あらすじ
【内容紹介】
ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか?
これが、本書の執筆のきっかけとなった筆者の疑問です。
そして、このような結論を導き出します。答えはイエス。ビジネスはその歴史的使命を終えつつある。
さらに、21世紀を生きる私たちの課せられた仕事は、過去のノスタルジーに引きずられて終了しつつある「経済成長」というゲームに不毛な延命・蘇生措置を施すことではないといいます。では、私たちは現状をどのように受け止めた上で、未来に向けた第一歩を踏み出すべきなのでしょうか。
その答えとして筆者は、4つのサマリーを掲げます。
1.私たちの社会は、明るく開けた「高原社会」へと軟着陸しつつある
2.高原社会での課題は「エコノミーにヒューマニティを回復させる」こと
3.実現のカギとなるのが「人間性に根ざした衝動」に基づいた労働と消費
4.実現のためには教育・福祉・税制等の社会基盤のアップデートが求められる
筆者は、資本主義の過去、現在、未来を冷静に分析し、人間が人間らしく生きるために本当に必要とされるべきは、どのような「社会システム」であるべきなのかを真剣に考え続け、同書を書き上げました。
これは、それらを実現するために、私たちは何をすべきなのかを問うた、これまでにない「資本主義」論です。
【著者紹介】
[著]山口 周(Shu Yamaguchi)
1970年東京都生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライプニッツ代表。
慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科美学美術史専攻修士課程修了。電通、ボストン コンサルティング グループ等で戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。その他の著書に、『劣化するオッサン社会の処方箋』『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』『外資系コンサルの知的生産術』『グーグルに勝つ広告モデル』(岡本一郎名義)(以上、光文社新書)、『外資系コンサルのスライド作成術』(東洋経済新報社)、『知的戦闘力を高める 独学の技法』『ニュータイプの時代』(ともにダイヤモンド社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)など。神奈川県葉山町に在住。
【目次抜粋】
はじめに
第一章 私たちはどこにいるのか?
第二章 私たちはどこに向かうのか?
第三章 私たちは何をするのか?
補論
終わりに
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
【この本がとにかく言いたいこと】
市場の需要を探査し、それが経済合理性に見合うモノかどうか吟味し、コストの範囲内でやれることをやって利益を出すという営みは既にゲームとして終了している
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物質的不足を解消するという課題は達成されたのだからそれを祝祭し終焉を受け止める
ビジネスの使命は終了している
経済が停滞していると言われてるが良いこと
成長し切ったのだから当然
消費の非物質化されて
物から体験へ移行している
旧来からのビジネスは上から下まで利益を追求することに困っている
歴史的使命を全うしているのに使命終了の延命をマーケティングという単語でやってるだけ
売れないと思ってるのに売ろうとするから
精神的に壊れる奴がいる
GDPの延命措置ではなく
人間が人間らしく生きるとはどう言うことか
何を測ればその達成の度合いを測れるのかということを考えた方が良い
物資不足終わって、経済成長おわってるのにGDPがどうこう言ってるの意味がない
人類が進化していくためには新たな指標が必要
GDPはそもそもアメリカが発案した
なので主導権を握るためアメリカが基礎になってる
だが今更アメリカのようになりたいと思ってる必要ある?
信仰とは
レオン・ファスティンガー
認知的不協和音理論
「自分の信念と事実が食い違う時、人は信念を改めるよりも事実の解釈を変えることで信念を守ろうとする」と言うことをカルト教団に潜入して分かった
文明のために自然を犠牲にしても仕方ないという文明主義
未来のために今犠牲にしても仕方がないという未来主義
成長のために人間性を犠牲にしても仕方がないという成長主義
から脱却しなければならない
最近は経済成長できないので富が移転しているだけ
イノベーションしておけばいいわけではない
失業させるだけのイノベーション(機械化など)
貧困を解決するイノベーションでなければイノベーションとはいえない
Facebookの売り上げはラジオ・テレビにかかっていた広告代が移っただけで業界のシェアが広がったわけではない
市場原理主義者は市場が拡大していけば問題が解決していくと唱えるが
このまま経済を進めていくと経済合理性限界直線という問題解決にかかる費用と問題解決で得られる利益が均衡するラインに到達する
そうすると利益が出る限り何でも行うが利益が出ない限り何も行わないため
希少な問題は永遠に解決されなくなる(子供の貧困、希少疾病
