山口周のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
生きる中に人間性を取り戻す 我々が大きな時代の流れのどこにいるととらえるのかは前著「ニュータイプの時代」に続き考えさせられた。
ビジネスという営みを通して、よりヒトとして幸福を感じるものに知恵を絞っていくことの大切さを感じた。
営利企業で働いている以上、売上、利益を出すために生産を行い、様々なステークホルダーの声に応えていかないといけないが、時にそのために犠牲を強いるのは本当にこのままでいいのかということを考えさせられた。
不足がなくなり、急速な成長から緩やかなものへ、そこから成長のない時代に向かっているなかで、何を働くことやビジネスから得たいのかを考えさせられる。 -
Posted by ブクログ
「ビジネスという営みが、そもそも歴史的役割を終えたのである」という衝撃の入口から、まさかの具体的な政策提言という出口まで。手触り感あるビジネスの話と、古今東西のアカデミックを見事に接続する手つきに嫉妬する。凄く、かっこいい本だ。
ただ一点、山口さんに伺ってみたい論点が。
「責任ある消費(活動)」のすゝめは、まさにその通りと思いつつ、一方で「人間性に根ざした衝動」もしくは「今ここの感情を大事にする、コンサマトリーな浪費、トライアル(とにかくやってみる)」もすゝめている。でも、ある時、この2つは矛盾を起こさないのか?
つまり、「衝動の責任(って言い方だとズレるか?)」について、考えたい。
「死んだ妻に会いたい」という衝動から生まれた、人を蘇らせる悪魔との契約、なんてSFはありふれているけれど、これを求めた愛妻家の人は、今後「(次世代のことを無視した)無責任な消費」をしたともいえるけど、人間性に根ざした衝動に従って法を破った、ともいえる。
利他性を廃した衝動に駆られるのが弱い人間なのかなと思うのだけれど、そこはどう整理されるなんだろうか?自分でも考えてみたいし、山口さんにご意見伺ってみたい。
あと、山口周さんは何になる人なんだろう?と思っていたけれど、かつての石原慎太郎や猪瀬直樹(とは厳密に違うだろうけど、文学から政治に切り込むという意味で大まかに)近い存在なのかも知れない。
ここで示された政策や指標を携えて、小さいアメリカの対極を目指す政党を立ち上げて、そのブレーンしてほしいなぁ。絵空な話ではなくて、地方政治から実装し始めたりしそう。 -
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価値基準が役に立つコトから意味あるコトへと変換する中で、問題解決についても、量から質へと転換しつつある。そんな中で、どの問題を解くのか、直観でアタリがつけられるセンスが非常に重要であり、そのセンスの内容を様々な好事例とアンチパターンから読み解く経営書。
センスがない場合は、「作業の誘惑」に負ける。小さなことに気を取られ、最も大きな問題に正面から立ち向かっていないケースなど。逆に、センスある人は、優先順位や取り組む手順が徹底されている。要は時間軸を持って、ストーリーとして戦略を語れるかという点である。
センスの特性としては、センスがあるかないかは客観視しづらいということ。特にセンスがない人はそのことに一生気付かない。また、センスは全方位のものではないので、自分の土俵をわかることもセンスのうち大切。様々な土俵(バッターズボックス)にたち、どこが自分のフィールドかを実感することが大事だ。
逆にセンスを阻害するものとして、偉い地位を維持しようとすることだったり、CEOがChief Executive Tantoshaとして作業に集中して「横串おじさん」になっていたりするとまずい。エリートは、わかりやすい努力をすれば上にいける世界を求めがちで、その弊害がこの社会には残っている。
センスを磨くには、具体と抽象を往復し、抽象レイヤーの思考を鍛えること。後天的に磨ける部分が多い。ただ、努力に逃げてはいけない。島田紳助も練習するなと言ったように、戦略づくりに時間を割くべきだ。尚、センスとは事後性が高く、振り返ればあのときの経験が活きた、というもの。なので、読書のようにすぐに結果が出ない投資であることを念頭に置きたい。最後に、自分はこう思う、が先に来るコトも大切。そこの意思を持ち続けることが重要だ。
その他メモ
・リベラルアーツ、自分の価値基準を自分以外の人にわかりやすく話せる
・Willingness to Pay - Cost = Profit -
