芥川龍之介のレビュー一覧
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新技巧派ならではの表現の癖を感じられて面白い。夢と現実を行き来するような虚構の遊戯性を強調する文体は反自然主義ならではで、どこか童話らしさをも感じさせる。
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①『地獄変』
完全な地獄屏風を完成させるために娘を豪華の炎に追いやる良秀。彼の中に「完璧なる芸術」を希求する欲求と、非人道的な方法で愛娘を美の遂行のために殺してしまう事への葛藤が相剋しており、なかなかに考えさせられる作品。特に炎の描写は圧巻。生きたことのない時代にも関わらず、燃え盛る馬車のイメージがまざまざと浮かんでくる。あっという間に物語に引き込まれてしまった。
地獄変が人々に認められたことで、芸術が道徳を超越したかのように見えたが、結局良秀は自殺してしまった。芸術至上主義へのアンチテーゼとも捉えられつつ、
真の芸術は、死を伴う葛藤の上にようやく実現可能なほど尊いものだと言われているような気もした。
記憶に焼き付く作品。
②『枯野抄』
松尾芭蕉の死を前にした弟子たちの「死」に対する赤裸々な矛盾が語られる。案外、人の死を前にした人間の感情は、利己的な感情や嫌悪感、恐怖など「悲しみ」だけで語れるものではないのかも知れない。芭蕉は夏目漱石をイメージして描かれたものであるという説もあるようだ。漱石というカリスマの呪縛から解放された自分自身と重ね合わせて描かれたのかもしれない。
「自分たちは師匠の最後を悼まずに、師匠を失った自分自身を悼んでいる。ーーそれを非難したところで、本来薄情に出来上がった自分たち人間をどうしようか」
③『邪宋門』
個人的には、人々の信仰心の脆さや危うさを描いていると解釈した。恋愛に対して若殿は、「いつ始まっていつ終わるかだけが気がかり」「始めから捨てられるつもりでいる」と述べている。そして、恋愛も宗教も、ただ世の中の無常から逃れるための救済措置の手段に過ぎない。つまり、恒久な恋愛感情の実現が不可能なように、宗教における信仰心も簡単に捨てられて、乗り換えられていく。という事か?
『奉公人の死』では殉死のようなものを描いていてかなり宗教に対しての信仰が熱い作家なのかと思っていたが、この解釈だと他の作品との調和が取れないか。。?
④『毛利先生』
自己の本質を不器用にしか表現できない人間の哀れを描きながら、それに侮蔑の目を向ける人々の倨傲に、作者の深いため息が聞こえてくるよう。不器用ながらも、自分らしい道を、自分らしく歩む先生の強さに感服。
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雨の羅生門。下人が雨宿りのため、門の二階に上がると、老婆が死体の髪を抜いている。人髪でカツラを作って売るらしい。芥川龍之介『羅生門』1915
芥川龍之介『鼻』1916
人間は時として、満たされるか満たされないかわからない欲望のために一生を捧げてしまう。しかしその愚を笑う人は、つまるところ、人生に対する路傍の人に過ぎない。芥川龍之介『芋粥』1916
お釈迦様は地獄で苦しむ罪人カンダタ(犍陀多)を救うため、地獄の底に蜘蛛の糸を垂らす。カンダタが細い糸を登り始めると、下から多くの罪人がわらわら登ってくる。糸は切れない。カンダタ「お前たちは下りろ」と叫ぶと、糸は切れてしまった。芥川龍之介『蜘蛛の糸』1918
ある絵師が、地獄を描けと命じられる。絵師は言う、牛車の中で地位の高い女が苦しむところが描けない、牛車を燃やして見せてください。芥川龍之介『地獄変』1918
金沢(かなざわ)の武弘(たけひろ)。男。26歳。侍。恋人の娘(真砂まさご19歳)と二人で旅行中、山道で盗人(多襄丸)に出会い、武弘は縄で縛られ、口に葉っぱを入れられて口を封じられる。盗賊は娘を手籠めにし、「俺の妻になれ」と言う。すると娘は「あの人(武弘)を殺してくれたら一緒になる」と答える。盗人はそれを聞いて、娘を蹴り倒し、武弘に近づいて尋ねる「あの女はどうする? 殺すか、助けてやるか」。その様子を見て、娘は逃げ去る。盗人は武弘の縄を切って立ち去る。武弘は落ちていた小刀で自分の胸を刺す。口の中に生臭い血が込み上げてくる。意識が遠くなる中、何者かが近寄り、武弘の胸に刺さった小刀を抜く。再び口の中に血が溢れ、武弘は中有の闇に沈む。芥川龍之介『藪の中』1922
※中有。人が死んでから次の生を受けるまでの間。
※黒澤明『羅生門』の原作
阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。『河童』1927
