井沢元彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
逆説の日本史シリーズでお世話になっている井沢氏による本で、今から8年ほど前(2018)に書かれた本ですが、最近ネットで見つけて購入しました。日本史を学ぶにあたり、知っておくべき大事なこと(井沢氏は「真髄」と表現)が書かれています。
特に「朱子学」の考え方が、現在でも浸透していることには驚きました。さらに、過去および現在の中国や韓国の振る舞いも理解することができるなど、この本を通して理解を深めることができて良かったです。
以下は気になったポイントです。
・ 日本人の歴史認識を歪めているものの正体とは何か、 それを一言で表すなら「中共の欠落」 である。 キリスト教を無視して西洋の歴史を理解することができないように、 日本の歴史は日本人ならではの宗教を無視して正しく読み解くことはできない(p3)
・日本には他国にはない日本人独特の宗教に基づく 3 つの信仰がある、1) 穢れ 忌避信仰、2) 怨霊信仰、3) 言霊信仰、である(p8)
・「 汚れ」というのは 客観的にその存在が証明できる不浄のこと、 穢れとは 観念という客観的に証明することができない 不浄のことである(p18) 客観的に証明はできないが特定の進行を持つ人々にとって確かに存在してる不浄、が穢れである (p20)
・ 日本民族の DNA も 日本国籍も持っていなくても 日本文化の中で 日本語を 母国語として育った人は、 穢れにとらわれている可能性が高い。 ポイントは日本文化と日本語である、 特に 言葉は重要である、 なぜなら 人は言葉を使って 思考するからだ(p19)
・日本の古墳には他の文明 の墳墓には ない特徴が1つある、 それは 墓所の周囲に水を湛えた堀が巡らされていることである、これは穢れを取り除くことができる水を用いた結界である(p33)
・ 昔の日本では米を作る人は尊く、 動物をさばく人は汚れている、 こうした汚れの有無によって人や物を差別するのが 日本の文明の型である。 そして残念なことに 現代になってもこうした 日本型差別はなくなっていない(p55) こうなったのは 弥生人 が 稲作文化、 つまり 動物を全く殺さなくてもすぐ文化とともに 日本列島へやってきて、 先住民の縄文人を征服し 縄文文化 を蔑視し 差別したからではないかと考えられる。 その証拠に天皇家の儀礼には 狩猟牧畜文化には決して珍しくない、 動物を殺して神に捧げるという儀式が全くない(p58)
・ 古来日本の三大建築物とされてきた「 出雲大社 ・東大寺大仏殿・ 京都御所」は何を象徴するかということである、 出雲大社は、 国譲りで大国主 が示した 和の精神、 東大寺大仏殿・御所は言うまでもなく、 仏教 そして天皇である。 つまり 日本人にとって最も大切なのは、 和の精神(=怨霊信仰)、 次に大切なのは 仏教、 そして天皇は3番目に過ぎないということである(p107)
・ 摂政とは 天皇が幼少 であるとか病気がちで 政務が取れない場合に置かれる 代理人で、健康な成人男子である 天皇には代理人は必要でないはずだが 、藤原氏はそんな時にも天皇の権限を代行できる身分を作った それが「 関白」である、 関白は成人男子の天皇の下に置かれる(p122)
・ 中央政府には 藤原しかいない、 つまり 彼らの姓は全て藤原である、そこで 屋敷のある地名などで一族が区別されるようにない、 それが 苗字として固定していった(p134)
・朝廷に対する武士の政権である 幕府は「縄文人の逆襲」による結果だということである、日本には この 弥生文化と縄文文化という2つの文化が共存しているという事実を見逃してはならない。武士は怨霊を 信じていないので、 源氏が兵士の怨霊を恐れて 鎮魂 文学を書かせる必要もなかった (p143)
・ 平家物語のテーマである、平家一門の無念を多くの人に知ってもらい その命運の悲哀に共感してもらうことで 慰めとする方法として「 音曲と合わせたびわの弾き語り」にした、 書物 だと 物語に触れられる人数は少数の貴族に限られるが、 弾き語り なら 一度に大勢の人間に、しかも 読み書きができない人々にも聞いてもらうことができる、 さらに 平家物語は日本に 識字率のアップをもたらした(p145)
・言霊とは 平たく言えば、言葉には現実を動かす力がある、という 日本古来の信仰(=思想)である(p154)
