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京の都が、天災や飢饉でさびれすさんでいた頃。荒れはてた羅生門に運びこまれた死人の髪の毛を、一本一本とひき抜いている老婆を目撃した男が、生きのびる道をみつける『羅生門』。あごの下までぶらさがる、見苦しいほど立派な鼻をもつ僧侶が、何とか短くしようと悪戦苦闘する姿をユーモラスに描いて夏目漱石に絶賛された『鼻』。ほかに『芋粥』『好色』など“王朝もの”全8編を収録する。
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Posted by ブクログ
目次 ★羅生門 ★鼻 芋粥 ★運 ★袈裟と盛遠 けさともりとお 邪宗門 じゃしゅうもん 好色 ★俊寛 しゅんかん 改めて羅生門凄すぎるなと思ったけど、あそこまで心情がビッチリ描かれてると、映像化すると特に何も起きてないレベルの些細な出来事であることを忘れるよな。 小説を書く...続きを読む人が皆頭良いとは別に思わないけど、芥川龍之介はめちゃくちゃ頭良さそうな物語書くよな。 芥川龍之介の作品ってめちゃくちゃ凄いなと思うのと、ピンと来ないものの差が激しい。 「 ――人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。そうして何時の間にか、消極的ではあるが、或敵意をその人に対して抱くような事になる。――内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからに外ならない。」 —『羅生門・鼻(新潮文庫)』芥川龍之介著 「 内供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜の短い鼻ではない。上唇の上から顋の下まで、五六寸あまりもぶら下っている、昔の長い鼻である。内供は鼻が一夜の中に、又元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。 ――こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。 内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。」 —『羅生門・鼻(新潮文庫)』芥川龍之介著 「では、この話の主人公は、唯、軽蔑される為にのみ生れて来た人間で、別に何の希望も持っていないかと云うと、そうでもない。五位は五六年前から芋粥と云う物に、異常な執着を持っている。芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛の汁で煮た、粥の事を云うのである。当時はこれが、無上の佳味として、上は万乗の君の食膳にさえ、上せられた。従って、吾五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客の折にしか、はいらない。その時でさえ飲めるのは、僅に喉を沾すに足る程の少量である。そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云う事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になっていた。勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。いや彼自身さえ、それが、彼の一生を貫いている欲望だとは、明白に意識しなかった事であろう。が事実は、彼がその為に、生きていると云っても、差支ない程であった。――人間は、時として、充されるか、充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまう。その愚を哂う者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。 しかし、五位が夢想していた、「芋粥に飽かむ」事は、存外容易に事実となって、現れた。その始終を書こうと云うのが、芋粥の話の目的なのである。」 —『羅生門・鼻(新潮文庫)』芥川龍之介著 昔から私にはたった一人の男しか愛せなかった。そうしてその一人の男が、今夜私を殺しに来るのだ。"芥川龍之介『袈裟と盛遠』 「「が、予は姫君が恋しゅうて、御意得たいと申すのではない。予の業慾に憧るる心は、一度唐土にさすらって、紅毛碧眼の胡僧の口から、天上皇帝の御教を聴聞すると共に、滅びてしもうた。唯、予が胸を痛めるのは、あの玉のような姫君も、この天地を造らせ給うた天上皇帝を知られぬ事じゃ。されば神と言い仏と云う天魔外道の類を信仰せられて、その形になぞらえた木石にも香花を供えられる。かくてはやがて命終の期に臨んで、永劫消えぬ地獄の火に焼かれ給うに相違ない。