柴田元幸のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
一ヶ月半をかけてようやく読み切りました!
ネタバレになってしまうため内容はあまり詳しく言えませんが、一章の途中から違和感を覚え、二章を読み始めると「これってまさか...」と慄き、さらに読み進めて、この本の構造そのものに気づいたとき「とんでもない本に手を出してしまった...」とかなり驚愕しました。
しかしこの構造自体が今まで人生の可能性について、あり得たかもしれない出来事や人にはコントロールしようのない偶然を何度も題材にしてきたポール・オースターならではであると思いました。まさしく集大成の作品です。
一滴の水滴が水面に落ちて波紋がゆっくり広がっていくように、少年の頃のある人との出会いが考えの礎となり、その想いが成長するにつれて大きくなっていつの日かの決断に至る。逆に大切な人との別れが足枷となりその後の人生の幅を狭めてしまうことになる。あのときあの選択をしていなければどうなっていただろう。考えても仕方ないことなのだが、考えてしまうのはやはり人生が一度しかないから。今いる地点と僅かにズレただけで人生は大きく変わってしまう。無限の分岐点とかけがえのない一つの道。人生は不確かであるから日々は奇跡である。そんなことを思いました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレポストモダニズムがどうとか、巻末にあった文章のようなことは難しくてわからない。作家たちの歴史を学ぶ必要がある。
ただ単純に、読んで、構造的な面白さが印象深かった。前衛アートのように構造を楽しむものなのかな、と思った。
主人公たる探偵ブルーは、ホワイトに「ブラックという男を監視してほしい」と依頼される。しかしブラックは日がな一日机に向かっていて、外出は散歩程度のものだ。依頼の意図も知らないブルーは焦れて、飽き、やがてホワイトとブラックについて物語を妄想したり、自己について深く考え込んだりする。ついにブラックと接触したブルーは、ブラックもまた誰かを監視するよう依頼された探偵だと知る。
監視する者と監視される者という立場があって、そして監視される者は監視する者でもある。この多層構造が面白い。読みながらここで「読者である私もまた、ブルーを監視している」と気づいた。そして私もまたブルーの小さな考えや変化について想像したり自分を顧みたりするのだ。
この本は章立てがなく、初めから終わりまでずっと続いていく。その作りも面白かった。それに登場人物の名前に個性がないから、私の頭の中の彼らはほとんど同じ顔だ。そういう奇妙さが楽しかった。
あとがき等を読むに、現在形で書くなど、原語では文章の作りも工夫してあるようだ。そのあたりは英語が苦手な自分としてはわからないので勿体無い。それにこれはニューヨーク三部作の2冊目らしく、他を読むと受け取り方が少し変わるらしい。機会があれば読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
非常に起伏に富んだ鮮やかなストーリー展開で一気に読ませる力がある。所々に出てくる現実の出来事への評価を含めて政治的にも旗幟鮮明であり、「多様性とその敵」とばかりに定義される善悪の構図は、寛容がベースとなる本書の筋書きの中では怒と憎悪の感情が顕になる貴重なアクセントでもある。
小説の舞台から四半世紀、出版から20年が経過した現在から見ると、ポリティカル・コレクトネスが高らかに歌い上げられている光景には当時の熱気と未完の革命への期待感のようなものが感じられる。その明るさが、結末部分に迫る非常に暗い影と対照的に浮かび上がる仕掛けには思わず唸らされた。 -
Posted by ブクログ
あとわずかで60歳のネイサン。
妻イーディスとの結婚生活は破綻し、娘のレイチェルともうまくいかない。
そこへガンにかかり、治療はなされ小康状態になってはいるが、仕事も失った。
