福沢諭吉の代表作『学問のすすめ』『福翁自伝』と並ぶ作品。この本は明治8年に書かれたものだが、この時点で福沢諭吉が西洋のことをかなり詳細に知っており、かつ日本の置かれている立場も的確に認識していることに驚いた。西洋列強の歴史、政治、経済、社会制度はもちろん、中国やインドなどのアジア諸国、あるいはアフリカ諸国の事情を的確につかんでおり、明治維新後わずかな間に猛烈に勉強したことがわかる。その上で、単純に古来からの日本文化を捨て、西洋文明を盲目的に取り入れるわけではなく、古き良き日本の伝統や精神を認識しつつ、これから日本の進むべき道を記している。批判的なことが数多く書かれているわけではあるが、その視点は鋭い。面白い。
「(人と人との交際の大切さ)この交際は、商売でも学問でも、はなはだしきは遊びや宴会、あるいは訴訟や喧嘩や戦争であってもよい。人と人とが接して心に思うところを言葉や行動で示す機会があれば、大いにお互いの人情を和らげ、両目で他人の長所を見ることができる」p29
「今日の異端妄説(いたんもうせつ)もまた将来の常識や普通になることだろう。学者は世間のやかましさに負けず、異端妄説と言われることを恐れることなく、勇気をもって自分で思う所の説を吐くべきなのだ」p32
「世界の文明を論じるに当たって、最上の文明国とされるのは、ヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国である。半開(半文明国)と言われるのは、トルコ、中国、日本などのアジア諸国で、アフリカ諸国やオーストラリアは野蛮の国と言われている」p36
「戦争は世界最大の災いであるが、西洋諸国は常にこれを行っている」p39
「周末の時代は、中国文明三千年の歴史の中でも異説や論争が最も盛んになり、まったく相反するような意見が世に出てきた時代であった。これは孔子や孟子などの儒教側からいえば、いわゆる「異端」である。しかし、孔子や孟子から見れば異端かもしれないが、異端の側から見れば、孔孟の方が異端なのだ。現在では、残された文献も少ないから、確かなことは言えないけれども、当時人心が活発で自由な気風があったことは推して知るべしである」p50
「(異説論争の禁止)みなが盛んに意見を言うこと自体が、専制の邪魔になる」p51
「(わが国の政統)「傷一つない見事さ」とは、国がはじまって以来、国体が損なわれず外国人に政権を奪われたことがない、というこの一点にあるのである。したがって、国体こそが国の本となるのだ。「政統」も天皇の血統もこれにしたがって盛衰するものと言わざるをえない」p65
「いま、太平の時代の士族に向かって、刀を持ち歩く理由を詰問すれば、その人は「先祖からの習慣である」とか「士族のしるしなのだ」とかいう弁解をするだけで、ほかにはっきりとした理由は聞けないだろう。刀の実用性についてきちんと答えられる者などいないのだ」p68
「中国はむかしから「礼儀の国」と称しており、これは自負でもあるが、実情がなければこういう名もないはずで、実際、むかしから中国には礼儀正しい見事な人物がいて、それに見合った仕事を成し遂げている例も少なくない。いまでも人物には乏しくないのである。しかし、国全体の様子をみれば、人を殺す者、物を盗む者は非常に多く、刑法はきわめて厳しいのに、罪人の数が減ることもない。その人情風俗が卑屈で賤しいのは、まさにアジア諸国の象徴である。だから、中国は「礼儀の国」ではなく、「礼儀の人が住む国」と言うべきなのだ」p104
「(明治維新)報国心も粗雑で未熟な者たちであったが、その目的は「国のため」であるから、公的なものだったのだ。主張するのは「攘夷」一か条の単純なもの。公の心で単純な主張をすれば、その勢いは盛んになる。これが攘夷論がはじめて力を持った理由である」p145
「家康は実に三百年の太平の生みの親である。しかし、家康個人の徳について観察してみると、恥ずべき点は少なくない。中でも、秀吉が遺言で豊臣家を保護してくれるように頼んだのを無視し、秀頼を助けることをせず、彼を軟弱な人間として育て、石田三成のような人間をわざとそのままにしておいて、後日豊臣家を滅ぼす際の手段としたようなやり口は、特にひどいものだ。この点については、家康には一点の徳もないように思える。しかし、この不徳の人間が三百年の太平をひらき、人々を苦しみから救ったというのは奇妙な話ではないか」p216
「これらの英雄たちは私徳に欠点はあったかもしれないが、叡智の働きによって大きな善をなした人物ということができる。一点の傷を見て、それで宝石全体の価値を計ってはならないのである」p216
「(選挙で選ばれるアメリカ大統領等と比較して)日本や中国では、近世に至るまでこのような君主を生み出そうとして、常に失敗し続けている」p235
「人間が持つ権力は、必ず堕落する」p277
「古来わが日本は「義勇の国」と称される。日本の武人は荒々しく、強く、決断よく、誠実で率直であり、これはアジア諸国においても恥じるところがない」p310
「専制政治は巧みであればあるほどその弊害も大きくなり、安定した世の中が続けば続くほどその弊害も深くなって、長い間の遺伝毒となり、安易には取り除けないものになるのだ」p321
「(日本人の特性)困難をおそれず何かやってみようという勇気は出さないのだ。期せずして来た困難にはよく耐えることができるが、自ら困難に飛び込んで、将来の楽しみを得ようとする勇気を持たないのだ」p323
「わが日本は貧しいと言われる。しかし、天然の産物は乏しくないし、農業については世界に対して誇るべきものも多い。決して、天然の貧乏国ではない」p342
「近年、外国人と交際するようになって、わが国の文明と外国の文明を比較してみると、表にあらわれる技術などが外国に及ばないのはもちろんのこと、人心の内部に至るまで、そのあり方がちがっていることがわかる。西洋諸国の人民は、智力活発で、自分で自分を管理し、社会や物事には秩序が備わっている。大は一国の経済から小は一家一身の処し方まで、とてもいまの様子ではわれら日本人の及ぶところではない。大雑把に言えば、西洋諸国は文明国で、わが日本はいまだ文明に達していないことが、今日に至ってはじめて明らかになったのである。このことを認めない人はないだろう」p349
「国の独立はすなわち文明である。文明国でなくては独立は保てない」p392