吉村昭のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
神奈川県を舞台とした小説の一つとして。
タイトルの通り、幕末の大きな事件の一つである「生麦事件」を扱った歴史小説です。
作者の吉村昭は『羆嵐』などで有名ですが、史実に基づいた精緻な描写がこの作品でも展開されています。
幕府や薩摩藩の対応を批判するのでもなく、かといって賛美するのでもなく、冷静な視点から描かれており、戦闘描写・外交交渉の様子などもとてもリアルに感じます。
特に、事件についての久光の主張「生麦村の事件については、家臣が外国人に斬りつけたのはやむを得ぬことと久光はその行為を是認していた。大名行列は、班の威信をしめすもので、藩士たちは身なりを整え、定められた順序に従って整然とした列を組んで進む。それは儀式に似たもので、その行列を乱したものは打果たしてもよいという公法がある。日本に居住する外国人たちは、日本で生活するかぎり、その公法を十分に知っているべきであるが、殺傷された外国人たちは下馬することもなく、馬を行列の中に踏み込ませるという非礼を働いた。それは断じて許されるべきではなく、斬りつけたことは当然といえる。▼しかし、国情のちがいからニール(英国代理公使)が憤激し、強硬な態度で激しい抗議をしているのも無理はなく…」もわかりやすくまとめられていましたし、生麦での事件そのものの描写も、殺傷された外国人の前には「礼儀」を守った外国人がいたことなども描かれているほか、「無礼」な4人の外国人たちにも悪意が無かった(意図的に行列を軽視して列を乱したわけではなかった)ことなども描かれていて、興味深く読むことができました。
一方で、やや、長州藩に対しては少し批判的な印象も受けました。
事件勃発から。薩英戦争前夜までが上巻では描かれています。
【下巻に続く】 -
Posted by ブクログ
ゴールデンカムイという漫画に影響され、網走旅行中に購入。
明治維新後、国事犯や民権運動により囚人が牢獄に収まらなくなった。またソ連南下の脅威を感じている日本政府。そこで囚人たちに北海道開拓をさせることに。「苦役に絶えず死ねば国の出費も減る」とのこと積極的に囚人が送られた。
現地の労働は超極寒の中、履物や手袋、食料までもが十分に支給されず命を落としていく。北海道に囚人が送られることは死と同義と言っても過言ではなく、自暴自棄になり脱獄を試みる囚人も多数。
旭川から網走に道を一本作るのが一番過酷だったよう。交通網が国力に直結するのは理解できるが、国のために命を落としていく囚人を思うとやるせなくなる。
この本は有吉が網走監獄博物館で買った。網走から旭川への帰路、この道は囚人無くして存在し得なかったと考えると囚人といえど頭が下がる思いである。 -
Posted by ブクログ
太平洋戦争末期の日本を、少年の目を通じて描いた5篇からなる短篇集。舞台となっているのは、樺太、瀬戸内海、沖縄、サイパンなど、辺境の地である。これまで戦争とは縁がなかった地域が突然、最前線となり、日常と戦争との境目が極めて曖昧で紙一重である状況が描かれている。普通の生活を送っていて、突然戦争の影がそこに忍び寄っても誰もがそれを目の前に迫る来る現実的な危機とは捉えることが出来ずにいる様がそこにはあった。そして、自分や家族がどのようにするかという判断のほんの少しの些細な差が、生と死を分ける無情な結果がその先に待っているのである。戦争と日常が背中合わせである中、誰もがそれを現実として受け止められないままいつの間にか戦場のど真ん中に引きずり込まれた様子を通じて、作者は当時の日本中の空気感を描きたかったのかと思う。
-
Posted by ブクログ
黒船の来航してからというもの、どうも弱腰を隠せない徳川幕府は
鎖国にこだわる朝廷をなだめるのでずっと手一杯だった
その間
新しい日本の主導権を握ろうと、野望を燃やす薩摩・長州は
勝手にイギリスと組み、近代的な軍事力を得て
大政奉還・王政復古を成し遂げたあとにも飽きたらず
旧幕府殲滅計画を着々とすすめていた
そんな薩長を、朝廷も支持したというのは要するに
強いものになびいただけの話
…というのでもなくて
婚約者を将軍に奪われた人の私怨が大きく絡んでいたらしいのだが
いずれにせよ朝廷が
現実の武力に対してなすすべのなかったことに変わりはなかった
しかしそれでも…いや、だからこそ
旧幕府派の志士たちはあくまで尊皇の立場を重んじ
賊臣薩長を打ち倒すという大義名分のもとに結集したのである
それが彰義隊の誕生だった
その頃、徳川家の墓所を守る寛永寺では
皇族出身の、輪王寺宮が山主を勤めていた
徳川と関係が深く、江戸が戦火に包まれることを望まない輪王寺宮は
進入した薩摩武士から治安を守っている彰義隊を
非常に好ましく思っていた
しかし、あくまで江戸の完全支配を目指す新政府は
大村益次郎を擁し、彰義隊壊滅のための戦をしかけた
彰義隊は、寛永寺のある上野東叡山を拠点に抵抗したが
あえなく敗走した
輪王寺宮も、そこを脱出するしかなかった
その際、人目につくことを避けるため
彰義隊隊士からの警護の申し出はすべて断った
例えば、最後まで兵たちと運命を共にした西郷隆盛に比べ
それは冷たい対応だったかもしれない
…などと思う読者がいてもおかしくはないが
貴人だからそういうもの
輪王寺宮に西郷のようなロマンチシズムはなかった
ただ、宮の場合は
私情混じりの動機で他者をひたすら排除しようとする者たちへの怒りが
抵抗の理由になった
その怒りによって彼は武士階級と結びついていた
同じく私情を振り回していることに変わりないとはいえ