柴田元幸のレビュー一覧

  • プロット・アゲンスト・アメリカ

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    1940年代前半のアメリカ史におけるifを描いた、歴史改変小説と言える作品。F.ローズヴェルトやリンドバーグといった実在の人物たちに、フィクションとして新たな役割が与えられ、彼らの行動が「あり得たかもしれない」歴史となるように巧みな計算のもと物語が作られている。(巻末には彼らの実際の年譜も収録されていて、物語との違いを見比べるのも興味深い。)
    その中で何より引き込まれるのは、ユダヤ人迫害の中で翻弄されるロス一家の姿である。小説は少年ロスの視点で語られていて、平穏だった彼らの日常がいとも簡単に崩れ去る様が描かれる。政治的な対立が家族の間に亀裂を生み、やがて自分たちが差別や迫害の対象となっていくことへの恐怖には真に迫るものがある。そして、巻末に引用された実在のリンドバーグによる演説文は、彼らの恐怖が空想の歴史に留まらない、現実味を帯びたものであったことを感じさせる。
    『さようならコロンバス』や『素晴らしいアメリカ野球』とも違う、ロス作品の新しい魅力に触れることができた。

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    2026年04月07日
  • 囚人のジレンマ 下

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    米国現代文学を代表する作家、リチャード・パワーズが1988年に発表した作品。歴史教師である父の謎かけに翻弄される家族の姿が、第二次大戦から1970年代に至る米国史と絡めて語られる。会社近くの文教堂書店員さんに、「これ、とても面白いですよ」と手渡され読み進めた。

    連番表記で第三者視点から語られる章、年代表記で歴史上の出来事(但し架空あり)から構成される章、抽象的語句の表記で家族視点から綴られる章が入り乱れる。加えて、西洋古典や宗教書、ポップカルチャー等をもじった言葉遊びやギャグ、アメリカンジョークも満載で、初読したときは極めて難解に思えた。

    だが、再読してみるとタイトルの意味が分かってくる。国家レベルの相互協調がもたらす悲劇。「非協力vs非協力」から成る世界にもたらされる一筋の光。長年会社員をやっていると、対クライアントは言わずもがな、社内でさえ互いの思惑を読み過ぎて諍いが生まれ、結果的に組織の目指すゴールから遠ざかることは珍しくない。そんな見慣れた情景を、よりミクロかつ普遍的な「家族」というシステムの中に転写し、戦時下の為政者に対する皮肉やウィットもてんこ盛りで浮き彫りにする。

    SNS隆盛、「密から疎」の2020年代に翻訳されたことは大きな意義を持つだろう。作者の息遣いを伝える、柴田元幸さんの言葉選びが秀逸。

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    2026年03月31日
  • ガラスの街(新潮文庫)

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    ネタバレ

    ふとした想像力により人の人生の歯車が狂っていく。
    クインは家族を失った悲しみは背負いつつも、作家としても、暮らしていく上でも問題ない状態だったのに、自分が衰退していくことに抵抗や反発はなく、静かに街から、世の中から存在が消えていく。
    そして唯一自分に残ったノートとペンで書き記していく狂気じみた描写。

    モヤかかってんのに透明感ある不思議な雰囲気が結構ささって好み

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    2026年03月23日
  • バウムガートナー

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    作品紹介・あらすじ

    ここではない、どこかから電話が鳴る。ポール・オースター最後の長篇小説。S・T・バウムガートナーは九年前に先立った妻アンナの不在を今も受け容れられずにいる。書斎で彼女のタイプ原稿を読み耽り、物忘れがひどいなか、ルーツの地ウクライナを旅したときの摩訶不思議な出来事を書き残す。そんな彼に恩寵が……来るべき日を意識していたとしか思えない、オースター作品のエッセンスが宿る名作

    *****

    ポール・オースターの遺作。
    本当は「4321」を読んでから本書に取り掛かろうとしたのだけれど、「4321」の分厚さに慄いてしまい、半分以下の分量の本書に手を付けた次第。

    主人公は、哲学者で大学教授でもある男性で、詩人で翻訳者であった妻のアンナとの出会いから死別、妻の死をきちんと受け入れることができず、かつ自身の老いや死についても見つめざるを得ない状態にいる70歳になるS・T・バウムガートナー。
    作品中にはアンナの詩やバウムガートナー著による短篇作品などが挿入されている。
    ドラマティックな出来事が起きる訳でもなく、謎解きやストーリーの面白さを味わうような作品でもないのに、一度読み始めるとやめることができなくなる。それは僕が(まだ70歳にはなっていないけれど)既に人生の3分の2を費やしてしまったことで、バウムガートナーに感情移入しやすくなっているのかもしれないし、ポールの文章、あるいは翻訳者の柴田元幸氏の訳文に人を惹きつける何かがあるからかもしれない。元々大好きな作家だったポールの遺作、ということも要素として挙げてもいいのかもしれない。

