井沢元彦のレビュー一覧
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本作の中に、ペリーが突然来たわけではないのに、日本人のほとんどが突然来たと思っている、という作者の見解が書かれている。
作者の指摘通り、自分もそう思っていたので、勉強になった。こういう気づきがこの本を読む醍醐味だと思う。
ただ、毎巻思うのが作者の主張が強いこと、なんでも言霊に結びつけようとすることに、少し辟易する。
例えばあとがきに原発事故が日本らしい言霊文化の結果、と書かれているが、世界中の原発も安全対策が不完全なまま、運転されており、日本特有のものではないと思ったり。
幕末の外国への対策が後手に回るのも、儒教文化以前の集団心理の結果だと思えたり。
主張が強い分、反論したくなる点が多い。 -
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今回は、鎌倉幕府の成立から御成敗式目の制定までが扱われています。
平安時代以降の中央の土地をめぐる政策に不満を抱き続けてきた武士たちが、自分たちで政権を作ろうとしたのが幕府だったとする見方が、本書の全体を貫いています。戦術の天才だった源義経は、武士による政権を作るために努力していた兄・頼朝の意図を理解せず、そのために頼朝に討たれることになったとされます。さらに同じ観点から、北条氏による源実朝殺害に至るまでの鎌倉時代初期の歴史の流れが解説されています。
一方、北条泰時が制定した「御成敗式目」は、武士の「道理」を実現するものでした。著者はそこに、現代にまで続く日本人の「自然」理解を読み取ろうと -
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道鏡と称徳天皇の関係、桓武天皇による平安遷都の謎、そして『万葉集』にひそむ謎が解き明かされます。
著者は、道鏡と称徳天皇が男女の仲にあったという通説を退け、持統天皇と藤原不比等の結束によって受け継がれてきた政治体制を否定して、日本に「易姓革命」をもたらそうとするのが、称徳天皇の狙いだったという説が提示されます。
また平安遷都の理由については、桓武天皇が早良親王の怨霊を恐れたためだという主張が展開され、風水に基づいて平安京の地理的性格を明らかにし、さらに東北の蝦夷征討も同様の理由によって説明しています。
『万葉集』の謎については、梅原猛が『水底の歌』で論じた柿本人麿の怨霊史観が採用されてい -
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聖徳太子の謎から、天智天皇と天武天皇の関係、東大寺の大仏建立に至るまでが扱われており、前巻以上に著者の独自の説が次々と展開されています。
聖徳太子については、梅原猛の聖徳太子=怨霊説を踏襲していますが、それだけでなく、著者自身の見解が敷衍されています。著者は、藤ノ木古墳に埋葬されている2人の遺体が崇峻天皇と聖徳太子だと言い、さらに太子が不幸な死、おそらくは自殺を遂げたという説を示しています。
天武天皇については、彼が新羅と密接な関係を持つ人物であること、そして、挑戦を統一した新羅を滅ぼそうとする唐の策略に応じて、唐との国交を開こうとした天智天皇を暗殺し、その事実を隠そうとして『日本書紀』の -
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著者は、アカデミズムの実証的歴史学が史料至上主義という誤りに陥っていることを批判しています。織田信長が初めて築いた自前の町に「安土」という名前をつけたのはなぜか。この問いに対して著者は、京に対抗するため「平安楽土」から取っただろうと考えます。ところがアカデミズムの歴史学は、それを示す史料が存在しないことを理由に、こうした説を退けます。そこには、史料が存在しないことと、そうした歴史的事実がなかったことを直結する誤りがあると著者は言います。
さらに著者は、アカデミズムの歴史学は日本史の呪術的側面を無視していることを批判しています。梅原猛は『隠された十字架』(新潮文庫)の中で、法隆寺は聖徳太子の鎮 -
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この著者は初めて。同著者の『逆説の日本史』シリーズが気になっているけど、あまりにボリュームがあるのでまずはこちらから。
冒頭で引き込まれた。
悪名高い徳川綱吉の"生類憐みの令"、実はその前後で大きく変わったことがある…。
これには素直に感心した。
しかし読み進めるにつれ雲行きが怪しくなってきた。
例えば、古事記における国譲りの説明はちょっと意訳が過ぎる。
また、「古今和歌集仮名序で六歌仙が絶賛されているが…」と論理展開していくが、そこはむしろ「"その名聞こえたる人"と名前を上げてる割に、あんまり褒めてないよねこれ」と言われている部分では?
これらはた