齋藤孝のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2013年6月初版
齊藤孝 著
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「大人しくて真面目は最大の武器になる」
近年日本の未来については、少子高齢化の進展や、経済成長の停滞、国際競争力も新興国に押され気味とネガティブに語られることが多かった。しかし、この気質をベースとすれば、平和で安全、安定的で、創意工夫に満ちた社会が成り立つだろうと考える(驚くほど成長するポテンシャルを彼らは持っている)。問題は、彼らを伸ばすための環境をどれだけ整えることができるか、ということに限る。
そんな内容。
本質的に若者を考察する、というよりも少し対処療法的な印象でした。それはそれでニーズがあることだと思うのですが、ここまで現場で日々若者に晒されている人が、もう少しひきの目線でこの現状をどう語るのかも知りたくなりました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ朝の情報番組にも出てる斎藤孝さんの雑談について書いた一冊。
読んでみて肩の力を抜いて、中身のないオチのない話をすることの重要性がわかりました。
ネタの作り方や雑談時のポイントも書かれていて、それとなくやっていけそうな自信はつきました。
難しいことではなく、何気なくできることばかりで少しの意識でやっていけそうだと感じました。
ひとつのネタから派生してネタを広げることは参考になりました。自分も雑談から世界が広がった経験は何度もありますが、本書を読んでその事が改めて再確認できました。
これからも肩肘張らず雑談をサクッと楽しんでいければと感じました。 -
Posted by ブクログ
「余計な一言」は、ときに人間関係を破壊しうるくらい恐ろしいものであり、普段から気を付けて話をしましょう、ということが書かれている本。特に気を付けなくてはならないのが、「本音」と「正論」。普段のコミュニケーションにおいて、ほとんどの場面では本音も正論も求められていない。本書では、そこのところを勘違いしている人が多いと指摘している。とはいっても、常に建前や定型句しか発言しないのではストレスが溜まってしまう。一昔前であれば、居酒屋で本音を言い合っても、その場限りという暗黙の了解があったのだが、現代ではそれも通用しない。著者は、1人でいいので、どんなことでも話せる人(メンター)を持つことを勧めている。身近にいないのであれば、精神科医や心理療法士でもいいとのこと。
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Posted by ブクログ
第二の通過儀礼としての35歳を考えた作品。メモ。
(1)35歳は自分の生活において大事な存在との関係を新しく築いていく年齢だと私は思います。距離を置く様になったからといってこれまでの関係性が壊れる訳ではないのが本当の友情です。
(2)やるべきことに対して自分の行動に拍車を掛ける働きをもたらしてくれる友人関係は良い繋がり、良い刺激です。
(3)若いことと若く見えることは別です。
(4)若さは若さで素晴らしい。けれど、円熟もやっぱり素晴らしい。
(5)大人の判断とは‥、あらゆる角度から分析調査してこの部分は減点要因だけど、こことここの部分は評価出来るから、プラスマイナスの差し引きで考えたら悪くないという見方が出来ること
(6)気力というのは自分の内側だけで循環していると自家中毒を起こしてしまうもので、外に向かう事で正当なエネルギーの発露になります
(7)35歳の決断の要諦は物凄くチャレンジングなことをするということだけではなく、保守的な決断もあると理解するところにあります
(8)仕事における体力というのは経験をベースにした総合的な力で成り立っている。ビジネス体力とは経験知に裏付けられた知的体力。 -
Posted by ブクログ
オビに書いてあることを、そのまま。
「勉強嫌い、読書量の不足、敬意の喪失
萎縮する若者が「できる」大人になるために」
この書き方は気に入らないが、では「できる」大人になるためにどうすればいいか?というと、本を読みなさい。&学ぶエネルギーの高い場所に集いなさい。だという。
(と、読んだ。)
中心はタイトルにあるように『なぜ学ばなくなったか』の理由付けであり、解決の一冊ではないと思う。
まして「日本の「教育力」を取り戻す!」のは難しい。
齋藤孝の読書への意味付けは何度も為されており、解決を期待するのならば『読書力』や『古典力』を読んだ方が面白い。
偏差値教育にも意味があるという言を必ずしも否定はしないが、大学進学率の高さと、センター試験までもが人物重視を謳いだした現状で、偏差値という観点での結果に対するモチベーションを上げよという方が無体である。
しかし、学ぶことは教育機関の門戸を叩くことのみに通じるものではない。
そうした中で、読書というのは非常に意味のあることだと思うし、それは偏差値云々よりも大切な心構えであるだろう。
結局のところ、自分に対する責任を失った子供たちに育ててきたのは大人である。
自身への責任どころか、社会へ責任転嫁する光景さえ多々見られる。
大人が「己に対する責任の欠如」についての自省を以て、次の子供たちに中らない限りはこの状況は変わらず侵攻していくだろう。
学びとは、自身にとって震えるほど楽しいものである。
それは齋藤孝の言う共有ではなく、過去や故人と対話する孤独な行為であっても楽しい。
さて、そのことをどう「学ばせる」かを大人は考えてゆかなくてはならない。