あらすじ
逆説シリーズ著者が「日本史の極意」を公開。
井沢元彦氏のライフワーク『逆説の日本史』シリーズは、大ヒットした歴史ノンフィクションの金字塔ともいうべきロングセラーです。最新刊『日本史真髄』は、これまで編年体で展開した「逆説」シリーズとはまったく視点を変えて、「ケガレ」「和」「怨霊」「言霊」「朱子学」「天皇」の6つのテーマで日本史全体を捉え直し、日本人の思考や行動を呪縛するものの正体を歴史的事件から読み解いていきます。
例えば、江戸時代の歴史は、朱子学が分かってないと理解できません。織田信長が明智光秀に殺された本能寺の変を目の当たりにした徳川家康は、主君への忠義を絶対とする朱子学を導入し幕府体制を盤石にしました。ところが、その朱子学のために尊皇論が起こり、二百七十年続いた幕府は倒されてしまう。なぜか。徳川家は「覇者」であって天皇家こそ真の「王者」とする朱子学の思想に武士達が目覚めたからです。この朱子学の影響は、士農工商という身分差別や幕末期の日本外交にまで悪影響を与えているのです。
井沢氏が三十年以上かけて体得した「日本史を理解する極意」をすべてさらけ出した「逆説史観」の真髄。この一冊で百冊分の教養が身につく決定版です。(2018年8月発表作品)
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学校の教科書は事件や出来事をただ羅列しただけで、「なぜそういうことが起きたのか?」詳しく説明してくれません。本書は日本史全般を宗教的側面から説明してくれます。本書でいう宗教とは仏教とかキリスト教といったものでなく、当時の日本人が何を信じ、考えていたかということです。一例をあげるならば「怨霊信仰」です。菅原道真は無念な死を遂げ、怨霊となり、都に災いをもたらしたと当時の人は恐怖した。最終的に彼を天神様として祀ることによって、鎮めようとしました。この他にも「和」、「ケガレ」といった日本人独特の宗教のことについて触れられています。そして、その宗教はいまでも日本人の意識に根づいていると思いました。これを読めば、日本史が何倍も面白くなると思います。
Posted by ブクログ
日本史の授業などで、これまで言葉としては当たり前のように学んできた「天皇」、「和をもって貴しとなす」、あるいは「儒教」や「朱子学」といったもの。そして「怨霊・言霊」、これらが日本(人)を規定し、今も我々の無意識の行動を呪縛している、という理論に驚かされた。
同時に、常日頃つき合い難い、面倒な隣国と思っていた大陸や半島の人々も、実は儒教の呪縛に今も縛られているのだという指摘に、思わず膝を打った。
著者は先の言葉を、日本や隣国を規定するキーワードとして、様々な歴史的事例を巧みに用いて、仮説検証を進めてゆく。本書の冒頭で、「歴史認識は、日本独特の宗教を抜きにして正しく理解できない」という刺激に満ちたテーゼを掲げるが、読み終える頃には誰もが納得するだろう。著者が掲げるいくつかのキーワードを補助線として、歴史を読み直してみれば、一見関連性のない出来事とそれらの新たな因果関係が見えてくる。その結果、単に出来事の羅列を記憶することに苦心していた「日本史」は、日本という国家の形成を物語る一大叙事詩のような趣さえ感じられるようになる。
著者の代表作ともいえる『逆説の日本史』にもにわかに関心がわいてきた。本書もしばらくの間、本棚に寝かしていた本である。しばし寝かしてしまったことに、今は悔恨の念でいっぱいである。
変わらぬ冴えの「井沢節」。
2023年10月読了。
著者が『言霊』についての著作を始めてから、もう何十年経つのだろう?詳しく調べる術が無いが、少なくとも30年近くは経過しているだろう。かく云う自分がまだ学生時代に読んでいたのだから、それは確実だ。
何十年か振りに相変わらずの「井沢節」を堪能した。決して嫌み等ではなく、変わらぬ切れ味である。彼が提唱し続けている事柄は、少しずつではあるが人口に膾炙するように成ってきただろう。決してサザンの歌からでは無く、「言霊」と云う言葉に市民権が得られている気がするからだ。
それでも、まだまだ「歴史学」と言われる世界では、甚だ通用していないのは、「そういう教科書」しか読んでこなかった方々には、奇異に映るかもしれない。彼がずっと書き続けている事の理由の一つでもあろう。それ程《学者の頭は固い》と言う事だ。
つい先日も、著者の本を検索していたら「相も変わらず、梅原猛の軒先を借りて…」等と云う悪意有るコメントを見掛けた。彼の著作を少しでも真面目に読めば、そんなに単純では無いことは理解出来る筈だが、「論文も碌に書かない、一介の作家の屁理屈本など、理解したくもない」と云う【研究者】の類には、何の意味も無いのだろう。
自分の国の歴史を学び、自分の国の《略歴》を知り、もっと学びたいと思わせるのが本来の教育であると思うが、著者の論説が未だに「マイナー」扱いされ続ける限り、この国は「暗記ばかりでつまらない日本史」を教え続けるのだと思うと、著者が何故こんなに何十年もほぼ同内容の著作を書き続けている理由も分かるし、何とも言えない、溜め息しか出ない、切ない気持ちに成ってしまった。
この国の将来を背負う若者達が、世界へ出て「自分の国の歴史すら、まともに語れない」事が、如何に恥ずかしい事であるかを痛感する前に、一度は目を通しておくべき本として、この一冊をお奨めする。
