井沢元彦のレビュー一覧
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いや~良い翻訳だが辞書機能は?
内容は日本語版の英訳。素晴らしい英訳ですね。日本語版を英訳してもKindleに独占状態のマーケットだったから素晴らしい挑戦だと思います。だーケーどー!
ワンタッチ辞書のバックアップは何処やねん?
Kindle版も試すが、ワンタッチ辞書が日本語本と認識して国語辞典開くのでいちいち英和辞典選択し直す破目になった。
どっちも不完全燃焼。
内容が名著Sapienceの2nd opnionとして立派に通用するのに周辺機能が障害となっている。出版社と電子書籍プラットフォーム業者が初代Rideoの失敗から何も学んでないので著者に悪いけど★★★です。 -
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ネタバレ古寺歩きのポイントは3つー仏像・建築・庭園―だという。ただ、この3つ全てを兼ね備えた寺はほとんどない。
奈良・平安期までの寺は、仏像に見応えがあるが、鎌倉以降の禅宗では、仏像にあまり重きを置いていない。禅宗では、寺は修行(座禅)の器という観点が重要となり、庭園に力が注がれている。江戸時代になると、仏像はほとんど美術的価値を失う(湛海と円空は優れた仏師と評しているが)。寺請制度・檀家制度により、寺が役所の役割を果たすことになり、宗派間の競争が無くなり、堕落したからである。
建物においても、三重塔、五重塔は見応えがあるが、落雷等による焼失の後、再建されたものも少なくない。搭は、もともと釈迦の舎利 -
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試し読み
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日本人が信仰してきた「言霊」という言葉には、ある言葉を唱えることによってその内容が実現するという考えがあります。著者は、「言霊」が私たち日本人の行動に影響を与えたのは過去のことではなく、現在でもなおその影響力は大きいと主張しています。
言霊の影響の中でもとりわけ問題なのは、不愉快な予測を受け付けようとしない態度を助長することだと著者は考えます。たとえば、このままでは危機に陥ることが予想される場合に、私たちはそのことを口にするのは不謹慎だと考えてしまい、その結果として、来たるべき危機を回避するための方策が採られることのないまま、深刻な危機を迎えてしまうということが、これまでの日本社会において何 -
購入済み
井沢元彦氏らしい刮目ぶり満載
もとより織田信雄が魯鈍のぼんぼんというのは有名だったかもしれないが、井沢氏はその刮目ぶりと博覧強記ぶりをフルに発揮して、その具体性を明確に物証を効果的に用いて立証している。
コンパクトながら十分楽しめる。 -
Posted by ブクログ
この、どこまでが通説でどこからが異説なのか、異説の中でもどこからが筆者独自説なのかよくわからない感じ、小説『QED』シリーズとまったく同じ読後感。
あっちは小説だからいいけどさあ。「だと思います」多過ぎ。それを踏まえて、怪しくない情報をメモ。
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古代エジプトやキリスト教が目指すのは「復活」。だから遺体を保存した。
一方、仏教が目指すのは「解脱」、すなわち六道輪廻から抜け出して"復活しなくなること"。したがって遺体の保存に執着せず荼毘に付す(火葬)。
古代日本の場合、死=ケガレによって汚染されたものを古墳に閉じ込める、という思想。
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天皇が早世した場合、中継ぎとし -
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新年(2017)になって最初に読破した大部の本(300頁超)は、逆説の日本史シリーズでお馴染みの、井沢元彦氏の書かれた「逆説の世界史2」です。
この本のテーマは「一神教のタブーと民族差別」です、私の受け取ったメッセージは、元々は同じ神を信じている、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が、経済発展にどのように貢献・障害となったのか、です。
世界の主要三宗教の違いを解説した本をある程度読んできましたが、なぜ、キリスト教国が近代になって、イスラム教国に対して有利になったのか、逆に言えば絶大な力を持って世界を制覇していたイスラム社会(オスマン帝国)が、なぜ西欧諸国に圧倒されることになったか、私なりの解 -
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第7巻では、南北朝の動乱から足利義満、義教の治世が扱われています。
著者は、政治的な非道を貫けなかった尊氏が、けっきょくは政治的な混乱を招き多くの人びとを苦しめることになったことを指摘して、政治的な業績と道義的な観点からの評価とを切り離し、冷静に評価をするべきだという主張を繰り返しおこなっています。
ただ、こうした著者のような歴史の見方は、倫理についての歴史的相対主義に陥るか、あるいは倫理的評価を経験的なレヴェルから引き離してしまう形式主義を招いてしまうということにも、気を配っておきたいように思います。もちろん社会や歴史についての考察は、特定の価値や政治的イデオロギーへのコミットと関わりな -
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第6巻では、鎌倉新仏教の成立と、元寇から鎌倉幕府の滅亡、建武の親政までの歴史が扱われています。
著者はこれまで、現代の「民主主義」の常識で過去の出来事の意味を解釈することの誤りを繰り返し指摘していますが、鎌倉新仏教と天台本覚思想を結び付けている著者自身が、そうした誤りに陥っているのではないか、という疑いがあります。ただこの点については、著者があくまで宗教の歴史的な意義だけを考察する立場を取っており、信仰の立場からそれぞれの宗教を論じているわけではないということに留意するならば、むしろ正しい主張ではないかと思います。たとえば著者は、親鸞に対する蓮如や、道元に対する螢山の役割を高く評価しています