重松清のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
知人が朗読劇で「あじさい、揺れて」を上演すると聞き、興味を持って読み始めた。
途中であとがきを読んでしまったのだが、「四季の中で、夏ほど終わりの似合う季節はない」と著者は書く。なるほど、今まで意識しなかったが、お盆も終戦記念日も、華々しく始まるくせに終わるときには物悲しさを感じさせる高校野球も夏だ。
そのせいか、死や別れテーマにした作品が多い。
電車の中で読むのは控えたい。
「終わりの後の始まりの前に」
高校野球が舞台となっているせいか、ちょっと感情移入しにくかったが、「終わりの後の始まりの前」というタイトルの世界観は秀逸。
あとがきで著者は、意図せず書いたこれらの作品群を、文庫としてまとめようとしたときに東日本大震災が起きて、別の意味を持つような感覚になったと書く(あとから別の意味を背負わせるのは非礼だとも)。
「終わりの後の始まり」を生きられなかった人たちの分も生きねばならぬと言う。
これからいくつもあるであろう「終わりの後の始まり」に思いを馳せる。
「親知らず」
両親を見送ると、人生は後半戦に入り、息子や娘でなく正真正銘の親になる。
「タカシ丸」 -
Posted by ブクログ
電車の中で読んじゃダメだった。
涙が滲んで、何度も心を落ち着かせるために本を閉じてた。
短編集。
どの物語も、喉の奥がひゅっと痛い。
友人や身内の死が出てくる話では、父を癌で亡くした自分を重ね合わせてるのかなぁ。
「タカシ丸」は、まさに父親が癌で命を落とそうとしてる物語。
家族を遺して逝ってしまう父の寂しさ、無念さ…を我が父に重ね合わせ。
最期の時間を過ごし、父との記憶を作れた雅也。感情のままに声を上げて泣くことができたことが何よりの幸せかな。
重松さんの物語は心をきゅっとされるけど、「あぁ、私の中のわだかまりってこういうことなんだ」とある意味すっきりする泣き方ができる。 -
Posted by ブクログ
昔は炭鉱でさかえていたが、今は過疎化が進む北海道北都市。
30年前、その町には、トシ、シュン、ミッチョ、ユウちゃんの仲良い小学生4人がいた。
4人は日本上空を通るというボイジャー1号2号を見に、炭鉱跡の丘に来ていた。
ボイジャーは見えなかったが、数々の星・星座を眺め、「カシオペアの丘」と名付けたこの場所に遊園地を作りたいと話をした。
30年後、39歳となった4人。
ユウちゃんは東京でテレビロケの仕事を。
トシは子供の頃に追った障碍で車いす生活だが、ミッチョと結婚し、遊園地「カシオペアの丘」の園長に。
ミッチョはトシと生活しながら小学校の教師。
そして、シュンは「倉田」の家、北都という町、友人から逃れるため、東京で都市開発の仕事をしていた。
物語は、「カシオペアの丘」に来ていた家族の娘・真由ちゃんが、1年後、ショッピングセンターで殺される事件と、シュンに余命短い病がみつかることから始まっていく。
重松清さんの本は、「かあちゃん」「エイジ」を読んだことがあった。
この本は、「人生の終末への道のり」と、それぞれが抱えた罪への「許し」が描かれており、様々な人生・立場に思いを巡らせながら読み進められる。 -
Posted by ブクログ
「旅をしている。」で始まる8章と「旅をしてきた。」で始まる最終章の9章からなる長編小説。
重松さんの真骨頂とも言える作品です。
幼子を亡くした夫婦の後悔と、二人の間に生じた隙間。久しぶりに会った娘とのぎこちない関係。憎み合って別れた訳では無い前妻との繋がり。そして、旅先で出会う様々な風景と人々。一言でいえば美しい再生の物語です。
ところで、今さらながら気づいたことですが。。。
特にこの作品では、登場人物が様々な場面で軽く意表を突く発言や行動をします。それはルポルタージュ作家でもある重松さんが、インタビューの中で相手がとる様々なアクションを記憶し、小説の中に取り入れている気がします。インタビューと言うやや非日常の中で起きる事なので、普通では無いけど、不自然でも無く、軽く批評を突く。それが重松作品の特長になっているように思います。
ただこの作品、やはりマンネリ感は否めません。一時は性愛小説など様々な方向に手を出した重松さんが、何かを得て帰って来た訳ではなく、元々の位置に戻った感じです。
私は好きなのですが。。。
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