穂村弘のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
穂村さんのエッセイを4冊ほど読んで改めて思ったのだが、穂村さんの文章は、小さな日常の出来事をきっかけに、俯瞰した自己分析をする、視野の狭さと広さの行き来が面白い。
例えば『次の瞬間』という章では、小さな子供と大きな犬が遊んでいる日常の一コマへの恐怖が綴られている。次の瞬間犬が噛み付く妄想(=視野の狭さ)をする一方、視野を広げ、そんな妄想をする自己とそんな事を考えもしない他社の差異を考える。そして「想像力には個人差があり、それは単に度合いの問題ではなく、気になるポイントが違うから」と結論付ける。
穂村さんのエッセイはカメラで例えるなら、単焦点レンズと広角レンズを行き来するような感覚だ。
単焦点レンズは背景が大きくボケるため、主体へのピントの合い方がどのレンズよりも綺麗で立体的だ。
一方広角レンズは、写せる範囲が一気に広がり全てにピントが合うため、さっきまで見つめていたものが世界の一部分と成り下がる。
カメラはいちいちレンズを取り替えるストレスがあるが、穂村さんのピントの合わせ方と広角範囲の分析は実にスムーズ。
そしてミクロな日常的な感情の機微から、言ってしまえば少々飛躍してるようにも思えるほどのマクロな結論を突如導き出す流れは、もはやコミカルだ。
アンパンマンの『アンパーンチ!』くらい、定型となる文章が多いが、それがつまらないどころか、もっともっと…と欲してしまうのは穂村さんの着眼点の面白さにあると思う。
恐らく、穂村さんのエッセイはほとんどの人が何かしら共感できる内容だ。それくらい、一般的な感性なはずだ。(少々行き過ぎた所もあるが)
一般的な感性を書き連ねていても面白みがない。それでも多くの人に賞賛される理由は、その一般的な感性を、絶対に逃さないという意地と、自分の感性は面白いと信じきっているところにあると思う。
穂村さんはこの本で「自分は小心者で、怖がりで、変化が苦手だ…」と、様々な日常のきっかけを頼りにあけすけに綴っているが
つまり穂村さんにとって、ただの日常は、ジェットコースターばりのスリリングな人生なのでないだろうか。
一般人はそのジェットコースターに慣れきってしまい、まるで通勤電車に乗るかのように見過ごしている。穂村さんは絶対に慣れない。
「この世界に慣れないんです」というかのような純粋な眼差しを、穂村さんはひたすらに面白がっている。
「貴方が普通と思うこの出来事は私には怖いのです」と一見卑下するように語るその口調は、
宇宙人のようにまっさらな目線で世界を見る自分が大好きなんだと自己愛にも感じる。
怖がりでこの世界に馴染みにくいとこぼして、自分と対局の(飲み会で途中参加しても騒げるような)人に憧れを持ちつつ、そうは言っても、内心これが自分の個性だとほくそ笑むような、そういう人間くさい穂村弘が、私は大好きだ。
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Posted by ブクログ
見開きページで1話完結するエッセイ集。
連載タイトルの由来が「タコの足みたいにあちこちに心と筆を伸ばして書いてゆきたい、その気持ちを込めたい」とあった。穂村さんの感性についていけるのか、不安ではありましたが、天然な奥様の言動を筆頭に共にツッコミ入れて、楽しく読めました。ご本人のトホホ…な展開も、よく分かるので好きなのかもしれません(*´σー`)エヘヘ
『柴犬って、あのどうして人気あるか分からない演歌顔の子?-妻という謎-』
『「メニューに書かれてはいるけど今日は作れないもの」を何故か注文してしまうのだ。…ひいと思う。なんならあるんですか。-旅先の不安な店-』
『他人から見れば、「ほむらひろし」でも「ほむらほろし」でも「ひむらひろし」でも、そんなに変わらないよ。「ぽぽぽぴぴぴ」だったら、さすがになんか変だなと思うけど。-恥ずかしい名前-』
念願叶って猫と一緒に暮らし始めたようなので、その後の猫持ち生活も気になります。“ひるねちゃん”ってどんな猫なんだろう…。
2025.2
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Posted by ブクログ
穂村弘さんのデビュー歌集。初めて氏の歌に触れた。理解しきれないものもあったが、好きな歌がひとつでもあれば、それは自分にとって読んで良かった歌集になる、と思っている節がある。わからなくても立ち止まらずにリズム良く読んでいくとどんどん楽しくなってきて、好きな歌が見つかり始めるから短歌は不思議なものである。
好きだったのは下記五首。
限りなく音よ狂えと朝凪の光に音叉投げる七月
「とりかえしのつかないことがしたいね」と毛糸を玉に巻きつつ笑う
ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはドラえもんのはじまり
裏切りの朝の香りはドロップの缶にそれだけ残した<はっか>
抜き取った指輪孔雀になげうって「お食べそいつがおまえの餌よ」 -
Posted by ブクログ
この二人でこのタイトル!そりゃ読むでしょと思い手に取った。まとまりすぎていない友人同士のだらだら飲みのような感じが死というテーマにむしろ合っている。
ただ猫死するほどネコ好きの読者が手にするには漫画のネコの”ねごとちゃん”が擬人化されててあんまりかわいくないのがいまいちで、思い切りネコらしく描いてほしかったと思う。人物と背景はうまいなあと思ったので、この作者はおぶうの兄弟さんと真逆で本当は動物より人間が好きな人なのかもしれない。
カバーにもネコいないし勿体ないな・・・と思っていたら、最後のほうでタイトルの由来が会話されており、あ、そういう意図だったのかとわかる。しかしそうならば、単に図形と白抜きフォントにブロック塀と雑草を抜き合わせするんじゃなくて、もっとうんとリアルに作り込んでほしかったなぁ・・・
P20 穂 (俺たちはどう死ぬのかについては)「「君たちはどう生きるか」みたいに「こうあるべき」とか社会的にもとりあえず多くの人が、「まあそうだよな」と納得できるような、共通できる答えがないってことね。」
春「で、結局「人それぞれ」っいうのが面白いところでもあり、共感して安心できないからつらいところでもある」
P38 春(亡くなった店の親父さんの小さな顔写真を見て)「なんか物理的にちっちゃくなっちゃったのを目の当たりにした感じですごくショックだった。死体とか血とか、そういう”いかにも”じゃない形で「死」が強烈に迫ってくることもあるんだよね」
P54 らしい死に方とはなにか 死因「猫死」(猫がかわいすぎたため死亡)
P117 穂「人から頼られることが全くない」春「ああ、年をとってもベースとなるキャラの部分は変わらないわけね。万年「この人に頼っても仕方がない」キャラ
P146 穂「竹富島に初めて行った時、大きな蝶がいっぱいいて、それが胸にバンバンぶつかってきてさ、なんだかこの世の光景とは思えなかったんだよね。以来、自分の中の天国は「大きな蝶が胸にぶつかってくる場所」として定着してしまった。
P223 春「永遠に時間が続くなら、競い合うことなんて面倒でしかないと思う。妬みとかがなくなるのはいいよね」穂「死ななければ、無限に機会があるから妬みはなくなるということでしょ?でも本当ににそうなのかな?」
【中略】穂「ずっと同じメンバーで生きていくのだとしたら、それはもうみんな死んでいる状態と変わらないんじゃないかな。
P237 穂「いつまでも幼児性をなくさずにいたほうが幸福なんじゃないか、とかさ」【中略】春「ただ悲しいかな、それは「無垢である」ということとは全然関係がないんだよね」穂「むしろ権力やパワーを持たせたら最悪、という存在じゃない?」