井沢元彦のレビュー一覧
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タイトル通りなのですが、綱吉を名君、吉宗をバカ殿とし、また、新井白石の経済オンチと田沼意次の名政策ぶりをアピールしています。
ふむふむ。確かに私も高校時代に、「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」といった狂歌を読んだ瞬間に田沼意次に対する評価が自分の中で180度変わったことを覚えています。
それ以降、「他人の評価というものはバイアスがかかっているのだから決して鵜呑みにしてはならない」ということを悟ったのだけれど、、、でもでも、吉宗に対してはもう少し高い評価でもいいんじゃないかなーと思いました(と思うのも、時代劇の刷り込みなんだろうけどさ)。
ということで、他人が貼ったレッテルに惑わされないようにしようとか、その人物が何を成し遂げたのか結果からみようとか、そういうことを考えさせられた巻でした。
幕末へ向けての萌芽があちこちに出てきていて、続きが楽しみです。 -
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ネタバレ「日本の歴史上の人物の中で誰に一番惹かれるか?」と問われると躊躇することなく「織田信長」と答えてきた KiKi にとってこの巻は実に楽しみだった巻でありました。 そういう意味では一気に読み終えたかったにも関わらず途中で突発事項が発生し、読みかけ状態で放置せざるを得なくなってしまったことがあの理由によるものでなかったら、ひょっとしたら本気で怒り出しちゃったかもしれません(笑)
宗教心が希薄だと言われる日本人の気質の大元には信長が戦闘的な宗教集団と徹底して戦い、結果、この時期以降の大半の日本人が異なる宗教もしくは宗派間での血なま臭い争いから解放されることになったことにも起因するという井沢氏の分析には、心から賛同します。 世界中の歴史を見てもこの時期以降の日本の歴史ほど「政教分離」が徹底できていた世界はそうそう滅多にあるものではありませんから・・・・。
個人的にちょっと不満だったのは以下の2点です。 一つは「本能寺の変の黒幕に関する考察」の部分、そしてもう一つは「信長は最終的に天皇家をどうしようと考えていたのか?」ということに触れている部分です。
KiKi はもともと本能寺の変に関しては世に数多ある「陰謀説」のどれにも与する者ではなかったんだけど、この本ではかなりあっさりと「明智光秀単独犯行説」を唱えて終わっちゃっていて、しかも「昔は僕も○○説だったけど今はね・・・・」的な文章で終わらせてしまっていて、正直なところ「へ??」という感じ・・・・・。 巷にあるいくつかの「○○説」への反証らしい反証もなく、せっかく自説を変えたにも関わらずそのなりゆきさえもがちゃんと書かれているとは言い難い筆致なために、さらっと読んで終わっちゃった・・・・・ ^^;
文庫本の裏表紙で「企んだのは朝廷か将軍義昭か、はたまたイエズス会か?」な~んていう風にある意味読者を煽っておいてそれはないだろう・・・とちょっと肩透かしを食らっちゃったような気分なんですよね~。
そして「天皇家をどうしようと思っていたのか?」という考察部分では、現代的合理精神の持ち主であり、ある意味で一本筋が通っている人として1巻丸々描かれている信長にも関わらず、「vs. 天皇家」となった瞬間に井沢氏の歴史観である「怨霊信仰」でチャンチャンというのはちょっと安直な感じがしちゃいました。 少なくとも、旧来の権威である天皇家を超える権威である「神」になろうとした男として描かれている信長像と「怨霊信仰」ではどことなくミスマッチ感が漂うような気がするのは KiKi だけかしら??
