井沢元彦のレビュー一覧
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令和2年の今年は、昨年の新元号制定のお祝いムードがコロナ勃発の影響で吹っ飛んでしまい、私たちの考え方まで変えさせられてしまう一年でした。
この本を本屋さんで見つけて読んだのは、コロナ第二波が到着する前の九月末の頃ですが、今回のコロナのような疾病は日本でも何度か流行し、それが歴史を変えてきたという事実を知りました。
疾病が流行ることは止められないにしても、歴史の節目において疾病が流行り、それが終息した後には別世界が開けているという流れがあることを知ることは良いことだと思います。病気にかからないよう、健康に気をつける、罹患しても克服できるだけの免疫・抵抗力をつけておくことの大切さを痛感しました。
以下は気になったポイントです。
・天平7ー9年(737)の疫病が大流行した頃の日本の総人口は600-700万人暗いと予想される、その25-30%の150-200万人位が天然痘で亡くなっている(p14)
・村と村を仲介する交易地点が誕生する、交易地点は生産しないが多くの人口を抱えたので、町・都市などと呼ばれていく(p20)
・ペストの流行は中世ヨーロッパを根本からひっくり返すような大転換のきっかけとなった、当時はキリスト教カトリックの世界で神に逆らうことは許されなかったが、ペストによって人々の意識が変わった。いくら神に祈っても人が死んでいくから(p25)キリスト教以前のギリシア・ローマ時代の文化を再評価するルネッサンスとなった(p168)
・免罪符を購入すれば全ての罪が許されるとは、キリスト教の原典である聖書には書かれていない。こうした不正が行われたのは、ラテン語で書かれていた聖書を読める信者が少なかった。聖書の教えは聖職者たちの既得権益と化していた(p26)
・東京湾に船が入ってしまうと江戸城を艦砲射撃できるので、横浜を開港地とした。同様に大阪湾と京都は近いので、離れた神戸となった。両者とも深い湾であり港としてのじょうけんは申し分なかった。平清盛が福原(兵庫)を交易都市にしたが港の機能は全て大坂の堺に移っていた(p42)
・平安時代になって天皇家の菩提寺とされる泉涌寺が東山に建立されたあたりから火葬が当たり前になった、明治になり神道が復活すると神仏分離と廃仏毀釈により、土葬が復活して、昭和天皇まで土葬が続いている(p54)
・日本書紀は漢文で書かれているが、現在の感覚で言えば日本史を英語で書くようなイメージ、国際的・対外的に日本の歴史を書き記したものあ。古事記は漢文で書かれていながら、全て当て字で、ひらがなやカタカナの原型である万葉仮名を用いていて、古代の日本語でしっかりと書かれている(p58)
・神道は死の穢れを一番に嫌う、その役割を担ったのが武士で、天皇や貴族は自らの手を血に染めることはなかった、これが日本史の重要なポイントになる(p64)天皇と朝廷にとっても、汚れ役がいなければならなかったので、鎌倉幕府の成立以来、朝廷が放棄した軍事・治安権を幕府が担う形になった、室町、戦国、江戸の時代続き、700年間預かってきた日本の統治権を天皇に返したのが大政奉還である(p67)
・貴族の女性にとって、美とは何かというと顔形の作りではなく、髪の毛出会った。普通、顔は檜扇で隠されているから見ることができない、髪の毛がいかに艶やかで、黒々として、長いかが美人の条件であった(p76)
・神道でいう神とは、「必ずしも人間でなくてもよく、普通ではみられない極めて優れた特質を持っているもの」というもの、優劣ではなく卓越した、尋常な特質を持ったものが神である。なのでいい神もいれば悪い神もいる、人間だったものが神になることもあれば、1000年の樹齢のある杉の木、長年の人々の暮らしに寄与してきた川の流れが神になることもある(p87)
・古来、日本の三大疾病というと、結核・脚気・糖尿病がある(p92)
・朝廷と幕府、貴族と武士が文化と軍事を分担していたように、神道は現世、仏教は来世を担うような棲み分けになっていた(p107)
・明治時代になって神道の神前結婚があるが、江戸時代は基本的には人前結婚式である、仏教では婚礼をあげるのは浄土真宗のみ(p108)
・戦国時代において遊女と関係を持つことはさほど恥ずかしい行為ではなかった、梅毒が入ってくるまで遊女自体を蔑視する風潮がほとんどなかった、現代のモデルやファッションスターのような存在であった(p112)
・欽明天皇は、蘇我稲目と物部尾興に仏教について意見を聞いた、賛成派の蘇我稲目に仏像を託し、寺を建てた。これは日本で最初の寺である。その直後に天然痘で人が死に始めた、物部尾輿は欽明天皇に了解を得て、稲目の建てた寺を焼き払って仏像を川に捨ててしまった。これを見つけて持ち帰った者が建てたお寺を、名前(本田善光)をとって、善光寺という名前がついた(p130)