    最後をどう受け取るべきなのだろう。バウムガートナーに対する皮肉ともとれるし、どこか不穏な気配の始まりのようにも感じられる。あるいはバウムガートナーとポール・オースターを重ね合わせることによってポール自身のことを言っているのかもしれない。もっと最新作を読みたかった作家だけに、彼の死は本当に残念でならない。幸いにも未読の彼の作品があるので、少しずつ読んでいこうと思っている。

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    2026年03月20日
  • サンセット・パーク(新潮文庫)

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    状況説明の少なさ、心理描写の過剰さ等、オースター作品の、個人の鬱屈した思考の渦に深く沈み込んでいく感じが、どうにも肌に合って仕方がない。

    なんで小説なんて読むのかって、こん時くらい思考の海溝に沈み込んで、1人静かに暮らしたいからじゃないですか。(ミスチルの「深海」のジャケットみたいなイメージ。)

    オースターの小説では、メインのストーリーと無関係に思える、サブの人物の思考や過去のエピソード、たまたま見た映画の話などが急に執拗に深く長々と描かれて、また急に場面が戻ったりする。
    後であの伏線が回収された!となる事もあるし、あまりならない事もある。
    それは人生のように「そんなものだ」とも思うし、
    せっかく小説なのだから日常を引っぺがしてくれ、ハッキリとした状況説明、論理的に行動する人物、明快なストーリーなんて要らんのですよ。とも思う。

    ただ本作、オースターにしては随分あったかくて人間らしい、と思ったらだいぶ後年の作ですのね。こんなオースターもとても良いですよ。

    こんなに暖かいオースターを読んだことがなく、終盤に結末が気になったのは初めてだった。今まで読んだオースターはもっと突飛で脈絡なく、ぶっ飛んだ事が当たり前のように起き、何も解決せずに終わるけど、今回はあまりに物語が生活臭くて人間臭いので。
    世界観がリアルで地味な事で感情移入が捗り、ぶっ飛んだ展開よりも逆にドキドキしてしまう事を学んだ。

    最後にオースター氏に、レストインピース。
    こんなに全ての作品で没頭に導いてくれた作家は他にいない。あなたの新しい作品に出会う喜びの回数が今後増えないことはとても寂しい。書き続けてくれて本当にありがとう。

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    2026年03月19日
  • バウムガートナー

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    『ペンを手に、キェルケゴールの一連の筆名を論じた著書の第三章の一文を途中まで書いたところで、文を終えるにはある本を引用する必要があり、その本を昨夜寝る前リビングルームに置いてきたことに思いあたる。取りに行こうと階段を降りていく最中、今朝十時に妹に電話する約束をしたことに今度は思いあたり、もうほぼ十時なので、本を取りにリビングルームへ行く前にキッチンに行って電話をかけることにする。ところがキッチンに入っていくと、鋭い、刺すような匂いがして彼は思わず立ち止まる』

    思わずニコルソン・ベイカーの「中二階」を思い出してしまうような書き出しのポール・オースターの遺作は、予約の順番待ちで長く待たされることもほぼなく手許に届く。この後の予約も一件入っているのみ。どうやらこの界隈ではオースター読みはそれ程多くないのかも知れない。

    ポール・オースターの小説はほぼ全て読んできているけれど、「写字室の旅」辺りからの小説では少し息苦しくなるような思いを強いられていた気がする。そんな思いが払拭されたのが「4・3・2・1」であったし、翻訳の柴田さんがオースターは常に新境地を切り開いていると言っていたので、この遺作はどんな小説なのだろうと読む前から期待していた。

    個人的には(そして多くのオースター読みの人々もそうだと思うが)ポール・オースターと言えばニュー・ヨーク三部作に尽きるような気がする。それは正に稀代のストーリーテラーという修辞が相応しい、ある意味オースターらしい作品群だと思う。そこに登場する主人公が時折オースター自身を思わせることもあるにはあるけれど、自伝的という物語では決してなかった。それに比して2000年代以降の作品は主人公が老人ということもあり自省的な物語という雰囲気だったし、「4・3・2・1」もやや自伝的な物語であると読みながら思ってしまった。それに増して本書「バウムガートナー」は自伝的な雰囲気の強い小説だと思う。それはどういうことかというと、小説を読んでいるような気分に中々浸れない、作家の言葉として聞いてしまいがち、ということでもある。

