宮本輝のレビュー一覧
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敏幸の住む「杉の下マンション」の隣の一軒家の主婦、玉田麦子が白昼、撲殺される。近隣の住民は警察の取り調べを受けるのだが、敏幸は代休をとって昼寝をしていたのでアリバイがない。身の潔白を証明したいと、自らも犯人探しに翻弄する。近隣を嗅ぎまわっているうちに、表面に出ていなかった他所の家々のゴタゴタ、人間模様、人の裏側を知るところとなる。
しかし、この敏幸という男、犯人探しといきがって人を尾行したり、一日の精力ほとんどを使って、どれだけ暇なのだろう、違和感嫌悪を覚えた。これじゃストーカーまがいだ(この時代ストーカーという言葉はなかっただろうが)。自分でも高揚感を得てるように見えるし。
「事に当たってみないと人はわからない」これは、私が親(母)から時々言われることである。ご近所さん、知り合い、親戚等、関わる様々な人。挨拶をする、世間話をする。表面は常識が通っているように見える。
けれど、それは、外から見た、うわべだけの顔だ。その人の本性は浅い関りではわからない。事、何か問題に直面するとか、少し深い関りがあって初めてその人の本質が見えてくる。
(特に近隣の人とは、うわべだけのお付き合いですむならそれでいいのだが。)
この話で、主人公敏幸は、起こってしまった事件をきっかけに、人の知らなかった一面を見る、とともに、自分自身とも向き合い葛藤する。徐々に、人間にとって何が一番大切なのだろう(幸福とはなにか)と、妻や友人、仲間と討論にも似た会話をし、ぶつかりあう場面が幾度かある。
想像とおり、犯人は通りがかりの犯行で、近隣の人間ではなかった。
人には大なり小なり野次馬根性があり、人の不幸は密の味でもあるのだが、他所のゴタゴタ劇など知らぬが仏だと思った。
誰もが、人に知られたくない事情を持っている。また、人は見かけでは判断できない。
中には、最初はいけすかない奴だと毛嫌いしていた人間も、関わっているうちに自分にとって信頼できる相手となる場合もある。そういうのに期待したい。悪いことばかりでない。
冒頭の殺人事件の出だしから、その後、山場があまりなく(私的に)、ご近所ドロドロはちょっと苦手。
じわじわの重さがきつかった。長かった。 -
Posted by ブクログ
東京下町に暮らす主婦・志乃子が、もうすぐ閉店するという近所の喫茶店「かささぎ堂」から文机と薄茶茶碗、朝鮮の手文庫をもらい受けてきたことから物語は始まる。
ガラクタ同然の扱いでもらった茶碗が実は貴重なものだと判明、3千万円の値が付き買い手も現れる。茶碗が志乃子にもたらした高揚感と、タダで貰ったものだという後ろめたさ、手文庫の中にあった終戦後引揚げ時の父から幼い娘への手紙、茶碗を取り上げようとする謎の美女・・・。
気になるピースを散りばめながら、志乃子を取り巻く人間達の暮らしが丁寧に描かれていく。人間が生きていれば、必ずそれだけの物語がある。そんな当たり前のことをしみじみと思う。
物を手にしたことで生じる人との関係、出会いに導かれ開いていく人生の扉、思わぬところでを繋がる人たち、これは物が結び付けた人との「縁」の物語。
後半、物語が大きく動きだしそうで楽しみです。 -
Posted by ブクログ
体の弱い妻と息子のために大阪での商売をやめ、神戸御影の家も売り払って、故郷愛媛の南宇和へ帰ってきた熊吾。ここでも存在感あるキャラを発揮する。暴れ牛ややくざも恐れぬ獰猛さを持ちながら、涙もろく人情深い。裏切ったやつでも、あの野郎と思いながらも手をさしのべずにはいられない。会社の金を猫ばばして逃げた男が見つかった。しかもそいつは仲間の女にも手を出していたと聞き、怒りに震えながら会いに行ったはずなのに、不治の病で臥せっているそいつの顔を見るや情がわいて、高額な薬を送ってやるとか、恋人を裏切ってそいつの愛人になった女にも援助の手を差し伸べるとか、なんせ助けが必要な人をそのままにはしておくことができない、困った人だ。
しかし、このおっさんの長ーい話にあと7話分もつき合うかどうか……それほどワクワクするような話でもないしなぁ。3話めからはまた大阪に戻って新しい商売を始める。うーん、もうどうでもいいなぁ。
でも南宇和の昭和の情景はとっても良かった。海、川、畑、山、豊富な自然の中で、熊吾が怒りに燃えながら自転車をこいだり、息子とのんびり歩いたりしている光景が映画のように目に浮かぶ。5歳の息子が肥溜めに落ちてフンまみれになった。嫁の房江は素手で鮎をつかみ取りできる。そんなちょっとしたエピソードも心に残る。とりわけ、親子3人で星空を眺めに夜風吹く野原を歩くシーン。熊吾は5歳の息子を肩車し房江と手をつないで歩く。暗い中、花の香りが漂ってくる。その後は息子ひとり家に帰らせ、夜空の下でコトに至るわけだが……。もう故郷に戻ることはないだろうと決心した後の田舎の風景はキラキラ輝いている。
熊吾は時々哲学的になる。例えばこうだ。
子は親を選べないのではなく、子は親を選んで生まれてくるのだ。ならば、その二人の男と女を両親にしなければならなかった理由とは何だろう。…とかね。
もうひとつこの話に入り込めない理由のひとつは、作者の女性蔑視的な視点が垣間見えること。熊吾が狙った女は必ず落とせると自信を持ってることもそうだが、例えば第二部では「釈迦は、生涯にぎょうさんの経を説いたが、法華経以外の経では、二乗(インテリ)と女人の成仏を説かんかったそうじゃ。どんな女も本質的に嫉妬深くて、愚痴っぽくてどろどろの欲望につつまれとるそうな。しかし、もっと掘り下げて女の特徴を見ると、どうも女っちゅうもんは、非はいつも相手にあり、何か事が起こると相手のせいにし、自己反省っちゅうことをせん。」などと言わせてる。えらい言いようだ。釈迦の説法でそういう言葉があるのかもしれないが、解釈はまったく作者のねじ曲がった考え方だと思う。