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ビジネスは歴史的使命をすでに終えているのではないか(物質的貧困を無くすというミッションが既に完了)、悲観すべきことではなく祝うべき祝祭の高原
成長率が高いのは遅れているから。
先進国は押し並べて下がっている。生産性ですら加工の一途、ただし日本はその下がり方が高いため叩かれている。
真に豊かで生きるに値すると思える社会がこれからの命題
市場経済が終わったわけではなく、その仕組みをハックし、経済合理性から喜怒哀楽に基づく衝動に転換する。
GDPは100年前にアメリカで大恐慌を乗り越えるため政策立案の立脚点になる指標として導入された。現在では目的を失い数値が一人歩きしている。かつこの値は政治的に各国で調整をしているもので多分に恣意性を含む。
時間によって成長拡大がしなくなり、時間の価値がなくなり、金利がほぼゼロになり、資本にほぼ価値がなくなっているということ。
私たちが判断の拠り所にする、宗教や共産主義は今頑張れば良い未来がやってくるという希望の物語を誰も紡げなくなってきている。
イノベーションによって経済成長は起きていない。新しい市場が生まれているのではなく、既存市場の内部でお金の移動が起きているにすぎない。
Linuxのv4開発には2.83億万行のソースコードがあり、8.6千億がかかったと見積もられる。社会課題の解決は、精神的報酬がヒントになる。
一方で贈与のインストール(BI)が必要。
コンサマトリー(自己充足的な、それ自体を目的にした)な高原社会を成立させるために必要なアクション
1. 真にやりたいことを見つけ取り組む
2. 真に応援したいモノコトにお金を払う
3. ユニバーサルベーシックインカムの導入
何か複雑な問題を解決しようとする時、まず必要なのは、自分自身が解決しようとしている問題を引き起こすシステムの一部なのだと気付くこと。
by 社会システムデザイナー デイヴィッドストロー
これから価値を持つのは、社会を生きるに値するものに変えていくということ、その代表がアートであり文化創造であると考えれば、これからのビジネスは社会を豊かなものにするためのアートプロジェクトのようにならなくてはならない。
世界で評価されるイノベーター70人にインタビューした結果、イノベーションを起こそうとした人はおらず、なんと助けたい…これができたらスゴイ、という衝動で仕事に取り組んだ。アーティストにも見られる衝動が駆動している。
アメリカの成功したビジネスマン数百人に調査をしたところ、キャリア形成のきっかけは80%偶然だったり。キャリアプランがなかったわけではなく様々な偶然が重なり結果的に成功者にまでなった。
プランド・ハップスタンス・セオリーbyクランボルツ
社会は意識的に構想を描かなければそれまでの慣性と惰性に従って延長線上を走り続けてしまう。 -
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劣化するオッサン社会の処方箋~なぜ一流は三流に牛耳られるのか~
著:山口 周
年をとっただけで「老いる」ということはない。つまり「オッサン」というのは、好奇心を失い、謙虚さも失い、驚きながら学び続けるという姿勢を失ってしまった人たちのことを言う。
そしてその人物像とは①古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する②過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない③階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る④よそ者や異質なものに不寛容で、排他的
本書はそんな「オッサン」への処方箋について以下の8章により説明している。
①なぜオッサンは劣化したのか
②劣化は必然
③中堅・若手がオッサンに対抗する武器
④実は優しくない日本企業
⑤なぜ年長者は敬われるようになったのか
⑥サーバントリーダーシップ
⑦学び続ける上で重要なのは「経験の質」
⑧セカンドステージの挑戦と失敗の重要性
若い若いと思っていたものの、気づけばすっかり「オッサン」になっていた。本書でいう「オッサン」にはなりたくはないものの、もしかしたら自分も気づけばそんな「オッサン」への道に進んでいるのかもしれない。
自分は違うと言っても決めるは外部。しかし、危機感を持ち、謙虚な気持ちで変わりたい。変わる中で驚きを持って学び続けることを継続していればそんな「オッサン」には成り下がらない。
