柴田元幸のレビュー一覧
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思索の過程に浮かんでは消えてゆく言葉の数々を残らず捉え、文字として残す。それら言葉の連なりは、もしかしたらそれ自体が物語なのではあるまいか。もう一人の自分が居るとして、その存在を捉えることができたなら、僕は彼の人生を同じく歩いて行くことができるだろうか。世の中は不思議で、不思議なものだと決めてかかれば、さほどでもなく、何事にも頓着しなければ、しないなりに、どうにも説明のつかない事態に巻き込まれてしまうこともある。先入観では語り尽くせないのが人生で、世界は、その目に映るすべての物事でしかない。想像はあくまで想像で、現実にリンクしたら、それは想像ではなくなってしまう。あれは、こうだ。それは、ああだ
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村上さんと柴田先生の対話で暴かれていく作家サリンジャーのひととなり、非常に興味深く読めました。物語への考察=サリンジャーの生涯に密に関わっていたんだという発見があり、サリンジャーの生き方をホールデンになぞらせたのではなく、サリンジャーがホールデンの生き方をなぞっていったというのは一種の狂気を感じた。大昔に野崎訳を読んだ後に村上訳を読んで比較したことはあったけど、当時の印象として前者のホールデンはとんがり少年で、後者は引きこもりがちな天邪鬼。この印象の違いは翻訳に取り掛かった時代の背景を訳者がうまく反映させていたからだというから感心しきりだったし、ひとつの文章がこんなに変わるものなのかと文学の多
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ネタバレ映画ウィキッドを観た後に原作を読んでおらず理解しきれなかったことがあり、本書を読んだ。
まず驚いたのはウィキッドではおバカで軽率なグリンダは優しく賢明な魔女だったこと、そして東の国の魔女はただ悪い魔女として描かれてたこと、映画と全然ちゃいますやん…
オズのダメさ加減は変わらずで安心した。
空飛ぶ猿の軍勢など原作から引用されてるとは思わずビックリした。
概してウィキッドの設定は杜撰だと思ってしまった。
ウィキッドとの関連を除くと、全体として面白い話だった。
頭が良くなりたいと脳みそを欲しがるかかしが、機転が効いたアイデアを沢山出したり、心臓をもらって心が欲しいと言うブリキの木こりが生き物を慈しむ -
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ネタバレ2段組みかつ余白はほぼなし、そして約800ページという超ボリュームのこちら。2024年に永眠したオースターの最期から2つめの作品である。ファガーソンの4つの物語。激動の50~70年代のアメリカが舞台。メインヒロインはエイミー。(.1.2.3.4でエイミーとの関係はいろいろかわる)愛と性と野球と学生生活、政治がメイン。
790ページくらいでからくりが判明。それまでパラレルワールド的な感じで読んでいたので、やられたと感じる。つまり.4の作家になったファガーソンが.1.2.3のファガーソンの人生を創作したということなんですよね。途中から白紙になって脱落していくファガーソンもあり。
2.2 落雷によ -
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ネタバレそれは人類がはじめて月を歩いた夏だった。という美しすぎる書き出しがいい。音楽的とも評される文章は比喩表現含めてとても綺麗かつ、自嘲と自虐の目立つ語り口ながらニューヨーカーらしい軽快さもあるアメリカ現代文学らしいオシャレさがあった。
内容としては自伝的な青春小説でありながら、これは家族小説でもある。特に第二部の余命いくばくもない富豪の老人と、第三部の息子がそれぞれ主人公の父であり祖父だったという「偶然」と、それが連なって物語となる「必然」は非常に面白く、いずれも互いが関係性を自覚して双方向になったのは束の間で、死による離別となるのはたまらなく切ない。結局ひとりぼっちとなるラストも含めてかなり薄 -
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この手の本を読んだことがなかったのですがとても興味深く読めた。英語も日本語も関係なく、とにかく文章が大好きなお二人と学生さんたちの講義の様子は想像するのも楽しかったし、翻訳は面白いんだ!やらずにはいられないんだ!という村上春樹の翻訳愛に触れられたのも新鮮。キャッチャーインザライは野崎訳も村上訳ももっているけど、この講義をしていた頃にはまだ訳していなかったんだなと思うと感慨深かった。
そして、お二人があまりにも熱烈に英語をどう日本語に直すのか、というお話をするので私も翻訳という作業に興味がわいてしまって、フラニーとズーイの英文庫を取り寄せています。英語は得意じゃないけれど、こういうところから勉強 -
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妄想と現実が入り混じり、
探偵小説の体から始まるが、途中から
己の狂気に閉じ込められた人間像について、
リアルに描かれていて文学作品のよう。
途中、ドンキホーテ論を交わす場面があるが、
最後に主人公のクインの赤いノートだけが残り、またそこで初めて、物語の作者が、
ポールオースターの友人なる『私』の存在が、
明らかになる。
まさにドンキホーテのように、4番目なる人物が
ストリーテラーだったというオチ
同胞たる人間たちの信じやすさを試す愉しみ
とあるように、幾十にもなっている入れ子の
小説になっている。
読書後も、登場人物のあの人は、夢か現実か
はたまたクインの妄想か、不思議な余韻が残る
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訳者が後書きの最後で書いたように、この途方もない物語に耽溺、はした…
まぁ、大分的が外れてるかもなのだが、途中、まるでアメリカの大河ドラマのようだなと思った。
日本の大学紛争はニュースや小説等で触りだけの関わり方しかしていないものだから、あちらのそれの描写のシーンでは、ファーガソンに感情移入しているものだから、かなりの迫力と無惨さをもって伝わってきたように思う。
それにしても、そういうことをする年になってから以降は、女も男も相手にするセックスの話も多く、これはこれで興味はあるのだが、寧ろそういう時代を、もう、振り返るだけしかできないような年代になったファーガソンが、回想ではなく、そこからまた何