうなるんだ、疑問に思った。
でもそうとる人たちがいることは不思議に思わない。(なんとなくそう受け取る人はいるだろうな、といったところで、深い意味はない)
最近の百田氏は作品より発言のほうで注目をされてしまっているから、百田氏本人のイメージを作品に投影してしまっている人も多いし。
たぶん、この本を読む人は永遠の0を肯定的にとらえている人だろうし、右翼的だと否定している人は読むわけないから、出版した意味はあまりないかもしれない。