重松清のレビュー一覧
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久しぶりに重松さんの作品を読みました。やっぱり好きです。
曰く「ゆるす/ゆるされる」をテーマとされたそうですが、裏表紙の内容紹介にあるとおり「精いっぱい『母ちゃん』を生きる女性と、言葉にできない母への思いを抱える子どもたち」のお話でもありました。
第1章に1番泣かされました。500ページを超える長編なのでこのままこのお母ちゃんのお話が続いたら目が腫れてしまうと不安になりましたが、2章以降の主人公は主に中学生たちになったので泣き通しという事態は避けられました。
一言で母子と言っても多種多様。
個人的にはあまり好きになれない母親もいたけれど、どの母親も子どもを大事に思っていることは同じでした。 -
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父親として
私自身が娘2人を持つ父親として物語を読んだ。
また、自分が子供だった頃の父はどうだっただろう、と思い出しながら読み、ノスタルジックな感情にもなった。
SFではないが、タイムスリップものの物語である。
個人的には元々この手のものは苦手ですが、こういう設定だからこそのストーリー展開と、それによって得られる学びがあり、なるほどなと。
【特に印象深かった一節】
”やっとわかった。
信じることや夢見ることは、未来を持っているひとだけの特権だった。
信じていたものに裏切られたり、夢が破られたりすることすら、未来を断ち切られたひとから見れば、それは間違いなく幸福なのだった。”
ひとつの幸 -
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感動した
という言葉さえ煩く感じる。
静かに読後感を噛み締めたい一冊。
無神経な先生、親切だって人を傷つけることを想像もしない人たち、分かりやすく悪いヤンキー高校生、私は障害とか気にならないよ系女子、みんな身近にいたなぁ…もしきよしがクラスにいたら、私はどの立場で彼と接しただろう。
この本を 読んだ と言うには、一度読んだだけでは足りないと思う。
この少年の物語は、まだ私の中では他人の話であり、単に読んだ本の記憶でしかない。
でも、繰り返し読むことで言葉がこころの芯まで染みてきて、いつか、腹の底にしっくり収まる時がくる。そんな予感がする。 -
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東日本大震災で傷ついた人たち、それを慮る人たちを主人公とする7編。この中で「おまじない」は「NHK国際放送が選んだ日本の名作」に紹介されていた本を読んでいたことが分かり、2年ぶりの喜びの再会!だった。40年前に津波被害の街に小学校4年で住んでいた女性がボランティアで訪問し、子どもたちのブランコでおまじないをする姿に過去の自分とケイコちゃんを思い出すシーン。心締め付けられる感動を覚える。その他、(トン汁)幼い日に母を亡くした3人兄姉弟と父親のトン汁作りをめぐる思い出も忘れられない。(しおり)は津波で行方不明になり、高校に入学できずじまいになった同級の学友の思い出。(カレンダー)は被災者のために
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昭和の田舎の父親と息子の物語。
子供の頃に重松清の作品は複数読んでいたがしばらく離れていて、今回約10年ぶりに読んだ。
そういえば、この昭和のにおいのする語りが苦手になって、あまり重松作品を読まなくなったのだということを思い出した。令和の今となると、やはり時代性を強く感じてしまう内容ではある。今だったらこういうやり方は通用しないだろうな、とか。
ただ、親子の心情を描く物語として、とても良質だったと思う。主人公の心中描写も丁寧で、感情移入はできなくとも没入して最後まで心地よく読むことができた。時代が変わったいま読んだからこそ、親子というものの価値やあり方、普遍性を考える良いきっかけにできた。 -
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ビタミンF?そんなのあったかしら(-_-;)
ないから作者が作ったのかも知れない。
三十代後半から四十代の彼等は、成長した子供達と年老いた親に挟まれ自分の居場所は何処なんだろうと考え始める。自ら望んで得た物なのに中途半端な年代から来る焦燥感、誤解、痛みなどを高い表現力で直球勝負だ。取り返しのつかない戦場で生きる為のビタミンFなのかも知れない。
なぎさホテル以外は皆んな良き父親で間違った事はしてないと思う。なぎさホテルはどうしても達也の気持ちについて行けなかった。達也はある日テレビの画面からふと目を離し、家族を眺め渡した瞬間、不意に思った。「俺の人生はこれか➖。なーんだ、と拍子抜けするような。ち -
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吃音の「少年」の、飲み込んだ言葉、諦めた言葉、飲み込んだ気持ち、諦めた「伝えたいというコミュニケーション衝動そのもの」、そういった切ない場面が丁寧に温かく描かれて泣けた。
6歳から18歳までの年月を通して、出会い別れたできごとや地域や個性的な人々とのエピソードを通じて、「伝えることを諦めない」少年の成長を感じて、目頭がジーンと熱くなる箇所が何ヶ所もあった。
とくに、「どんぐりのココロ」の酔っ払いのおっちゃん、卒業お別れ会のお芝居の話、鈍感すぎて優しいツッパリのゲルマの話などがどうにも切なく涙がこぼれそうになった。
ちなみに、地の文は少年を「きよしは」と書かずに「少年は」と表現しているのが独 -
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何故人はイジメをするのか?
何故人はイジメられても親に言わないのか?
これは当事者で無いとわからない事なのかなぁ。
ナイフとキャッチボール日和は突如始まる絶望的なゲーム。家庭内に問題は無いのに子供が標的にされ教室の中でゲームは日常化されて参加者達は貪欲だ。そしてどちらも別の場所で起きている事と重ねて合わせる事でエールを送る。彼等や彼女を救う事が出来ずにいる親達もそしてもっともっと傷つき精神的に肉体的に追い詰められていく彼等を浮かび上がらせている点が凄い。
エビスくんは長編小説を読んだ気分になった。私の1番好きな作品である。松重清のあとがきを読んでもわかる様にSに向けた言葉がはみ出た作品だったよ -
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中学生のころ、この短編集の中の「にんじん」という話が国語のテストで出題された。それを機に、読んだ
「にんじん」を初めて読んだのは、高校生のときだが、あのときの嫌な気持ちは覚えているし、最後の工藤の言葉も覚えている。
こんなにも、いじめる側の気持ち、嫌がらせをする人の気持ちを克明に描くのか、しかも短編で。
謎の痛快さを楽しんでいるんだな、という冷静な気持ち。しかし、その代償にいつか罪の意識を背負い続けることになる事実を、「妻の出産」という尊い瞬間に感じるあたり、「嫌だな」と感じた。
そして、これをテストの題材に選んだ先生の意図はあったのだろうかと考えられずにはいられない。
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