吉村昭のレビュー一覧
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「咳をしてもひとり」「いれものがない両手でうける」が中学校の国語の教科書(三省堂)に掲載されている。それらは自由律俳句の代表作として所収されているが、そを作った俳人尾崎放哉(おざきほうさい)の晩年を、吉村昭が描いた伝記文学。
放哉は、東京大学を卒業したエリートで、俳人としても認められている存在だった。しかし、酒癖の悪さが原因で仕事を追われ、妻とも別れて、俳句同人の、井上を頼って小豆島に渡る。そこで、 寺の離れの庵守りとして暮らし始める。
放哉は、生活力がないので、島の名士の井上や寺の住職、島の外の俳句仲間に無心をする。相手のちょっとした態度にすぐに怒ったり、同じ相手にちょっと親切にされると、感 -
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へえー、巣鴨プリズンの話かあと思って読んでみたら、「羆嵐」の吉村昭さんでしたか。
巣鴨プリズンって名前は聞いたことあるけど、どんなところだったのかとかは全く知らなかったので、とてもためになりました。
サンシャインシティって、その跡地に建ったんだ……、それすら知りませんでした。
後半はほとんど刑務所の用をなさない感じだったんだなあ。
戦犯に対する思いは複雑。戦争になったのはお前のせいじゃ!と言いたくなるような人もいただろうし、罪もないのに一方的に犯罪者扱いされた人もいただろうし。
勝った側が一方的に負けた方を裁くっていうのもねえ……。本文にもあったけど、原爆落とした国にお咎めなしってどうよ。
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新潮文庫 吉村昭 「死顔」
「理想の死」をテーマとした遺作短編集。実際の著者の死(点滴とカテーテルを自ら抜いた死)が、正常な意思の中で行われた「理想の死」だったことがわかる
多くの家族や友人の死を看取り、多くの人間の生を描いてきた小説家の「理想の死」が、尊厳死と呼べるのか?生の放棄なのか ?考えさせられる
死顔を家族以外に見せないよう すぐ焼骨せよ、という願いも、人の死を知りすぎたゆえの配慮なのだろうか
著者にとって「理想の死」
*限界ぎりぎりまで 生きても苦しいだけだが、生きる努力を放棄すべきではない
*死期を自ら悟ったのなら、延命措置はせず、薬服用と食の拒否により自ら死を -
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特設監視艇長渡丸の乗員は、敵機発見の報告とともに敵艦に突撃を食らわせる予定だったが惜しくも船が沈没して捕虜となり、アメリカ各地の収容所での長い勾留生活が始まった…。
「生きて虜囚の辱めを受くることなかれ」
戦中の異常な思考回路に現代を生きる私は必死で理解しよう、ついていこうとするものの何度も振り落とされそうになりながら読み進めた。
敵機発見は特攻と死を意味するのに、そうなるよう祈る船員。国のために死ぬ名誉、捕虜となった屈辱や、日本は勝てると馬鹿正直に信じて疑わない姿勢。
今のアメリカナイズされたザ・民主主義ワールドに生きる甘ちゃんな現代っ子には、「なんでこの人達こんなに盲信できるんだろ」とい -
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久々の吉村先生。シーボルトの娘である楠本イネを主人公とする長編。いや、久々に疲れました。緻密な調査を元に、そこに自らのインタープリテーションを加えた吉村歴史ノンフィクション、基本的には好きでよく読んだのですが、このところちょっと離れてたせいもあってか肩が凝った(苦笑)。それと、イネの母でシーボルトの愛妾であったお瀧、イネの望まぬ子であった高子の女3人が時代に合わせて独白していくのだが、果たして昭和の男である吉村センセが理解する女心の描写が本当に本人の気持ちに近かったかな?とちょっと思った部分も少なく無かった。幕末をメインストリームとは違う観点から理解すると言う点では面白かったけど、出来れば同じ