・天平9(737)ねん、流行していた天然痘に、藤原4兄弟が立て続けに罹患して死んだ、天然痘は全国に波及して総人口の3割(100万人)が死んだ(p136)これは長屋王の祟りと思い、東大寺の大仏建立となった(p137)
・薩長同盟は軍事同盟ではなく、「長州は朝敵ではない、その無実を晴らすために薩摩は全面協力する」という内容で、友好条約に近い。しかし孝明天皇がいる限り「長州は朝敵」という汚名が覆ることはない。孝明天皇が崩御し、後をついた明治天皇の母・中山慶子が長州支持派であり、長州の立場は180度好転する(p139)
・人口が増加しない要因は、飢餓・戦争・疫病である。(p163)
・欧州はコロンブスらによって梅毒をもらうが、アメリカ大陸でペストを蔓延させている、免疫のないアメリカ大陸の先住民たちは、欧州が梅毒に罹患したように次々とペストや天然痘に感染し、現地の半分くらいは入れ替わった(p169)
・カトリック教会へのふしんは、聖書を各国の言語に翻訳することで聖書の教えを確認しようとする動きへとなった。イギリスではジョン・ウィクリフが英訳、チェコのヤン・フスはチェコ語、ルターはドイツ語に翻訳した。これは現教会を否定することになるので、当然異端審問にかけられた。ウィクリフやフスの聖書は写本でしか出回らず、普及したのは活版印刷によるルターのもの(p175)
・欧州人はペストには免疫がありペストにかからない、すると先住民からは欧州の白人たちは神であると信じられるようになった。(p177)
・治療薬が出回るまでに相当な時間がかかるとみられているので、注目されるのは血清療法である。血液を試験官にいれ、遠心分離機にかけると血液の濃い部分と上澄部分に別れる、この上澄部分を血清という(p206)これを発見したのは、北里柴三郎という、2024年からの新千円札の肖像に採用されることが決まっている(p206)
2020年12月28日作成 -
Posted by ブクログ
めっちゃ面白かった。
「なぜ田沼意次の政治は吉宗松平水野の3大改革に含まれないの?」「田沼意次って悪者なの?」っていう疑問がボンヤリ中学時代からあったけど、解決した。
史実を知るための資料が、いつどんな人によって書かれたかを知ると、真実が見えてくる。
また、この本では「宗教」と「神話」なくしては歴史の真実はわからないと度々書かれている。
日本は無宗教と思われがちだが、そうではない。
日本がどんな宗教を持っているかを知ることで、歴史に対する考察が深まるのは確かだと思った。
中学の歴史をある程度真面目に勉強したことがある人なら誰でも楽しく読めるのでは。
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Posted by ブクログ
日本人独自の信仰=穢れ忌避、怨霊信仰、言霊信仰。
日本人の行動指針=和、朱子学、天皇。
天皇が変わるたびに遷都したのは穢れ信仰から。
皮細工は、穢れたもの、焼き物は工芸品があるが皮製品のブランドはない理由。
律令の中の兵部省と刑部省の成り手がいなかった。検非違使や征夷大将軍という令外官を作って軍事を任せた。
日本で動物の死を扱うことがタブーになったのは稲作が発達したから。天皇の儀式に動物のいけにえの儀式がない。
ケガレが映らないように、清流で区分する。部落との間には橋がない=橋のない川。
日本は稲作文化の弥生人が、縄文文化の縄文人を征服した。そのため、ケガレ忌避信仰になった。
憲法17条の和の精神=国譲り神話に現れている。
話し合いで決めたことは必ず正しくうまくいく、と信じていた。
5か条のご誓文も同じ。話し合ったことは正しく必ずうまくいく。ワンマンは悪い意味に使われる。稟議書は海外にはない。これもみんなで決めたことは正しくうまくいく精神の現れ。
根回しは、みんなの中に入っていないことが問題=話し合いの場に入っていないことが問題。
和にこだわるのは、敗者が怨念を抱くことになるから=怨霊になる。
災いが起きるのは、怨霊の魔力が働いている、と考えた。=和を乱したものが死ぬと怨霊になる。
オオクニヌシが、怨霊にならないように出雲大社を作った。
現生への不満を抱きそうな天皇には、徳の字を入れた。
聖徳太子も同じ。皇太子のまま死んだ。蘇我入鹿によって滅ぼされた。
東大寺の大廬舎那仏は、長屋王の祟りを恐れたもの。
称徳天皇のあとは、天智天皇の血統に引き継がれることとなった。
伊勢物語は在原業平の霊を慰めるために書かれた。政争の相手の怨霊を避けるため。