・言霊の世界では 人の名前は、その人の人格とイコール と考えられた。名前を知るということは、その人を支配することになる。そのため 名前を教えることは、自分を与えることに等しいとされた。 その結果 本当の名前はみだりに人に教えてはならないものとされ、 特に女性の名前は家族以外の男性には決して明かしてはならないとされていた(p158)
・江戸時代の武士は基本的に「 通称」と「諱(本名)」の2つを持っている、江戸の町奉行として知られる 遠山の金さんの名前は、姓は「遠山」 諱は「景元」通称が「金四郎」 である、 彼のフルネームは「 遠山金四郎景元」である(p161) しかし彼はフルネームで呼ばれたことはまずなかった、友人は金四郎と呼び、役所に行けば「お奉行様」 江戸城に出資した場合には 冠位が用いられるので「 遠山左衛門尉殿」と 呼ばれる、彼を景元と呼ぶことができたのは、両親の他は主人である将軍 ぐらいであろう、 彼がこの世の人で亡くなれば 誰が「 遠山景元」と呼んでも問題ない(p162)
・日本人は 危機管理ができない、 少なくとも 大の苦手である。 その理由は言霊信仰の影響で「 起こって欲しくないこと」を考えるのも 嫌だし、ましてや その対策を講じておくのも嫌だからである、 怒って欲しくないことを口にしなければいいのである(p178)
・ オランダ国王はアメリカのペリーの黒船来航に咲き出すこと 9年前の1844年に幕府へ「 一刻も早く 開国 すべきである」 と忠告しているが 幕府はこれを拒否した、 その理由は「鎖国は祖法だから変えられない」というものであった(p197)
・中国や韓国が過去のことにこだわり、 何度謝罪しても繰り返し 謝罪を求めてくるのも、 実は 朱子学 に起因している 。朱子学 は人間関係を先祖の関係から切り離して 近代的に考えるということができないのである。親の罪は永遠に語が追わなければならない(p198)
・理想の君主「 王者」は、徳を持って治める君主である、 一方の「覇者」は、武力や陰謀 と言った 汚い手段で天下を取った君主である。 徳川将軍家は武力と陰謀で天下を取ったのだから 覇者と言うべきである、 たとえ 徳川将軍家が 覇者だったとしても 王者がいなければ使えるべき主君は徳川しかいない、ところが日本には天皇家というものが存在した。 天皇家は神の子孫だから尊かった。神の血統が尊さえの理由 だからこそ、何人も天皇にとって変わることができない(p215)
・最初の日米条約の名称がアメリカが望んだ「日米通商条約」ではなく日本が望んだ「日米和親条約」になった理由は、 日本側が「 通商」という 言葉を使うことを拒否したからである。 幕府にとって「 商品」「 通商」という言葉は、使ってはいけないものだったからである(p225)
・日本も 朱子学を取り入れたが 商行為が禁じられたのは武士だけで、民衆は最低の身分になってしまうものの 自由に行うことができた。 しかし 中国では民間が行う貿易まで禁じたので、その結果として 横行したのが「倭寇」であった (p228)
・ 明治神は日本古来の王政復古 であると同時に、 朱子学の視点からすると 、覇者による支配から、王者による統治への転換でもあった(p229)
・ 源頼朝が征夷大将軍という、 律令の中ではさほど高くない 役職を望んだのには理由がある、 この役職には他にない特権があった。 徴兵圏と 徴税権である、 遠征先の戦場で戦う 将軍にとって 中央と連絡を取るのは時間がかかることであったので、 遠征先の将軍には一時的に 徴兵 圏と 徴税権が与えられていた。 頼朝が征夷大将軍になったのは鎌倉幕府成立の年とされてきた1192年、 この年に、それまで反対していた後白河法皇が亡くなったからである(p264)
・1185年に 頼朝が、 日本国 総追捕使に任命され、警察権と刑罰権をてにした年を「大政委任=大政奉還の反対」と考えられる(p265)
2026年7月22日読破
2026年7月22日作成 -
Posted by ブクログ
井沢氏の説がすべて正しいかどうかはともかくとして、『逆説の日本史』を読んでいつも思うことは、もっと疑問を持たないとだめだなあ、ということである。なにしろ、日本史というやつはけっこうくせものでしょう?基本的なところは小学校高学年の頃から勉強してきているわけで、そうすると見過ごしたまま思いこんでいることって案外多いのではないだろうかなあ?