    主人公は老境に達した作家。妻を事故で失くしている(という点はオースターの私生活とは異なる)。しかし、若い頃のフランスでの恋人との生活の下りや活発な人物像はともすると最初の妻であるリディア・デイヴィスを彷彿とさせるし、翻訳などで生活を支えていた若い頃の話や詩作をこの妻の話として語っているようにも見える。そして終盤に出て来る父や母の話や移民としての来し方を語る下りは、ほとんど自伝とも言える口ぶりだ。父に関して言うなら、作家として世に出した一作目「孤独の発明」は父の死に触れて書いたものだという。その死により遺産を得て作家として専念するという辺りの話は「4・3・2・1」で散々聞いた話。本作でも同じような話の展開が披露される。

    『高校時代から始まって、溺死する三週間前までに至る詩の分厚い束。未完に終わった二つの長篇小説、何篇かの短篇、十あまりの書評等々の、手書きで直しが入ったタイプ原稿。そして、一番下の引出しにぽつんと一つ、自伝的な文章を集めた中くらいの大きさの箱。バウムガートナーはその箱を手にとり、彼女の机に持っていって、彼女の椅子に座り、蓋を開けてみた。山の一番上に置いた束は錆びかけたクリップで留めてあった。つまり古いということだ。もう何年も前、ひょっとすると結婚当初、いやもっと前かもしれない。彼はそれを両手で持って、読みはじめた。

    フランキー・ボイル

    夜明け前の幼い日々、五、六、七、八歳の嘴の黄色い年月、野球こそ私のスポーツだった』

    ああ、こういう展開の仕方はポール・オースター的だな、と思う。むしろ、本書の中に挿入された、劇中劇とも言える文章はストリーテラーとしてのオースターの魅力を素直に感じられる。もちろん、作家として一つのやり方に拘泥してしまうのを良しとしなかったことは理解できるけれど、こういう物語もまた読みたかったなと思ってしまうのも、正直なところ。それが読めないのは残念だけれど、最初に読んだ「ムーン・パレス」の衝撃を自分はいつまでも忘れられない気がする。

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    2026年03月16日
  • ムーン・パレス(新潮文庫)

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    四半世紀ぶりに再読。自分の読者人生における青春の1冊。面白いとか興味深いとか、言葉で語り尽くせない。大好き。

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    2026年03月06日
  • 幽霊たち(新潮文庫)

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    「孤独の発明」は別として。ニューヨーク三部作を「孤独」というテーマで括るにはこの作品で。狭い世界で、登場人物の少ないところがうってつけかもしれない。

    オースターの著作を発見したのは「孤独の発明」だった、それからは底に流れるテーマを読み続けてきたが、著作順でなく、この「幽霊たち」を自分なりに初期作品の区切りとして最後に持ってきたことを、自分で誉めたい気分になった。これはどの作品にも流れている「孤独」というテーマの究極の姿を著したものだと感じたからで。

    解説で伊井直行さんは、

    三部作はそれぞれ単独で読んでもなんら支障のない作品群なのだが、他の二編をあわせて読むと、一作だけ読んだときとは随分印象が違ってくる「幽霊たち」は特にそうだろう。だから却って、真っ先のこれを読んで、奇妙な小説世界を堪能してみる手がある ---といっては強引に過ぎるだろうか。
    全く、私と同じ読後感をもつ人だと、僭越ながらひそかに喜んだ、先に読んで、スタイルのヒントにするのは勿論いい、そして「幽霊たち」を最後に読んで、初期からの作品と三部作はこうしてテーマで繋がっている、と感じることも、オースターの作品を読む楽しみ方のひとつであってもいいのではないだろうか。


    「幽霊たち」は奇妙な話で、世界がごく狭い。色の名前のついた人物たちが登場する。まず探偵のブルー、その師匠のブラウン。仕事として見張るように言われた対象のブラック、最初は謎の人物として現れるホワイト。脇役のレッドとゴールドもちょっとした彩を添えている。

    ブルーはブラックを見張り続けている。定期的に報告書を送ればいい楽な仕事で、真向かいのマンションの部屋から見ていると、ブラックは一日机の前で何か書いている、作家らしい。

