齋藤孝のレビュー一覧
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最近は家訓なんて聞かないし、もし学生時代に家訓があると言う人がいたら。何処の皇族?それとも大金持ち?と思いつつ、そんな古臭い事に囚われるんじゃないよ。自分の人生だよ!と言って笑い飛ばしたことだろう。
しかしこれを読んでみると家訓とは、その人が生きている時の経験から出た地に足の着いた言葉であり、机上の空論や理想論ではないのが魅力だと感じた。
気に入った言葉
・自分の一生は次の世代への30年間の手代
・天下無敵と言うのは敵をバッタバッタとなぎ倒す事ではないんだよ。天下に敵がいないと言う事なんだ。
・親の本当の務めとは子供を一人前に育てる事。今でいえば自分で稼げるようにしてあげる事
・「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)
・損せざるを以て、大いなる儲けと知る可し。
・北条重時が言うには、上に立つ人の心得として、まず家中の者に平等に声をかけ、さらに告げ口を聞いてもすぐに処罰せず、きちんと事実関係を確かめてから決めなければならない。
・海外で活躍する人と言うのはみんなオープンな体つくりに成功した人。(オープンな体とは:恥ずかしさや、異文化の人を恐れず積極的にかかわっている姿勢) -
Posted by ブクログ
表紙が違うな。
高校生向けの読書感想文作成指南書。といっても特別なことは書いていない。「せっかくの機会をいかして読書に浸る」「読みながら自分と関連づける」「感想なんだから自由。だけど自分が面白いとか変だとか思った部分を他者と共有すると広がるでしょ。その広がりのコミュニケーションが感想文」「難しくない。ぐっときたところを3つ切り出せ。3つを熱く語れ」こんなとこか。
高校生の頃の自分は感想文の書き方なんかしらなかったなぁ。先生たちは教えてくれていたんだと思うけど,聞いてなかったな,たぶん。高校の時は1年に1回指定図書を読む課題があったな。山月記,シュリーマン,石川達三の蒼氓。蒼氓という言葉を知ったことで山下達郎さんとのつながりが強くなった気がする。 -
Posted by ブクログ
著者は本当にこの本を書きたかったのかな?という違和感を感じてしまった本。
引用だらけ。
『実例⇒仮説(抽象化)⇒根拠⇒結論』という流れが多いが、『根拠=偉い人(社長さん・歴史上の人物・フィクションの登場人物等々)の引用』としているところに信憑性が感じられない。
ただ、流石に文章がうまいだけに、無批判に読むとつい納得させられてしまいそう。
教養として知っておきたい雑学的な内容はちりばめられてる。
エッセイとして読めばそれなりに面白く読める。
役に立つかどうかというと疑問符がついてしまう。
自分の能力不足かもしれないが、何か実生活に応用できそうだと思えない。 -
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著者は、東京大学法学部卒業。現在、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。
著書に「ブレない生き方」「古典力」「教育力」等多数。
論理力、文脈力、交渉力など、一般にコミュニケーションに必要だとされる能力以前に、まずはどんな対面状況でも問題なく応対できるようになるための、社会を生き抜くための力。
いわば、コミュニケーションのもっとも根源的なところにあるもの、それが対面力である。
対面力とは「状況に即応して、場や相手にアジャストしていく」。適応力である。柔軟に相手に合わせつつ、自分を印象付け、「この人とまた会いたい」と思われるための能力のことである。
そんなコミュニケーションの力の基礎である「対面力」を以下の4章にわたり説明している。
①対面力の基本は「からだのレスポンスだ」
②話し上手・間合い上手にこうしてなる
③「世渡り上手」を実践しよう
④「つながる」「広げる」対面力の磨き方
著者のイメージとしては教授という職業からして、大勢の前で話す方が得意なように感じる。本書にもそれは書いてあったものの、しかし、大勢の前で話すことは対面で話すそれの上位に位置するものとは違い共通する点もあれば異なる点も多く存在する。
しかし、やはり一対一の対面でのコミュニケーションというのはやはり基本的な能力として誰にでも求められることであり、それが高ければ色々と役立つことも頷ける。