仏の力では怨霊を鎮めることができないので、敗者に花を持たせることでバランスを保とうとしたもの。
菅原道真を祭ったのも発端はそれ。それを御霊というよい神さまに変わるもの、としたものが天神様。
源氏は賜姓皇族。皇族のままでは政権の重要ポストにはつけないので、臣籍降下させて、藤原氏に対抗させた。それが追放されて、地方で武家の源氏となった。その怨霊を恐れて、源氏物語ができた。
武士の元は、縄文人の子孫だったのではないか。穢れ忌避や怨霊信仰には染まらなかった。
平家物語で識字率がアップした。
文学は源氏物語が世界で最初の小説だが、演劇は発達しなかった。言霊信仰のため。
能は、お面をとることで怨霊から守られる。
1964年に、讃岐の崇徳上皇の白峰宮に勅使を派遣、次の2064年にも送るだろう。
言霊信仰=言葉には現実を動かす力がある。
万葉集では、女性の名前を知らせるのはタブーだった。
紫式部も清少納言の名前ではない。ニックネーム。
信長の時代まで、女性の名前はタブーだった。
江戸時代も、武士は官位で呼ばれた。
名前を知らせると、呪い殺せる、一種の軍事機密。
言葉の言い換え=終わりをお開き、病気を歓楽、など。
戦争を事変、事件と言い換えた。アメリカの中立法の適用を避けるため、両国とも正式に宣戦布告をしなかった。
侵略を進出と言い換えた。敗戦を終戦と言い換えた。
ポツダム宣言受諾は8月15日だが、正式調印は9月2日ミズーリ号上で行われた。この日が正式な終戦日。
H2ロケットの契約書には失敗した場合の記載がなかった。失敗した場合、のことを契約書に書きたくなかった。
平安時代の和歌の重要性。摂関政治は無責任だった。具体的な政策でなくても、言葉で発すればそのようになる、と考えた。武力は必要ない。むしろ武力に触れないほうが良い。歌で平和を詠めば実現すると考えた。
戦争が終わらなかった理由。怨霊信仰もあって敗戦を認められなかった。
朱子学信仰。徳川時代の思想。祖法を破ってはならない。
開国できなかったのも祖法だから、という理由。
本能寺の変を見て、裏切りを防止するため、家康が導入した。
会津藩の什の掟。ならぬことはならぬものです、は朱子学的な考え方。疑念を挟むことを許さない。
貴穀賤金(きこくせんきん)。鎖国をして貿易をやめた理由。
八重洲は、ヤンヨーステンが訛ったもの。
商売は卑しい行為なので、武士は行わないのが、鎖国した理由。
日米和親条約という言葉にこだわったのも同じ理由。
朝貢貿易は、貿易ではなく、貢物とそれ以上のものを施すやり取り。中国には利益はない。
官僚の前例がない、は租法を変えられない、と同じ。
オランダだけ貿易を続けたのも祖法は変えられない、から。
貿易は儲かるが、武士がやるものではないと承認に丸投げした。田沼意次はそこに目をつけた。吉宗、松平定信、水野忠邦を改革としてたたえるのは、朱子学の観点から。
縄文人は青銅器、弥生人は鉄器を使っていた。
征夷大将軍は、徴税徴兵の特権があった。後白河法皇が頼朝にこれを与えることを拒んだが、死後与えられた。これが1192年。実際は1185年から支配していた。
平家が頼朝と義経の命を救ったのが平家の悲劇の始まり。家康は豊臣家を絶やした。天皇家には手を触れていない。
226事件は、自分たちが話し合いで決めたことに天皇が従うべき、という話し合い絶対主義から生まれた。 -
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☆☆☆2020年9月☆☆☆
生麦事件や薩英戦争、長州の陰謀等を取り上げた第20巻。
この時代の動きは複雑でわかりにくい。
ここでは、印象に残った部分を引用する。
P77 これほどの謀略を成し遂げる能力のあるものは久坂しかいない。
P144 生涯伊藤は、「高杉のおかげで彦島が香港にならずに済んだ」と言い続けた。やろうと思えば可能であったにもかかわらず、高杉の功績を盗もうとはしなかったのである。
P189 久坂の思惑通り、将軍という「鳥」は、朝廷という「鳥カゴ」に入った。
P230 注目すべきは旗本の「お殿様」でも領民を有無を言わさず兵にすることができなくなっていたということだ。
P238 慶親がもっと開明的な人物であったことは、この攘夷の嵐が吹きすさぶ中に例の「長州ファイブ」を留学させたことでもわかるし、高杉に「10年の暇」を与えたことでもわかる。
P243 小笠原は「勝手に」軍を動かした罪で老中をクビになり、一時歴史の舞台から消えた。とんだ貧乏クジを引かされたわけだが、誰も責任を取ろうとしない中で、独断で賠償金を支払い、横浜や江戸が焦土になるのを救った功績はもっと評価されてもいいのではないか。
P277 この天誅組の変は、これまで対立することはあっても実際に戦うことのなかった勤皇勢力と幕府が初めて「交戦」し、幕府の領地が奪われた初めての事件であった。 -