古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔している▼人生は常に複雑である。複雑な人生を簡単にするものは暴力よりほかにあるはずはない▼人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。しかし重大に扱わなければ危険である▼社会的因習を軽蔑しながら、社会的因習と矛盾しない生活をすることが賢い処世術▼われわれの行為を決するものは、善でも悪でもない。ただわれわれの好悪である。快不快である。芥川龍之介『侏儒の言葉』1927
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老人になっていつまでも生きる。こんな悲惨な事はない。死は人間にとって一つの救いである。菊池寛
菊池寛『恩讐の彼方に』
賢一郎。20年前、父親が家族を捨て、愛人と逃げたため、幼少の頃から働き一家を支えてきた。ある日、父が帰ってきて、何食わぬ顔で家に住み着く。賢一郎は何をいまらのこのこと、と父を追い出そうとする。弟はそうは言っても父親なんだからと、父をかばう。兄弟の言い争いを聞いていた父は立ち上がり、家から出ていく。賢一郎は弟に父を呼び戻すように言うが、父の姿はなかった。菊池寛『父帰る』1917
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※大正、新思潮。理知的。
横光利一りいち -
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正直、前半の『運』『道祖問答』はあまりおもしろくなく、妙に説教臭さばかり鼻についた。『袈裟と盛遠』に至っては全く意味がわからない。
次の『地獄変』は伊藤整などの小説評論や近代文学の概括によく出てくるので期待しつつ、流石にちょっと面白いなと思ったが、その続編みたいな入り方で始まった『邪宗門」の前半はまた退屈になり、後半になって盛り上がってきたところでこの作品は中絶。
『龍』『往生絵巻』とまた説教臭いのが続き、買ったのを少し後悔し始めながら『好色』を読み始めると、平中が侍従のとこに忍び込む夜の情景がやたらにリアルで、文字通り実際にみるようだったことで急に感動を覚え、『藪の中』は少し狐に摘まれたような感じで終わり、読み返そうか、いやでもあと一息でもうこの本も終わりだからと振り返りたい気持ちを断ち切って『六の宮の姫君』を読み切って少し切なくなり、『二人小町』で爆笑した。黄泉の使の間抜け加減と小野小町、玉造小町の女子会ノリが強烈だった。 -
購入済み
自分の幸せ=周りの人の幸せ
子どものころ読んで受けた印象は恐ろしさが先に立ち、自分だけ良ければということはいけないことぐらいしか記憶にありませんでしたが、様々な経験を経てきた今は随分感じ方が違ってくるものです。
私たちのなかには自分さへ良ければという感情は誰にでもあると思いますが、それでは本当の幸せはつかむことができません。
目の前の人の幸せを願える思いやりの心を強くすることによって、はじめて自分の幸せが得られるもの、人間は周りの人々に支えられて生きているということを忘れてはいけませんね。
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前回読んだ「蜘蛛の糸・杜子春」とはうって変わる世界観
うひゃーたまりません!
完全にこちらが好み♪
■偸盗
偸盗…盗人団
京の都が荒れ果てていた頃、二人の男兄弟がおりました
兄の太郎は疑い深く斜に構えたような卑屈な性格
見たくれは痘痕で片目の潰れた醜い男
一方の弟、次郎は優しく目鼻立ちの整った好青年
以前は仲の良かった兄弟が一人の偸盗の頭である女に翻弄され、盗人仲間に加わるのでした
そして女は兄弟ともに関係を持っているため、当然ながら兄弟はお互いを探り合い、妬み合い、ギクシャクし出すのでございます
そんな異常な美しさを持った娘は平気で嘘をつき、殺しも行い、多くの男に身を任せるような悪女でございます
身を任せた男は太郎、次郎はもちろん、義理父の猪熊の爺までも…もちろん他にも…
この娘の母親はひきがえるのような卑しげな猪熊の婆と言いまして、昔々、身分違いの男との間にできた子が沙金という、トンビが鷹を産んだ…と言われるような美しい娘なのでした
さて猪熊の婆の夫は酒肥の禿頭、猪熊の爺と申しまして、その昔、猪熊の婆に恋をするのでございますが、猪熊の婆は姿を消してしまうのです
そして15年後に再会すると、娘の沙金が昔の婆の姿を連想させ、沙金目当てに婆を妻に娶るのでした
そしてこの家の居候、阿濃(あこぎ)がおります
これは孤児で身寄りもなく白痴でございます
沙金に拾われ、沙金や猪熊の婆たちの家で手伝いをして暮らしたおりますが、家のものからは虐げられております
ただ唯一優しい次郎に心を寄せて暮らしておりました
阿濃は臨月でして父親は不明(予測はできます)
本人は次郎が父親だと信じております