例えば、今巻の山場は「天皇になろうとした将軍」足利義満のところだと思っていたら、それ以上に考え込んでしまったのが「恐怖の魔王」足利義教……。義満についてはけっこう詳細に学校でも教えていた記憶があるんだけど、その上辺が同じでもモチベーションがこれだけ異なると面白いよなあ、という感想。でも、義教については、そういえばそんな名前も出てきたかなあ程度にしかおぼえてないわけで、その人物がこんなに歴史上重要なんだよとやられると、今まで自分が受けてきた教育そのものを疑ってしまう……。なにしろ「魔王」だもんなあ。このキーワードでピンとくる人間がきっと少ないんだろうということこそ、教育が日本史嫌いを増やしているんじゃないの?とか思ってしまうんだけど、いかが?( -
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江戸時代も幕末になると登場人物がとても豊かになるのだが、あれほど強固な支配体制を確立したはずの江戸幕府の人材がとても貧困なのには驚くほどだ。そもそもロシアやアメリカから紳士的な開国の申し入れを18世紀末には受けていたにもかかわらず、それについて全く対応せずに放置していたのだから、ペリーが強圧的に乗り込んできたのは当たり前だといえる。しかも日本の兵器は戦国時代のままで、火縄銃や青銅製の大砲だったのだから、全く勝負にならないにも関わらず、外国勢の申し入れに対応しなかった。考えてみれば日本は鎖国といっても、オランダや中国とは交易していたのだから、海外の情報は取得しようと思えば容易に取得できたのだ。林子平のように海外の状況から海軍を強化しないと日本は侵略されてしまうと警告する人だっていたのだ。日本は言霊の国なので、そんな不吉なことは言ってはいけないのだ。ロシアやアメリカの申し出に少しでも耳を傾けていたらもっと有利な関係を結ぶことは十分可能だったのだ。最後の最後まで現実を見ずにできもしない攘夷で走ったために最も不利な条約を結ぶ羽目になったのだ。
秀吉が唐入りしようとして朝鮮に出兵した頃、日本は世界一の陸軍を抱えていたし、財力も世界で最も豊かな国でもあったのだ。それが江戸時代の260年で武士の国である軍事政権でありながら、お粗末な軍事力とお粗末な幕閣の弱国になってしまったのだ。なんだか江戸末期は、現在の日本とよく似ているような気がするのだが。再読の旅はまだまだ続くのだ。 -
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江戸時代における名君の代表として、水戸光圀と保科正之と上杉鷹山を取り上げている。水戸家は徳川家を存続させるために家康が用意した御三家の一つだが、家康は単純に御三家を同一に扱うのではなく、尾張と紀伊の子孫には天皇家の血が入り込まないようにする一方で、水戸家は天皇家の血を入れて、もし徳川幕府が揺らぎ天皇家が世を治める時代が来た場合でも、水戸家が天皇側につくことで徳川家を存続させようとした。
その水戸家2代目の藩主が光圀であり、光圀は将軍家に対して単純に服従するのではなく、批判的な意見も述べる名君だったのだ。光圀は水戸家初代の家康11男頼房の三男なのだが、兄の長男頼重が水戸藩よりも格下の高松藩の藩主となっているので、頼重の子を水戸藩の養子に迎え自分の子を高松藩の養子に出してまで長男の血筋を尊重してるのだ。
保科正之は徳川秀忠の息子なのだが、秀忠は恐妻家で女中に手を出して産ませた正之を穴山梅雪の未亡人に託して未亡人は高頭藩の藩主の保科正光の養子として育てられるのだ。天下の将軍さえ茶々(秀吉の妻 淀殿)の妹に頭が上がらないと言うのが面白い。男尊女卑の封建社会であっても、天下人秀吉は淀殿に将軍秀忠はお江の方に頭が上がらないのだ。昔は男の地位が高かったように思えるのだが、いつの世も女は強いと言うのが現実なのだ。保科正之が立派なのは、会津藩は幕末に活躍する雄藩だったのであるがその礎を作ったことだ。正之が遺した家訓15条は立派だ。その中で面白いのは第4条「女の言うことは一切聞き入れてはならない」ということだ。この背景には正之の娘が嫉妬に狂った側室に毒殺されたという事件があったのだ。
上杉鷹山は名君として有名だが、上杉家は関ヶ原の戦いで石田側についたため、会津120万石から米沢藩30万石に転封されてしまうが、人員整理することなく謙信以来の部下を整理せずに召し抱えていた。それによってとことん窮乏した藩財政を再建したので有名である。
まあ、そんな明君や江戸時代の文化の熟成について語っている16巻であった。まだまだ再読の道は続く。 -
Posted by ブクログ
少し古い本で、朴槿恵大統領が就任した頃の対談。
こういう本て、その時点の状況がかなり影響する。この時点から大分状況は変わっているが、日本側が、もう韓国疲れして来たのは事実のような気がする。かなりマスコミとか政治に入り込んで来てるんで色々煽ってくるし、乗ってる人もいるが、疲れた。
