あらすじ
インド洋を横切り、アフリカ大陸を回りこんで大西洋を北上する3万キロの隠密行!
第二次大戦中、五回に渡って行われた遣独潜水艦作戦の全貌を描いた著者最後の戦史小説
太平洋戦争勃発後、連合国側に陸路・海路を封鎖され、日本と同盟国ドイツとの連絡は途絶した。この苦境を打破するため、海軍は潜水艦を単独でドイツに派遣する“遣独潜水艦作戦”を敢行した。
マラッカ海峡を抜けてインド洋を横断し、アフリカ大陸を南下、喜望峰を回りドイツ占領下フランスの大西洋岸の港まで、はるか3万キロを連合国側の厳重な対潜哨戒網をかいくぐって往復するという、過酷極まりない作戦。
伊30、伊8、伊34、伊29、伊52。五次に渡る作戦の中で、無事に日本に帰還したのは第二次の伊8一隻に過ぎなかった。
「文藝春秋」連載中から大きな反響を呼び文藝春秋読者賞を受賞。そして本作が著者最後の戦史小説となった。
解説・半藤一利
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Posted by ブクログ
ドイツまでの3万キロを潜水艦で往来していたという事実に驚きました。片道2ヶ月以上、いつ敵に襲われるかわからない状態で、しかも狭い艦内で過ごす精神力。昔の軍人さん達はこのような過酷な状況下でも命懸けでお国のために任務を果たす姿に胸を締めつけられました。
また、読者にその時の状況を思い描くことができるほどの文章を書くには、とんでもない量の取材や綿密な調査をしていたのだろうと推察します。
それを1冊の本にまとめていただき、私たちは史実として知ることができています。感謝です。
Posted by ブクログ
どうしてこんなにも細かな記述ができたのだろうと思いつつ読んでいたのだが、巻末の半藤一利氏による解説を読んで納得した。作者は、何より当事者の証言を丹念に取材することを第一にして記述に取り組んだということである。
それは、長期間の潜航による艦内の様子など、まるで映画を見ているかのような、迫真の表現となって結実しているのである。
太平洋戦争のあまり知られざる一面を取り上げた作品として、特筆すべきものであると確信する。
Posted by ブクログ
「消耗」そんな言葉がずっと頭の中で反芻する。
日本人は1%の希望にかけるというが、本当に…。もし今後、これらの財産があったなら、もう敗けるのは当然だったのに…なんて「もしも」はないんだけれど。考えるのをやめられないくらい、息の詰まる本だった。
Posted by ブクログ
第1次訪独潜水艦として、数々の困難の乗り越え、復路の終盤に自国の勢力圏内に寄港するも、触雷して沈没した伊号第三十潜水艦。無償譲渡されるUボートの引き取り搭乗員を送り、唯一無事帰国した伊8潜。ドイツから譲渡され、帰航路途上で消息不明となった呂号第五百一潜。ペナンに向かう航路で、英潜に撃沈された伊34潜。寄港予定の港が敵国の侵攻で分断され、消息不明となった伊52潜。…狭い艦内で、酸素消費を抑えた窮屈な姿勢で過ごし。何か月も耐えたあげく深海に沈む。浮かばない命。戦争とはそんな犠牲者も出すという現実を突きつける。
Posted by ブクログ
太平洋戦争開戦直後に、帝国海軍はインド洋にて様々な軍事作戦行動を敢行したようです(コロンボ空襲、マダガスカル島攻撃、インド洋での通商破壊作戦等)。その中の一隻(潜水艦)が、インド洋から喜望峰を廻り(悪魔の南緯40度を超え)、大西洋に出てドイツ軍の軍港を目指し、無事に到達をしたという。帰りも英軍等の追跡を躱して大西洋を南下、喜望峰を廻り(再び悪魔の南緯40度を超え)、無事にマレーシアのペナンに戻っている(その後、事情を知らない大本営命令によりシンガポールに回航され、機雷に触れ沈没)。戦争中に五隻の潜水艦が日本(呉)から欧州を目指し、3隻が無事に欧州に到達、そして呉に無事に戻った潜水艦は1隻あるという(様々情報、機密物資、密命を帯びた士官等を満載しての長距離移動だった様子)。内にはエアコン無く、シャワーも無く、食料等の補給も無い中で、アフリカを廻り欧州へ、そして、欧州から日本へという航海を無事に果たした艦長と乗組員たちの物語であります。インド独立の闘士で有名なチャンドラ・ボーズは、欧州からインド洋までドイツの潜水艦に乗船、インド洋上で日本の潜水艦に乗り継いで日本にやってきた由。どうやってインド洋の真ん中で、二隻の日独の潜水艦は会合していたのか等、そんな知られざる事実を掘り起こした吉村昭の取材力に、☆四つです。
