井沢元彦のレビュー一覧
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言霊――なぜ、日本に本当の自由がないのか
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試し読み
Posted by ブクログ
日本人が信仰してきた「言霊」という言葉には、ある言葉を唱えることによってその内容が実現するという考えがあります。著者は、「言霊」が私たち日本人の行動に影響を与えたのは過去のことではなく、現在でもなおその影響力は大きいと主張しています。
言霊の影響の中でもとりわけ問題なのは、不愉快な予測を受け付けようとしない態度を助長することだと著者は考えます。たとえば、このままでは危機に陥ることが予想される場合に、私たちはそのことを口にするのは不謹慎だと考えてしまい、その結果として、来たるべき危機を回避するための方策が採られることのないまま、深刻な危機を迎えてしまうということが、これまでの日本社会において何度も繰り返されてきました。著者はここに、今も残る言霊の影響力を認めるとともに、そのことを深く認識することが重要だと論じています。
日本人の危機管理能力の低さが、希望的観測にしがみついて客観的に状況を分析するリアリズムが欠けていることに由来するという考えは、著者のみならず多くの論者によって語られています。そうした発想の根を、古代以来の言霊信仰に求めたところに、本書の特徴があるように思います。 -
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井沢元彦氏らしい刮目ぶり満載
もとより織田信雄が魯鈍のぼんぼんというのは有名だったかもしれないが、井沢氏はその刮目ぶりと博覧強記ぶりをフルに発揮して、その具体性を明確に物証を効果的に用いて立証している。
コンパクトながら十分楽しめる。 -
Posted by ブクログ
この、どこまでが通説でどこからが異説なのか、異説の中でもどこからが筆者独自説なのかよくわからない感じ、小説『QED』シリーズとまったく同じ読後感。
あっちは小説だからいいけどさあ。「だと思います」多過ぎ。それを踏まえて、怪しくない情報をメモ。
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古代エジプトやキリスト教が目指すのは「復活」。だから遺体を保存した。
一方、仏教が目指すのは「解脱」、すなわち六道輪廻から抜け出して"復活しなくなること"。したがって遺体の保存に執着せず荼毘に付す(火葬)。
古代日本の場合、死=ケガレによって汚染されたものを古墳に閉じ込める、という思想。
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天皇が早世した場合、中継ぎとして皇后が皇位を受け継ぐ可能性がある。そのため、皇后は皇族でなければならないとされていた。
しかし、藤原不比等の娘、光明子(聖武天皇の妻)は皇族でないにも関わらず「皇后」となった。
これに先立ち、絶対反対派筆頭の「長屋王」は藤原四兄弟の陰謀で殺された。
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清和天皇の孫・経基王が臣籍降下して源経基となった。これが源頼朝ら清和源氏のルーツ。この源基経は平将門を冤罪で陥れようとした人物。
基経の息子・満仲が武士のはじまりとされる。
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「前九年の役」「後三年の役」…陸奥で反乱を起こした安倍氏を源頼義が鎮圧。
「役」というのは本来外国との戦争を意味する。つまり当時、陸奥は外国とみなされた。 -
Posted by ブクログ
第7巻では、南北朝の動乱から足利義満、義教の治世が扱われています。
著者は、政治的な非道を貫けなかった尊氏が、けっきょくは政治的な混乱を招き多くの人びとを苦しめることになったことを指摘して、政治的な業績と道義的な観点からの評価とを切り離し、冷静に評価をするべきだという主張を繰り返しおこなっています。
ただ、こうした著者のような歴史の見方は、倫理についての歴史的相対主義に陥るか、あるいは倫理的評価を経験的なレヴェルから引き離してしまう形式主義を招いてしまうということにも、気を配っておきたいように思います。もちろん社会や歴史についての考察は、特定の価値や政治的イデオロギーへのコミットと関わりなく理解されるものであるべきですが、著者自身しばしば歴史の教訓から学ぶことの重要性を前面に押し立てつつ歴史の流れをたどっているので、読者の方にもこのような原理的な問題に直面することが求められているように感じました。 -
Posted by ブクログ
第6巻では、鎌倉新仏教の成立と、元寇から鎌倉幕府の滅亡、建武の親政までの歴史が扱われています。
著者はこれまで、現代の「民主主義」の常識で過去の出来事の意味を解釈することの誤りを繰り返し指摘していますが、鎌倉新仏教と天台本覚思想を結び付けている著者自身が、そうした誤りに陥っているのではないか、という疑いがあります。ただこの点については、著者があくまで宗教の歴史的な意義だけを考察する立場を取っており、信仰の立場からそれぞれの宗教を論じているわけではないということに留意するならば、むしろ正しい主張ではないかと思います。たとえば著者は、親鸞に対する蓮如や、道元に対する螢山の役割を高く評価していますが、ここにも宗教的な信仰の内奥に直接迫るのではなく、彼らの歴史的影響を重視する著者の姿勢がよく示されているように思います。
とはいえ、著者自身も「あとがき」で「今回書いたことは、まさに宗教の本当の意味でのアウトラインであって、仏教というのは、それだけに一生を懸けても極めきれないほどの深いものなのである」と述べているように、やはりこうした立場からそれぞれの宗教の意義を論じ尽くすことは難しいというべきでしょう。著者は本書で末木文美士の『日本仏教史』(新潮文庫)によりつつ、末木以上に鎌倉新仏教と天台本覚思想を直接的に結び付けるのですが、さらに気になるのは、その背後に日本古来のアニミズムの影響を見ている点です。おそらくこうした著者の理解は、梅原猛や鎌田東二らの議論を踏まえているのだと思われますが、どこまでも宗教を文化現象として扱うこうした立場から、親鸞、道元、日蓮らの宗教的実存すなわち「人」に触れることはできないのではないかと考えます。
建武の親政を論じたところでは、後醍醐天皇の宋学からの影響を指摘するとともに、武家を「ケガレ」とみなす後醍醐天皇が政治的な混乱を招いたことを厳しく批判し、戦後日本の空想的平和主義に対する不満が語られています。 -
Posted by ブクログ
本作の中に、ペリーが突然来たわけではないのに、日本人のほとんどが突然来たと思っている、という作者の見解が書かれている。
作者の指摘通り、自分もそう思っていたので、勉強になった。こういう気づきがこの本を読む醍醐味だと思う。
ただ、毎巻思うのが作者の主張が強いこと、なんでも言霊に結びつけようとすることに、少し辟易する。
例えばあとがきに原発事故が日本らしい言霊文化の結果、と書かれているが、世界中の原発も安全対策が不完全なまま、運転されており、日本特有のものではないと思ったり。
幕末の外国への対策が後手に回るのも、儒教文化以前の集団心理の結果だと思えたり。
主張が強い分、反論したくなる点が多い。