最終的には場数を踏むという経験がモノをいうことになるもの知識として知っておいて損はない。
春は出会いの季節。さっそく色々試してみよう。 -
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著者の身体論・教育論で読み解く太宰治解釈として興味深く読みました。
『新樹の言葉』の最後で、家が焼き落ちたときに乳母の子どもたちが微笑んだのを目にした主人公が「力こぶ」を入れるところに着目しているのは、この著者らしい着眼点だと思いました。この物語の主人公は、これまで筋肉にまったく力が入らない、腹が定まっていない生き方をしてきたと著者は言います。ところが、急に現われた兄妹を前にして、初めて兄になれたという感覚を抱くことになり、全身に力が入ったのだと著者は考えます。主人公のアイデンティティの形成が、力こぶを入れるときの身体感覚に象徴されていることを見て取り、そこに「さわやかさ」が感じられると著者は指摘しています。
また、『走れメロス』では、話の筋よりもその日本語の奔流に身を任せることが重要だとされています。著者が以前、自作のカルタを幼稚園で用いたとき、園児がいっせいに「メロスは激怒した!」と叫んだのを見て、「日本も変わるかも」と思ったというエピソードが紹介されていますが、こうしたエピソードを通じて『走れメロス』の日本語が持っている力を示したのも、この著者ならではという気がします。
その他にも、「人間世界の中でちゃんと生きたいのに、それができないもどかしさや、まともに生きたいという切望が彼〔太宰〕の本質」だという視点から、『人間失格』『斜陽』『トカトントン』『ヴィヨンの妻』などの代表作を読み解き、若者の人間形成の優れたモデルを取り出しています。 -
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「学ぶこと」に対する「リスペクト」がなくなってしまったという指摘は納得できます。この国の未来に対する強い危機意識が、著者にこの本を書かせたのではないかと思いますが、「あとがき」で取り上げられている子どもたちの読書や学習に対する熱気を伝えるエピソードには、まだこの国には希望があるということを感じさせられます。
ただ、大正教養主義を「リスペクト」する著者自身の好みが強く反映されていて、ドイツ哲学やロシア文学を学ぶべきだとされていますが、これには全面的には賛同できないとも感じました。もっと多くの、それこそどんな対象からでも、私たちは学ぶことができるのではないでしょうか。著者が批判的に言及している、戦後の日本が受け入れてきたアメリカの大衆文化や「ガンダム」などのサブカルチャーにも、学ぶことはたくさんあるはずだと思います。
もちろん、そうした可能性を著者が否定しているわけではありません。「スラム・ダンク」の友情論についての本を書いたこともある著者が言いたいのは、アメリカのロックや日本のサブカルチャーにも優れたものはあり、そこから多くのことを学べるのは確かだけれども、そのことを理由にして、他の学問や文化から学ぶべきものなどないといった態度を取るのは間違いだ、ということなのかなと理解しています。
ただ、やっぱり著者自身の「教養」観に基づいた懐古的な話が多いので、そこに抵抗を感じる読者も出てくるのは仕方がないという気がします。 -
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『福翁自伝』ほかの福沢諭吉のことばを引用して、そこから「生きる指針」を読みとっている本です。
「ほとんどの日本人は、悩むことに誠実さを見出す」と著者は述べています。これに対して福沢は、自分のことを「カラリとした精神」の持ち主だと述べていました。このことばが意味するのは、「くよくよするな」というような単純なポジティヴ・シンキングではなく、独立と自由の気風に満ちた現実主義のスタンスというべきだと、著者は考えています。
とくにおもしろいと思ったのは、精神の不安定さは仕方がないところもあると著者が認めているところです。そういうタイプのひともいるし、そういう時期がやってくることもありますが、それでも「不安定であること自体が価値を持つわけではない」ことをはっきりと認識していれば、自分自身の不安定な精神とのつきあい方も変えられるのかもしれないという気がします。