あなたは、『我慢する』ということをどう考えるでしょうか?
う〜ん。なんとも漠然とした質問です。『我慢』と言ったってその対象によっては答えが変わってくると思います。
では、こんな風に問われたらどう答えるでしょうか?
『何を食べたい?』
何か奢ってあげようか?と言われたシーンにおいて、そんな答えに『吉兆のウニと鮑のゼリー寄せ』と相手が答えたとしたら流石にギョッとするかもしれませんが、一方で間違いなく『我慢している』ということではないでしょう。しかし、『吉野家の牛丼』と答えた場合には、『我慢しなくていいんだよ』と言い返す方もいるかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか?
『我慢なんかするはずがない。「牛丼」と言った時は、本当に「牛丼」が食べたいのであって、それ以外のなにものでもない』。
そんな風に思う感情はおかしいことでしょうか?
さてここに、『どんなに落ちぶれても、我慢強い女にだけは絶対にならない』と誓う女性が主人公の一人を務める物語があります。『みんなが持ってるものは、当然、欲しい。みんなが持ってないものはもっと欲しい』と思う女性には二十二年にもわたる友人の存在があります。この作品は、そんな二人の女性の生き様を描く物語。奔放という言葉はこの二人のためにあると呆れるくらいの奔放さを見せるこの作品。そしてそれは、『私は、自分の気持ちに正直なの…』という思いの先に『略奪結婚』を繰り返すキョーレツな女性の生き様を見る物語です。
『地中海料理が有名な青山のこのレストランで、流行りのレストラン・ウェディングを絶対したいと言ったのは、もちろんるり子だ』と『純白のウェディングドレス姿で満足そうな微笑みを浮かべ』る花嫁を見るのは早坂萌(はやさか もえ)。『結婚も三回目ともなれば慣れたものだ』と るり子を見る萌は『三回目にもかかわらずこんな大げさなことができるのは新郎の室野信之が初婚だからだ』と思います。『幼稚園で初めて一緒になった時から、不本意ながら、萌はいつも るり子の騎士役だった』と二十二年の付き合いを振り返る萌は『るり子は誰よりも自分が大好きな女だ。自分が大好きな女ほど、始末に悪いものはない』という中に、『大喧嘩をしても、結局、また元に戻ってしまう』二人の間柄を思います。そんな時、海老だけを器用に取り除く隣の男性に『海老、お嫌いなんですか?』と声をかける萌は、『この男か。さすがの るり子も落とせなかった相手というのは』と散々聞かされた話を思い出します。そんな時スピーチが始まります。『おふたりは明日ハワイに発ち…どうぞ腰など痛めないよう…』という『一〇〇年前からあるようなスピーチ』を聞いて『最後にセックスをしたのはいつだったろう』と『るり子の隣でとろけた笑顔を見せている』新郎の信之を見る萌。そんな萌は、『この披露宴の後の予定は何かあるの?』と隣の男性に訊きます。『もしかして誘ってくれてるの?…せっかちだね。もちろんイエスさ』と返す男性と披露宴終了後にホテルへと向かう萌は、『セックスは習慣のようなもの』という考えの中にいます。そして、『感覚だけに集中』する時間を終え、着替えていると電話が鳴ります。『柿崎さんともうやっちゃった?』と『るり子の声が飛び込んで』くる中に『誰、それ』ととぼけるも『どうだった彼?』と一方的に訊く るり子に『思わず肩をすくめ』る萌は『るり子が新婚旅行から帰って来たら、ゆっくり話すから』と言うと電話を終えました。
場面は変わり、『どうして結婚したとたん、こんなにセックスがつまらなくなってしまうのだろう』と新婚旅行先のホテルでバルコニーから海を見下ろすのは 室野るり子。『信之とは結婚前からセックスしまくった』ものの『ハワイに来て一緒にベッドに入った昨夜、今からすることが急につまらないことのように思え』てしまった るり子は過去を振り返ります。『不倫の末の掠奪結婚だった』最初の結婚、『かつてのボーイフレンドの付き合っている女を見た時から始まった』二回目の結婚を思い出す るり子は『今度こそは、と思ったのに』と信之のことを思います。『かつて萌が付き合っていた男』という信之。そんな中に、『みんな萌のせいだ。せっかくの新婚旅行が楽しくないのは、萌があまりに淡々としているからだ』と思う るり子。そんな時、『信之に抱き寄せられ、髪を撫でられているうちに、何だか少しエロチックな気分になってき』た るり子は『一生、僕が守ってあげる』と信之に言われ、『嬉しい』とその『首に抱きつ』きました。るり子と萌という二十二年の付き合いを続ける二人の女性の奔放な日常生活が描かれていきます。