Posted by ブクログ
潜水艦の事は知らなかった。
2ヶ月以上艦内に篭ったまま作戦を続けるなど
敵がいて危険な時は艦内の酸素が無くなるギリギリ
まで潜るなど大変な苦労だと思った。
無謀と思われる作戦も潜水艦の場合は
亡くなっていく兵隊は逃げ場が無く全滅、
今も戦争はあるが悲しい事です。
Posted by ブクログ
いつもながら著者の綿密な調査と淡々特にした筆致に、戦争体験者の執念と気迫を感じる。深海に没した潜水艦乗組員の過酷且つ惨憺たる状況を、活字を追いながら想像し艦員の心情に思いを馳せた。ドイツとの密なる関係も、歴史の小片だったが本書により実感を伴うものに上書きされた。日本国のために死力を尽くした英霊に心より敬意を表す。
Posted by ブクログ
太平洋戦争末期、同盟国ドイツとの物理的な交流は潜水艦での往来しか手段がなくなっていた。片道2ヶ月を要する航海の苦悩を描いた小説。
氏の小説は過度な脚色はなく、史実にのめり込めるのが良い。
Posted by ブクログ
第二次世界大戦中、同盟国であるドイツとの通商が断絶されたため、長距離航空機や潜水艦によって命掛けの連絡を試みる作戦。
戦局挽回のためにはお互いの資源、技術が必要だが、成功率はかなり低い…。
潜水艦乗りの想像を絶する苦闘と、成功した時の安堵感が伝わる
Posted by ブクログ
再読。
第二次大戦の、まさに知られざる裏側。
潜水艦の往き来とヨーロッパに残された日本人。
そして、海に空にと何とかして確保しようとした交通路。
その緻密な取材はこの作者ならではである。
ただ、登場人物の名前が多すぎるなぁ…
Posted by ブクログ
第二次世界大戦の際、日本とドイツ占領地区を往復した(或いは、往復しようとした)日本海軍の潜水艦の話。
最終的に往復に成功したのは、2艦。その他は、途中で撃沈されたり、事故によって失われたりしている。
制海権を失った下で、アジアからヨーロッパに行くのは何とも過酷。片道約二ヶ月ほどにもなり、その間、敵の攻撃に神経の休まる間もない。水も当然のことながら少なく、最後の方には体から異臭を放つほどである。
チャンドラ・ボーズが、ドイツから日本にやって来たのも、遣独潜水艦に便乗してのもの。それはそれで、中々凄い。
Posted by ブクログ
太平洋戦争の戦前、戦中に、同盟国であったドイツに派遣された多数の潜水艦について書かれた作品。
こういった事実があったということを今まで全く知らなかったので、興味を持って読むことができた。
ただ、多数の潜水艦が登場しても、潜水艦内部での苦闘などに大差があるわけではないので、この記述はさっきもでてきたなと思う部分がいくつもあった。そのため途中まんねりに感じた部分もあった。
しかし、こういった普段光が当たらない歴史に、目を向けた作者はすごいと思う。
Posted by ブクログ
またまた自分の不勉強が発覚。同盟国であるドイツと潜水艦で行き来していたとは・・・!事実を淡々と書いてあるのだが、なぜか引き込まれていく作品です。
Posted by ブクログ
第二次世界大戦中、日本からドイツまでの連絡ルートの開拓と技術交換のため、連合国の封鎖下にあった大西洋を通って数次にわたって潜入した潜水艦の苦闘を描いた作品。潜水艦の過酷な任務、敗戦前後の在独邦人の大変さなど、読んでいて苦しくなる。改めて戦争は悲惨だと思わされる。
Posted by ブクログ
