ドストエフスキーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ドストエフスキーの処女作というだけで読む気がそそられます。
下級役人のおじさんのマカールと、ワルワーラという10代の娘の手紙のやりとりが綴られています。
当時のロシアの社会背景として、階級差による貧困が大きな問題となっていました。そのため、主人公であるこの2人も大変貧しく生活に困窮している様子が鮮明に手紙の中で書かれています。そういった中でもお互いが深い愛情を持ちながら支え合っていて「貧困」や「愛」というのが大きなテーマとしてある作品でした。
手紙と聞くと物静かで慎ましいような印象を受けがちですが、ほとんど会話のようなやり取りで、ビックリマークも多用されているぐらい感情表現が豊か。なので海外作品らしさ全開でその点は良い意味でギャップがありました。
ただ、ドスト作品は罪と罰、地下室の手記に次ぐ3冊目でしたが、過去2作と比べると山場が少なくインパクト不足は否めません。2人以外の登場人物も意外と出てきますが、いかんせん手紙形式で触れられる程度なので、印象に残りにくく、誰か出てくるたびにこの人誰だっけ?となることが多かったです。2人以外の登場人物の存在感が薄く、個人的には物足りなさを感じました。人物の一覧表も欲しかった・・・。ロシア人の名前はとにかく頭に残りづらいので。
処女作がどんな作品なのか気になる人は読んでも損はないですが、ドスト作品でまずは何から読もうと迷ってる人はこれではなく罪と罰から入ってほしいです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ大体のストーリーが掴めてきて上巻に比べたらスイスイ読めた。相変わらず登場人物が多い。ドストエフスキー自身はどうやって管理してたんだろうなぁ、脳内完結なのか紙に起こしていたのか。
イワンも怪しいけどフョードルがすんなりドアを開けて部屋に入れてくれるとも思えず、アリョーシャが怪しいってことになるよなぁと推察。あとページを増すごとにドミートリーがフョードルと同じような発言や行動をしていて、血は変えられない同族嫌悪とはこのことか...と思った。
ゾシマ長老のシーンで、人は信仰に奇跡を求めがちだけどあまりに傲慢だなとも思う。奇跡が起きた時はそれに縋るのに、奇跡が起きなかったら急に不信者になり、今までのゾシマ長老の活躍がすべて水の泡になるようで。
ただ、自分に置き換えてみても、例えばお坊さんが何かしら問題を起こすと「お坊さんなのに!」って思ってしまうわけで。
となると、人が人に布教するものであり続ける限り、信仰は非常に曖昧で不安定なものなのだと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ重たすぎる腰を上げて読み始めた。2回挫折しているのでこれで3回目。今回こそは読み切りたい...。ちなみに前回のチャレンジから10年以上経っているのでストーリーは何一つ覚えていない。
まーじで本名に加えてニックネームまで書くの禁止にしてほしい...!笑 ただ最初の200P強に渡る紹介文が後々響いてくるので読まずに進むのは惜しい、というところ。父と長兄の醜すぎる争いと共に、徐々にストーリーが動き始める。
大審問官...うーん、とても難解だし捉え方があってるのかすら分からないけど興味深い。
キリストは全ての罪を背負い人に自由を与えたはずなのに、人は自由すぎると途端に迷いだす。そのため指導者を置いて指南すると、迷わなくて良いとたちまち服従する。...これって、現代人にも言えることなのかも。選択を誤って非難されるのは怖いし考えを放棄するほうが楽だけど、迷うことも必要なのかな、と。
ただ、明日パンの1つも食べられず、天上のパンを祈る生活になったらどうだろう。やっぱり信仰より地上のパンを選んでしまうかも。なら信仰って何のためにあるんだ?答えのない問いが続く...。 -
Posted by ブクログ
ドストエフスキー研究をしたいわけではないのでね
はい、『悪霊』別巻を読みました
頑張りました
『悪霊』に登場するエピソード「チーホンのもとで」には3つの異稿が残されていて、それは主に当時ロシアにあった検閲が理由なんだが、とにかくその3つを読み比べることが、真に『悪霊』を読んだってことになるってことなんでしょう
しかし本編も含めると基本的には同じ話を4回読んだことになり、まぁまぁな苦痛
いや、ゴーンって来るものはあるけどな
あるにはあるけど、やっぱ4回目とかは普通に飽きるのよ
東京都あきるの市(いらんいらん)
で、読み比べて何を感じたか?
うーん、特には…(ダメじゃん)
まぁ、解説読むとね
色々ドスちゃんも大変やったなーとか思ったりもしたけど
そりゃ検閲されるよなーとかね
はい『悪霊』終わり!