少なくとも、信長がなろうとした「神」と「怨霊」の相対的な位置関係をもうちょっと説明してくれないと、信長公のおかげ様で「宗教的なものの見方」の基礎がまったくできていない現代日本人の KiKi には井沢氏の結論がある意味で唐突に感じられてしまいました。
(全文はブログにて) -
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ネタバレこの巻はかなり楽しむことができました。 日本史を学生時代に学んでも「琉球史」に触れる機会は全くと言っていいほどないなか、第1章の「琉球王国の興亡編」は未知のことを知るという意味でかなり面白かったし、ついでに KiKi にとっては日本という国のアジアにおけるポジション(文字通り位置・地形的存在)についてあれこれ考察してみるいい機会になりました。 第2章の倭寇に関する記述も、倭寇と呼ばれている海賊軍団が必ずしも日本人集団でなかったことは知っていたけれど、実は日本人は多くても2割程度という具体的な数字を知ることができたのは収穫でした。
第2章でかなり印象的だったのは織田信長が定宿としており、結果的に命を落とすことになった「本能寺」が火縄銃を扱うのに欠かせない「煙硝ルート」だったというくだりでした。 鉄砲を扱うためには火薬が必要で、その火薬は煙硝がないと生産できず、しかもその煙硝は日本には産出しないというのははじめてちゃんと認識した事柄だったし、鉄砲が伝来した種子島の宗旨が法華宗(日蓮宗)でその本山が本能寺というのは今回初めて知りえた知識でした。 なるほどね~、井沢氏が「日本史における宗教的側面は極めて重要」と力説するわけです。
それぞれの章にかなり楽しめる内容があったのは事実ですが、やっぱり白眉なのは第3章以下、戦国武将のあれこれを考察しているあたりではないでしょうか。 戦国武将のいわばパイオニアとして紹介された朝倉孝景の話然り、謎の多い北条早雲の話然り、「三矢の訓え」で有名な毛利元就の話然り、戦国最強の騎馬軍団を擁した武田信玄の話然り。 KiKi にとって何よりも面白かったのはこれら綺羅星の如く存在する戦国武将それぞれに対して「天下人たる資質の有無」を論じている視点でした。
今回この本を読むまで、KiKi はある意味で教科書で教えられたとおり「戦国武将は誰もが天下を目指して凌ぎを削っていた」ということにさしたる疑問も持たずにきたのですけど、なるほど、井沢氏の論を拝聴していると「天下」にピタリと照準をあわせ、その目的に即した行動をしていたのが信長ただ一人だったという説が説得力をもって迫ってきました。
KiKi は♀の割には子供のころから「織田信長贔屓」で、彼の残忍性みたいなものが大々的に論じられている時にもそこはほとんど気にならなかった人間なんですけど、その理由をあまりつきつめて考えたことはなくて(漠然とはイメージしていたけれど)、それを自分なりに言語化してみようとしたこともなかったんだけど、今回、その漠然とイメージしていたまさに「それ」が活字になっているのを読んだような気分がして、何となくスッキリしました(笑)
武田信玄に関しては、KiKi も「早く生まれすぎた武将」「地の利に恵まれなかった武将」というような観方をしていたようなところがあったんだけど、今回、彼は甲斐の国の内政ではすぐれた手腕を発揮したし、領国拡大という意味では成功者であったかもしれないけれど、この時代に出家して僧侶となったという時点で天下人の器ではなかったという指摘にはなるほどと思わされました。
同時に武田家では新参者があまり重用されず、「甲州純血主義」の国だったという記述を読み、「なるほど、だから山梨県人はどちらかというと閉鎖的気質が強いのか」とある意味で腑に落ちたんですよね。 実は KiKi はね、Lothlórien_山小舎を建てる前、東京から日帰り圏内のあちこちで土地を物色していたんだけど、その中には当然山梨県の地域もあったんですよ。 ところが、当時、会社の「甲府営業所」の所長と話をした際に
「KiKi さん。 KiKi さんの性格からすると問題ないとは思うけれど、それでも山梨県はあんまりお勧めできないかもしれません。 山梨県人である自分が言うのもなんですけど、山梨県人っていうのは案外閉鎖的で、根っこの部分では余所者とは交わりにくい体質・・・・みたいなものがあるんですよね。 まあ、現代では多くの人が学生時代は東京とか名古屋とかに出てから里帰りしているので、そういう部分も薄れてきてはいるんですけど、僕も日本のあちこちに行ってみて(人事異動で他県に赴任した経験アリ)、やっぱりまだそういう要素が根強く残っているなぁと感じているぐらいですから・・・・・。」