シュンペーターは資本主義は崩壊すると言っている
Linuxはコードを全開放してどう使ってもいいと宣言することによって更なるビッグデータを集め
それは単純に人を雇って行う場合の経費よりも
とんでもなく簡単に行われた
すなわち人々の贈与の気持ちが人類の進歩を進めた
精神的報酬を得れるということが肝になってくる
ハンナ・アーレントの『人間の条件』において
一般的な『仕事』の種類を
・生存するための労働
・快適に生きるための仕事
・健全な社会を運営する活動
に分けていて
もはや活動しか残ってない状態になってる
1970年代の電通の標語は吐き気がする
ただ現代でもこの標語を会社の人間は気づかずに永遠に押し殺しながら働いている
マーケティングという言葉は売り込んでいるだけ
営業とは詐欺である
19世紀先進国の「すでに基本的な問題を解決してしまった」人々による経済活動を観察してゾンバルトは
「恋愛ゲームに基づく奢侈」
「成功者であることを誇示するための奢侈」
だけが経済を回しているといった
ニーズには
他人に関係なく必要な絶対的ニーズ
他人に優越するために必要な相対的ニーズ
があり
絶対的ニーズは解決するが相対的ニーズには限りがない
ポトラッチというどちらが浪費したかを競い合うゲーム
161〜166pにアーシングの全てが書いてある
なので好きなことをして
遊ぶように仕事をして生きろ
キャリア形成のきっかけとなるもの
結果的に成功した人は一体どのようにキャリア戦略を考え、どのように実行してきたかというと
80%はキャリア戦略など考えていなかった
そのためには
①やりたいことを見つけ取り組み
②応援したい物事にお金を支払い
③ベーシックインカムを導入するべきだ
租税を多くすると
税金を支払うのはバカらしいから贈与するようになる(国が贈与すればその分引くよというので)
加えて稼いでも持ってかれるだけなのでクソみたいな仕事が増えないで人間らしい生活を送れるようになる
お金を持っていかれてしまうのだから能動的に政治するようになり投票率が高くなる
Posted by ブクログ
頷き過ぎて首がもげそうです。(大袈裟)
少ししか働けなかった人は、少ししかもらえない。というのは合理的かもしれない。それでも同じだけ支払ってやりたい。
この感覚は我が子たちと接する時に感じるなと思います。この感覚を身内だけでなく、できるだけ範囲を広げていけるのか。この辺りが自分の課題なのかと思いました。
共感する一方で、この話を腹落ちできる人たちは一定の階層の人たちに留まるのかとも思いました。経済合理性の外側に手を伸ばすための理屈として、衝動という手段が提示されてました。この辺りはそれぞれの人の背景、環境しだいなのかとも思います。特にトランプ再選の一幕を見ているとそう思えてなりません。
ただここに書かれているビジョンを体現した美しい世界がくることを心から願っています。まずは、応援したいものにお金を投じるところから。
Posted by ブクログ
改めて資本主義について疑問を呈していたタイミングに読みました。資本主義のルールに基づいてる以上、経済合理性限界曲線の外側にはアプローチできないという話が非常に腑に落ちました。また、物質的な豊かさが満たされている現代を、成長できないと悲観的に捉えるのではなく、高原社会と捉えるのは確かになと思いました。
現在では当たり前ですが、必要であっても投資対効果が見込めない事業について、企業は新たに取り組むことができません。イノベーションや成長を求められ続けられるものの、既に主要な領域は実現されているか、外側の領域というジレンマから抜けられてないです。この無理ゲーを脱するためにはどうなっていくべきかが書かれていて参考になりました。
また、今後は経済主体ではなく、人間性に根ざした活動が必要との主張がありますが、ここには同意です。これ以上必要のない成長を見込むのではなく、人間性に根ざした経済活動が可能になってほしいと僕も願っています。やや理想主義的なところはあるものの、今後の社会を考える上で非常に参考になると思います。
Posted by ブクログ
新しい時代では脱成長を受け入れ、自身のモチベーションの赴くままのやりたい労働を行い、消費は贈与を伴うものになっていく。各々が自ら豊かな人生を送るために小さな変革を起こし、主体的に政治、福祉、教育に責任を持ちながら生きていくことが大切である。
JUST DO IT!
#ビジネスの未来
#山口周
Posted by ブクログ
資本主義のハッカーとなる。
社会が悪いのではない、それではカルトやテロリストと同じである。自分が変えなきゃいけない、自分が変わらなきゃいけない。
Posted by ブクログ
仕事を始めて10年超、家庭を持ち、子育てが始まってからますます強くなる資本主義、特にマーケティングに対するモヤモヤを、明快に言語化してもらえた。自分自身が、今の課題だらけの社会を支えている1人だと強く自覚しなおし、まずは責任のある消費から始めて見ようと思います。こういう考えを持つ人が増え、当たり前になれば、日本は世界はまだまだ、決して捨てたもんじゃない。
Posted by ブクログ
コンサマトリーとインスツルメンタル。小さいアメリカを目指すな。成長を目指さない高原社会を幸せに生き抜こう。ベースインカムを導入せよ。役に立つ事より、意味ある事にとりくめ!
