芥川龍之介のレビュー一覧
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大人の童話である。
短編の名手 芥川龍之介の書いた大人の童話である。どの作品もひねり 皮肉が効いていてできの良いショートショートの味わいがある。とりわけ桃太郎は悪役と英雄の逆転に、幻想味を付け加えて出色の出来だと感じた。
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Posted by ブクログ
中学、高校時代に芥川龍之介を貪るように読んだ。
ほとんど文庫で読んだのだが、どうしても書簡集も読みたくて、全集の書簡集の巻も愛読した。
好きな作品はいくつもあるが、あまり取り上げられることのない、「袈裟と盛遠」(1918)に非常に感銘を受けた。
袈裟と盛遠、共に人の名前だ。
つまり、「トリスタンとイゾルデ」(「イゾルデとトリスタン」)と言ったようなタイトルだ。
袈裟は袈裟御前、女性の名前。
「盛遠」は、出家する前の文覚のことだ。
だから、袈裟は女性の名前と共に、後の盛遠の出家を象徴している。
文覚は、伊豆に流罪となった時に同じく伊豆に流されていた源頼朝と知り合う。
頼朝にその父義朝の髑髏を見せて、平家追討の決起を促したと言われている。
源氏の勝利後、鎌倉幕府の朝廷に対する窓口として権勢を奮った。
頼朝死後、後鳥羽上皇の時代に失脚、流罪になる途中で客死する。
仏教(真言宗)を政治に使う正に「怪僧」と言える。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、市川猿之助がこの奇怪な僧を、奇怪に演じていた。
だが出家前、盛遠は北面武士だった。
と言うことは、「怪僧」とは縁遠い、家柄、容貌、武芸、蹴鞠、和歌に優れた若者だったはずだ。
(平清盛、西行も北面武士。ルックス抜群、運動神経抜群、武芸抜群のスーパーエリートたちだ)
芥川の本作には、モデルがある。
「源平盛衰記」だ。
袈裟は人妻、その美貌の人妻に恋をするのが北面武士、盛遠。
盛遠は、袈裟の夫を殺害しようとして、誤って袈裟を殺してしまい、そのため出家した、と語られている。
文覚の出家譚としての物語だ。
芥川は、これを、近代人の心理ドラマに換骨奪胎してみせた。
話法は、独白体。
盛遠と袈裟の別々の独白を並べることで、物語を重奏的に仕上げている。
これを、より複雑にすると「藪の中」(1922)になる。
従って、芥川23歳の作品、「袈裟と盛遠」は、過度的な作品であると言える。
「信用できない語り手」という独白体を生み出したのは、エドガー•アラン•ポーだ。
ポーの作品はほとんどが、「信用できない語り手」による語りで成り立っている。
夫の殺害を持ちかける盛遠の、それを言ってはダメだと意識的には抑圧しながらも、無意識のうちに口が勝手に動く恐ろしさは、ほとんどポーの短編を思わせる。
だから、本作も、二人の「信用できない語り手」による独白として、眉に唾つけて読まなくてはならない。
本作は、枠組みとしては三角関係だが、独白が二つしかないことから分かる通り、実質的には、男と女の二人の心理劇だ。
第三の男は「夫」という袈裟というヒロインを縛る存在であれば、誰でも よいのだ。
だから、この三角関係は、「中原中也-長谷川泰子-小林秀雄」の正当なる三角関係というよりも、吉本隆明の体験した擬似三角関係に近い。
芥川龍之介は、彼の同世代の中原悌二郎の彫刻に感動したと語っている。
この中原の師事したのが、ロダンに直接師事した荻原守衛(碌山)だ。
芥川が、守衛の傑作「文覚」と「女」を見ていたという証拠はない。
見ていなくとも、芸術家との繋がりの深かった芥川のことだ、「文覚」と「女」の存在も、その作品の背景も知っていた可能性は強い。
だから、「袈裟と盛遠」のもう一つのモデルとして、相馬黒光と荻原守衛を想定することも可能だろう。
芥川の「袈裟と盛遠」の裏には「黒光と守衛」があったと、思うのだ。
守衛の「文覚」は、煩悩の塊のような彫刻だ。
それは今にも人を殺すような迫力を持ち、その内なる暴力をかろうじて両腕を組んで抑え込もうとしている男の危うさを表現している。
守衛は姉のように慕う黒光が、夫の不倫で苦しむのを見かねて、噴出しようとする黒光に対する愛と、その夫を殺害したいという内なる暴力を、「文覚」となって抑え込もうとしていたのだ。
組んだ腕を解いた瞬間、その愛と暴力は迸る。
だから、「文覚」は、守衛の自画像だった。
守衛の「女」は、遺作だ。
彼が30歳で結核で死去した後に、アトリエで発見された作品だ。
遺品整理に訪れた黒光は、その彫像を発見した瞬間、息が止まり、倒れそうになったと語っている。
「これは私だ」と直感した、と言う。
後ろ手に縛られた(手を組んだ)女性が、それでも天を見上げて、立ち上がろうとしている。
