【感想・ネタバレ】紫式部はなぜ主人公を源氏にしたのかのレビュー

あらすじ

『源氏物語』は、藤原道長の娘である彰子が一条天皇の寵愛を得られるように、道長がパトロンとなって、紫式部に執筆させたといわれるが、物語では明らかに藤原氏と思われる右大臣家は、権力を笠に主人公の光源氏に圧力をかける敵役として描かれている。藤原氏の摂関政治の最盛期に道長が自ら出資した物語で、なぜ藤原氏を主人公にしなかったのか。大河ドラマでは決して描かれない道長の思惑とは? 徳川の天下が確立した江戸時代に、徳川将軍の御台所に仕える奥女中が「豊臣物語」を書き「豊臣家のプリンスがライバルを倒して天下を統一する」という話を書いたらどうなると思いますか。こっそり書いていたとしてもバレれば間違いなく死刑です。しかし藤原道長は紫式部が「源氏が勝つ」物語を書いているのを、堂々と応援していて娘にも読ませていたのですよ。外国人ならこんな話は絶対信じません。そんな話が書かれること自体ありえないのですから。でも現実に『源氏物語』は書かれました。ということは外国と違う「何か」が日本にはあるということです。(「はじめに」より抜粋)●栄華を極めた道長は何を恐れたのか ●光源氏が賜姓源氏でなければならなかった理由 ●なぜ実在の冷泉帝と同名の天皇が物語に登場するのか ●光源氏が准太上天皇という最高位まで昇り詰める理由 ●『源氏物語』と『平家物語』の共通点『源氏物語』のストーリーは、明確な目的があって描かれている!

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Posted by ブクログ

藤原家の最大のライバルは、賜姓源氏だった。源高明らを失脚させた藤原氏は、源家たちの怨念が恐ろしくて、賜姓源氏の光源氏に栄華を極めさせることで鎮魂したのだ。伊勢物語も、古今和歌集も、平家物語、太平記などもみな鎮魂の書なのである。藤原氏は政争に敗れた紀氏の紀貫之に古今和歌集を編纂させたし、藤原氏のために失脚した紀家出身の惟嵩親王に連なる小野小町や在原業平、文屋康秀、僧正遍照も失脚したが、六歌仙にされているのである。惟嵩親王が最後に隠棲したのは、滋賀県の小野の里であり、ここは小野小町一族の土地だった。能も鎮魂のためのものであり、能で面をかぶっているのは、恨みを自分の身に受けないためである。
日本伝統文化の地層にあった怨霊思想は、仏教の現世に執着するものは成仏できないという考え方と結びついた。死んだ人間に位階を贈るのは、一種のフィクションであり、源氏物語もフィクションなのである。「物語」の「もの」は、「物思い」「物忌み」「もののけ」というように、魂や霊を表しているのだ。
自分の邸宅の庭に石を運び入れるために、途中の家を壊したり、親王や天皇に嫌がらせを繰り返し行い、退位させたという藤原道長は、本当にクズだが、紫式部に豊富に紙や墨を与えて、源氏物語を書かせたというのは日本文化への大きな貢献だったかもしれない。
そうそう、NHKの番組で見たが、当時紙は非常に貴重なもので、紙を管理する役所に力を持っていたのは藤原道長だったというの間違いないようだ。源氏物語を書くためには、下書きや書き損じのものも含めて、かなり紙が必要だったということだ。

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2025年07月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「光る君へ」により、ほとんど高校の古文以来『紫式部』『源氏物語』『平安時代』を意識下に置いた、と言っていいレベルだったが、なぜそんなに興味が無かったのか疑問噴出なほど、かのドラマを大変面白く待ち遠しく観ていた。

素性があまりわかっていない1000年も前の「ある一人の女性」による作品が、実は世界的にも突出した作品であり、永く読み継がれてきたこと、これをベースとして日本の文化のさまざまに影響があったこと、国民性や死生観、情緒といった内面にも通底するものがあることなど、功績たるや華々しいにも程があるにも関わらず、この本のタイトルにもあるように、ドンと真正面に鎮座しているあからさまな違和感すらスルーするほど、「源氏物語」は私にとって全く蚊帳の外のコンテンツだった。

著者の指摘する“浮かばれなかった実際の人々の鎮魂のため”という目的は、説得力があった。

そういう目で、創作物を観たことが無かったのかも、と思いつつも例えば西洋絵画と言われる範疇のものは布教や権力誇示、時の権力者の肯定など制作目的や意図などを美術や世界史の時間に教わってきた。
その構図が、日本においても当てはまりこの場合「鎮魂」に該当しただけ、と思えばすんなりかもしれない。

私は日本人だから、日本とそれ以外(多くは西洋)という明治期以降刷り込まれたあらゆる面での対立構造から、この現代に於いても思考が脱していないのだなと自認するに至る。

翻って、周辺の海洋が異なるだけで、ニンゲンなんて同じような種類だから西も東も今も昔もなく、似たような事で悩んだり喜んだりしているもので、そういった普遍性が源氏物語には滲むようだ。最初の数行で挫折した古文の傑作を、やはり今後も読まないだろうと思うが、その存在感は以前よりグッと個人的に高まり、蚊帳の中に入ってきた。

高校時代の副担任の先生へ、あの当時「古文全然好きじゃない」と言ってごめんなさい。
傑作だ!って言ってたの「それはあなたの意見ですよね」と引いてたけど、まごうことなき傑作だったみたいでした。

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2024年12月25日

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