Posted by ブクログ
「いま、ここにいる私たち」自身が考え方・行動を変える必要があることを多角的な観点から突きつけられる。同時に、文明的な発展を遂げ終えたその後の時代を生きていけることへの喜びも感じられた。その境遇を十分に享受し次世代に繋げるためにも、世の中に対しアンテナを貼り続け、自分が取る1つひとつの選択が世の中にどのような影響を与えるのか考え続けられる人間になりたいと思う。
Posted by ブクログ
日本の経済成長は止まったと聞かない日は無いくらいで気分が暗くなることが多いが、「経済成長」という無駄なゲームに参加しないでおこうということを豊富な引用とデータで著者は説明している。日本に漂っているこの閉塞感は何だろう、そして自分はどうすればいいのかという思いにヒントをくれる。まずは自分が選んで買うものから考えてみる。その製品はどこから来てどんな風に作られたか。買う、使う、壊れる、捨てる、買うというサイクルの時代はもう終わっているのに、それに気付いていても気付かないふりをしている日本の企業の責任は重い。
Posted by ブクログ
山口周さんの鋭い現状認識から提示される課題、そしてそれらを解決するために必要な要素、目指すべき未来についてがとても分かりやすく整理されまとまった本。
【概要】
我々の社会は、長年の課題であった物質的貧困を今経済成長とテクノロジーの力で社会から排除しつつあり、明るく開けた「高原社会」へと軟着陸しようとしている。その中で、経済合理性曲線の外の課題(ex.希少疾病の治療薬、貧困家庭の食料問題など)や生きるに値する衝動に根付いた社会を実現するために、エコノミーにヒューマニティを回復させることを提唱する。さらに、その具体的な促進として、ユニバーサルベーシックインカム(UBI)、GDPに代わる多様な評価仕様を含むソーシャルバランススコアカードの導入、自らの衝動に気づき、行動し、仲間と共同できる人材を育てる教育システムへの変革を提唱している。
【心に残った部分】
低成長と表現される経済。しかしそれは言葉を返すと物質的貧困からの解放された成熟した社会の到来を表す。著者はそれを「祝祭の高原」と例える。問題の普遍性と技術的難易度の関係性から、あるところで経済合理性の成立/不成立するラインが生まれる(=経済合理性曲線)。その内側の課題は、資本主義社会が自動的に解決する。そしてすでにほとんどの内側の課題は解決された。一方で、希少疾患を患った人やその家族にとっては、他のどんな病気よりも、その疾患の治療薬を望む。ここでサンテグジュペリの以下の言葉を引用し、我々が人間たるには、この問題を放置できないことを説く。
”人間であるということは、まさに責任を持つことだ。おのれにかかわりが無いと思われていたある悲惨さを前にして、恥を知るということだ。仲間がもたらした勝利を誇らしく思うことだ。おのれの意志を据えながら、世界の建設に奉仕していると感じることだ"
経済的対価を得るための手段としての労働ではなく、労働自体=喜びとして、目的かつ手段とすべきである(=コンサマトリー)。
インストゥルメンタル
中長期的/手段はコスト/手段と目的が別/利得が外在的/合理的
コンサマトリー
瞬間的/手段自体が利得/手段と目的が融合/利得が内在的/直感的
我々は、人間性の衝動に身を任せ、インストゥルメンタルからコンサマトリーな活動へシフトする。それによって、経済合理性曲線の外へはみ出し、生きるに値する社会に対するモノ・コトを生み出せる。
資本主義社会をハックしよう。
ハイデガーの「世界劇場」を引用し、現存在=我々の本質と、ペルソナ=舞台で演じる役柄は、違う。我々はそれを区別できない。いい役柄を貰っている人は、自分の現存在もいいものと考え、しょぼい端役の人は自分をショボイと感じる。主役級の役はごく少数なので、多くの人はショボイ役を与えられた役者として舞台に立ち、主役級の人を喝采しつつも、ああなりたくはないよねという態度をとってします。このような舞台は、脚本がいけていないわけだが、脚本を書く人はそれなりに大きな発言力、影響力を持っている人なので、書き換えるモチベーションが無い。つまり、端役をおしつけられた人、舞台に適応できていない人が変革者となりうるということである。そのような人々がやがて資本主義のハッカーとして世界を変えていく。そう祈る。
Posted by ブクログ
ビジネスは歴史的使命をすでに終えているのではないか(物質的貧困を無くすというミッションが既に完了)、悲観すべきことではなく祝うべき祝祭の高原
成長率が高いのは遅れているから。
先進国は押し並べて下がっている。生産性ですら加工の一途、ただし日本はその下がり方が高いため叩かれている。
真に豊かで生きるに値すると思える社会がこれからの命題
市場経済が終わったわけではなく、その仕組みをハックし、経済合理性から喜怒哀楽に基づく衝動に転換する。
GDPは100年前にアメリカで大恐慌を乗り越えるため政策立案の立脚点になる指標として導入された。現在では目的を失い数値が一人歩きしている。かつこの値は政治的に各国で調整をしているもので多分に恣意性を含む。
