澁澤龍彦のレビュー一覧
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あっという間の面白さでした。
下巻は、マンディアルグ、ジュネ、コクトーなど知っている文学作家ばかりなのですが、まだ読んだことがないので予習に良かったです。
横文字が盛り沢山、フランス語も盛り沢山で、ややペダンティック観は否めないですが、この本で
シュルレアリスム
という言葉の意味が解り、また個人的にもそちらの一派が好きなのが認識できました。
横文字が苦手な方は、無理かもしれません。
ほぼ、フランス文学が納めてあり、たまに例としてポオや江戸川乱歩、夢野久作などが出てくる位です。
では、次はカフカかマンディアルグかジュネを読もうかな…と、次に繋いでくれる作品でした。 -
Posted by ブクログ
大変面白く読みました。
西欧文学をもっと読みたくて手にしましたが、何という情報量!!
気になる作家を検索しても、ほぼ絶版状態で残念でした
が、それでも三冊は入手出来たのでまあまあです。
サドの「悪徳の栄え」やレアージュ「O嬢の物語」などのエロノトピアの意味が、マーカスの文章引用でよく分かりました。
即ち
エロノトピアには急に始まり、あとは突き進むのみで永続の終わりはない
ということが、ハッとさせられました。
だから、終わりが途切れた感じになっているのかと…
。
下巻の最後には、レアージュ「O嬢の物語」解説があるので、楽しみに読みます。
それにしても、癖になる作家だなあ、澁澤龍彦…。 -
Posted by ブクログ
これは意外と面白い本だった。
題名に『哲学』とあるので少々お堅い本かと思って手に取るも、なんの著者のざっくばらんかつ、筋の通った内容である。
快楽主義とは、一貫し『人間の本能、人間の欲望に忠実である』ことであり、ヘンな常識や風習に惑わされることなく、自然体であることを説く。
・進歩や発展のない生活には、みるべき快楽もまたない(コアラの退屈さと比して)
・常識に囚われることなく、「人間の限界をつきやぶり、人間を人間以上の存在にする。」
・「親子とか夫婦とかいった関係が、人間の自由な冒険的な生き方を拘束し、世の中をじめじめした不潔なものするということを、芸術家の直感でやっているのです。」岡本太郎
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Posted by ブクログ
ネタバレデ・ゼッサントは病弱な貴族の末裔で、パリを離れ趣向を凝らした屋敷で隠遁生活を送る。下女には修道女のようなボンネットを被らせて歩かせている。およそこの世の放蕩生活をし尽くした主人公は、ペイステギの仮面舞踏会を思わせるような葬儀のようなパーティー、喪の宴を開き、隠遁先では黄金の盾を背負わせ宝石をあしらった亀を飼い(すぐ死んでしまうが)や食虫植物や異形の熱帯植物を集め(すぐ萎れてしまうが)独自に香水を調合し、残虐な異端審問の版画やモローのサロメの絵画を眺めて暮らす。現実よりも空想を愛し、ディケンズを読んで薄汚れたどす黒いテムズ河のロンドンを訪れんとするが、パリで満足し引き返してしまう。
凡俗を忌み嫌 -
Posted by ブクログ
タイトル通りです。
残忍極まりない悪事と快楽、そしてカネに溺れることへの哲学小説。
平たく言うと、野蛮人の集まりです。
ですが、目からウロコもいいことに、並の人間では到底体験と理解に苦しむこの散々たる悪事にもなんと哲学や道徳がある!
この哲学小説のいいところは、どっちに転ぶか?ということと、感化されないこと、また、目で文字を追いながらの逆説的教訓になりうることだと思います。
野蛮人の哲学なんて洒落臭い!と思いがちですが、正直理解に苦しんだので、すっかりとは飲み込めませんでしたが、美徳も同じという紙一重的な描写には、大変考えさせられました。
善と悪とは何か?
悪はこれを読めば、うっすらと掴めるの -
Posted by ブクログ
澁澤龍彦の遺作。
貞観時代、高丘親王(67歳)は天竺へ船出する。
船は南洋をぐるぐる流され、夢か幻か現実か時間もあやふやに、怪奇幻想の世界へ。
病に倒れかけた親王は彼らしい方法で天竺へ向かう。
なんとなく鳥人間と航海のイメージでクラーク・アシュトン・スミスの「エウウォラン王の航海」を思い浮かべたが、まぁ、詩的、幻想的という意味でしか共通点はないかな。ちなみに鳥が人間のように支配する島の話です。
澁澤龍彦と言うとフランス文学の訳者と言うイメージで、小説を読んでいなかったのだけど、これは良かった。仏僧が天竺へ向かう話なのにむしろ、幼少期に憧れた女の跡を追っている親王でした。さすが。