“欲しいものは欲しい、結婚3回目、自称鮫科の女「るり子」。仕事も恋にものめりこめないクールな理屈屋「萌」。性格も考え方も正反対だけど二人は親友同士、幼なじみの27歳。この対照的な二人が恋と友情を通してそれぞれに模索する’幸せ’のかたちとは”と内容紹介にうたわれるこの作品。2001年に第126回直木賞を受賞し、2007年には米倉涼子さん、高岡早紀さん主演でテレビドラマとしても放送されています。
そんなこの作品を読み終えた直後の素直な感想としては、兎にも角にもここまで読みやすい直木賞受賞作があるのか!と驚くある意味での”軽さ”が特徴の作品だということです。私のレビューは一つの様式に則って書くようにしており、まずは作品冒頭部分をダイジェスト的にまとめるようにしています。今回も上記の通りまとめていますが、書いていて主人公二人のあまりの奔放さに呆れ返る他ないまとめが出来上がってしまいました。この作品はそんな二人の強烈な個性に尽きると思います。では、二人の主人公を一人づつ見ていきましょう。
・早坂萌(ドラマでは米倉涼子さん):
- 27歳、独身
- 四谷にある輸入代行会社に勤務、半年前から主任
→ エッチな下着やバイブレーターなどセックス関連の商品の取り扱いが増えてきたことに不満を抱いている
- 男性遍歴(一部): 信之 → 柿崎
・室野るり子(ドラマでは高岡早紀さん):
- 27歳、”バツ2”の後、信之と結婚
- 自由が丘のマンション住まい
- 『結婚相手を探すには、前と同じように短い期間で会社を転々とする派遣会社がいちばん効率がいい』という考え。作品内では専業主婦
- 自称『鮫科の女』: 『常に愛に翻弄されてないと生きてゆけない』ため
- 男性遍歴(一部): 柿崎 → 信之
物語は、萌と るり子に順番に視点を切り替えながら20の章にわたって展開していきます。これは主人公が二人の場合によく見られるパターンだと思いますが一部変則切り替えが発生します。まとめておきましょう。
・早坂萌視点: 1、3、6、7、9、11、13、15、17、19
・室野るり子視点: 2、4、5、8、10、12、14、16、18、20
いかがでしょうか。前半に一部切り替えのリズムが崩れる箇所があることがわかります。単調さを防いだという側面もあるとは思いますが、視点が固定されればされるほどに当該人物への感情移入は強まります。このあたりの効果もあるように感じました。
そんな萌と るり子ですが、まさしくキョーレツな存在感を発揮してくれます。特に”バツ2”の先に物語冒頭の場面で新婦としての姿を見せる るり子の婚姻歴は一度聞いたら忘れられなさそうです。まとめておきましょう(笑)
・最初の結婚(二年間):
- 相手は『短大を卒業して一年後に一回りも年上の上司』
-『不倫の末の略奪結婚』
→『奥さんが包丁を持ち出した時なんか、これで私もワイドショーに顔が出るのね、と思わず画面に映る写真のことを考えた』
→『禁断の愛の王道をいっていて、肩で息をするような毎日』
↓
『そこまでして結婚したのに…新婚旅行にこのハワイに来た時、彼が知らない誰かに見えた…すぐに別れたのでは格好がつかないと、二年続けた…二年もよく頑張ったものだ』
・二回目の結婚(半年間):
- 相手は『学生時代からのボーイフレンド』
-『電撃的に結婚』
→『西麻布のクラブで偶然に再会』した時、彼女が『脇の下のムダ毛の処理は完璧で、顔は拳ぐらいの大きさしかないような女』だったこと、『エルメスの黒のバーキンを持っていた』ことで『絶対、彼をモノにしてやると誓った』。
↓
→『彼を手に入れるより』『エルメスの黒のバーキン』の入手が難しいとわかり『何だか急に彼が安っぽく見えて、別れることにした』。
いやー、なんなんでしょう。この女性は。あまりのキョーレツぶりに、どう考えてもギャグとしか言いようがない様を見せてくれますが、ポイントはあくまで るり子は大真面目だということです。このようなライトな感覚の生き方こそが るり子だ!ということを一ミリも譲ることのない強さで見せてくれます。こんな女性に引っ掛かったら男性もイチコロ!と恐ろしくなりますが、おそらく るり子はそんなことを考える私など相手にもしてくれないでしょう。ホッと一安心(苦笑)。
そして、物語は上記したはちゃめちゃな展開を経て”バツ2”になった るり子が三回目の結婚式、披露宴に臨む姿から始まります。
『三回目にもかかわらずこんな大げさなことができるのは新郎の室野信之が初婚だからだ』。
そんな理由の先に『それにしても るり子は綺麗だ』と花嫁の るり子を見る萌。
『シフォンをふんだんに使ったドレスがよく似合っている。白く透き通るような頬はばら色に染まり、スピーチにはにかむ様子や、上目遣いにちらりと新郎を見る姿などは、まるで処女のようだ』。