死までの時間を過ごすため、幼少期を過ごしたニューヨークのブルックリンに移り住むところから物語が始まる。
こちらとてキラキラした物語を期待しているわけじゃない。
それでも、序盤からこんなんでついていけるか不安になってくる。
が、そんな不安は次第に払拭される。
その後のネイサンの人生は、実に魅力的なものになっていくからだ。
それには、やはりネイサンのキャラクターが大きな要素になっているのかな、と思う。
彼は自分の人生を振り返って「人間愚行の書」を書く。
自分の愚かさ、他人も含め人間の持つ愚かさを客観視し、受け入れることができる人のようだ。
しかし、悟りきった、達観した人というわけではない。
彼自身、向こう見ずだったり、おせっかいだったりするふるまいをし続けるからだ。
けれど、そういう彼が、人生の中で残酷な目に遭っている甥のトム、もっとひどい目に遭っているトムの妹オーロラを助け出していく。
トムの勤め先の古書店主、悪党とも言えなくもないハリーとも親しくなり、その窮地を救い、死後の始末にまで関わることになる。
人生の中で深く傷ついた人々と、ゆるやかにつながる力を彼は持っている。
物語の終盤で、ネイサン自身もジョイスというパートナーを得る。
彼女の娘、ナンシーがオーロラと恋愛関係にあることを知って取り乱し、二人を家からただき出すと息巻く場面で、ネイサンがかける言葉がとてもいい。
「でもそうしたら、君は生涯ずっと、後悔することになると思うね。やめておけよ、ジョイス。パンチにパンチを返すのはよせ。あごをしっかり引けよ。気楽に行けって。選挙は毎回民主党に入れろよ。公園で自転車に乗れよ。私の完璧な、黄金の肉体を夢に見ろよ。ビタミン剤を飲めよ。一日コップ八杯水を飲めよ。メッツを応援しろよ。映画をたっぷり見ろよ。仕事、無理するなよ。私と二人でパリに旅行しよう。レイチェルの子供が生まれたら病院に行って私の孫を抱いてやってくれ。毎食後かならず歯を磨けよ。赤信号の道を渡るなよ。弱い者に味方しろよ。自分の権利を守れよ。自分がどれだけ美しいかを忘れるなよ。私がどれだけ君を愛しているかを忘れるなよ。毎日スコッチをオンザロックで一杯飲めよ。大きく息を吸えよ。目を開いていろよ。脂っこい食べ物は避けろよ。正しき者の眠りを眠れよ。私がどれだけ君を愛しているかを忘れるなよ。」(pp.433-434)
ジョイスへの愛が表れた言葉だが…。
それだけではなく、彼がごたごた続きの人生をまるごと愛していることが分かる言葉だ。
この言葉が読めただけでも、報われた気がする。
オースターは残念なことに、今年の春の末亡くなってしまった。
ネイサンと同じ肺がんだったという。
アメリカの作家で複数作品を読んでいるのは、この人くらいだ。
作品を長きにわたって翻訳し、紹介し続けた柴田元幸さんにも感謝したい。 -
Posted by ブクログ
私の大学生活でこの本を何度読み返したか分からない。タイトルの「再魔術化」という表現は、マックス・ウェーバーがかつて「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、近代化によって以前のアニミズム的思考が薄れてしまった状況を表した「脱魔術化」との対比表現である。しかし重要なことは、両者は対立的ではないということだ。なぜなら、「再魔術化」は、近代のデカルト的思考を否定しているわけではなく、むしろそれとアニミズム的思考との統合を目指しているからだ。そして、この統合に取り組んだのがグレゴリー・ベイトソンである。本書でもベイトソンの理論が簡潔にまとめてあるが、彼の代表作である「精神と生態学」「精神と自然」もあわせて読むと、より理解が深まるだろう。
本書のお気に入りの一節を載せておく。
「"why"の草むらに迷い込むことなくガッチリと"how"を問う。対象から身を引き離し、相手を抽象化して捉えること。ー 「知る」ということは、我々にとっておおむねそのようなことになってはいないだろうか。」 -
Posted by ブクログ
面白くてたまらなくて、
がっしがしに読み進めた!