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Posted by ブクログ
貧しき人々
著:ドストエフスキー
訳:安岡 治子
紙版
光文社古典新訳文庫 Aト-1-10
ドストエフスキーの処女作です。
初老の下級官吏と、薄幸の女性との、手紙のやりとりの物語です
淡い恋というか、秘められた恋というか、当人同士だけで、手紙だけのやりとりで忍び合うとか
どうしても、ひんぱんに手紙でやりとりするということはだいぶ前の習慣なんでしょうか。
手紙を通じて、自分のこころに向き合い、好きな相手にどうつたえるか、思わず何かを伝え、それを後からおもって、もんもんとする。それを再び言葉にする。自分にとっては、とても高度なやりとりで、とてもできそうにもないと感じました。
時系列に、交互にあらわれる二人の感情は、もの悲しく、追っていくうちに読むのがつらくなっていきます。
ISBN:9784334752033
出版社:光文社
判型:文庫
ページ数:344ページ
定価:800円(本体)
2010年04月20日初版第1刷発行
2019年10月20日初版第3刷発行 -
Posted by ブクログ
二分冊目は、物語の進行に加えて、作者の信条やキリスト教の話が盛り込まれており、より奥行きを感じる内容だった。
また巻末の亀山郁夫さんの解説は、時代背景の詳しい説明や、オリジナリティあふれる解釈で、読みごたえがあった。
自分の読書メモとして、下記3点を取り上げたい。
1.ナポレオン主義について
一分冊目から引き続き、当時のロシアにおけるナポレオン戦争とその後の反動の影響がうかがえる。
物語中でラスコーリニコフが展開する主張では、歴史的な英雄は、従来の社会や伝統を破壊したという意味で犯罪者だ、という。
この主張について、同時代の同じくロシアの文豪トルストイが、ロシアの対ナポレオン戦争を描いた著書『戦争と平和』で繰り広げた歴史観が思い出された。
トルストイの主張は、「一人の英雄が歴史を作るのではなく、歴史の流れが英雄を必要とする」というもので、英雄自身に焦点を当てたラスコーリニコフの主張とは視点が異なる。
以前、「ドストエフスキーを好む人はトルストイを好まず、逆もまた然り」と聞いたことがある。
まだ読んでいる途中で何とも言えないが、この視点の違いが、読者の好みを分かつ理由なのかもしれない。
2.娼婦は自分を殺したか
物語前半から、娼婦の悲惨な身の上について語られていたが、第4部のラスコーリニコフとソーニャのやり取りでは、「じぶんを殺しうらぎった」と表現される。
『地下室の記録』でも似たような見解であった。
この悲劇のヒロインのような描き方に、日本で娼婦を多く題材にした永井荷風を対比させたくなった。
彼は、娼婦をそれほど悲劇の職業とは描いていない。
例えば以下、『ひかげの花』という作品からの引用である。
「正しい職業について、或いは貧苦に陥り、或いは成功して虚栄の念に齷齪(あくせく)するよりも、≪中略≫無智放埓な生活を送っている方が、却って其の人には幸福であるのかも知れない。道徳的干渉をなすよりも、≪中略≫折々の災難を救ってやるのが最もよく其人を理解した方法である」
この荷風の冷静な人生の観察は、ドストエフスキーの描く悲劇性とは似つかない。
宗教上あるいは社会環境の違いもあるかもしれないが、恐らく荷風・ドストエフスキーが各々の信条に基づいて解釈したものであると感じる。
対照的な見解の違いが興味深かった。
個人的には、荷風の方が娼婦を一人の人間として尊重しているように感じる。
3.ユロージヴァヤ(女性)/ユロージヴイ(男性)
巻末の亀山郁夫さんの解説で学んだが、非常に興味深い。
「キリストのために愚者をよそおう」が語源で、この物語では、前出のソーニャと殺害されたリザヴェータがその役割ということだ。
『戦争と平和』でも、アンドレイの妹マリヤが貧しい巡礼と交流する姿がたびたび描かれる。
「愚者をよそおう」というのは、ロシア思想でしばしば登場する「自己犠牲の精神」を体現し、計算ずくではなく神あるいは人のために行動できるという意味ではないか。
思想家のアイザイア・バーリンはその著書『反啓蒙思想』で、「啓蒙されない自己犠牲の精神」と呼び、タルコフスキー監督の映画では、自己を犠牲にして世界を救おうとする人の姿が描かれてきた。
ロシア思想の中で、この「自己犠牲」の部分はより深く学んでいきたいと思う。
次巻も楽しみに読みたい。 -
Posted by ブクログ
ドストエフスキーは『地下室の記録』から二作目。
再び亀山郁夫さん訳。
いつか読もうと思っていたところに、本の交換会で頂いたので、早速。
一分冊目の感想としては、前出の『地下室の記録』と似たモチーフで、これがドストエフスキーの作風なのかと改めて感じた。
思弁癖が強く、プライドと自己嫌悪にさいなまれる主人公。
物語で重要な役割を果たす娼婦という職業と存在。
ナポレオン戦争勝利後になお、「ロシア」と「ヨーロッパ」の間で揺れる19世紀ロシアの知的世界という背景。
『地下室の記録』を読んだ際にも感じたが、この自己嫌悪の主人公はドストエフスキー自身だろう。
そこに天才作家の人間らしいところも見えるのだが、あまり健康的でない作風は、自分の好みとは少し違うところもある。
第二分冊以降楽しみに。