    ブラックの生活パターンは見張る必要もない単調なもので、ブルーは変化のない時間に倦んで疲れて、次第に見張っている自分について考えるようになる。そしてついにたまりかねてブラックに接触を試みる。

    彼と四方山話をするが、なかでも彼の作家の孤独についての話に心を引かれる。
    会うことが重なってくると、ブルーはブラックの窓越しに感じる孤独が自分のものと同化してくるのを感じる。

    お互いに身分が同化しお互いが裏表のように分かちがたくなったと感じ始めた朝、彼はブラックの部屋に入っていく。

    長く見張るだけの生活はブルーの精神を現実生活から遠ざけ、存在の曖昧な時間を作り出していた。

    こうして、奇妙な二人の人間が出会って別れる。ブルーはブラックを打ち倒し、現実であって非現実な感じのまま生活の中に戻ったが、いつか彼はブラックの世界に入ってしまっている。

    色の名前のついた人たちは、ある意味人間の最大公約数であって裏返せば最小公倍数でもある。数字というものの意味を生物に置き替えれば、目にする複雑な色は突き詰めれば単純ないくつかの混色であり、違ったように見えても非現実的な世界でそれを見たり感じるとすれば、共通する感情や数字に変換されたものが絡み合っていることに過ぎず、いつか全ての根はゼロが虚数になるかも知れない、などと思いながらこの三部作を締める自分なりの感想にした。

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    2026年03月02日
  • ガラスの街(新潮文庫)

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    オースターのニューヨーク三部作。
    これら初期の作品で常に見られる孤独感を、ここでは作家である一人の男に負わせている。彼は自分の影に生きて消えたのか。

    「ガラスの街」はニューヨーク三部作の第一作で、「孤独の発明」「鍵のかかった部屋」「ムーン・パレス」「偶然の音楽」「幻影の書」と読んできて初期の作品を二冊残してしまっていた。中篇であり初期に書かれたもので、「孤独の発明」が次の作品にどういう形で書きつがれたかにとても興味があった。

    ただ既読の5冊の中には、共通する実態の掴みにくい孤独感が相変わらず座り込んでいる、だが表現法は似ているが、今回はそれをシーンに置き換えて明晰で分かりやすい内容になっている。
    ストーリー性が増し、明確な風景の中から物語が立ち上がってきている。そういう傾向に移行したのかと感じたのだが。

    ニューヨーク三部作の頃にはまだ主人公のまわりは常に現実との境が曖昧で、存在自体も、読者や本人にさえも見えない部分がある。
    主人公たちは、その見えない部分を自分や知り合った人たちの中に見たり触れたりして、鑑に写したように実感を得ようとしている。だがストーリーの最後では存在感が次第に薄れていって消えていく。


    夜中に間違い電話が何度もかかるので、「ポール・オースター?」と訊かれ、面倒なので「そうだ」と答えてしまう。
    実はダニエル・クインという探偵作家で、ペンネームはウィリアム・ウィルソンでありその陰に隠れていれば、エージェントとは私書箱を通しての付き合いで、直接世間に触れることなく、顔も出すことがなかった。彼は半月書き、余った時間を自由に暮らしてきた。

    間違い電話をかけてきたのは、ピーター・スティルマンという子供のころ幽閉されていた過去がある障害者だった。こういった症例は世界に散見する研究対象でもあり、あちこちで誘拐されて見つかった子供のように、彼も9年間、言葉や光のない部屋で育ち、実験的だという父親の暴行を受けていた。

    13年前に父が捕まったとき、結婚している妻が彼の遅れている成長を助けてきた。だが父親が釈放される日が近いので殺されないように保護して欲しいと言う。
    彼はまだ満足に話せない。こんなふうに言う。
    これはいわゆる話すという行為です。そういう呼び方だと思います。言葉が出て宙に飛んでいって、束の間生きて、死ぬ。不思議じゃありませんか。

    ダニエル・クインにとって作中の探偵ワークはもう自分が作り出した者ではなくなっていた、いつの間にか一体感を持っていたし、現在のペンネーム(ウィリアム・ウィルソン)もいて、現在の自分は三人の人格が合体したものに感じらていた。
    探偵とは、全てを見て、全てを聞き、物事や出来事がつくりだす混沌の中を動き回って、これらいっさいをひとつにまとめ意味を与える原理を探し出す存在にほかならない。実際、作家と探偵は入れ替え可能である。

