関美和のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
タイトルからパッと想像した内容の本とは少し違っていた。経済の話というので、世俗的な話しや現代での立ち回りかなと思っていたら、現代の資本主義構造の成り立ちと変せんをざっくり書いた上でしっかり批判していて面白かった。経済学は占いや哲学に近しいと経済学者が言ってのけるのは気概を感じたし、その通りだなと感じた。
本書はわかりやすさを優先して解像度は荒い表現を多用していると感じるが現代の政治経済が抱えたいる問題や疑問はなぜその問題が立ち上がっているかを知らずして立ち向かえない。
一冊を通して最初の「なぜこんなに格差がうまれるの?」という疑問への明確な解決はわからない。ただ読み始めた時とは深度が変わっている。
しかし、だいたいどんな本読んでも結局資本主義経済の功罪がとりだたされるのが面白い。
あと宗教(たぶん主にキリスト教)も為政者が思い通りの世を形成して維持させるために「格差はあるんだよ」と維持させるために利用していたという側面にも共感できた。 -
Posted by ブクログ
「なぜ経済格差が存在するのか」という問いに歴史を紐解きながら説明した本です。
本書では、格差とは個人の能力の結果ではなく、「たまたま農業に適した土地にいた」「たまたま余剰を管理する側に回った」という歴史的な偶然と構造の問題だと説いています。
そしてこの格差を解消するためには、経済を専門家だけのものにせず、民主主義の手に取り戻すべきだと主張しています。
しかし、人間はわかっているのに競争を止められない生き物。市場社会は、人間を節度のない愚か者にしてしまうという難しさがあります。
また本書では『マトリックス』や『フランケンシュタイン』などの物語や寓話を引用しているのが特徴的です。これらは「人間が自ら作り出した経済システムに、いつのまにか支配されている」という構図を感覚的に理解させ、現実を批判的に見直すための鏡として機能しています。
現代の格差を象徴するのは、社会に不可欠なエッセンシャルワークより、金融やテックなどの業界のほうにお金が集まるという理不尽があります。
「経験価値より交換価値が優先される市場社会」では、エッセンシャルワーカーの重要性が報酬に反映されにくいのです。
市場社会では借金(クレジット)が未来の価値を現在に引き寄せます。テック企業や金融は、この「未来の期待」を最大限に利用できる業種です。逆に、エッセンシャルワークは「未来の利益」ではなく「今日の生活を維持する仕事」なので、投資家の期待の対象になりにくく、資本が集まりづらい構造があるのです。
未来への価値に信用をするという特殊なシステムの中で生活をしているということに、それこそSFのような不思議な世界で生きている感覚になります。 -
Posted by ブクログ
インターネット、AIのテクノロジーの発展により、資本ではなくテクノロジーを有数るもの(プラットフォーマー)によるデジタル囲い込みによって、そこに仕えるクラウド農奴とに二分される新たな封建制が生まれている。
封建制度化のレントは、土地や資源など特権的な資産への独占的なアクセス権によって生じ、それが現在までも続いてきた。クラウドレントは、資本主義化の利潤追求活動とインターネットの融合により、プラットフォーマーが生まれ、そこが莫大な富と政治力を持つことによって誕生してきた。
産業革命後、労働者が団結したように、今回もプラットフォーマーが反対する中グローバルで団結ができるかどうか? -
Posted by ブクログ
ネタバレ「社会的に信頼を得る」という文脈で語られる「信頼」について、さまざまな実例と共に掘り下げた本でした。この実例が、私の知らないことも多いのと、とても興味深いものもあり、この実例を知る体験だけでも、とても良い読書体験になりました。
著者の体験談もあり、これがまた本書にピッタリの実例となっていることから、きっと本書が生まれたのではないかと思いました。
本書で実例として紹介されていたもので、初めて知ったものや、私が興味を持ったものをいくつか挙げてみます。なので、ネタバレにチェックを入れました。
第2章:信頼が地に堕ちるとき
「タスキーギ梅毒実験」1932年から1972年まで、アラバマ州タスキーギという田舎町に住む600人のアフリカ系アメリカ人が公衆衛生局により、人間モルモットとして利用されたという。1997年にビル・クリントン大統領が実験で生き残った8名の高齢者の前で「倫理と道徳の悪夢」を謝罪しています。
第4章:最終責任は誰に?
