吉村昭のレビュー一覧
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一作目「仇討」
天保九年からの幕末期。叔父と父親を殺害された熊倉伝十郎。藩に許可を得ての作法通りに臨んだ仇討。
二作目「最後の仇討」
慶應四年から明治十三年という幕末から維新年間。周囲の反対を避け少年期から惨殺された父母のために密かに抱いた臼井六郎の仇討の道程。
約35年間の違いのある二件の仇討。
社会や法が変化しても葛藤や挫折を繰り返し仇討というものに臨む日本人の変わらない姿があった。日本人が長い江戸期に積んできた美徳というものは、一瞬一瞬に訪れる社会や法の変化では変えられない根強いもののように感じた。
さすが吉村昭と感服させられるような、歴史的事実をまざまざと感じられ、考えさせられる一 -
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高松凌雲の伝記。久留米に生まれた凌雲は医師となり徳川昭武らと共にパリの万国博覧会へ参加する。そこでパリにある神の館と呼ばれる病院を見学し、貧富に関わらず治療を行っていることに感銘を受ける。フランスで西洋医学を学ぶ中、日本では慶喜が大政奉還し変革の時期を迎える。凌雲は帰国後幕臣として戊辰戦争に参加し、榎本武揚らと共に箱館へ行き官軍と戦をする。凌雲はフランスで培った医術で多くの戦病者を治療することとなる。官軍が勝利したことで病院内に官軍が侵入し敵側であった傷病者を殺そうとするが凌雲は戦争において傷ついた兵士は敵味方関係なく手厚く扱うという西欧の考えに基づき患者の殺生を止めるよう説得する。官軍である
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江戸時代にロシアへと漂着した日本人が、初めて帰国できたという魅力的な史実を題材にした、井上靖さんの『おろしや国酔夢譚』との違いを知りたくて、こちらはフォローしている方に教えていただきました。改めまして、ありがとうございます。
まず読み始めて気付いたのが、井上さんの作品では「大黒屋光太夫」ら総勢17名を乗せた神昌丸が出帆したという表記のみで、出帆前の彼らについては全く触れていなかったところを、吉村昭さんの本書ではじっくりと描写している点で、白子浦の繁栄は家康のお陰といった歴史的繋がりも興味深い中、沖先頭の光太夫の半生について、幼い頃から知識欲が旺盛であり、神昌丸に自身の手荷物として浄瑠璃 -
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重厚な歴史小説や記録文学の印象が強い著者だが、こちらは昭和30年代から40年代の初期の作品集で、短編6編を収める。表題作は第2回太宰治賞を受賞している。
緻密さよりはロマンティシズムが勝る。少年期から青年期のどこか透明な空気感。しかし、そこに「死」の影が色濃く映し出されている。
戦後しばらく経っているとはいえ、これは戦争の影響なのではないだろうか。あるいは、戦時中に少年期を過ごし、戦中・戦後に若くして両親を亡くし、自身も大病を患ったことがある、著者の心象風景から来るものか。
1作目、「鉄橋」は、若きボクサーの謎の死。前途洋々に見えた彼は、列車に轢かれ死亡する。果たしてそれは自殺なのか事故なの -
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1973年第21回菊池寛賞
「戦艦武蔵」「関東大震災」など一連のドキュメント作品に対して
大日本帝国海軍 最後の戦艦(でいいのかな?)
武蔵のその建造から最期までを
記録文学の新境地
解説者曰く 日本人の集団自殺を思わせる
巨大な戦艦を ものすごい技術だと思うのだけど
材料の調達から造船まで愛国心と根性で作りあげてしまうような 狂気に近い当時の状況
進水してからは 建造から戦闘へと記録が変わる
作者のあとがきから
戦艦武蔵の建造日誌を友人から借用したとのこと
建艦に携わった技師が焼却するべきものを秘蔵していたものだとのこと
建造に関わるあらゆる種類の多くの数字が 現場に近い記録から起こ -
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読む度毎回息苦しくなる作品。
黒部ダムには、家内と何年か前に観光で訪れているが、この本を読んでから訪れていたら、旅は自ずと全然違う印象を我々に残したであろう。
日本のインフラ工事とは、こんなに原始的であり、経済的強者が弱者の命すらその達成の犠牲にしたのか、という理不尽な気持ちに苛まれた。日本の歴史を学ぶといつも付きまとうやるせない心情である。
金持ちと貧乏の命の重さが違う。
それが、隧道の中と外で非常によく描かれている作品。
名も無い貧しい人達の命によりなし得た偉業。
果たして、今ならこんな工事は許されたであろうか?
パワハラ、いや、そんなものとっくのとうに超越している!
この工事を