    出所したスティルマンの父親らしい人物を見張り始める。安ホテルに泊まった老人はニューヨークを徘徊する。彼も常に後から歩いていく。何も怪しいそぶりもなく日が過ぎ。ついに彼は接触を試みる。

    その老人は新しい言葉を作り出そうとしていた。彼は老人の意識を確かめるために話しかけるが、既に過去のハーバードの秀才教授ではなくなっていた。
    だが彼の知識から生まれる物語は魅力的で、その奇妙な世界を聞きに何度も出会うようになる。
    ポー作品でデュパンはなんと言っているか?「推論者の知性を、相手のそれに同一化させる」ここではそれは、スティルマン父に当てはまる。おそらくその方がもっとおぞましい。

    父親は以前はヘンリー・ダークという名前で、今ここではない昔の楽園を作るために、乱れた言葉を元に戻すことを解く「新バベル論」を書いていた。
    クインは残っていたその小冊子を見つけた。

    赤いノートに1日の出来事を記録しながらクインの尾行は続いた。
    毎日父親を見張っていたがなぜか老人は数日見かけなかった。ホテルで聞くと投身自殺をしたそうだ。

    クインは依頼者のスティルマン夫婦のところに報告に行くとマンションは誰もいない空室になっていた。

    クインはついに、ポール・オースターを訪ねる。勿論彼は何も知らなかった。
    そして彼が今書いているのは何かと訊くと 「ドン・キホーテ」論だという。
    これはセルバンテスの作ではなくアラビアで書かれ、セルバンテスは翻訳されたものを編集したので、そうしたのは事実を語るのに疑いを挟ませない理由だと言った。ドン・キホーテは物語に魅せられた。しかし原作のアラビア人は登場する四人の組み合わさったものではないか、ともいう。

    クインの部屋に帰ると他人が入っていた。家のない彼は依頼者のスティルマンがいた狭い窓にない部屋で眠る。次第に彼が何もかも億劫になり、ついに消えた。
    オースターのところに来た友人にこの話をすると、友人はクインを心配して探してみたが彼のいた部屋は赤いノートだけが残っていたと言った。

    クインは、過去にはウィリアム・ウィルソンであり、創作した探偵ワ-クであり、ミステリ作家のダニエル・クインであった。その頃は快い孤独感とともにニューヨークの町を歩いて楽しむことが出来た。
    だが、ふと電話に出て見知らないポール・オースターになり、書く事をやめウィリアム・ウィルソンから離れてしまった、そのとき自分と一体であったものを切り離したあとの独り、このクインとは一体何者だろうか。

    一人でいることは自由だと言うことだが、それが続くとクインはソローの本(森の中)を探して読んでみたりする。だがクインの思うのはこの自由とは違う。

    仕事だと思った老人の追跡が意味のないものになり、町は次第に陰をなくし、それに連れて存在も希薄になる。孤独というものの実感さえ浮かばなくなり生存するということが抜け堕ちてしまう。それがどんな意味があるのかとさえ考えることのないところに入ってしまう。究極の言葉によって形作られるみえない深い悲しみや空虚感が見事に作品になった、珍しい文学的な前衛だという言葉が分かる初期ポール・オースターの作品だった。

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    2026年03月02日
  • サンセット・パーク(新潮文庫)

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    ネタバレ

    マイルズ・ヘラーを中心人物に置きながらもブルックリンサンセット・パークの廃屋に共に住むビング、エレン、アリスをはじめ、マイルズの父親のモリスに視点人物を移しながら語っていく構成は群像劇のようで個を描く著者の作品の中では珍しい語り口だと思った。

    読み終わった時は著者の作品のなかでは比較的地味な作品だと感じたが、リーマン・ショックによる住む家を失った人々や経済危機に直面している様子が読み取れ、細部を読んでいくと現代アメリカの悲哀や疲弊感のようなものが描かれており、登場人物のドラマ性だけに収まらない主題を持つ作品だと思った。

    リーマン・ショックを背景に作品で語られる三人のメジャーリーガーの訃報とウィリアム・ワイラーの1946年の映画「我等の生涯の最良の年」により、戦後アメリカの精神性と現在とを引き較べる構成はかつてアメリカ国民が抱いていた輝かしい未来の終わりを示唆し突き付けている。そしてマイルズの今後のように希望のない未来を読者に問いかけているようでラストが切なくも胸に迫る。

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    2026年03月01日
  • 幽霊たち(新潮文庫)