2016年2月20日、ミシガン州カラマズー郡での銃乱射事件。ウーバードライバーのジェイソン・ブライアン・ダルトン氏が5時間にわたり殺人を繰り返した事件です。ウーバードライバーとして乗客を乗せたりしつつ、殺人を繰り返していた。
ウーバー社に責任はあるのか?
第5章:偽ベビーシッター
1983年著者が5歳のころ母親が雇ったベビーシッターが、実はとんでもない犯罪者(麻薬の売買、強盗、詐欺)であったという体験談。10ヶ月間気がつくことがなく雇い続けた。母親が信頼をして雇った経緯(優雅な心を持つ優雅な夫人のための雑誌『ザ・レディー』の広告にお手伝い募集の広告を載せて応募してきた人物を信頼した)や、行動がおかしい時に親とシッターがやり取りするのだが、一度信頼した人を信じたいとの心理などが語られる。そのシッターと過ごした著者の視線で感じたことも語られておりました。
興味を持った方は、読んでみてください。 -
Posted by ブクログ
ネタバレゼロ・トゥ・ワン
―君はゼロから何を生み出せるか
ペイパルの創始者で今はベンチャーキャピタルをやっている著者が、スタートアップに特化した自らの体験に基づく考えを披露しています。
まず、大胆に通常信じられている以下の常識に対して
1. 漸進主義
2. リーンスタートアップ
3. 革新より改良
4. 販売よりも製品
著者は以下のように主張しています。
1. 大きな賭けをしろ
2. 成功するための計画を持て
3. 競争するな
4. 販売は製品と同じくらい大切
自らいくつかの会社を経営しながらドットコムバブル、リーマンショックを生き延びてきた著者の言葉には重みがあります。
他にも以下のポイントが印象に残りました。
* スタートアップでは少数精鋭のチームが大切だが、個性豊かなメンバーの相性も大切
* テクノロジーは他の競合品より10倍の性能でないとだめ
* 成長する時にリニアなものなどなく、指数的な動きになる
ビジネスで成功するためには以下の7つの質問に答えられるようなビジネスプランが必要
1. エンジニアリング
2. タイミング
3. 独占
4. 人材
5. 販売
6. 永続性
7. 隠れた真実
そして一番わかったことは「竹蔵はスタートアップには向いていない」ということ。
まあ、序文を書いたような人が跋扈するその世界はこちらから御免こうむりたいです。
竹蔵 -
Posted by ブクログ
ネタバレ格差はどこから生まれるのか。なぜイギリス人がアボリジニを支配して、逆にアボリジニがイギリスを侵略することが起きなかったのか。本書はその問いから始まる。
人口の増加を狩猟で支えうことが出来なくなった社会は強制的に農耕へ移行するしかなくなり、農耕が余剰を生み出し、農耕が文字を、官僚制度を、軍隊を、権力を生み出したという、すべては余剰に突き動かされていた。オーストラリアはこれに従えば農地を耕さなくても生活の営みが可能だった。だから余剰を記録する文字も生まれなかった。
続いて市場社会の誕生の話に移り、かつては商品ではなかった、「労働力」、「土地」が囲い込みを通じて、かつて領主との使役関係にあった農奴は自由を得る代わりに土地から追い出され、唯一持つ労働力を市場を通じて取引をせざるを得なくなった流れが説明される。
不況の最中にむしろ人間と機械のうち人間の方が食べていかなければならないからこそ、労働力として安上がりになり、機械に奪われた仕事を逆に人間の雇用が取り戻すというのは、逆説的なようでいて考えていなかった視点だし、ラッダイト運動が目指したのは機械に奪われた仕事を取り戻すことではなく、機械を一部の人間が支配していたことに対する反抗であったことは知らなかった。
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Posted by ブクログ
本当にこの本のように生きられたら幸せだ
私は私の事をどこかで疑って信じきれず、結局普段と変わらない世界から抜け出せずにいる。
毎日ちゃんと会社に行って仕事して、休みは自分の好きな映画を見たり、ご飯を食べに行ったり。平凡で大切な事だけど、新しい事や挑戦を怖がっている自分をいつも感じている。
どうせ失敗するとか、上手くいかない想像だけでは体感できるほど具体的で得意だ。どうしてそんな考え方になってしまうのか、分からないけど、それが自分を固く縛り付ける足枷だという事ははっきりしている。
この本のように、自分の人生の新しい扉を開きたいと思った。もっと人との関係をしっかり繋いで、じっくり自分の人生と向き合いたい。どこか逃げ腰な自分から卒業したい。そう思わされる本でした。