とまぁ、そんな個性豊かな畜生達の面々
兄弟は沙金という女のせいでお互いを殺してしまいそうなほど精神的に追い詰められ、猪熊の婆は遠い昔を偲びつつも心も荒んできている
爺の方は酒肥りがひどく心が腐りかけている
そして阿濃は出産間近
夏の暑さで腐敗した京の町から異臭が漂う
湿度があるのに埃立つこのザラっとした感じ
何かが起こる予感をさせる描写…
そしてある屋敷に窃盗を仕掛けるのだが、事態は展開する
猪熊の婆が爺を助けようとするシーンは飛猿の如くカッコいい
畜生過ぎる猪熊の爺も最期には阿濃の産んだ子に微笑を浮かべる
阿濃は生まれて初めて幸せを知っただろう
太郎と次郎は沙金かはたまた肉親かどちらを選ぶのか…
この決断の結果に最後感動さえしてしまう
一番の悪作とご本人が自嘲している作品らしい上、巻末の解説にも、「まぁ読み物として一応興味はある」
…随分である
個人的には今まで読んだ芥川作品の中で一番面白かったのだけどなぁ…
京の荒れた下町風情で繰り広げられる、醜さと美しさと不幸と幸せが織りなす喜劇観がなんとも良いのですが…
■地獄変
語り手は堀川の大殿様に二十年来奉仕する者
この語り口調の柔らかさと良秀のアクの強さやこの作品の暗雲立ち込める雰囲気とのアンバランスさが巧妙
右に出るものはいないほどの高名な絵師良秀という老人
しかし見た目の卑しさだけでなく、吝嗇で、恥知らずで、怠け者で、強欲で、横柄で、傲慢……
そう、誰にでも嫌われ、とかく不評な男である
その良秀には十五になる一人娘がいる
娘は大殿様の御邸で小女房として仕えていたが思いやりがあり、利口で良く気がつくため皆に可愛がられていた
良秀の娘とは思えない真逆のキャラクター
この一人娘を気狂のように可愛がっていたことが唯一無二の良秀のまともなところ
リアルさを追求するためなら弟子を縛り上げモデルにさせたり、腐敗した死体に向かい絵筆を動かすことを厭わない
仕事に対する没頭ぶりは狂気を感じるほどだ
大殿様から地獄変の屏風を描くように依頼がくる
地獄変の屏風にのめり込む良秀
見たものしか描けない!
炎の中の地獄を描きたい
大殿様に訴える
そして大殿様は良秀の望みを叶える
それは……
うーむ予想通りの展開になる
このクライマックスの良秀の心境が刻一刻と変化する描写が素晴らしい
受け入れ難い現実を知った驚愕さ
深い嘆きと悲しみ
抑えられない芸術欲と溢れ出す情熱
炎と良秀の心の燃焼が相まって激しく狂おしく、そして美さえ感じてしまう…
そうそう猿の登場でどうやら以前読んだことがあることに気づいた
全く忘れてきたので敢えてあらすじを残すことにした
この猿が作品のスパイスになっていてよい挿入歌のような役割を果たしており、個人的にもこの猿クンお気に入りだ
しかし大殿様はなかなかの人柄であると描写されていたのに…なぜ?
最後までわからない
■藪の中
藪の中でとある男の死骸が発見される
関係者らに検非違使による事情聴取が行われる
事情聴取を受けた各人物の告白で展開するが当事者に近づくにつれ、それぞれが異なる話をするのである
当事者は死骸である男、この男の妻、盗人の3人である
誰が真実を語っているのか…
サスペンス仕立ての物語である
構成も凝っているし、ミステリーとしてのスリリングさを味わうこともできる
ついついそれぞれの言い分を間に受けてしまい、完全に振り回された良質な読者になってしまった
そしてこの夫婦の心情が…ねぇ、なかなか尾を引く…
と本書では上記の3作品がとても気に入った
他は簡単に…
■竜
これどうやって終わらせるのか…と不安になったが…
ウソから出たマコト
そう来たか!
■往生絵巻
脚本のような各登場人物のセリフだけで成立しているのだが、点と点を移動している何か繋がりみたいなものがきちんと見えるのだ!
見事な描写
■六の宮の姫君
救いのない悲しい姫君のお話し
極楽も地獄も知らぬ不甲斐ない女の魂
ああ、切なさと不条理が後を引く…
前回読んだ「蜘蛛の糸・杜子春」は教訓めいたものが多くてちょっと好みじゃなかったのだが、こちらは打って変わって純粋に楽しめた
シュールで丸裸の人間の世界観が最高である
全ての作品において共通するのは
人間を赤裸々に描いて見事に暴露しちゃってる(笑)感じ
強欲さや醜さに見え隠れする慈悲深い心
嘘で固められた中に潜む真実
どうしようもなく揺れる心
ああ、人間て本当に矛盾だらけで不安定で小さくて汚くて…
それと同時に尊くて温かい…
複雑で単純で…何のかんの愛おしいではないか
そんなふうに感じる作品たちであった
そうそう、今昔物語をベースにした作品が多い
…ん?
ということは私は芥川作品が気に入ったのではなく今昔物語が気に入ったということ…⁉︎
これは分析しなくてはいけない
どーせ前々から今昔物語は気にはなっていたので挑戦したい(たぶんビギナーズクラシックスにお世話になるだろうけど)
そして、芥川ももう1冊読んでみるしかない…