澁澤龍彦のレビュー一覧
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タイトル通りです。
残忍極まりない悪事と快楽、そしてカネに溺れることへの哲学小説。
平たく言うと、野蛮人の集まりです。
ですが、目からウロコもいいことに、並の人間では到底体験と理解に苦しむこの散々たる悪事にもなんと哲学や道徳がある!
この哲学小説のいいところは、どっちに転ぶか?ということと、感化されないこと、また、目で文字を追いながらの逆説的教訓になりうることだと思います。
野蛮人の哲学なんて洒落臭い!と思いがちですが、正直理解に苦しんだので、すっかりとは飲み込めませんでしたが、美徳も同じという紙一重的な描写には、大変考えさせられました。
善と悪とは何か?
悪はこれを読めば、うっすらと掴めるのではないでしょうか。 -
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澁澤龍彦の遺作。
貞観時代、高丘親王(67歳)は天竺へ船出する。
船は南洋をぐるぐる流され、夢か幻か現実か時間もあやふやに、怪奇幻想の世界へ。
病に倒れかけた親王は彼らしい方法で天竺へ向かう。
なんとなく鳥人間と航海のイメージでクラーク・アシュトン・スミスの「エウウォラン王の航海」を思い浮かべたが、まぁ、詩的、幻想的という意味でしか共通点はないかな。ちなみに鳥が人間のように支配する島の話です。
澁澤龍彦と言うとフランス文学の訳者と言うイメージで、小説を読んでいなかったのだけど、これは良かった。仏僧が天竺へ向かう話なのにむしろ、幼少期に憧れた女の跡を追っている親王でした。さすが。 -
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しばしのインターバルを経てTasso再読祭再開。
様々な典籍に材を取った幻想時代劇、全6編。
何度読んでも味わい深く、しみじみ面白い。
眠りに落ちたまま年を取らなくなった珠名姫と
異母兄つむじ丸の物語「ねむり姫」や、
望楼に幽閉された万奈子姫の悲恋「夢ちがえ」が
殊の外、切ないが、
もう一人の姫こと「きらら姫」が
遂に正体不詳で終わるところにニヤリとさせられる。
以下、多少の余談なぞ。
「ぼろんじ」(虚無僧の意)において、
主人公の兄を振武軍に導き入れたとされる
澁澤成一郎(1838-1912)は
明治以降、幼名に復して澁沢喜作と名乗った実業家で、
日本資本主義の父と呼ばれる澁澤栄一の従兄であり、
作者の親類にも当たる。
「夢ちがえ」の「箱の蓋を持ちあげてみると」の条(p.178)では、
つい、泉鏡花「天守物語」
朱の盤の登場シーン(これは汁が出ました)を連想。
「画美人」の、
ガラス鉢の金魚に情事を見られている気がする……云々は、
作者の初期短編「撲滅の賦」のヴァリアントだろうか。
江戸の大工の倅・音吉が
鎌倉時代へ時間旅行する「きらら姫」。
彼は地震で倒壊した日蓮上人の草庵を建て直すのだが、
日蓮の弟子・日興が「伯耆房」の名を賜り、
日蓮と共に身延山に入った経歴が、
鳥取の地名である「伯耆」を苗字として名乗る人々が
山梨県の身延町に存在するという謎に迫る鍵ではないか……
と愚考する。 -
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ウエルベックの「服従」の流れで読んでみた。
1884年の小説だけど、とにかく暗い。
いくらお金があっても、病気になるとネガティヴになる感じがリアルに書かれている。
そしてとにかく性格が悪い。金持ってるやつが性格悪いと最悪だっていうw
好きなのは
主人公のデ・ゼッサントが、歯医者が怖くてたまらないけど、引き下がれなくなって歯を抜く場面。(こわい!)
あと芸術作品をコレクションしているけど、その割に「最近の芸術は全部ダメ」とか思っているところ。「わかる、わかるよ!」と思った。
あとはまあ、この時代にベルエポックを準備してるわけだから、そこまで悲観的にならないで!って未来から -
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ネタバレ幸福と快楽の違いを知っていますか?