と言っていたんですよ。 それを聞いたとき、KiKi はそれまでその類の「○○県人気質」みたいなものを考慮に入れていなかったことに気が付き、同時に面白いもんだ、そういう「○○県人気質」みたいなものはどうやって醸成されるんだろう??と思ったものでした。
さて、いよいよ次は第10巻。 戦国覇王編です。 この時代は小説にもドラマにも映画にも飽きるほどなって、KiKi を含む多くの日本人が「知っているつもり」になっている時代ですから、どんな新しい視点がもたらされるのか、楽しみです。 -
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ネタバレKiKi の日本史の知識の中でもっとも欠落しているのが「大正以降の近現代史」なんですけど、それに次ぐ欠落度合の激しい時代がこの室町時代です。(まあ古代史も必ずしも親しいわけじゃないんですけど・・・・ ^^;) 王朝文化華やかな平安時代と鎌倉時代では価値観から中心の場所まで大転換があったという意味で印象的だったし、織田信長という時代精神へのチャレンジャーもやっぱり印象的なわけだけど、足利政権っていうヤツはとかく影が薄い・・・・・というか、鎌倉幕府の延長線上にある覇者が変わっただけの政権っていう印象なんですよね。
もちろん、京都観光の目玉である「金閣・銀閣」もこの時代だし、私たちが「純日本風」という言葉でイメージするあれこれの出発点がこの時代にあることは百も承知で、そういう意味では「文化史」的には興味深い時代だとは思ってきたけれど、政治史・経済史という観点に立った時、何となくぱっとしない時代だなぁ・・・・・と思っていたようなところがあります。
何となくぱっとしないから興味を惹かないし、興味を惹かないから益々知らないまんま状態が放置されてしまいます。 又、戦後教育を受けてきた KiKi にとって皇統図っていうヤツはどちらかというと「知らなくても困らないこと」という範疇に入る知識だったように感じていたせいもあって、この時代のキーワードの1つ「南北朝の分裂」というヤツも単語としては知っていたし、その後の「南北朝合一」というヤツも単語としては知っていたけれど、これらの事件がどういうことだったのか?に関してはあんまり真剣に考えてみたことがありませんでした。 否、考察してみようと思ったことさえありませんでした。
今回、この「逆説の日本史 第7巻」を読んでみて初めて、「これってひょっとしたら日本の歴史においてはかなり重大な時代だったのかもしれない」と感じた・・・・・というだけでも、この読書は KiKi にとって有益だったように思います。 正直なところ、これまで KiKi は南北朝分裂も南北朝合一も「天皇家」のゴタゴタであって、一般 People の生活にはまったく関係のない、政党内の派閥争いと大差ない出来事ぐらいの認識しかしていなかったようなところがありましたから・・・・・。
まあ、このシリーズに書かれている仮説に関しては「なるほど、そういう見方もできるのか?」と思うことはあっても「そうだったのか!」とまでは感じたことのない(要するにどこか丸々信用することには躊躇いを感じる) KiKi なので、敢えてここでどんなことが書かれていたか?を参照する気はないんだけど、自分なりにもっと色々調べてみたいなぁと感じたことだけは事実です。
この巻でもっとも印象に残ったのは 第5章: 「恐怖の魔王」足利義教(よしのり)編 で、足利将軍の中では初代尊氏、第3代義満、第8代義政、第15代義昭ぐらいしか記憶に残っていない KiKi にとってこの第6代義教という方に関しては正直な所名前さえ知らなかった・・・・と言っても過言ではないわけで、井沢氏のこの人物の評価が妥当なのか否かはともかく、彼が達成した業績に関しては一度別の書物でも確認してみたいなぁと感じました。