打ちひしがれながらも、逞しく生きようとする女性の姿をこれほどダイナミックに造形した作品は他にない。
師であるロダンもこれを見たら絶賛したことだろう。
黒光とその夫は、新宿中村屋を作り、若き芸術家の支援を行っていた。
その夫を殺し、黒光を奪う、という内側から噴出する想いをかろうじて抑えた守衛は、密かに、黒光の苦悩と希望を彫刻に込めていた。
それを見た時の黒光の衝撃を思う。
守衛が3歳年上の人妻黒光に出会ったのは、彼が17歳の時、出身地安曇野ででのことだった。
その時、黒光は、白いパラソルをさしていたという。
そんなハイカラな格好を見たこともなかった少年にとって、白いパラソルをさした都会的な知的で芸術的な美女の姿は、モネの「パラソルをさす女」のように眩しく、正に「ミューズ」に見えたことだろう。
この出会いが、守衛を芸術に導き、パリに導き、ロダンに導き、黒光との再会に導いた。
芥川が、守衛と黒光の関係を知っていたかどうかは分からない。
だが、「源平盛衰記」という原型に、守衛と黒光の関係を投影することで、平安時代の物語は、近代の物語に変貌した、という想いを抑えることが出来ない。
守衛は知る由もないが、黒光は、その後も活躍する。
日本に亡命していたインド独立運動家ラース•ビーハリー•ボース(もう一人チャンドラ•ボースがいるので混乱しやすい)を保護した。
ボースは英国から指名手配されていたので、日本政府はボースを国外退去させようとした。
それを匿ったのが黒光だった。
ボースは、黒光の娘と結婚している。
黒光は、インド独立を側面から支えたのだ。
そのボースから教えられたのが、中村屋のインドカレーだ。
NHKの朝ドラ「なつぞら」で比嘉愛未が演じた「川村屋」のマダムこそ、黒光だ。
最後に、芥川の「袈裟と盛遠」の与えた影響を見てみたい。
誰も指摘したのを見たこともないが、三島由紀夫の「愛の渇き」は、三島の「袈裟と盛遠」だと思うのだ。
三角関係による殺人が描かれている。
(芥川の作品は、殺人の直前の場面で終わっている)
ただ、「袈裟と盛遠」で、殺人を犯すのが、盛遠であり、殺されるのが袈裟であるのに対して、「愛の渇き」では、殺人を犯すのが「袈裟」であり、殺されるのが「盛遠」だという転回がある。
しかし、「袈裟と盛遠」にしても、殺人の主導権を握っているのは、袈裟の方だ。
だから、「愛の渇き」において、「袈裟」自身が「盛遠」を殺害してもなんの不思議もない。
鎌倉時代に作られた「源平盛衰記」の文覚出家譚の物語は、「黒光と守衛」と言う実際のドラマを介すことで、芥川龍之介によって、近代心理劇に生まれ変わり、それを三島由紀夫は換骨奪胎することで、謎に満ちた現代ドラマを生み出した。
こう考えることが出来るのではないか。 -
Posted by ブクログ
文豪6名の最後を飾った作品を集めたもの。同じような趣旨で、デビュー作代表作を集めた「文豪誕生」も読んで出版社の策にとても共感している。
表装は今風というかアニメタッチな文豪が1人、芥川だろうかと想像する。
登場する6名の文豪、初めましての方もいて、読書の門扉が少し開けた気がする。
それでも好きになったかと言うとそこまでではないが、この点が点と合って線になっていくんだろうなと思う。
特に芥川龍之介はこの作品でちょっと興味をもった。そして梶井基次郎は檸檬の他に機会があって良かったと思う。
文豪死すも文豪誕生も、名前は知っているけどそこまでじゃないと言う人にはぴったり。機会があったら読んでみると良いとおススメできるものだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「羅生門」
主人公が、死人の髪を抜いている老婆を見つけた時は、自分の正義のもとに怒りを露わにしながら老婆を捕らえるが、その死人は罪人であり、こうなるのも仕方がないと老婆が説明すると、主人公は老婆の服を剥がして盗み逃げてしまう。正義の揺らぎがすごくわかりやすく描かれている作品だと思いました。
「鼻」
大きな鼻がコンプレックスの主人公がなんとかして鼻を小さくするも、依然として周囲から笑われる。そしてある日突然鼻がまた大きくなると主人公は安堵感を覚える。
人にはコンプレックスが大なり小なりあり、たとえそれが解消されてもコンプレックスは尽きない。と言うことを言いたかったのかなと思いました。 -
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親子の情を優先
中学校の国語の教科書に載っていたのを読んで以来、ん十年ぶりに読んでみた。素直に童話的に教訓ものとして読んでもいいが、何故 仙人になるという目的よりも親子の情を優先したのか 別の崇高な目的だったらどうなのか などと考えてしまう。
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芥川龍之介の遺書