時間によって成長拡大がしなくなり、時間の価値がなくなり、金利がほぼゼロになり、資本にほぼ価値がなくなっているということ。
私たちが判断の拠り所にする、宗教や共産主義は今頑張れば良い未来がやってくるという希望の物語を誰も紡げなくなってきている。
イノベーションによって経済成長は起きていない。新しい市場が生まれているのではなく、既存市場の内部でお金の移動が起きているにすぎない。
Linuxのv4開発には2.83億万行のソースコードがあり、8.6千億がかかったと見積もられる。社会課題の解決は、精神的報酬がヒントになる。
一方で贈与のインストール(BI)が必要。
コンサマトリー(自己充足的な、それ自体を目的にした)な高原社会を成立させるために必要なアクション
1. 真にやりたいことを見つけ取り組む
2. 真に応援したいモノコトにお金を払う
3. ユニバーサルベーシックインカムの導入
何か複雑な問題を解決しようとする時、まず必要なのは、自分自身が解決しようとしている問題を引き起こすシステムの一部なのだと気付くこと。
by 社会システムデザイナー デイヴィッドストロー
これから価値を持つのは、社会を生きるに値するものに変えていくということ、その代表がアートであり文化創造であると考えれば、これからのビジネスは社会を豊かなものにするためのアートプロジェクトのようにならなくてはならない。
世界で評価されるイノベーター70人にインタビューした結果、イノベーションを起こそうとした人はおらず、なんと助けたい…これができたらスゴイ、という衝動で仕事に取り組んだ。アーティストにも見られる衝動が駆動している。
アメリカの成功したビジネスマン数百人に調査をしたところ、キャリア形成のきっかけは80%偶然だったり。キャリアプランがなかったわけではなく様々な偶然が重なり結果的に成功者にまでなった。
プランド・ハップスタンス・セオリーbyクランボルツ
社会は意識的に構想を描かなければそれまでの慣性と惰性に従って延長線上を走り続けてしまう。
Posted by ブクログ
「文明的豊かさを生み出すビジネス」から「文化的豊かさを生み出すビジネス」へ。
大量生産、大量消費の時代が終わりを迎えつつある今、ビジネスはどのように変わっていくべきなのだろうか。
不足を満たすという視点から、大切なものを生み出す時代への変換点にきているのだろう。
ビジネスで考えた時に、それはかなり難しいものかもしれない。
お金を回しつつも、精神的に豊かになる仕組みを生み出す。
考え、チャレンジし続けていく必要があるのかもしれない。
Posted by ブクログ
1.私たちの社会は、明るく開けた「高原社会」へと軟着陸しつつある
・私たちの社会は、古代以来、人類が長らく夢に見続けた「物質的不足の解消」という宿願をほぼ実現しつつある。長らく続けた上昇の末に緩やかに成長率を低下させている現在の状況をメタファーとして表現すれば、それは「高原への軟着陸」として言い表せる
・緩やかに高度を落としつつ「高原」へとアプローチする現在の状況は、しばしば「低成長」「停滞」「衰退」という言葉で表現されるが、このようなネガティブな表現で現在の状況を形容するのは極めて不適切
・19世紀半ば以降、私たちを苛みつづけた「無限の上昇・拡大・成長」という強迫から解放された社会を、どのようにしてより豊かで瑞々しいものにするかを構想し、活動することが私たちに残された次の使命
2、高原社会での課題は「エコノミーにヒューマニティを回復させる」こと
・さまざまな制度疲労が指摘される資本主義だが、これを全否定して新しいシステムを求めれば「観念の虜」に陥る危険性がある
・むしろ、すでに社会にインストールされている資本主義・市場原理の仕組みを「ハックする」ことでこれを乗っ取ることを考えるべき
・その際、経済性原理=エコノミーの中に人間性原理=ヒューマニティを稼働ロジックとして埋め込むこと、社会という集積回路においてプロセッサの役割を果たす個人の演算にヒューマニティをファクターとして組み込むことが必要
3.実現のカギとなるのが「人間性に根ざした衝動」に基づいた労働と消費
・経済合理性にハックされた思考・行動様式を、「喜怒哀楽に基づく衝動」によって再びハックし返すことで、経済合理性だけに頼っていては解けない問題の解決、あるいは実現できない構想の実現を図る
・その際、「未来のためにいまを犠牲にする」という手段主義的=インストルメンタルな思考・行動様式から、「永遠に循環する“いま”を豊かに瑞々しく生ききる」という自己充足的=コンサマトリーな思考・行動様式への転換が必要
・衝動による経済活動を取り戻すことで、過度の経済合理性の追求ゆえに停滞してしまった社会イノベーションをふたたび活性化する
4.実現のためには教育・福祉・税制等の社会基盤のアップデートが求められる
・衝動に根ざしたコンサマトリーな経済活動を促進するために、誰もが安心して「夢中になれる仕事」を探し、取り組むための補償となるユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)の導入が必須