素直にそんな感想を漏らす萌ですが、一方で二十二年という長い付き合いを続けてきた萌は るり子に隠された真実を当然ながら認識しています。
『あの顔に何人の男が騙されたことか。いいや、男だけじゃなく、女だって騙される』。
『いつも るり子の騎士役』という立場で るり子と関わってきた萌ですが、それは目の前にいる るり子の三回目の結婚相手にもありました。上記の続きを書きましょう。
・三回目の結婚(始まったばかり):
- 相手は『かつて萌が付き合っていた男』
- 親友の彼氏を略奪
→『親友の恋人、というのはそれだけで十分に盛り上がる恋愛の要素を含んでいたし、何より信用できた』
→『萌の付き合っている男なら安心だ、間違いはない。だからこそ必死になって信之の気をひいた』
いかがでしょう。女性なみなさんは一斉にドン引きされたのではないでしょうか?空いた口が塞がらないというような表現では説明できる範囲を超えているように思います。しかし、それがこの作品の るり子なのです。そんな強烈至極な発想は、るり子のこんな考え方から導き出されるものです。
『るり子は我慢が大嫌いだ。我慢なんて、少しも自分を幸せにしてくれない。自分を幸せにできないことをどうしてしなくてはならないのだろう』。
もうありえないですよね。『我慢が大嫌い』と言ったって、自らの幸せのためには他人の幸せをどんどん奪っても構わない…そのような考え方の先に るり子の今までの結婚遍歴があるとも言えます。そして、萌は『大喧嘩をしても、結局、また元に戻ってしまう』という繰り返しの中に二十二年間、親友としての関係性を維持してきました。それは、こんな思いからです。
『るり子はいつだって、自分が幸せになるための努力を惜しまない。他人に嫌われたって笑われたって意に介さない。愚かで、そこが、愛しい』。
とは言え、物語では、意趣返しとも言える『さすがの るり子も落とせなかった相手』と付き合い始める萌の姿も描かれていきます。しかし、そんな行動はすぐに るり子が察知することになります。その一方で、結婚したばかり、しかも新婚旅行先にも関わらず早々にこんな思いに囚われ、すでに怪しい気配を見せる るり子。
『どうして結婚したとたん、こんなにセックスがつまらなくなってしまうのだろう』。
もう誰もが呆れる他ありません。おそらくこの作品を読まれる女性の方であっても、当初、あまりの奔放さを見せる るり子に強い嫌悪の感情を抱かれると思いますが、それが呆れの感情に切り替わってくると思います。それこそが作者の唯川恵さんがこの作品を描くことにした思いに繋がるものです。唯川さんは〈あとがき〉でこんなことをおっしゃいます。それまで、”どちらかというと重く、陰鬱なものを書いていました”とおっしゃる唯川さん。
“その反動もあってか、まったく対照的な、あっけらかんと、軽やかに、したたかに、それでいて真っ直ぐに生きようとする女性たちを書いてみたくなりました”。
ここに答えがありました。この信じられないくらい読みやすい物語の中に、自由に、奔放に生きたいように生きる主人公たちが自在に闊歩する物語の雰囲気感は、この唯川さんの狙い通りに作り出されていたことに気づきます。どこか憎めない二人の存在の大きさを感じる物語。そんな物語には、『女性』というものに対する唯川さんのお考えも顔を覗かせます。
『女にはふたつの種類がある。自分が女であることを武器にする女か、自分が女であることを弱点に思う女か。このふたつの女はまったく違う生きものだ』。
主人公の るり子はもちろん前者の思いの中に強く、どこまでも強く生きています。しかし、物語を読み進めるに従ってこの作品の真の主人公は萌であることに気づきます。あまりに奔放すぎる るり子を『騎士役』として支え続けてきた萌。そんな萌が最後に下す決断。結末に向かって選び取っていく力強い決断の先に、これだけキョーレツな物語が信じられないほどに清々しい物語に昇華する、そんな物語の姿がここにはありました。
『るり子にしたらどっちも同じだ。みんなが持ってるものは、当然、欲しい。みんなが持ってないものはもっと欲しい』。
キョーレツな考え方を一才の躊躇なしに表出していく主人公の るり子。そして、そんなキョーレツな存在を二十二年にもわたって『騎士役』として支え続けてもきた主人公の萌。この作品にはそんな二人が肩ごしに恋人が見える生き方に幸せを見る物語が描かれていました。るり子のあまりのはちゃめちゃぶりに呆れを通り越す感情が支配するこの作品。そんな るり子から付かず離れず二十二年という萌のある意味でのクールさに本物の強い女性を感じるこの作品。
唯川さんの狙い通りのあまりに読みやすい物語の中に、肩肘張らない直木賞!を感じたインパクト最大級の作品でした。