「オッサン」は世界の闇であるものの、ここ日本ではそんな「オッサン」が生まれるべくして生まれる環境でもある。
処方箋があれば対応が100%できるとまでは言わないものの、避けるだけではなく、立ち向かう局面の際に役立つことが記されている。
「オッサン」は自分自身を「オッサン」とは思っていない。そう自分にも言い聞かせながら「オッサン」と向き合い続けたい。 -
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再読だけど、また考えさせられることがあって読んでよかった。
・仕事ができるとは、どちらかというとスキルよりセンスの問題。
・仕事ができない人はTO DOリストで考える(タスクが並列)。できる人は、やるべき順序も含めて考える(物事の因果関係を意識している)
・部分だけではなく全体を見ている。
・具体と抽象を往復しながら両面で考えている。
・けっきょく意思の力。
みたいなことが述べられている。
目的意識の有無なのだろうと理解している。
その事業を通して(所属する組織の取組みを通して)何を実現しようとしているのか、その目的意識を持っている人は、実現に寄与するアクションを考えて実行するし、そうでない人は言われたこととか目の前のTO DOをこなす(具体とか部分に終始する)だけである、ということだと思う。経営者で言っても、社会をどうしたいとか会社をどうしたいとかどんなサービスを手掛けたいなどの意思(と実行力)がある人はできる(具体的な事象から本質を見抜いて効果的な打ち手を導き出せる)人で、そうでない人はできない人ということだと思った。
自分は当然前者でありたいと思っているけど、簡単ではない。
(いきなり他責になってしまうが)所属する組織が自分たちの実現すべきこと、存在意義を定義できていないと思う。だから、所属員は目的意識を持って働いている人はほとんどいない気がするし、いてもバラバラだと思う。(自分たちの実現すべきこと、存在意義を定義できていて、共有できている組織なんて、なかなかないのではないかという気もする。)
自分が組織の存在意義を定義することを引っ張っていければかっこいいけどそんな実力はないし、自分一人だけでも目的意識を持って取り組もうとも思うけどけっきょく楽な方に流されたり挫けたりそもそもなにが目的なのか見出せなくて、いまいち楽しくない。
愚痴みたいになってしまった。
で、本の内容とは離れるけど読んでみて思ったのは、自分は本当は社会に対して何を実現したいとかどんな付加価値を提供したいとかはけっきょくないのではないか。誰かと楽しいことをして、そこそこ感謝とか信頼されたり面白いやつだと思われたいだけだなどうやら、と思った。
そんなふうな発見があったことが、読後の成果でした。
見方によってはとても甘い考えだと思うけど、そんなような欲望を叶えられる働き方を手に入れたい。フリーランスの生き方を模索してみようと思った。 -
Posted by ブクログ
本書を読み、社会人になりたてのころ不思議に感じていた「経済成長しなければいけない、前年比〇〇%の売上を達成しなければいけない」という強迫観念の根拠は、たかだか100年くらい前に生まれた一時的な価値観に過ぎなかったことを実感し、「やっぱり僕の感覚が間違っていたわけではなかったんだ」となんだかすごくほっとした。
それと同時に、旧来のサラリーマン社会の不思議な常識に、十年以上かけて少しずつ自分を慣らしていき、やっとこさ立ち位置を手に入れたという自負も自分にはある。それに要した労力を振り返ると、ようやく折り合いつつあるこの社会の価値観が、また変わってしまうのを恐れる自分もいる。
一言でいえば、フレッシュで旧来の価値観に染まっていない若者の台頭が少し怖い。それと同時に新たな社会とその価値観の到来を楽しみにしている自分もいる。
すべては「その変化に対して自分が主体的に向き合えるか」にかかっているような気がする。
本書でも語られている通り、人間は何らかの「希望の物語」がなければ生きていけない。
だから今度は上の世代に押し付けられた「希望の物語」ではなく、自分たちの感性を正直に発露しそれに沿った新しい「希望の物語」を生み出さなければいけない。
新しい「希望の物語」を生み出すために、僕らにとっておそらく最も重要となるのは、「経済以外の何を成長すればよいのか分からないという社会構想力の貧しさ」と、「経済成長しない状態を豊かに生きることが出来ないという心の貧しさ」の克服であろう。
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