・物質的算出の量によって経済状況を把握するGDPが無効化しつつあるなか、高原社会の健全性・豊かさを計量するための複数の指標、ソーシャル・バランス・スコアカードを導入する
・物質的不足を解消して文明化を推し進めるための人材を育てるために構築された現在の教育制度を抜本的に見直し、自分の衝動に気づき、行動し、仲間と協働できる人材を育成するための教育制度に刷新する
・上記のUBIや教育施策を実践するための税制度をより高負担・高福祉型に転換し、 富のダイナミックな再分配を図る
社会民主主義の方向へ大きく社会ビジョンをシフトすべき時
かつて社会に存在した数多くの問題を市場原理が「経済合理性」に基づいて解決した結果、 現在の社会には「経済合理性限界曲線」の外側にある問題が残ることになりました。このような問題に対処するためには経済合理性を超えるモチベーションが必要だと指摘しましたが、 これらの問題が「経済合理性限界曲線」の外側にある以上、対処しようとする人や組織は必然的に大きな不確実性とリスクを背負うことになります。このとき「衝動」に基づいてその問題に取り組んだものの、結局はうまくいかずに失敗してしまった、という人が次々と経済的に破綻してしまえば、そのような「衝動」に根ざした活動をする人は誰もいなくなってしまうでしょう。経済合理性限界曲線の外側にある問題の解決を個人個人の「そうせずにはいられない」という「衝動」によって駆動しようとするのであれば、経済的に破綻してしまう心配のない社会的セキュリティネットが必要になります。
このようにつらつらと考えてみれば、一つの結論に到達せざるを得ません。それは、これからやってくる高原社会に残存する「希少かつ重大な問題」を解決していくために、これまで私たちが依拠していた新自由主義・市場万能主義から、より社会民主主義的な方向へと舵を切らざるを得ない、ということです。
先述した通り、社会に多数の物質的問題が残存していた時代にあって、市場原理は極めて効率的に、それらの問題を解消することに貢献しました。しかし現在、私たちの社会に残存する問題の多くは、もはや経済合理性だけに頼っていたのでは解決できないのです。
経済合理性のハードルを軽々と跳躍して飛び越えるような人材が、不当に不利益を被らないような社会基盤の整備がどうしても必要なのだということを考えたとき、私たちは、これまでのアメリカによって象徴的に示されていた新自由主義・市場万能主義の社会ビジョンから、北欧型のそれに近いような社会民主主義の方向へと、大きく社会ビジョンをシフトするべき時にきていると思います。
電通戦略十訓
1.もっと使わせろ
2.捨てさせろ
3.無駄使いさせろ
4.季節を忘れさせろ
5.贈り物をさせろ
6.組み合わせで買わせろ
7.きっかけを投じろ
8.流行遅れにさせろ
9.気安く買わせろ
10. 混乱をつくり出せ
「必要」と「奢侈」のあいだの答え
ここで一旦、整理してみましょう。ポイントは次の三つです。
1.今日の先進国では、安全で快適に生きるための物質的生活基盤の整備という課題をあらかた解決した上、これ以上の人口増大も期待できない「高原への軟着陸」へのフェーズに入りつつあり、必然的に「需要の飽和」が発生している。
2.ビジネスが「問題の発見」と「問題の解決」で成り立っている以上、問題の多くが解決してしまった「需要飽和社会」では経済の停滞、利益率の低下が起き、それが先進国に共通して見られるGDPの低成長率、極端な低金利に表れている。
3.これを避けるために「不必要な消費」を誘起すると、それは容易に「奢侈」に接続されてしまうが、そのような消費のあり方は「自然・環境・資源」の問題がより重要性を増している現在、倫理的に許されるものではなく、物理的にもサステナブルでない。
大きく整理すれば、その活動は、第二章の冒頭で示した次の二点になります。
1.社会的課題の解決(ソーシャルイノベーションの実現):経済合理性限界曲線の外側にある未解決の問題を解く
2.文化的価値の創出(カルチュラルクリエーションの実践):高原社会を「生きるに値する社会」にするモノ・コトを生み出す
筆者は2013年に上梓した著書「世界でもっともイノベーティブな組織の作り方」を執筆する際、スティーブ・ウォズニアックをはじめとして、世界中でイノベーターとして高く評価されている人物、およそ70人にインタビューを行いました。その際、判明したのは「イノベーションを起こそうとしてイノベーションを起こした人はいない」という、半ば喜劇的な事実でした。彼らは「イノベーションを起こそう」というモチベーションによって仕事に取り組んだのではなく「この人たちをなんとか助けたい!」「これが実現できたらスゴい!」 という衝動に駆られて、その仕事に取り組んだのです。
ここでポイントとなるのは、彼らイノベーターたちが「こうすれば儲かる」という経済合理的な目論見だけによってではなく、「これを放ってはおけない」「これをやらずには生きられない」という強い衝動・・・・、それはしばしばアーティストにも共通して見られるものですが…………によって、それらのイノベーションを実現させているということです。
