【真実は小説より奇なり】
国民全員に読んでほしい、それくらい衝撃的な話でした。
まるで映画を観ているかのような正義(被告)と悪(検察)の混沌とした闘い。。。
いやいや、正義と悪の立場逆やろ\(゚ロ゚ )と突っ込みたいですが、これ最近あった『実話』です。
2019年末、東証一部上場企業の社長を、検
...続きを読む察が社員への強迫まがいな取調ででっちあげた調書だけを根拠に逮捕。
そこから無罪を勝ち取るまでの長い闘いと社長の心情が細かく記録されています。
ぼくが感じたのは2点。
①司法の圧倒的に理不尽なシステム
筆者が伝えたいことのほぼ全てと言っていいと思う。世界的に類を見ない長期勾留による身体・精神への負荷。自供しないと出られない監獄。筆者の孤独や苦しみは読んでいてこっちも辛くなります。
そんな状態で厳しい取調を毎日受けていたら、そりゃあ嘘の供述も出ますわな〜
「黙秘」が重要とされる理由が、司法手続きが公平公正ではなく、真実を守るためのものだということが骨身にしみて理解できました。
②検察の腐敗した組織体制
ろくに調べもせず勝手に描いたストーリーを基に、無理やり供述を作りあげるとんでもない組織だということが判明しました。
でっち上げ逮捕起訴による筆者の損害は、個人株式の売却損だけで75億円以上、勾留期間は248日、それによる肉体的・精神的なストレスはもはや想像できない。
にも関わらず、検察からの謝罪や不正の検証は実施されず、まるで何事もなかったかのように振る舞っている。
国家賠償請求で支払われる財源も国民の税金ですし、終わってるでしょこの組織。
日頃のベテラン議員などの不祥事を見ていて感じますが、やはり人は強大な権力を持つと自制のコントロールが利かなくなるんですよね。
これは歴史が証明していますし、そのような中で自らを律して行動できた者が偉人として讃えられてるんだろうな〜と感じました。
【以下、本書の一部抜粋】
・こちらは全人生とプレサンスの存亡がかかっている。必死になって説明しようとするのだが、裁判官は振り向きもせず、書類になにやら書き込んだりゴム判をペタペタ押したりしている。そも そもこちらの言葉に耳を傾ける意思すら感じられない。
「おい、お前、ちょー待て。オレの人生の一大事なんやぞ。ちゃんと話を聞かんかい」と叫びたかった。
時間にしてものの2、3分。これで、わたしの言い分を聞いたことになるらしい。こんな形式的な手続のためだけに、あれだけの長い時間待たせたのである。
・これほど不毛なやり取りが、過去5回繰り返されているのに、裁判所はこちらの話に聞く耳を持たず、「断固として保釈すべきではない」という検察の言いなりになっている。 こちらが検察官意見書の論拠をひとつひとつ丁寧に論破しても、取り合おうとすらしない。こんな愚劣な裁判官たちにわたしは裁かれるのだ。公平性、公正性など期待できるわけがない。
・裁判所で証言する際、「良心に従って、真実を述べ、なにごとも隠さず、いつわりを述べないことを誓います」 という宣誓をしなくてはならない。
本来は記憶に忠実に話さなくてはならないはずなのだ。しかるにその実態はというと、検察官の振り付けのまま証言させることがまかり通っている。
実際、目の前の佐橋証人は、三谷検事の質問が終わる前から話しはじめていた。建前と現実はこれほどまでに乖離していて、そこで引き出された薄っぺらくねじ曲がった言葉のやり取りで人の人生が左右されてしまう。
・わたしは刑事司法というのは真実を追求する場所であり、検察という役所はその一端 を担うものだと思っていた。社会正義を実現するために必要不可欠な組織だと考えていた。
しかし違ったのである。 事実上、公訴権を独占するほどの強大な権限を持つ検察庁は、その権力の大きさに鑑みて慎重に行使するのではなく、いったんコイツが有罪だと決めたら、その真偽などどうでもよく、組織としてのメンツを取り繕うため手段を選ばず、なにがなんでも罪に陥れることだけを目的とする 集団だった。
・今回の事件でもっともひどいと思ったのは人質司法の問題だ。
本書でも弁護人の言葉として何度か出て来た人質司法という言葉。 読んでもらっておわかりいただいたように、逮捕・勾留された被疑者・被告人は自白しない限り、釈放されず長期にわたって身体拘束が続いてしまう。結果的に被疑者・被告人の身体を人質にして自白を強要することになってしまっているという実態を表す際に人質司法という言葉が使われる。
法律では原則が保釈であり、勾留が続くことは例外とされている。そして保釈を決めることが できるのは裁判官だけだ。ところが検察官が強硬に反対すると、その理由がいかに根拠なく、メ チャクチャであっても裁判所は保釈を認めない。実際、わたしの保釈請求に対する検察官意見書 は虚偽のかたまりのような内容だったのだが、裁判所はそちらの方を信用し、われわれの主張に 一切耳を貸さなかった。いざ外に出してしまい、逃げられて責任を負うことがイヤなのだ。刑事収容施設に入れておけば問題は起きないという事なかれ主義が定着してしまっていて、裁判官たちは思考停止に陥っている。
罪を認めれば小森のようにウソをついていてもすぐに出してもらえる。認めなければ、わたしのようにずっと身柄を取られたままというのが実態だ。こういった運用がなにを招くのか。冤罪の発生である。
・取調べの問題点も肌身で感じた。
長期勾留とも深く関わってくるのだが、あんなところに入れられて、連日検察官とだけ相対していると、なにが本当なのかわからなくなってくる。うまく誘導されると、検察官の思うがままに話をしてしまう。
実際、わたしの事件において、山本さんは公判で供述をひるがえしたものの、彼を含め、小森、 佐橋、桃木の4人が虚偽の供述調書にサインしている。
先進国ではあり得ないほど長時間の取調べが許されていることもまた、捜査官の暴走をうながす要因のひとつだろう。
・いまでもわたしは検察庁がこの国にとって、なくてはならない組織だと思っている。ただ、わたしが出会った検察官のほとんどは残念な方ばかりだった。世間知らずで一般常識に欠けているにもかかわらず、変なプライドを持っている。そこから来る功名心のため間違いを起こしてしまうと、今度は手段を選ばず自己保身する。こんな体たらくな姿を見て、前途有為な若者が検察官をめざすのだろうか。
・検察庁はプレサンス元社長冤罪事件において、関係者を恫喝、脅迫、誘導するなどし、 罪をでっち上げたにもかかわらず、お詫びの弁を述べるどころか検証すら行わず、まるでなにもなかったかのようにふるまっている。
民間企業ではあり得ないことが起こっている。
村木厚子さんの事件を機に出直すことなどまったくできていなかった。
反省なき組織は同じことを繰り返す。