幸福は「苦痛を回避しようという傾向」そして「主観的なもの」
快楽は「進んで快楽を獲得しようとする傾向」そして「客観的なもの」
貧乏だろうが、自分が幸せだと思っている人もいる。
回復不能の病気であっても、ひたすらに神を信じていて、自分は天国にいけると思い込んでいる人は幸せかもしれないし。
昔の人が不便で、汚くて、不幸だったと考えるのも間違っている。
著者は幸福なんて存在しないという。
そんなものに憧れて、ため息をついているのなら、
まず実際に行動してみること。を説いている。
赤ん坊が笑う時、幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ。
哲学者アリストテレスも言っている「幸福とは実践である。」
精神分析学者のライヒによると、性交回数を自慢したり、誇ったりする男は、自分の強さや男らしさの証拠を示したいだけで、実際にセックスの快楽を十分に楽しんでいるのではない。
つまり勃起能力や射精能力を誇ったところで、一回ごとのオルガズムに達しなければ、そもそも性の快楽の意義はどこにあるのかと発言している。
どうすれば真の快楽を味わえるのか。
①誘惑を恐れないこと
―――飲む、打つ、買う、色んな誘惑がある。人を堕落させるものというイメージが強いが、いつも絶対に悪いものなのだろうか。良い悪いは誘惑を受けるものの態度遺憾だと思う。
誘惑を受けて変化するとしても良い方にいけばいいのだ。
影響されたから悪くなったのだ、などの考え方は卑怯だ。
強い人間だったら、これを自分の進歩発展のための有益な糧として消化していくだろう。
決心を努力を、接吻を抱擁を、あすに引き伸ばすことくらい、愚かなことはない。
②一匹狼も辞さぬこと。
―――「人のふりみてわがふりなおせ」、ふざけちゃいけない。他人は他人、自分は自分である。
いつも他人とくらべて、「こんなことしたら笑われないだろうか」「変に思われたりしないだろうか」などビクビクしている人は、すでに自分の主体性を喪失している。
大衆社会の疎外の産物である。
③誤解を恐れない。
―――真理であれ偏見であれ、わたしたちが一定の立場に立つ時、たとえその立場が他の多くの物と異なるとしても、これを気にするに及ばない。たとえ自分の立場が絶対多数の意見に一致しないとしても、遠慮したり撤回したりする必要は毛頭ない。
同性愛だろうと、なんだろうと誇れば良いのです。
④精神の貴族たること
―――強い精神が必要不可欠。戦後の民主主義では、貴族主義などは非難の対象になる。
やれ平等にしろ、やれみんな同じにしろ、同じに接しろ。
1個のりんごを10人で等分に分けた場合、もうそこには快楽はない。
⑤労働を遊ぶこと -
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あとがき、ことに、引用されたボードレールのことば、「あらゆる模様のうちでアラベスクはもっとも観念的なものだ」という一節が、テーマにも似て十二篇の物語を貫いているように思う。しかし、どの物語も、性行為との縁・無縁はおいて非常にエロティックであるように、私には感じられた。また、『遠隔操作』では、自分との類似をすこしだけ感じてふふっと笑ってしまったけれど、いかにも博学な澁澤龍彦らしい物語群であるだろう。あらゆる文章が知識によって裏付けられ、本来の意味での換骨奪胎とを成し遂げており、幻想文学たる条件を自ら示している。ふわっふわの現代小説に疲れたときに、とくに読み返したい。
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■ランプの廻転
三島が「遠野物語」を引いて、「物理的に物が動くことで幻覚・幻聴がリアルになる」と言ってるらしい。先日別の話で同じことを私も思ったのだけど、澁澤は更にもう一歩、「そりゃ話中の”現実”と読者の”現実”を混同してる」と突っ込んでて。はあ、おっしゃる通り。私も三島も(←同列においている)甘いわあ。
■夢について
秋成の奥さんは瑚璉さんというそう。
「論語」で孔子が子貢のことを「お前は瑚璉だよ」と言うシーンがとても印象に残っていたので、男性の名前だと思っていました。響きも字面も綺麗な名前ですよね。
■時間のパラドックスについて
露伴の「新浦島」とトマス・ブラウン「壺葬論」”を比較評論。”壺葬”ってどんなの!?なんだか蠱惑的。
■オドラデク
オドラデクの対抗馬は・・・なんと徒然草から。
「白うるり」って・・・読んでみたい。
■ウィタ・セクスアリス
荷風全開で、鴎外はあんまり出てきません。
■悪魔の創造■黄金虫
「日本作家論集成下」とダブる記述多し。
■円環の渇き
円環とか回帰とかでボルヘス・ニーチェってありきたりな感があるけど、案外この人が言いだしっぺなんだろうか・・・?我ながらイスラム圏弱し ><
アルフォンス・アレは面白そう。
■愛の植物学
植物と性愛の絡みって苦手で・・・ ^^; -
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やっぱマルキ・ド・サドはすごい過激だね。
神を否定し、悪徳を奨励し、殺人をも肯定する。
普通の人が読んだらまず嫌悪感を示すと思われるが、そもそもそういう人はこの本を手に取ることなど、人生のうちでないだろう。
もっと物理的に性的な行為が行われるのかと思ったが、抽象的な過激な思想について書かれた本だった。かなり過激な内容に思えたが、同意するわけじゃないけど、サドの深い考え方に感銘を受けた。
これだけ過激な考え方をしてたら、そりゃバスティーユ牢獄やら精神病院に入れられるわ(笑)
この本読んでると、若い人たちがあいつビッチだなんだ言ってたり、ヤることしか考えてねぇのかよみたいな発言が非常に陳腐に思えてきてしまう。(もうこの時点で毒され気味笑)
とりあえずこの本は友達には読んでほしくないし、誰にも薦めたくはないな(笑)
自分の人生で閨房哲学好きとか、サド好きとかいう人間に出会うことはあるのだろうか。いたらめっちゃ会いたい。特に女性。