過去のイノベーションを調べてみれば、核となるアイデアの発芽したポイントに、経済合理性を超えた「衝動」が必ずといってよいほどに観察されることが確認できます。
一方、今日のビジネスの世界を顧みてみれば、新規事業の検討に際し、徹底して「数学的期待値」や「数量化された利得に数量化された確率をかけた加重平均」が意思決定の根拠として求められていることが思い出されます。しかも、一般にエリートと言われる、高い教育水準を受けている人ほど、この手のプロトコルに強く縛られてしまう傾向があります。これは社会資源の活用という観点から考えると恐ろしい機会費用です。
誤解のないようにしておきたいのですが、私はなにもこのようなスキルを否定しているわけではありません。真に問題なのは、本来は「主」であるはずの「人間性に根ざした衝動」が本来は 「従」であるはずの「合理性を検証するスキル」にハックされ、主従関係が逆転してしまっている、ということです。「衝動という主人」が「スキルという家来」を使いこなすことで人類は進化させてきたわけですが、この関係が逆転して「スキルが主人になって衝動を圧殺する」状態になってしまっている、というのがいまの経済システムの問題です。 この主従関係を再度、逆転して「衝動にシステムをリ・ハックさせる」ことが求められます。
すでに需要・空間・人口という三つの有限性を抱えている世界において、大きな経済的値を創出しようとすれば、それは「文化的価値」という方向をおいて他にないというのが私の考え方です。文明化がすでに終了した世界にあって、これ以上の過剰な文明化が富を生み出すことはありません。
一方で「文化的価値の創出」についてはその限りではありません。意味的価値には有限性がありませんから、無限の価値を生み出すことがこれからも可能です。そしてその価値は資源や環境といった有限性の問題から切り離されているのです。 文明化の終了した世界にあって、人々が人生に求めるのはコンサマトリーな喜びであり文化的豊かさであると考えれば、これからの価値創出は「文明的な豊かさ」から「文化的な豊かさ」へとシフトせざるを得なくなります。
キャリア形成のきっかけとなるもの
結果的に成功した人は一体どのようにキャリア戦略を考え、どのようにそれを実行しているのか? この論点について初めて本格的な研究を行ったスタンフォード大学の教育学・心理学の教授であるジョン・クランボルツは、アメリカのビジネスマン数百人を対象に調査を行い、結果的に成功した人たちのキャリア形成のきっかけは、80%が「偶然」であるということを明らかにしました。彼らの80%がキャリアプランをもっていなかった、というわけではありません。ただ、当初のキャリアプラン通りにはいかないさまざまな偶然が重なり、結果的には世間から「成功者」とみなされる位置にたどり着いたということです。
クランボルツは、この調査結果をもとに、キャリアは偶発的に生成される以上、中長期的なゴールを設定して頑張るのはむしろ危険であり、努力はむしろ「いい偶然」を招き寄せるための計画と習慣にこそ向けられるべきだと主張し、それらの論考を「計画された偶発性理解=プランド・ハップスタンス・セオリー」という理論にまとめました。
クランボルツによれば、我々のキャリアは用意周到に計画できるものではなく、予期でき ない偶発的な出来事によって決定されます。それでは、キャリア形成につながるような「良い偶然」を引き起こすためには、どのような要件が求められるのでしょうか? まずハップスタンス・セオリーの提唱者であるクランボルツ自身が指摘したポイントを挙げてみましょう。
・好奇心=自分の専門分野だけでなく、いろいろな分野に視野を広げ、関心をもつことでキャリアの機会が増える
・粘り強さ=最初はうまくいかなくても粘り強く続けることで、偶然の出来事、出会いが起こり、新たな展開の可能性が増える
・柔軟性=状況は常に変化する。一度決めたことでも状況に応じて柔軟に対応することでチャンスをつかむことができる
・楽観性=意に沿わない異動や逆境なども、自分が成長する機会になるかもしれないとポジティブに捉えることでキャリアを広げられる
・リスクテーク=未知なことへのチャレンジには、失敗やうまくいかないことが起きるのは当たり前。積極的にリスクをとることでチャンスを得られる
Posted by ブクログ
個人的な学びと感想
物質的な豊かさは先進国では多くの人が満たされており、経済は成長しきったので停滞は当然の事であり、プラスのイメージを持つべきだ。
これからは文明的豊かさを生み出すビジネスから文化的豊かさを生み出すビジネスへの転換が必要で労働から活動へ資本主義は移行する。労働は苦役を伴うが活動は楽しむもの。労働の必然性や必要性が無くなり、豊かで多様な個性を持つ個人が自由意思に基づいて労働=活動が自発的に行われるようになり、理想的な社会を作り出す。
この人達を何とか助けたい、これが実現できたらすごいという衝動に駆られてその仕事に取り組んだ結果イノベーションが起きることが多い。
自分がどのような活動をしたいかわからないのなら興味の有る事無い事とりあえず全部やってみること!
