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Posted by ブクログ
久しぶりにほむほむのエッセイを読んだ。
実はこれ、単行本の時に買って、サインまでしてもらって、だいじ〜にとっておいたんだけど、サイン本は気軽に読めないことに気付いて(笑)文庫版を買ったのです。
最後の天文部の流星群の話、余韻が最高だった。
高校の部活の感じと、大人になってから全然会わなくなるというのが本当に分かる。
あと好きなのは「部屋」の章。
どんどん不穏な感じになっていって、でも切なくて、最後の一文でその場の空気感とか物理的な温度まで感じられそうに締めているの、さすがとしか言いようがない。
ほむらさんは、エッセイではとことん自分がダメだなぁとぼやいているのだけれど、現実に起きるちょっとしたことの感度(視点)の面白さが素晴らしくて、センスが私の好みです。
Posted by ブクログ
うかつだったり、見栄っ張りだったり、怠惰だったり、薄情だったり…。
そういう自分の姿には、ついつい目を瞑ってしまうのが人間の性だ。そうやって、不都合な自分を無かったことにし続けるからこそ、私たちはふだん、自分自身をかわいいと思えるのではないだろうか。
穂村さんは、おもしろい。そして、油断のならない人だ。
「僕なんて、僕なんて」とずりずり後ずさりながら、私たちの核心に迫ってくる。後ろめたいところを、ぴたりと言い当ててくるのだ。
ご本人にはもちろん、「読者の痛いところを突いてやろう」なんて意図は微塵もないだろう。自分の古い傷跡を見せながら、当時を振り返る。本当にただそれだけのつもりかもしれない。
でもね、穂村さん。大概の人間にはそれができないんですよ…。
だから、私は彼をすごいと思う。
「静かな幸福」で、自分の中にも同じ痛みがいくつも在ることに動悸を覚えながら、続く「ババロア」で、ジェネレーションギャップに立ち向かうオジサンのしぶとさを見せつけられ、笑ってしまう。
「カモは二度毟られる」「部屋」では、当時はみじめな思いをしたであろう瞬間を、時が経つにつれ少し離れたところから観察できるようになり、別の形の思い出として仕舞いこんでいく。
最後に「流星とチーかま」を持ってくるセンスも好きだ。
いつまでも若々しくあることはできても、若かったあの頃に戻れるわけではない。あのときは経験できたのに、もう二度と経験できなくなってしまったことは山ほど在る。どうしてそうなってしまったのか、そのからくりがわかることは一生ない。
むなしさにうちひしがれ、思うように行かない穴ぼこだらけの人生で、それでもロマンチックを夢見てしまう。チーかまが呼び起こす彼方の流星群の記憶は、穂村さんの生き方そのものだなあと思った。
Posted by ブクログ
著者のエッセイを読むと、ああほんと!ほんとにそうだよねえとしばしば思う。わたしも同じこと思ってた、と言いかけて、待てよ、と考える。そうじゃない。「思って」などいなかった。自分の中でモヤモヤしているだけだったものが言葉になっている。あるいは、そういうふうには思ったこともなかったが、言われてみればあれはそういうことかと気がつく。こう言った方が正しいんだろう。読みそびれていた本書も、そんな言葉たちの集まりだった。
著者は北大の出身だが、在学中大学周辺以外特にどこにも行かず、カニを食べたこともなく、女子大生とも縁がなく、「後から振り返って、よほど鈍感というかデクノボーなのかと自分を疑ったこともある」が、今はそうは思わない、とある。
「本当は、何も起こらないのが青春なんじゃないか」「おかしな云い方だが、厖大な未来という時間が目の前の『今』に流れ込んで、空白の可能性を埋めてしまうように感じられる。だから、不思議なほど何もできない。何も起こらない。ぼんやりしながら、けれど、心のどこかで焦っている」
そう、特別なこと、華やかなことなど何もなかったのに、どうして学生の頃のことが忘れがたいのか、ずっと不思議で仕方がなかったが、これなのだ。時間や場所を有意義なことで埋める必要がなかった。未来が充満していたから。
大学食堂で同じものばかり食べていた著者も、今は地方に行くと名物を食べたいなと思う。
「(学生のころのように)生姜焼き定食二つなんて荒技はもうできない」「諦めて楽しく名物を食べるしかない。『今』の可能性に流れ込んで、そこを埋め尽くすような未来は永遠に失われた。本当の青春は終わったのだ。『吾等が三年を契る絢爛のその饗宴はげに過ぎ易し』という一節が甦る。在学中に何度もきいた恵迪尞歌の前口上である。しかし、リアルタイムではその言葉の意味は心を素通りしていた。それが三十数年のときを経て胸に響く。青春らしい出来事は何一つ起こらなかった。吾が『絢爛』の『饗宴』よ」
絢爛の饗宴。何十年も前の日々に新たな光を当ててくれる、言葉というのはすごいものだ。
世代が違う人、身近では親などと価値観が違い、うんざりすることはよくある。地域や時代や階層によって、価値観や行動は異なり、しばしば軋轢を生む。それは誰しも「それぞれの世界で生き延びるのに最適な行動パターン」に従っているからであって、最適な行動パターンについて合意にいたることはないってことじゃないかと書かれている。そうかもしれない。そして、そう考えると、他の人の価値観に少し寛容になれるような気がした。(押しつけるのはやめてほしいけど)
著者の最初の歌集「シンジケート」が自費出版だったとは知らなかった。最初から注目されて華々しく登場したのだとばっかり思っていた。貯金を全部使って出した歌集には何の反響もなく絶望していたが、半年後新聞の文芸時評で高橋源一郎さんが絶賛してくれたそうだ。
「見てる人はいた。でも、神様のように見てるわけじゃなかった。見てる人の視界の中まで、こちらから、よろよろとよろめきながらでも出ていかないと駄目なのだ。しかも、それを何度も何度も、生きている限り繰り返すしかない」
「シンジケート」はほとんど売れず、著者が会社を辞めて専業の歌人になったのはそれから十五年後だったそうだ。
著者は高校生のとき天文部で、部員の皆で流星群を見に行った時のことが回想されている。思い思いの場所に寝転んで、チーズかまぼこを食べたりしながら流星群を見上げた夜。
「あの時、流れ星を見逃したアキヒコの顔を見て、げらげら笑いながら、こんなことが何度も、そして、いつまでも続くような気がしていたけど、そんなことはなかった。ぜんぜんなかった」
今回一番胸にしみて切なかった。
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