下巻は第2部『東京箱根間往復大学駅伝競走』。主な登場人物は上巻から引き続き。構成は11章からなる。箱根駅伝10区間とどのように構成が重なるのだろうか、楽しみ。
第1章『大手町スタートライン』。スタートラインに立つ緊張感と、1区のランナーならではの心境が伝わってくる。面白いなと感じたのは、テレビ局スタッフや解説者たちのやりとり。テレビ放送では見えない部分の想像が膨らむ。人が関わる仕事では、その人間関係が大きく影響する。それは、どの仕事でも起こりうることだろうな。みんなが同じ考えではないから。テレビ局の中心人物は、チーフ•プロデューサーの徳重亮とチーフ•ディレクターの宮本菜月。チームスタッフは1000人。私が知らない世界であることも重なり、とりまとめる苦労にイメージが追いつかない感覚がある。
優勝候補の大学は、青山学院、東西、関東の3校。実在する大学も含まれていて、リアルと想像が混在する作品世界の面白さを感じる。
上巻から続いて、物語の中心となる大学チームは関東学生連合。1区は諫山天馬、所属大学は品川工業大学。率いる監督は甲斐真人。甲斐の指導はどのような結果を生み出すのか、その顛末も楽しみになる。そんな甲斐のことを面白くないと思っているのは、東西大学の平野監督。かつての関係も加わって、平野監督にとっては相容れない感情が表に出ている。反対に甲斐は冷静。そこが対照的で面白い。平野が熱くなればなるほど甲斐は冷静になっている。達観している感じで、かっこいい。
天馬のレースは苦しいものが伝わってくるが、走っている最中に浮かぶのは家族のこと。支えてくれて応援してくれて、箱根で走ることを楽しみにしてくれている父親のこと。そんなものを背負って走っている天馬。この章の最後は感動的なシーン、そこでは順位やタイムは明らかにならない。このあたりは池井戸さんの表現なのだろうな。楽しみになる。
第2章『立ちはだかる壁』。この章の冒頭で1区の順位が明らかになる。私の想像とは違ったが、そこも含めてこの先の展開が楽しみになる。こうした構成に池井戸さんの作品の面白さがあると思う。
2区は村井大地、東邦経済大学3年生。2区は箱根駅伝のエース区間と呼ばれている。各大学のエースが競い合う。その様子が伝わってくるような表現が続く。今まさにレースが行われているかのよう。大地の前を行く東西大学は、同学年の青木が走っている。同学年がゆえに、大地にはこれまでの陸上大会の結果から負けたくない気持ちと、勝てないという気持ちが交錯しているよう。何度戦っても勝てない相手がいたら、どんな気持ちで臨むことができるのだろう。難しい心境が窺える。それでも、駅伝となると個人の戦いを超えたものがあるから、ペース配分も難しいだろうな。無理をしすぎるとペースダウンにつながるだろうし、無理をしないと自己ベストは出ないだろうし。戸塚の中継所へ向かう描写は、大地の力走が伝わってくる。
大地から襷を受け取った3区は富岡周人、目黒教育大学4年生。周人が目指していた大学は東西大学。それは父が進んだ道で、父への憧れもあったからだった。近づきたいのに敵わない存在が父だったら、それは苦しいだろうな。しかも、父からの諦めの言葉をかけられたら、耐えきれくもなるだろう。それでも周人は箱根を走るところまで努力した。そこに凄さを感じる。父とは違う道、理想の道とは違う道、それでも夢を諦めずに努力した周人が箱根を走っている。その姿を想像すると込み上げてくるものがある。次の走者、内藤星也に襷が渡る。
第3章『人間機関車』。星也は関東文化大学2年生。スタート前から体の異常を感じていた星也。星也の走りを見て異変に気づく甲斐監督。その上、空からは雨が。過酷な状況が伝わってくる4区。星也は後続に抜かれ順位を下げていく。苦しい展開が続く。それでも、襷をつなぐことが走る力になる。それが箱根駅伝なのだろうな。
第4章『点と線』。5区は箱根駅伝の勝負を分けると言われている山登り。往路のゴールである箱根を目指す。粉雪が降る過酷な状況が、白熱したレースの描写が想像世界を広げていく。関東学生連合チームの第5区は倉科弾。快走で順位を上げていく。実況中継の描写も興奮を掻き立てる感じ。給水ポイントで給水役を担った、弾の大学のキャプテン。弾にかける言葉が胸を打つ。自身は叶わなかった箱根駅伝の舞台を後輩の弾が走っている。複雑な心境の中で、魂の言葉が響く。美しいなと思う。弾の快走は、関東学生連合チーム全体に勇気を与えるものとなった。心地よい読後感。復路の激走が楽しみ。
第5章『ハーフタイム』。往路を終えた後のテレビ等の監督インタビューや監督同士のやりとりの場面。1位は平川監督率いる東西大学。5区のランナーが区間1位となり逆転した。しかし、表情は冴えない。その原因は関東学生連合チームの躍進にあった。平川監督は甲斐監督の学生時代からのライバルであり、甲斐監督が急遽監督として関東学生連合チームを率いて箱根駅伝に参加していることが面白くなかったのだ。全くの個人的感情。そのような感情に囚われていると、冷静な判断はできなくなるだろうな。それを、甲斐監督は冷静に見抜いているようにも感じる。いずれにしても復路の展開が楽しみでたまらない。いよいよ決戦の復路へ。