瞑想は続けているので、もう少し自分を信じた上でやっていこうと思っています。夢とか奇跡だと思ってる事が、自分の人生と地続きだと感じられるように。 -
Posted by ブクログ
『では、私の仮説とは? それは、資本主義はすでに死んでいる、というものだ。つまり資本主義の力学がもはや経済を動かしてはいない、という意味だ。資本主義が担ってきた役割はまったく別のなにかに置き換えられている。その別のなにかを私は「テクノ封建制」と名づけた』―『はじめに』
「クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界」はその年に読んだ本の中で一番印象的な本だった記憶があり、本書の書評を見てその本の作者の本業での語りを聞いてみたいと思い読んでみる。資本、利潤、封建、という概念の根本的な理解の仕方に膝を打つ思いがする。それは岩井克人の語る貨幣論のように人の営みに照らした理解。経済学的合理に基づく解釈とは少し異なるようにも読める。根本にあるのは農耕生活へ移行した(それはすなわち集約的役割分担のはっきりとした社会への移行を意味するが)人間の作り出した「知恵」である、という考え方だが、その知恵は時に(いや、しばしば、というべきか)利己的な「悪知恵」である事が多い。共産主義的な思想、民主主義的な思想はその個人に帰する悪知恵の対価を、できるだけ公平に広く共有するということを目的としている筈だが、ともするとそれを押し広げようとする制度によって歪みが生まれ、結局また異なる富の偏在が生じる。その語り口は判り易い。
『当然ながら、石油会社は自分たちの略奪を正当化するために、レントを資本主義的利益に見せかけている。彼らのリターンは賢い低コストの採掘技術に投資したことの見返りで、この技術がなければ、ここで採掘された原油はライバル会社の原油より安価にならなかったかもしれないと誇張する』―『第五章 ひとことで言い表すと?』
但し、集約的に行わなければ実現可能ではないものもある、という視点がどうもこの人には欠けているようにも思えてならない。コモンの共有、という視点は確かに美しい理想だが、かたや衆愚という言葉もある。直接民主主義がこの経済学者の信の芯にあるように思えるが、それでは恐らく月には行けないし、石油を採掘することもできない。石油会社を無垢な人々から材を搾取する社会悪のように描くのは勝手だが、その石油会社が取り出したもののほとんど全ては社会に還元され、原始人的生活をしている人を除く全ての人々に恩恵を授けている。更に言うなら、石油会社は地下資源の成功確率の低い探鉱に多大なリスク投資をしているという事実も無視されている。この経済学者が度々回顧する暮らし、キャッシュで支払い、スマートフォンではなく携帯電話で会話をする、という社会でさえ、その基盤を支えている電力、素材、物流の元となるエネルギーは石油会社の資する地下の資源なしには実現しない。しかもそれはこの経済学者が言う程に易々と手に入るものではない。
『この左派の変質の根底にあったのはもちろん、西側諸国の産業空洞化だった。空洞化によって労働者階級はばらばらになり、その流れはテクノ封建制によって今日も続いている。まだ労働者階級が同質的だった頃には、それなりにしっかりした階級意識によって、社会民主主義政府にある程度の圧力をかけることができていた。今では階級闘争は、いわゆる「アイデンティティ政治」に取って代わられてしまった。人種的、性的、民族的、宗教的マイノリティを守り、正義の回復を求める動きは、社会的にリベラルであることを示したい権力者にぴったりだ』―『第七章 テクノ封建制からの脱却』
ただし、そんなことはある程度この人も判っている。そしてそれら全ての問題を解決する方法が見つからないということも。そこで、昔ながらの直接民主主義的、社会主義的共産主義の徹底した社会をパラレルワールドとして描いてみた思考実験したという訳だ。なるほど、そうやってあの小説が生まれたのか、ということを知れた部分が、実は一番興味深い点だった。既に小説のエピローグが描いて見せたように、人間の「知恵」という奴はどこまで行っても「理想的社会」との折り合いが悪いもののようだ。恐らく、人と人との関係性が一定程度の濃い社会での「倫理観」というものに期待する仕組みは普遍的なものとはなり得ないのだろう。だとすると、人間はもっと小さな村社会で充足するような暮らしでのみ機能する正義という概念しか持ち得ないのかも知れない。あるいは「マトリックス」の描き出すような世界が理想的なのか、、、。