柴田元幸のレビュー一覧
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読んだばかりのJ.D.Salinger の「Catcher in the Rye」について、訳者である村上春樹と、それを教材に東大で講義をしている柴田元幸が徹底的に語り合っている。
この小説は「社会に反抗する無垢な少年の物語」という評価が通り相場らしいが、村上も柴田もそれに関してはとても否定的である。以前は、若者はこの小説を読まないことには話が始まらないというところがあったそうだ。ところが二人の対談を読んでいると、とてもそんな単純な物語ではないことに気付かされた。
二人は「トム・ソーヤー」や「ハックルベリー・フィン」を引用しながら、ヨーロッパにある成長物語はアメリカにはない。反成長物 -
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1947年ニューヨーク、私立探偵ブルーは、ホワイトという男からブラックという男を見張り、報告書を送るよう依頼される
ブルーはブラックの部屋の向かいにあるアパートに住み、見張り始めるが、何も起こらない。監視を始めて1年が過ぎた頃ブルーは見張られているのはむしろ自分なのではないか、という疑念を抱き始める
よく理解できなかったのでまた時間をおいて読み直したいと思う。そしたらまた違う解釈がでてくるかもしれない。
私には難解でした。
〈考察〉
ブラックについて⋯
ブラックは自分を見ているブルーを必要としていた。自分が生きているあかしとして。自分が何をしていることになっているか、自分自身が忘れない -
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晩年の作品には、正しく晩年であることを表して(オースター作品らしからず)穏やかな場面が多いが、通底して、「人から見える世界は全てその個人の脳内にある」という世界観なので助かる。
誰かから見える世界は、親しい人の死や社会を揺るがす事件と同様に、それに対して反応する個人の脳内のイベントに支配される。
内面に閉じた世界観を描くということについて圧倒的な信頼があるため、オースターを好きで居続けてきた。
そしてここまで期待を裏切らずに居続けてくれた作家は他にいなかった。
本作でも、バウムガートナー氏の他に登場する人物はいるが、全て氏の脳のフィルターを通した描写のみで進む。
重要に見えない細かい風景描写 -
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それぞれの事情を持った4人がサンセット・パークで過ごす数ヶ月間の物語。
学生の頃から、ポール・オースターが好きで、久しぶりに読みたくなり購読。
“青春群像劇”とは銘を打っているが、いままで読んできた青春小説とはだいぶ趣がことなる。それもそのはず、この小説の名は『サンセット・パーク』、つまり日が沈みゆくような仄暗い背景を舞台にした物語なのだ。
この本が書かれた当時、世界金融危機が起きた直後だった。先行きが不透明な社会情勢と、自分が何者になれるのか、あるいはなれないのかという将来への不安と希望を抱く若者達の心の葛藤が、同じような色調で物語に彩りを与えている。 -
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これが最後の長編小説という先入観があるせいか、喪失の悲しみと、老いやその先にある死への諦念が色濃く感じられました。再生とか、ここからもう一花、みたいな明るさを見出した人もいるようなのだけれど、わたしには人生の最終章という印象のほうが強かった。なんかずっと寂しかったです。たとえば秋の景色に対して、きらきらと日の光を受けて輝く紅葉や落ち葉のじゅうたんが美しくて好ましいと感じる人がいる一方で、冷たい風を受けて散っていく葉や道路をカラカラと駆けてゆく枯葉に心がざわついてうら寂しさを感じる人もいますよね。この本はわたしにとっては後者の景色。オースターはどんな思いで書いていたのだろう。
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笑えるのに笑えない。泣けるのに泣けない。
枯淡の境地なんてどこ吹く風の、初老の男を巡る物語。
思い通りにいかない老いた体への諧謔と、縦横無尽に展開される思考の渦と、あたふたとした日常の瑣末時のごった煮の中に、失った人生の伴侶への愛、若き日々の一コマ、奇跡のような喜びの瞬間が、突然一筋の光として差し込まれる。
そして、オースターが最後の一行に込めた力強い宣言は、逃れがたい現実に満ちた人生を、煌めくジョークとスリリングな冒険へと変えてくれる。
“生きるとは痛みを感じることであり、痛みを恐れて生きるのは生きるのを拒むことなのだ。”
“ある出来事が真実として受け容れられるためには、それが