第6章『天国と地獄』。6区のランナーは猪又丈。6番目にスタートする。箱根の山下りを順調に飛ばす丈。しかし、雪がちらつく難しいコンディションの中での走りとなった。それでも、快調に飛ばし順位を上げていく丈。ところが、思わぬアクシデントにより転倒してしまう。読みながらハッとなるほどの衝撃を受ける。大丈夫ではなさそうな状態で走る丈。その様子を見事に伝えるメインアナウンサーの辛島。その実況は映像が浮かんでくるほどに、私の心を熱くする。涙がこぼれそうになる。読みながら、頑張れと祈る。順位を下げながらも、なんとか襷をつなぐ丈。心の底からよかったと思う。
第7章『才能と尺度』。7区のランナーは佐和田晴。当日のエントリー変更で晴が抜擢された。そこには、甲斐監督の選手を見定める独特の眼力があった。その期待に応える晴の激走が描かれる。雨の中の飛沫が感じられるほどに。晴のここまでの道程は、平坦ではなかった。ただ、粘り強く自分を信じて、自分の特徴を活かすために努力を積み重ねていた。愚直に。そんなエピソードが胸を打つ。応援したくなる。晴の激走はチームの順位をさらに上げていく。ゴールに向かって、さらに私の期待が高まる。
第8章『ギフト』。8区のランナーは乃木圭介。京成大学1年生。京成大学は予選会で敗れて、本大会出場は叶わなかった。その中で、圭介は関東学生連合チームに選出され、8区を走っている。現在5番目という順位。関東学生連合チームはオープン参加のため、正式な順位や記録には載らない。しかし、走っている選手たちの気持ちは、そんなことは関係なく、ただ自分たちのためにチームのために、そして出場が叶わなかった多くの大学の同じ志を持つ選手たちのために走っていた。とても明確で単純で、だからこその走りのように私の想像世界が広がる。上位校の選手たちは名だたる有名な選手たち。その選手に気後れしない堂々とした走りを見せる圭介。邪心はなくただひたすらに走っている感じが爽快。スピードも感じる池井戸さんの描写に魅了される。そして、最高の結果が圭介にもたらされる。それは、この後を走る2人にも引き継がれるだろう、そんな思いが私に広がり、圭介の走りにただ感動した。
第9章『雑草の誉れ』。9区のランナーは松木浩太。青山学院に次いで2番目で襷を受け取った。この9区は全区間で最長距離であり、各校が力のある選手を送り出している。浩太のプレッシャーはいかほどだろう。初めての箱根駅伝であり、4年生の浩太にとっては最後の箱根駅伝。このために大学に進学し、練習を積み重ねてきた。喜びの大きさは計り知れない。だが、素直に喜べない状況が浩太にはあった。所属する大学の北野監督との確執、浩太の実家で祖父の代から継がれてきた飲食店の閉店。どちらも、浩太の心に暗いものを広げていた。走ることに専念したいだろうけれど、心に抱えたものは個人によってさまざまだ。メンタルがいかに大切かを考える。その胸のうちを図るように、甲斐監督が浩太に声をかける。心の暗雲が消えて光が差し込むように。さらに感動場面が訪れる。給水ポイントで、給水係として浩太に駆け寄ってきたのは北野監督。浩太の驚きがわかる。私も予想外の展開に胸が高鳴る。北野監督の厳しくも温かい檄が浩太に響く。私の心にも。目頭が熱くなる。心が軽くなると走りも変わるのだろう、そんなことを想像しながら浩太の走りを楽しむ。いよいよアンカーの隼斗へ襷がつながる。
第10章『俺たちの箱根駅伝』。10区のランナーは隼斗。この物語の中心人物である。明誠学院大学の4年生でキャプテン。また、この関東学生連合チームのキャプテンでもある。周りに気遣いができ、チームをひつにすることができる力が隼斗にはあった。走力とは別の力が、隼斗の人となりを表していて、この物語のフィナーレに相応しい、展開が続く。明誠学院大学の監督であった諸矢は、入院先でこのテレビ中継を妻と見ている。諸矢の病気が明らかになるとともに、甲斐監督とのやりとりも描かれる。壮絶な人生を賭けた物語がそこにはあった。諸矢は懸命に生き、その意志を引き継ぎ、甲斐は自分の色として輝かせようとする。箱根駅伝の中継では見えない物語が、私の胸を震わせる。二人の監督の意志に呼応するかのような隼斗の走り、私の中に鮮やかな映像として浮かぶ。かっこいいな。ゴールは歓喜の中で。涙を流す登場人物たち、その涙が私にも転化する。思わずありがとうという言葉が出てくる。そんな気持ちになりながら、この章を読み終える。
最終章『エンディング•ロール』。タイトルの通り、この物語の終幕。箱根駅伝後の登場人物たちのその後が描かれている。それぞれの明日に向かって、進んでいる状況にホッとしながらも、物語同様に実際の箱根駅伝も終わった時から、次の年の箱根駅伝に向けたスタートが切られているのだろうと想像する。喜びや悔しさを糧に、また次に向けて動き出す。私もそうかな。感情の高まりは、何かを始めるには大切なものだろうな。物語に気づかされる。
池井戸さんの巧みな描写が何度も胸に響き、目頭が熱くなった。爽快感とモチベーションの高まりを得た。そんな作品に出会えたことを嬉しく思う。