【感想・ネタバレ】新装版 白い航跡(下)のレビュー

あらすじ

海軍軍医総監に登りつめた高木兼寛は、海軍・陸軍軍人の病死原因として最大問題であった脚気予防に取り組む。兼寛の唱える「食物原因説」は、陸軍軍医部の中心である森林太郎(鴎外)の「細菌原因説」と真っ向から対決した。脚気の予防法を確立し、東京慈恵会医科大学を創立した男の生涯を描く歴史ロマン。(講談社文庫)

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Posted by ブクログ

またも面白くて一気読み。
脚気予防には海軍医高木兼寛が推奨する麦食、陸軍医と帝国大学医学部が推奨する米食の戦いが下巻の主なストーリー。
麦食にして脚気病者をほぼ皆無にした海軍実績があるのに、ドイツ医学を重んじるあまり大量の病死者を出し続けてる陸軍に腹立たしくなった。その意地に犠牲となった兵士が気の毒でならない。
高木兼寛の晩年は呪われてるのかと思うほど悲しい。

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2025年06月08日

Posted by ブクログ

上巻は主人公よりも周りの歴史背景の記述が多くて読みにくかったけど、下巻は「脚気」を治療するには…についてあれこれと試行錯誤しながら、関係各所に進言したりと読み応えあった。
文豪として知られる森鴎外の登場には驚き。

小説中では米(白米)より麦(精製されてないのかな?)が良いとされていたけど、現代ではグルテンが腸に良くないなど…時代が変われば色んなことがわかってくる。

それを一から(今のような環境では無いところで)発見するとは骨の折れたことだろう。

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2024年06月01日

Posted by ブクログ

 著者による「あとがき」を読んで、この小説が出るまでは、主人公のことはあまり世の中に知られていなかったのかも知れないと思った。
 こういう人物のことをきちんと掘り起こして描くというのが、吉村昭の小説の面白さだろう。
 司馬遼太郎も面白いけれど、50歳代になって、吉村昭の小説が面白く感じるようになってきた。

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2016年11月12日

Posted by ブクログ

既存の学説に依って立つ

これは新たな発見に至る常套的な手段だ。

ただし、どの学説を足がかりにするかの選択は、平明な視点でなされなくてはならない。

この本で取り上げる脚気予防に関する陸海軍の軋轢は、権威に盲従的に、あるいは組織の対面(という名の権威)を優先することがいかに愚かで、ときには多くの悲劇を生み出すかという教訓に満ちている。

学問は何のためか、研究は誰のためか、研究者はそれを忘れてはならない。

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2012年03月29日

Posted by ブクログ

高木兼寛は海軍に脚気が多いことを気に病み調査をしたところ白米中心の食事が原因であると推察した。食事の因果をはっきりさせるために軍に麦飯を導入し比較するよう進言するも白米という贅沢品をやめることに抵抗があった海軍はなかなか承諾しない。兼寛は明治天皇にまで提言し艦艇筑波にて実験を行うことができ白米が脚気の原因であることを突き止める。しかし森林太郎を中心とする帝国大学医学部界隈はドイツ医学の流れをくみ脚気は細菌によるものであると説を立て兼寛の説と対立する。帝国大学医学部出身者が多かった陸軍では依然白米が食事の中心としており、日清戦争・日露戦争では多くの脚気患者を出す一方で兼寛の説を受け入れた海軍では脚気患者はほとんど出なくなった。以上のような功績を上げたものの帝国大学医学部の学閥と説が対立したことから日本ではそこまで評価されることがなく陸軍軍医の方が賞をもらっていることを憂いた兼寛は明治天皇崩御をきっかけに一般人に向けての講演や禊などを多く行うこととなる。その後鈴木梅太郎がビタミンを発見し世界でも脚気はビタミンBの欠乏によるもので兼寛の説は正しかったことが証明されていく。南極大陸に高木という場所があり脚気の原因究明に貢献したことから名付けられたらしく世界ではしっかりと評価されててよかった。
僕もこの小説を読むまで高木兼寛という人物について全然知らなかったしこんな功績があったんだと勉強になった。兼寛がイギリスで見た貧困者にも医療を届ける医療体制に感銘し東京慈恵会医大を設立したのも意外だった

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2025年03月13日

Posted by ブクログ

帰国後の活躍。下巻に入っても上り調子は続く。日本の風土病とされた脚気。治療法の追求。仮説。確信。戦艦訓練での実験。許されぬ失敗。結果を待つ。成功の知らせ。地位は揺るぎないものになるはず。しかし、そこに立ちはだかるものが。二度目の世界大戦まで続く陸軍という病。…精力的に働きながらもその晩年はどこか暗い。慈恵病院の設立・生命保険の創立・看護教育の充実。偉大な業績を上げながらも現代では高木兼寛という名を知る人は少ない。…多くの人が気づきながら公に正解が認められない。今もあるその構造。それは日本の風土病なのか。

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2023年04月27日

Posted by ブクログ

複数巻の長編を平行に読破しよう月間消化期間。残してるのはあと2作くらいかな?