そしてもう一つ、極めて印象的だったのが、「天下分け目の関ヶ原」という言葉に関しての記述です。 関ヶ原といえば、一般的には石田三成の西軍と徳川家康の東軍の戦いのイメージだと思うんだけど、実際には日本史上に3度、この場所で天下分け目の戦いが行われている・・・・・とのこと。 因みにその一回目が壬申の乱、二回目が南北朝の決戦たる「青野が原の戦い」、そして三回目が我々がよく知るいわゆる「関ヶ原の戦い」なのだそうです。 KiKi にとっては関ヶ原と言えば、家康勝利のあの関ヶ原か、そうでなければ冬場の東海道新幹線を遅らせる(豪雪のため)場所という印象しかなかっただけに、これはちょっとした驚きでした。 (もっとも、Wikipediaによれば、青野が原の戦いが行われた場所は大垣みたいだけど・・・・・ ^^;)
さて、次は応仁の乱・・・・かな?? -
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ネタバレ一般的日本人にとって、平安時代から鎌倉時代への転換の一大イベントと言えば「源平合戦」という認識が強い中、実はこれは「源源合戦」だったというのはちょっとした驚きの視点でした。 よくよく考えてみると木曽義仲と源九郎義経の話を知識としてちゃんと認識していたにも関わらず、その部分に関してはさほどじっくりと考えたことのなかった我が身を省みて、ちょっと情けなくなったりもして・・・・・(苦笑)
ただ、その後しばらく続く「頼朝は実は単なる神輿に過ぎない」という話とか「戦術には長けていても戦略には無頓着の義経」という話に関してはちょっぴり冗長に感じてしまいました。 少なくとも KiKi にとってはそこらへんの認識は決して新しいものではなかった(既に人口に膾炙されていると認識していた)からです。 鎌倉時代においてなぜ源氏が3代で終わってしまったのか?というあたりにしても・・・・・です。 そんな中で秀逸だと感じたのは鎌倉幕府の体制図を持ち出し、実際にはその体制図に描かれている組織・・・・というか機能・・・・というかが同時並列していた時期はないに等しかったというくだりで、なるほど、それまでにない体制を作るということはそういうことなんだろうなと納得させられてしまった気分です。
そして、「古代編から平安まであんなにも大活躍(?)していた『怨霊』がここへきて急速に衰えてきちゃった(著者の主張の中で)なぁ、これからどうするんだろう??」とちょっと意地悪モードの入った興味本位で読み進めていたところにドド~ンと登場したのが、「道理」という概念で、これにはビックリ!! ここからいわゆる Nature とは別義の日本人が大切にしている「自然」という感覚、そこに横たわる「納得」という感情を説き起こしている部分はかなり読みごたえがありました。
KiKi 自身はその話の中で語られる「明恵上人」という方に関してあまりにも無知なので、この方に関して、そしてこの方の思想に関してもっともっと知りたいという欲求がムクムクと頭をもたげてきちゃったんですけど、それだけでも今回の読書はとっても刺激に満ちたものだったと感じています。
ま、何はともあれ、この時代を突き動かしていた根本原理は「怨霊」だの「言霊」だのという呪術的要素の極めて強い部分ではなく、著者自身も認めている「リアリスティック」な「土地問題」であるだけに、そうそういつまでもそれだけで突っ走ることはできないわけでして・・・・・(苦笑) でも、事が人間のやっていることなだけにそこには明確に「思想史」「文化史」に属する「ある種の価値観」が作用していることは間違いのないことであるうえに、おじいちゃんの代までは拘っていたものが孫の代で雲散霧消というわけにもいかないでしょうから、その継続性の部分にもうちょっと筆を割いてもらいたかったなぁ・・・・と。 そういう意味では個人的にはこの巻で出てきた「中尊寺が何故残っているのか?」とか「義経不死伝説」だけではちょっと物足りない・・・・・。
まあ、このあたりは坂東武者というよりは「朝廷のある京都育ち」「清和源氏の末裔」というDNAを持った頼朝を筆頭とする源氏3代と根っからの坂東武者との代替わりによって転覆されたとも言えるわけだから、それならそれでいいんですけどね(苦笑) そうであるだけに北条泰時の偉大さ(と言うよりは著者のいうところの明恵が語る落としどころの絶妙さ)があるとも読めるわけですが・・・・・。
いずれにしろ、理論武装という意味では極めて脆弱な土台の上に立っていた「武家政治」がこの後延々と明治維新まで続いたのも不思議なら、そんな環境下でそれでも生き延び続ける朝廷(天皇家)というのも落ち着いて冷静に考えてみるとかなり不思議な存在なわけで、そのあたりをあれこれ妄想するためにも第6巻に読み進みたいと思います。