この本を読んで応援したい活動に責任消費をし、自分が幸せに生きる自己実現を目指し、世の中を悪くしているのは無関心な善人であると言うことから、色々なことに関心を持とうと思いました。
Posted by ブクログ
山口さん、分かりやすく痛快に言い切る感じが、相変わらず良い感じです。
◉GDPに関する言及が、なるほどと思わせる。
アメリカが世界一の覇権国であることの証であり、かなり恣意性を含んでいる。今後は無形資産を参入を目論んでいる。
ネットやAIは、お金を移転させているだけで、パイ自体は増えていない。つまりGDPには貢献していない。
より便利になることにお金が回っている。それにより、格差社会を助長している。
便利で快適にするための生産はほぼ完了していて、GDPで評価すること自体が無意味であると。
むしろ低い成長率が続くことは正常。
◉労働で楽しさが重要になるとの内容は同意する。
ただ、私的には、まだ現場レベルでは時間がかかると思う。
そもそも解決すべき問題がなくなる=仕事がなくなると言われて長いが、減り具合が緩やかでいつの話?が正直なところ。
◉マーケティングは、問題を生み出すこととの言及はなかなか痛快。新しいことで先延ばし。
1970年代、電通の戦略十訓は初見だったが、刺激的。
①もっと使わせろ
②捨てさせろ
③無駄遣いさせろ
④季節を忘れさせろ
⑤贈り物をさせろ
⑥組み合わせで買わせろ
⑦きっかけを投じろ
⑧流行遅れにさせろ
⑨気安く買わせろ
⑩混乱を作り出せ
◉イノベーションは「人助けしたい」「これを実現したい」の衝動からスキルを働きかけでうまれるもの。いまはスキル側からのアプローチで逆になりつつあると。
今回は読んでて冗長的と感じる部分が正直あったが、仰っていることは一貫性があって、納得できる部分がおおかった。
Posted by ブクログ
山口周さんの本は毎回面白い。
「ビジネスは既に役目を終えている」から始まって、ベーシックインカム云々の話に繋がった。まぁどうあるべきかについて正解はでないけど、現状のビジネスという立ち位置について理解が深まった。
Posted by ブクログ
やはりこの人の本は面白い。というか、共感することが多い。コンサマトリーという言葉でまとめられたありたい姿。やや抽象度が高いこともあるが、考えしろを与えられているものとも考えられる。資本主義というもののあり方を改めて考えさせられる。役に立つことを超えて、意味をどう生み出すか。同じモノづくりにおいても、その捉え方で何を結果として求めるのかが変わりそう。何をもってして豊かとするのか今一度考えてみたい。
Posted by ブクログ
日本は、既に物質的満足度は達成し、高原と名付ける低成長時代に突入している。GDPの成長率を上げようとしても無駄な努力だ。20世紀が世界的に見ても極めて特殊な時代だったのであり、物質が満たされ、人口減少が起きると世界もやがて日本のような低成長の時代へ突入する。これからは、文化的、精神的な満足度を上げるよう方向転換をするべきだ。ロボットやAIが人に変わり労働を引き受けるようになり、人々の労働に対する考え方も変わってくる。そして資本主義のあり方も弱体化し、新しい秩序に対応できる社会を作って行かなければならない。
Posted by ブクログ
社会が今変わってきている過渡期だということを教えてもらいました。肌感覚としては感じていたことをクリアに説明してもらったという感じです。
私にとっては働き方について考えさせられた本です。成長することや利益を追い求める働き方ではなく、真にやりたいコトに皆が取り組める社会、理想だなーと思いました。
働く目的について、新しい風を吹き込んでもらいました!