自民族優越主義と、大家族主義と、朱子学に基づく聖なる先祖と、歴史と事実から学べない演繹思考。
別にいいが、一旦完全に突き放してお互い頭を冷やす時間と空間があっていいんじゃないかと、常々思う。
とにかく、我が国の文化との相性が悪すぎると、この手の本を読むといつも思う。 -
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藤原家の最大のライバルは、賜姓源氏だった。源高明らを失脚させた藤原氏は、源家たちの怨念が恐ろしくて、賜姓源氏の光源氏に栄華を極めさせることで鎮魂したのだ。伊勢物語も、古今和歌集も、平家物語、太平記などもみな鎮魂の書なのである。藤原氏は政争に敗れた紀氏の紀貫之に古今和歌集を編纂させたし、藤原氏のために失脚した紀家出身の惟嵩親王に連なる小野小町や在原業平、文屋康秀、僧正遍照も失脚したが、六歌仙にされているのである。惟嵩親王が最後に隠棲したのは、滋賀県の小野の里であり、ここは小野小町一族の土地だった。能も鎮魂のためのものであり、能で面をかぶっているのは、恨みを自分の身に受けないためである。
日本伝統文化の地層にあった怨霊思想は、仏教の現世に執着するものは成仏できないという考え方と結びついた。死んだ人間に位階を贈るのは、一種のフィクションであり、源氏物語もフィクションなのである。「物語」の「もの」は、「物思い」「物忌み」「もののけ」というように、魂や霊を表しているのだ。
自分の邸宅の庭に石を運び入れるために、途中の家を壊したり、親王や天皇に嫌がらせを繰り返し行い、退位させたという藤原道長は、本当にクズだが、紫式部に豊富に紙や墨を与えて、源氏物語を書かせたというのは日本文化への大きな貢献だったかもしれない。
そうそう、NHKの番組で見たが、当時紙は非常に貴重なもので、紙を管理する役所に力を持っていたのは藤原道長だったというの間違いないようだ。源氏物語を書くためには、下書きや書き損じのものも含めて、かなり紙が必要だったということだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「光る君へ」により、ほとんど高校の古文以来『紫式部』『源氏物語』『平安時代』を意識下に置いた、と言っていいレベルだったが、なぜそんなに興味が無かったのか疑問噴出なほど、かのドラマを大変面白く待ち遠しく観ていた。
素性があまりわかっていない1000年も前の「ある一人の女性」による作品が、実は世界的にも突出した作品であり、永く読み継がれてきたこと、これをベースとして日本の文化のさまざまに影響があったこと、国民性や死生観、情緒といった内面にも通底するものがあることなど、功績たるや華々しいにも程があるにも関わらず、この本のタイトルにもあるように、ドンと真正面に鎮座しているあからさまな違和感すらスルーするほど、「源氏物語」は私にとって全く蚊帳の外のコンテンツだった。
著者の指摘する“浮かばれなかった実際の人々の鎮魂のため”という目的は、説得力があった。
そういう目で、創作物を観たことが無かったのかも、と思いつつも例えば西洋絵画と言われる範疇のものは布教や権力誇示、時の権力者の肯定など制作目的や意図などを美術や世界史の時間に教わってきた。
その構図が、日本においても当てはまりこの場合「鎮魂」に該当しただけ、と思えばすんなりかもしれない。
私は日本人だから、日本とそれ以外(多くは西洋)という明治期以降刷り込まれたあらゆる面での対立構造から、この現代に於いても思考が脱していないのだなと自認するに至る。
翻って、周辺の海洋が異なるだけで、ニンゲンなんて同じような種類だから西も東も今も昔もなく、似たような事で悩んだり喜んだりしているもので、そういった普遍性が源氏物語には滲むようだ。最初の数行で挫折した古文の傑作を、やはり今後も読まないだろうと思うが、その存在感は以前よりグッと個人的に高まり、蚊帳の中に入ってきた。
高校時代の副担任の先生へ、あの当時「古文全然好きじゃない」と言ってごめんなさい。
傑作だ!って言ってたの「それはあなたの意見ですよね」と引いてたけど、まごうことなき傑作だったみたいでした。 -
Posted by ブクログ
『逆説の日本史』のコミック化。
戦国から江戸時代、教科書では分からないポイントを解説。
江戸期を理解するためのキーワードは、朱子学。
ここが分からないと、江戸時代の実像が見えてきません。
田沼意次が、賄賂の帝王、悪として伝えられているのはなぜか。
商業改革や貿易によって、財政を立て直そうとする田沼は、朱子学狂信者達によって失脚させられました。
そして、蝦夷地開拓や対露外交の好機は、「名君」松平定信によって潰されました。
今なお「田沼政治」と記されている、決して「改革」と呼ばれないのは、現代の歴史教科書にも朱子学的偏見が影響を与えているからです。
家康が幕府体制を盤石にするために導入したはずの朱子学が、討幕の原動力となってしまったという皮肉。
これを読まずして、江戸時代は分かりません。