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日本特有の穢れ思想と軍隊の不在、その結果の武士の勃興による二重権力の成立について。この二つの日本人の系譜を現在に続くものとする(弥生人と縄文人以来の、前者=農耕民族的穢れ思想、後者=狩猟民族的な穢れを厭わない性質、という筆者の見立て)。すなわち、怨霊思想が底流にある貴族文化主導では決断力に欠ける政治となり、限界に達すると決断力に富む武士が出てきて社会構造改革を果たすというもの。現在は、明治以来の武断政治が途絶えて貴族主義的な決められない政治となっているという。これ自体は面白い視点。
それを前提とした上で、朝廷権力から完全に独立しようとした地盤を地方に築くという意味で、武士の起こりを、平将門とする(朝廷官僚の坂上田村麻呂や京都の政変を狙った藤原純友ではなく)。また、源氏・平氏の勃興から保元の乱までを記述する。
前者は面白い視点だが、実は、他の時代にも議論を伸ばしてそれだけを論じても良かったかも。源平時代の歴史が、特に後半は取ってつけた感じになっている印象あり。 -
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日本史、戦国時代に興味を持つのにとっても良い。
私はあまり日本史を知らない、よく勉強したことがないのですが、この本は楽しく読めます。
飲み屋で、詳しい歴史おじさんに面白い話だけ聞かせてもらうように、最初から最後まで楽しく、ためになるお話。本当かどうかっていうのは二の次でよくて、楽しんだらよい。
ただ歴史おじさんは、定説や権威と戦っているので、まず否定から入る。こちらから言ってもないのに、皆さんはそうおっしゃるが私はそうは考えない、という姿勢でいらっしゃる。飲みながら、聞くのに、ちょうどよく。また会ったら他の話も聞いてみたいと思いました。 -
購入済み
NHKドラマとは全く異なる義経
近年テレビの歴史ドラマや歴史ものゲームを見て歴史をわかったつもりでいる人が増えている中、この作者である井沢氏は徹底的に歴史を検証した事実を提供しているのでぜひそういう人たちに読んでいただきたいと思われる。目から鱗の会心の作である。
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Posted by ブクログ
戦国覇王編ということで、織田信長さんがメインの巻。
日本の歴史研究には宗教的考察が足りないということで、井沢さんの見解が示されていました。
今の日本が宗教に鈍感であるのも信長さんの政策のおかげ…とのこと。
いわゆる従来の通説や多数説を紹介したうえで少数説や最新説(出版当時)にも論が及ぶので、ある程度歴史を勉強したうえで色々な説を知りたい、まとめたい玄人向け。
井沢説を読んだうえで、違う角度から歴史を楽しむのもまた一興。
ちなみに信長さんにフォーカスしたい場合、ひとつ前の9巻の最終章からが信長さんになります。
やはり信長さんは行動力があることがスゴイですねぇ。 -
Posted by ブクログ
第4巻では、3巻に引く続いての言霊信仰と新しく怨霊信仰が取り上げられている。
本を読めば読むほど、昔の天皇家は継承のために殺し合いまでしてたんだなと思うし、それに伴って祟りを強く怖がるのだなぁと感じる。
4巻まで来ると、日本人の根底に流れる文化、言霊信仰、怨霊信仰、そして和の重要性。を歴史自体からも感じられるし、自分の生活がいかに影響を受けているのかを実感する。
4巻では憲法9条があるから平和だ!と唱える人たちを言霊信仰の象徴であるとして批判するが、よくよく考えてみればその通りである。
綺麗事で済まされる世界じゃない。
そりゃ、誰だって戦争して殺し合いたいなんて事はない。けど、自国民のことを考えれば、守らなければいけないものがある。
それを他国に任せたりして、もし守られなかったらどうするの?っていう事だ。別に侵略されても良いというのであれば良いけれど、そうじゃないならそのままじゃいけないのだ。
自分も昔、綺麗事で飾っていた時代もある。
世界平和、貧困のない世界など理想を掲げることは本当に大事だ。理想が無ければ、向かう方向が分からないから、そもそも前進できない。
が、その中でどのように折り合いをつけるのかがポイントだ。理想に近づこうとしたからこそ、上手い折り合いがつく。
その折り合いを現実に即した形で考えないといけない。
なんども言うが、誰も戦争はしたくない。でも、守りたいなら守らないといけない。
誰も泥棒に入って欲しいと思わない。でも窓の鍵は閉める。そう言うことなんだ。