これまで読んだポール・オースターは、
もっと複雑で、言葉の迷宮に入り込み、
冷たさや悲観的な部分があるからこそだった気がするが、
とてもあたたかくて、優しくて、
楽観的で、希望がある。
もちろん人生なので悲痛な痛みや別れはあるのだけれど。
街角で巡り合う人々や、
家族の繋がりの中で、
名もなき人々の物語が照らし出されてきたからこそ、
ラストの2段落に、
はっと息を呑むのだった。
すべての人々に、
他にはない特別な物語があったのだということを、
ブルックリンへの愛を込めて、
ポール・オースターは全力で言いたかったのだな。 -
Posted by ブクログ
還暦目前、自身の身の錆で離婚をすることになり、さらには肺ガンにもかかり、残りの余生は静かに暮らしたいと故郷であるブルックリンに一人戻ってきたネイサン。
幸いガンは予後が良いようで、もうしばらく人生を楽しめるというなか、新生活を始めるやいなやわきおこる数々の騒動。
騒動の中で登場するネイサンの甥であるトム、トムが働く古書店の(怪しげな)主人のハリー、通りすがりに出会った完璧に美しい母親(PBM)ナンシー、トムとネイサンのもとに突然現れた少女ルーシー。
その他、ネイサンが行動する範囲で現れる数々の人々を群像劇的に描いていく。
騒動がおこり、それが収束していくなかで変わり、そして深まっていく人間関係。深まっていく人生。
60という老齢にさしかかり、かなりの人生経験と達観を身につけている一方、恋愛や性といったことにはまだたくさんの執着を持っている年齢の主人公から記述される世界。
どうしようもないおっさんだな、と思う場面もある一方で、その年代でしかもてない胆力を遺憾なく発揮し猛烈にかっこいい側面も見せる。
群像劇の中で様々な人間が詳細に記述されていく中で、「60歳のネイサン」というのがとりわけ輪郭を持って浮かび上がってくる。
老いを生きるということがテーマとしてあるのだろうということが良く伝わってくるし、オースターの、そしてオースターのフィルターを通したネイサンの洒脱な語り口で彼の生き方を見ると、こういう老後は悪くないなと思わせてくれる。
最終ページを読んだらわかると思うけど、ただの普通の平和な物語として終えないところもオースターらしい。
(すごい考えさせられた)
オースターの柴田訳ということで、読んでいて辛いなんてことはありえない。
小憎らしいくらい軽快なリズム、韻律で物語りは進んでいく。
このコンビに関しては、私はストーリーが云々というのはあまり気にしていない。彼らの文章が読めるだけで満足。 -
Posted by ブクログ
突然のポール・オースターの訃報を聞き、長年積読状態だった本書を手に取りました。難解と思い込み本棚で眠っていましたが、オースターってこんなに面白かった?と思わせる小説。10ページ弱のエピソードが怒涛に展開してとても読みやすい。「アメリカ文学」って高尚に構えるのではなく、日本の小説ではないアメリカ的な「物語」を読んでいる、引き込まれて行く感覚。
結局、人は一人では生きられない。誰かとの繋がりを求めている。オースターの小説の登場人物は、高度資本主義かつ大量消費社会に馴染めないインテリの男が多い。本書もしかり。人間は愚かな生き物だけれども、だからこそ魅力的でもあり愛すべき存在。
もちろん読みやすいのは柴田元幸氏の翻訳のおかげ。感謝したい。出版されて12年も経ってからの初読。是非多くの人に読んでもらいたいオースターの物語の魅力が満載の傑作。 -
Posted by ブクログ
自分の人生を肉体と精神のそれぞれの側面から振り返った本。
ただの自叙伝ではなく、構成がかなりユニークで面白いと思った。時系列順に並んでなかったり、各章でアプローチ方法が全然違ったりなど。あんまり詳しく書くとネタバレになってしまうけど、私は本を書く人間ではないのに思わずこういう書き方もあるんだって感嘆するようなものだった。
全く違う国と時代と性別に生まれた人だから、情景を上手くイメージできないこともあったけど、それでも筆者の人生を一緒に辿るのが楽しかった。
恥ずかしながらポール・オースターのことは知らなくてこの本をたまたま書店で目についたからなんとなく買っただけなんだけど、文章がとにかく面白くて買ってよかったと思ったし他の作品を読んだりこの本をまたじっくりと読み直したくなった。 -
Posted by ブクログ
ハックルベリーフィンの冒険を読んだ後、読まなければと思っていたこの本をやっと読むことができた。
やはりとても面白かった。
ミシシッピ川河畔の描写も多く、20年前に訪れた、マークトウェインの生家までセントルイスから車でドライブした時のことを思い出した。
ミシシッピ川沿いをずっと北上してたどり着いた。
道中所々で見えたミシシッピ川は水量が多く堂々としている印象だった。
マークトウェインはもちろん知っていたが、まだ本は読んでいなかったので、ただ単に訪れたというだけで終わってしまったが、読んでから行けばよかったと今は後悔の気持ちでいっぱいだ。
できれば再度訪れてみたい。