本書を切っ掛けに、自分の国について「真剣に考える」若者が増える事を祈りたい。
Posted by ブクログ
日本人独自の信仰=穢れ忌避、怨霊信仰、言霊信仰。
日本人の行動指針=和、朱子学、天皇。
天皇が変わるたびに遷都したのは穢れ信仰から。
皮細工は、穢れたもの、焼き物は工芸品があるが皮製品のブランドはない理由。
律令の中の兵部省と刑部省の成り手がいなかった。検非違使や征夷大将軍という令外官を作って軍事を任せた。
日本で動物の死を扱うことがタブーになったのは稲作が発達したから。天皇の儀式に動物のいけにえの儀式がない。
ケガレが映らないように、清流で区分する。部落との間には橋がない=橋のない川。
日本は稲作文化の弥生人が、縄文文化の縄文人を征服した。そのため、ケガレ忌避信仰になった。
憲法17条の和の精神=国譲り神話に現れている。
話し合いで決めたことは必ず正しくうまくいく、と信じていた。
5か条のご誓文も同じ。話し合ったことは正しく必ずうまくいく。ワンマンは悪い意味に使われる。稟議書は海外にはない。これもみんなで決めたことは正しくうまくいく精神の現れ。
根回しは、みんなの中に入っていないことが問題=話し合いの場に入っていないことが問題。
和にこだわるのは、敗者が怨念を抱くことになるから=怨霊になる。
災いが起きるのは、怨霊の魔力が働いている、と考えた。=和を乱したものが死ぬと怨霊になる。
オオクニヌシが、怨霊にならないように出雲大社を作った。
現生への不満を抱きそうな天皇には、徳の字を入れた。
聖徳太子も同じ。皇太子のまま死んだ。蘇我入鹿によって滅ぼされた。
東大寺の大廬舎那仏は、長屋王の祟りを恐れたもの。
称徳天皇のあとは、天智天皇の血統に引き継がれることとなった。
伊勢物語は在原業平の霊を慰めるために書かれた。政争の相手の怨霊を避けるため。
仏の力では怨霊を鎮めることができないので、敗者に花を持たせることでバランスを保とうとしたもの。
菅原道真を祭ったのも発端はそれ。それを御霊というよい神さまに変わるもの、としたものが天神様。
源氏は賜姓皇族。皇族のままでは政権の重要ポストにはつけないので、臣籍降下させて、藤原氏に対抗させた。それが追放されて、地方で武家の源氏となった。その怨霊を恐れて、源氏物語ができた。
武士の元は、縄文人の子孫だったのではないか。穢れ忌避や怨霊信仰には染まらなかった。
平家物語で識字率がアップした。
文学は源氏物語が世界で最初の小説だが、演劇は発達しなかった。言霊信仰のため。
能は、お面をとることで怨霊から守られる。
1964年に、讃岐の崇徳上皇の白峰宮に勅使を派遣、次の2064年にも送るだろう。
言霊信仰=言葉には現実を動かす力がある。
万葉集では、女性の名前を知らせるのはタブーだった。
紫式部も清少納言の名前ではない。ニックネーム。
信長の時代まで、女性の名前はタブーだった。
江戸時代も、武士は官位で呼ばれた。
名前を知らせると、呪い殺せる、一種の軍事機密。
言葉の言い換え=終わりをお開き、病気を歓楽、など。
戦争を事変、事件と言い換えた。アメリカの中立法の適用を避けるため、両国とも正式に宣戦布告をしなかった。
侵略を進出と言い換えた。敗戦を終戦と言い換えた。
ポツダム宣言受諾は8月15日だが、正式調印は9月2日ミズーリ号上で行われた。この日が正式な終戦日。
H2ロケットの契約書には失敗した場合の記載がなかった。失敗した場合、のことを契約書に書きたくなかった。
平安時代の和歌の重要性。摂関政治は無責任だった。具体的な政策でなくても、言葉で発すればそのようになる、と考えた。武力は必要ない。むしろ武力に触れないほうが良い。歌で平和を詠めば実現すると考えた。
戦争が終わらなかった理由。怨霊信仰もあって敗戦を認められなかった。
朱子学信仰。徳川時代の思想。祖法を破ってはならない。
開国できなかったのも祖法だから、という理由。
本能寺の変を見て、裏切りを防止するため、家康が導入した。
会津藩の什の掟。ならぬことはならぬものです、は朱子学的な考え方。疑念を挟むことを許さない。
貴穀賤金(きこくせんきん)。鎖国をして貿易をやめた理由。
八重洲は、ヤンヨーステンが訛ったもの。
商売は卑しい行為なので、武士は行わないのが、鎖国した理由。
日米和親条約という言葉にこだわったのも同じ理由。
朝貢貿易は、貿易ではなく、貢物とそれ以上のものを施すやり取り。中国には利益はない。
官僚の前例がない、は租法を変えられない、と同じ。
オランダだけ貿易を続けたのも祖法は変えられない、から。
貿易は儲かるが、武士がやるものではないと承認に丸投げした。田沼意次はそこに目をつけた。吉宗、松平定信、水野忠邦を改革としてたたえるのは、朱子学の観点から。
縄文人は青銅器、弥生人は鉄器を使っていた。
征夷大将軍は、徴税徴兵の特権があった。後白河法皇が頼朝にこれを与えることを拒んだが、死後与えられた。これが1192年。実際は1185年から支配していた。
平家が頼朝と義経の命を救ったのが平家の悲劇の始まり。家康は豊臣家を絶やした。天皇家には手を触れていない。
226事件は、自分たちが話し合いで決めたことに天皇が従うべき、という話し合い絶対主義から生まれた。