イギリス留学から帰ってきた高木兼寛。海軍の医師となり、最も直面すべき課題としての「脚気」の撲滅に向け、仮説を立て、食事療法によって現実に発症者を激減させるのだが…。

科学的な衝突が出てきて、俄然面白くなってきた下巻。個人的に最も面白いのが、森鴎外(林太郎)と東大が、科学的根拠をはっきり示した脚気の原因と療法について長年批判と黙殺を続け、何万人もの日本兵を見殺しにした悪役として描かれている所。北里柴三郎も同じ穴の狢。森鴎外が好きでないので。

現在の科学と違い、即日的に評価が広がらないことで、結局30年して退職しても、功績が認められないことや、海外での非常に高い評価が全く日本に伝わってこないという点がもどかしい。

途中に日清日露戦争や、明治天皇崩御他、様々な歴史的イベントが起こっていたり、その中で政府が陸軍(東大閥)寄りに偏っていく話も面白いのだが、やはり職業柄、研究に関した所を面白く読んでしまう。逆に人事だの戦艦の名前だの、他の人が注目しそうなところは流してます。

正しいことが、政治的に潰されてしまうという読み方もできようが、その中で陸軍と海軍で全く別の思考が出来るということが、この時代の魅力なのではないだろうか。

また、当時は「天皇は絶対であった」と教科書的には習うものの、天皇が何を選ぶのかは天皇次第であったり、天皇が高木の主張を納得して取り入れていても、政府や陸軍は東大のことしか聞かなかったりする。さらに、政府がどう言おうと現場からの意見が多ければ認められたりするわけで。

教訓としては
「歴史とは学校で習うとおりではない」

で締めさせていただきたい。

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2017年08月19日

Posted by ブクログ

歴史が苦手でも平気です。

色んな事が書かれています。
勉強になります。
こんな本が読みたかった!と思える作品でした。
森鷗外のあたりは悶々しますねー

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2015年04月05日

Posted by ブクログ

 明治期の軍隊での大きな問題であった脚気の対策予防に成功した高木兼寛の物語というか伝記である。宮崎の大工の子だが医師を志し、戊辰戦争に従軍したものの満足に医師の役目が果たせなかったことにショックを受け、さらに努力し海軍軍医トップに上り詰める。
 この時期の人に見られる尋常ではない努力と客観的な洞察力で脚気という大きな問題を解決に導く。また、慈恵医大を創立し、看護婦の養成にも取り組んだ。それでも晩年は評価されなかったことで鬱屈していたようだが、現在でもまだまだ評価が不十分であろう。
 それにしても、敵役の陸軍と東大医学閥と森鴎外の厭らしさは何だろう。今に至るもその残滓が感じられるのは、高木の業績があまり知られていないことにも現れていると思う。

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2014年03月16日

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ネタバレ

若い時期の高木兼寛が本人の才能、実直さと周囲の人間のサポートとを得て活躍の場を広げていく様を描いた上巻とは異なり、下巻では、明治期の海軍、陸軍を襲った脚気の惨禍に対する関わりを中心に、兼寛の事績や関連する森林太郎(森鴎外)などの人物との葛藤などが話の中心となっている。記録が多く残る近代の実在人物を描くと読者が求めるような魅力あるストーリーにはならないことは仕方ないが、やや記録文学の側面に偏り過ぎていて面白みに欠けたため下巻は5段階中3の評価に。

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2017年03月27日

Posted by ブクログ

明治時代、脚気撲滅をはじめ日本の近代医学において尽力した医師高木兼寛の生涯。海軍での兵食改善にいたる経緯、当時のドイツ医学とイギリス医学の派閥などが興味深く描かれている。偉大な功績にもかかわらず国内で評価されず、家庭内の不幸も重なり、晩年は幸福ではなかった。

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2013年03月29日

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