芥川龍之介の遺書 とも言える作品である。短くて才知きらめく文章の端々に、人生に対する不安.いらだち.絶望感を読み取ることができる。しかしこのような境地だからこそ、現在まで読みつがれている数々の傑作を物にできたのかもしれない。健全な精神からは傑作は生まれないのかもしれない。
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開化物の傑作
芥川龍之介のミステリーものには駄作が多いが、この作品は一応ミステリー小説の体裁を取っているが、記述の主体は謎解きなどよりも登場人物の心境 暗い影 嫉妬等である。このような視点からの記述は、さすが芥川龍之介と思わせるところがある。文体が古いのでやや読みにくいが、心情描写には一層適しているかもしれない。
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Posted by ブクログ
「堕落させたくないもの程、益(ますます)堕落させたいのです。」
美しい顔をした悪魔はこう言って、涙を流した。
美しいものはそのままにして愛でたい、という思いはあるのに、それを汚してしまいたいと思う己の醜さに悪魔は涙した。悪魔は、人を堕落させるのが仕事なのだろうから、そう思い悩んでしまう辺りが悪魔に似つかわしくなく、哀れんであげたい気持ちになった。
大切にしたいけど、悲しませたい。
清くいてほしいと思うけれど、真っ黒にしたい。
この欲望はどこから来るのだろう。
占有したい感覚、所有して支配したい気持ちは、どうして生まれてくるのだろう。
どうして、美しいものほど、汚したくなるのだろう。
多分、それは、自分を汚れたものだと心のどこかで思っているから。美しいものを妬ましく思っているから。
プライドが高くて自己肯定感低めの私と、この悪魔はシンクロするところがある。
自分より優れているものは、そのまま清く気高くいてもらいたい。だけれど、引きずり下ろして、結局自分と同じ場所の人だったと思って安心感を得たい思いも持ち合わせている。
そして、自分が引きずり下ろしたという、自分の影響力に優越感を感じたくもある。
毒された相手が回復しようものなら、嬉しい反面、より多くの苦しみを与えて堕落させたいと思ったりもする。
自分に満足していれば、そんな酷いことはしない。
でも、誰かに愛されたくて、かまってほしくて、仕方なくそうしてしまうこともあるのも、分かる気がする。
勿論讃えることはできないけれど、こういう矛盾や葛藤が人間らしさなのだと思う。だから真っ向から否定はしたくない。
悪魔も人間も、自分は醜いと思って涙できるのなら、醜くなんかなく、寧ろ美しい部類に入れるという考え方もありそうだ。
湧き上がる気持ちを無理に矯正しようとするのではなくて、自分を含めた悩める人に対し、手を差しのべて、理解しようとする人になりたいなと思った。 -
Posted by ブクログ
”何?「芥川龍之介のミステリ作品集(by裏表紙)」だと・・?”
・・と、“探偵モノ”的な内容なんかな?と、期待して手に取った本書。
えー・・まず申し上げますと、“探偵モノ”的なミステリではないです~。(ただ、例外の作品があるのでそれは後述します)
そうですね・・“奇譚集”といったところが正直な印象ですね。
とはいえ、各話ミステリアスな雰囲気を存分に堪能できる、珠玉の作品集となっております。
収録されている作品の中には「藪の中」「魔術」といった有名作から本書で初めてお目にかかる話まで、端正な文体で綴られる、“謎(mystery)”に包まれた短編18話が収録されていて、既読の話でも改めて読んでみるとまた違った印象で楽しめちゃうのが流石ですよね。
全話面白いのですが、個人的に特に惹き込まれて読んだのは「妖婆」で、ハラハラドキドキの展開で読み応えもありました。
そして、この「妖婆」をアッサリ風味にした感じの「アグニの神」も面白かったです。
他には「疑惑」「報恩記」なども、話の流れの巧みさに唸らせるものがありましたね。
さて、冒頭で本書は“探偵モノ”ではないと書かせて頂いたのですが、実は「未定稿」という作品(作品名?)には探偵が出てくるのです・・・ただ、惜しむらくはこれが未完の話なんですよ~・・“え?ここで終わっちゃうの?”という感じで、マジで途中で終わってしまうので、これは残念でした。
ところで、前述の「未定稿」に出てくる本多探偵と「開化の殺人」「開化の良人」に登場する本多子爵って何か関係があるんですかね?・・これって“本多三部作”ってこと?と、気になるあまり余計な詮索をしてしまった私です。
・・そんな訳で、一つ一つの短編が濃密で、その幻想的な世界にどっぷり浸れる作品ばかりがチョイスされた本書。
私のような“芥川ライト層”からコアなファンの方まで楽しめる一冊だと思います~。