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株式会社に勤める私、高い成長率や売上目標が課され、目標達成のための事業企画や営業企画を泣きながら作るような毎日に疲れて手に取った本。
今すぐに大きく変えられる問題ではないけど、本気で変えたいのであれば、この状況を疑問に思っている我々がちゃんと資本主義をハックして少しずつ疑問を呈していくことで、徐々に変えていこう、という仲間を募るような本。他力本願ではダメだと叱責頂いたよう。
今の仕事を続けることが現状維持に加担していることになるので、転職への重い腰を上げる時かと思ったりもする。が、転職が面倒に思えていまだに腰は動いていない。
まずは、今の職場でコンサマトリーな仕事ができるよう、周囲への配慮を始めてみる。
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この本の内容をありのまま捉えるのではなく、読んだ後に自分がどう思うか、意見を持つことが大切だと思った。
今のシステムで恩恵を受けている人もいるので、今の現状を変えたいのであれば結局自分が動くしかないということを痛感した。
社会で脇役だったとしても、自分の意見、存在を大切にしたいと思う。
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社会における教育の話など、すごく視野が広い(広がる)本という感触。
読む人の視座の位置によっても、色々と気付きが変わりそうな本かなぁと思いました。
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1.上司に薦められたので読みました。
2.経済成長に固執する現代に対して一石を投じる本です。経済成長に固執するあまり、人として大切な自己実現を忘れてしまっています。これにより限界にきている資本主義にさらなる負担をかけ、真の問題点を発見できなくなっております。
本書では「高原社会」と定義づけ、これからのあるべき未来が何なのか、どのような対策が必要なのかわ述べています。
3.私自身、特に不満があって今を生きてるわけではないので、所得を上げることについて躍起になっておりません。ですが、周りの人は所得を気にしすぎるがゆえに不満が増えてく一方です。
金に気を取られてしまい、大切な自己実現が年々失われていく姿を近くで見ていく人として悲しいと思います。日本人には自己犠牲を美徳とする文化が根強く残っています。私も多少はその考えが残っているため、人のことは言えませんが、それでももうそんなに犠牲にならなくてもいいこともわかってます。ですので、本書の言う通り「まずは自分自身がしっかり幸せに生きること」が第一の課題だと思います。
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「生活に必要なモノをあまねく行き渡らせることで幸福な社会をつくる」という戦後からの目標のもとそれを測る指標としてGDPは有効だった。
現在はモノむしろ溢れかえってるくらいで、戦後の目標は達成された状態。
それなら目標は変えるべきだし、
戦後の指標を追いかけて、日本はダメだと自虐するのはおかしくないですか?
少ない時間でたくさんものを生み出す力をいつまでも追いかけても仕方ないですよ。
前提から疑う考え方に、確かにそうかもなあと思うところがあった。、
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山口周さんの本はいつも楽しく熟読させていただいています。今年はまずは選挙に行くことですね。あと、何かのためにあれをやる、これをやるではなく、とにかく浪費、無駄、なんでも理屈抜きにやることですね。あと応援したい人に贈与することでなんですね。個人的に「自分が稼いだお金は自分で自由に使っていいのか」問題が面白かったです。モースの贈与論も読んでみたいと思います。スッキリする本でした。ありがとうございます。
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経済合理性を求めてきた時代は限界を迎えており、ヒューマニティが必要という話は新鮮味があり、刺激的であった。自分が応援したいこと、後世に残したいものにお金を使うというのも大切だなと思う。
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科学の勃興によって宗教という規範の解体が進み、人々が意味の喪失という病に
問題とはありたい姿と現状の姿とのギャップとして定義
経済、物質に代わる新しい価値観、新しい社会ビジョンを再設計しなければならない段階に来ているのではないか
複雑な問題を解決する時、自分自身が解決しようとしている問題を引き起こすシステムの一部であることに気づく必要がある
システムの中で自由にコントロールできるのはシステムではなく自分自身
革命もまたいまここにいる私から始めなければならないという意識を持つ
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自分が電機メーカー半導体営業の仕事を辞めて大学職員になった理由、うまく言語化できていなかったけど、本書を読んでこの感覚だと思った。規模の経済、労働力コスト勝負のビジネス、製品競争力をもつ上で誰かの犠牲が不可欠なビジネス、生活のための労働とかはもうしたくない、顔のわかるコミュニティで直接人に貢献したい、仕事そのものが報酬になりえる仕事がしたいというような感覚。
著者が強調していたこと、つまり、現行の古い社会の形成に加担してしまっているのは自分自身であり、まずは自分がお金や時間の使い方や働き方などを改めなければならないというのもそうだなと思った。