第二次世界大戦での太平洋上でのミッドウェイ海戦、ラバウル、ガダルカナル等の島々での悲惨な戦いは知っていたのだが、日本からドイツまで潜水艦で往来していたなんて、本当にビックリしました。詳しく、詳細に描かれており感動しました。
Posted by ブクログ
第二次大戦下、遥かヨーロッパまでの航海に挑み続けた旧日本軍の潜水艦群の奮闘を、娯楽作品として盛り上げようなどという意図は皆無、ただただ状況説明に徹して綴り上げたほぼノンフィクション。
決して読み易くはないが、自分の中で読み方が定まってくればグッと入り込むことができる。
Posted by ブクログ
第二次世界大戦下、孤立した日本の同盟国は日独伊三国同盟を結んだ、独伊。
戦時下においても、日独両国間の連絡は密に行われてはいたが、各々持つ優秀な技術、重要な情報、そして人材を直接受け渡す手段としては、日独両国が保有する潜水艦であった。
中でも、太平洋を巡行し長大な航続距離を持つ日本の潜水艦が、果たした役割は大きい。
インド独立に大きな役割を果たしたチャンドラ・ボースは、この潜水艦ルートを使って欧州から日本を経由して、インドに入ることになる。
昭和20年8月、日本の敗戦によって、潜水艦隊は解体され、失われることとなった。
Posted by ブクログ
第二次世界大戦中、同盟国であるドイツとの輸送ルートを確保するため潜水艦がひそかに活躍していた。
遥か離れたドイツへの往来を目指した潜水艦を描く。
Posted by ブクログ
大戦中、杜絶した日独両国を結ぶ連絡路を求めて、連合国の封鎖下にあった大西洋に、数次にわたって潜入した日本潜水艦の決死の苦闘を描いた力作長編!
とのことです(裏表紙より)。
第二次大戦中、潜水艦で日本とドイツを行き来していたなんて知らなかったです・・・。
しかも、そのルートが凄い。日本から直通でどこにも寄港せずにはさすがに行けませんが、寄港できる場所も限られてるんで、数ヶ所寄港するだけでドイツまで行かなきゃいけない。
伊号第八潜水艦に至っては、日本を出発して、シンガポール、ペナンに寄港して、もうそこからノンストップでドイツへ。もちろん喜望峰を迂回。どえらいルートです。
さらに、その航海途中も、連合国の領海だったりすると、容赦なく攻撃されて常に危険に晒される。潜水艦なんて、攻撃を受けたらもう沈むしかない感じです。沈むようにできてますから。
かと言って、ずっと深海に沈んで進んでいると、速度も遅いし、空気も汚濁していくそうで・・・。どうしたって何度かは浮上しなければいけないみたいです。でも浮上したらしたで攻撃の危険に晒される・・・。
潜水艦に乗ること=死の覚悟、って感じみたいですね。
よくこんな危険な旅をしたなあとほとほと感心しましたが、この時はこれ以外の選択肢が無かったんでしょうがないですね。(航空機の場合、ソ連領空を侵害することができないため迂回ルートに→寄航地点が限られる→そこまでの長距離飛行に耐えうるものがなかったてな按配です)
以前、広島の呉市に行ったとき、海上自衛隊資料館で潜水艦の中に入ったのですが、結構狭かった記憶があります。
潜水艦自体はとても大きくて、おおおお!って感じなんですが、艦内は機械系の設備がいっぱいで、通路とか寝るところのスペースは限られてました。今でもこんな感じなんで、戦前の潜水艦はきっともうちょっと限られたスペースなんでしょうね。
こんな中に数ヶ月間・・・
しかも暑い地域を通るときには、艦内の温度が上がってサウナ状態になるし、お風呂も入れないので全身に垢がこびりついて異臭がするとか・・・潜水艦生活についても記述があり、当然のことかもしれませんが全然考えたことがなかったので驚きました。
(今の潜水艦には、シャワー施設やトイレもついてたんですが、真水の量とか限られているんでしょうね)
いやはや。潜水艦の存在自体、なんだか信じられない気分ですが(あんな鉄の塊が水の中を進むなんて!)潜水艦の死闘に驚かされました。
それにしても、どれほどの潜水艦・戦艦と人命が海に沈んでいるんだろう・・・。これを読むだけでも、戦時中、海の中へ沈んでいった人々はかなりの数にのぼることがわかりました・・・。合掌。