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    脳味噌とはらわた、人間の内部。我々はいつも、作品をよりよく理解するにはその作家の内部に入り込まねばならない、とか何とか言っている。だがいざその内部なるものを目のあたりにしてみると、べつに大したものは何もない──少なくとも他人と較べて特に変わったところなんか何もないんだ。

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    2026年02月21日
  • デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化

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    世界の見方のひとつとして本当に読んでよかった。理解が追いついていないところもありそうなのでまた読み返したい本。

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    2026年01月27日
  • ブルックリン・フォリーズ(新潮文庫)

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    それぞれの登場人物の人生の再生を描く温かなヒューマンドラマ。
    柴田元之さんの訳。
    柴田さんのあとがきも素敵でした。

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    2026年01月26日
  • ムーン・パレス(新潮文庫)

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    全ては偶然の連続だけれども人生はやり直しがきかないから必然なのだろう。
    後になって考えるとその選択は間違いだったのではと思えるものでも、その選択の瞬間では正解でしかなかったということを強く意識しないと頭がおかしくなってしまいそうになる。
    どうして人は罪の意識を抱き、罰を受けたくなるのかな。
    疑いなく自分が正しいと思い込める方が生きやすそうなのに。

    1つの小説というより登場人物が重なるいくつかの短編小説を読み終えた気分。
    翻訳された小説はあまり読み慣れていないけれど、これはとても読みやすかった。

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    2026年01月01日
  • サンセット・パーク(新潮文庫)

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    期待に違わぬ素晴らしい作品でした。リーマンショック後の先の見えない時代を背景に、心が損なわれた主人公と取り巻く人達が、傷ついた心や厳しい生活を抱えながらも互いをいたわりながら日々を懸命に生きていく様は、強い共感を覚え心が癒されます。

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    2025年12月08日
  • ムーン・パレス(新潮文庫)

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    ネタバレ

    主人公が愛する伯父を失って泣き腫らし、泥酔・嘔吐し、行きずりの娼婦にホテルに連れ込まれた挙句、脚を開く彼女に子守唄を歌ってあげた一幕は感に堪えなかった
    頁を急く衝動と、ずっと終わらなければいいのに、という一抹の寂しさを胸に同居させられた傑作

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    2025年12月08日
  • ムーン・パレス(新潮文庫)

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    ジーンと心に染み入るような感動のある小説でした。
    悲劇に振り回されながら生きる登場人物たちはとても人間味があり、僕はなぜか読んでいて救われる気持ちになりました。
    登場する3人の男たちは、ある意味悲劇でつながっている深い関係だと思いました。
    不思議と読後感がとてもよい小説でした。
    また、このような小説を読みたいです

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    2025年11月30日
  • デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化

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    グレゴリー・ベイトソンの偉業と著者モリス・バーマンの作家性が見事に融合された、まさに感動巨編!

    同著者の『神経症的な美しさ アウトサイダーがみた日本』も素晴らしい本でしたが、この本も後半に行くにつれてぐいぐい引き込まれていく、吸引力の凄まじい一冊です。付箋を貼る手が止まらず・・・。

    そして、著者モリス・バーマンの深い見識に加え、訳者柴田元幸さんの丁寧な日本語もまた素晴らしいのです。

    デカルトの二元論を批判的に見ながら、グレゴリー・ベイトソンの全体論を理解する本としても最適な一冊。ベイトソンは、まだその著作に触れたことはありませんが、ずっと気になっていた人物。捉えるのが難しい〈精神〉の存在を、宗教と科学を融合させながら見事に表現した偉大な人物であることが、この本でよく理解できます。

    学術的な正当性はわかりませんが、後世に受け継がれていくべき一冊だと思います!

    これは読むべしです。

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    2025年11月24日
  • ブルックリン・フォリーズ(新潮文庫)

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    移民や多様な文化が交錯するニューヨーク、ブルックリン。ここを舞台に、人生の終盤に差しかかった主人公が偶然の出会いを通じて再び人とのつながりを取り戻していく。過去に何かしらの傷を負った人物の群像劇でありながら、どこか静かに温かい。自分の外に一歩踏み出して他者と関わろうという気持ちがあれば、年齢に関係なく、人生前向きに生きられると思えた本。

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    2025年11月23日
  • どこかで叫びが

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    アフリカ系の経験、差別や暴力を題材としたブラック・ホラー。19編ありどれも読み応えのある佳作だと感じました。不穏な「目」が見えてしまう倒錯を描いた「不躾なまなざし」、サイコホラーの趣きがある「片割れ」が特に気に入りました。

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    2025年11月22日