予はその事を思う度に、阿鼻大城の暗の底へ逆落しに落ちさせらるる、あえかな姫君の姿さえありありと眼に浮んで来るのじゃ。現に昨夜も。――」」 —『羅生門・鼻(新潮文庫)』芥川龍之介著 「「もし岩殿に霊があれば、俊寛一人を残したまま、二人の都返りを取り持つ位は、何とも思わぬ禍津神じゃ。お前はさっきおれが教えた、少将の女房を覚えているか? あの女もやはり岩殿へ、少将がこの島を去らぬように、毎日毎夜詣でたものじゃ。ところがその願は少しも通らぬ。すると岩殿と云う神は、天魔にも増した横道者じゃ。天魔には世尊御出世の時から、諸悪を行うと云う戒行がある。もし岩殿の神の代りに、天魔があの祠にいるとすれば、少将は都へ帰る途中、船から落ちるか、熱病になるか、とにかくに死んだのに相違ない。これが少将もあの女も、同時に破滅させる唯一の途じゃ。が、岩殿は人間のように、諸善ばかりも行わねば、諸悪ばかりも行わぬらしい。尤もこれは岩殿には限らぬ。奥州名取郡笠島の道祖は、都の加茂河原の西、一条の北の辺に住ませられる、出雲路の道祖の御娘じゃ。が、この神は父の神が、まだ聟の神も探されぬ内に、若い都の商人と妹脊の契を結んだ上、さっさと奥へ落ちて来られた。こうなっては凡夫も同じではないか? あの実方の中将は、この神の前を通られる時、下馬も拝もされなかったばかりに、とうとう蹴殺されておしまいなすった。こう云う人間に近い神は、五塵を離れていぬのじゃから、何を仕出かすか油断はならぬ。このためしでもわかる通り、一体神と云うものは、人間離れをせぬ限り、崇めろと云えた義理ではない。――が、そんな事は話の枝葉じゃ。康頼と少将とは一心に、岩殿詣でを続け出した。それも岩殿を熊野になぞらえ、あの浦は和歌浦、この坂は蕪坂なぞと、一々名をつけてやるのじゃから、まず童たちが鹿狩と云っては、小犬を追いまわすのも同じ事じゃ。唯音無の滝だけは本物よりもずっと大きかった」」 —『羅生門・鼻(新潮文庫)』芥川龍之介著 「わたしは御主人とその翌日、この島の火山へ登りました。それから一月程御側にいた後、御名残り惜しい思いをしながら、もう一度都へ帰って来ました。「見せばやなわれを思はん友もがな磯のとまやの柴の庵を」――これが御形見に頂いた歌です。俊寛様はやはり今でも、あの離れ島の笹葺きの家に、相不変御一人悠々と、御暮らしになっている事でしょう。事によると今夜あたりは、琉球芋を召し上りながら、御仏の事や天下の事を御考えになっているかも知れません。そう云う御話はこの外にも、まだいろいろ伺ってあるのですが、それは又何時か申し上げましょう。」 —『羅生門・鼻(新潮文庫)』芥川龍之介著
感想 芥川龍之介の本を読むのは、同じく新潮文庫の『蜘蛛の糸・杜子春』に続いて2冊目。 こちらの方は今昔物語などの古典がもとになっている話が多くて、芥川龍之介風に古典を解釈したら、というもの。 有名な『羅生門』『鼻』『芋粥』は、国語で習ってぼんやりと覚えていたものの、改めて読むと面白い。 どれ...続きを読むも童話的な雰囲気で、その中に「人間って、こんなことするよなあ」というエピソードが含められている。 こういうところが、長く読みつがれている所以なんだろう。 特に私は『羅生門』が好きだった。 不気味な雰囲気、細かい描き込み、人間の我欲。 「悪を働いた人には、何をしてもいいのか?」ということを思い、今のSNS内で繰り広げられるドロドロした争いにも通ずるものがあると感じた。 誰しも自分が可愛いものだ。 極限の状態にあったら、人は他人を蹴落とすのかもしれない。 しかしSNS内で行われている「弱者への石投げ」は、極限状態ではないところが違って、そこが恐ろしい。 匿名でバレないからということを盾に、弱っている人に石を投げる。 人間って怖いと、いつも思う。 そんな争いに巻き込まれないように、平然と生きていきたいものだと思っている。 メモ 羅生門 下人の行方は、誰も知らない。(p18) 国語の授業で習うが、当時はどう考えればいいのかまるで分からず、ただただ不気味で、暗い話だなあと思っていた『羅生門』。 老婆は生前に罪を犯した女性の死骸から髪の毛をむしり取り、下人は老婆から着物を剥ぎ取る。 まとめてしまえばそれだけの話ではある。 ただ、大人になった今、読みながら思うことは、「罪を犯した人間には何をしても許されるのか?」だった。 SNSで炎上する人がいたら、その人に対して何の所縁もない人が石を投げ、酷ければ自殺に追い込むことさえある。 人間は案外残酷なことをできるもので、特にそれが匿名となると、本当にむごい。 羅生門でも、下人は見ず知らずの老婆を相手に素性を明かさないまま、「お前は罪を犯した女性の死骸から髪を取るという罪を犯しているんだから、何されてもいいよな?」と言わんばかりに酷いことをする。 「飢え死にしないために」と老婆も下人も言うが、そんな極限の状況にあったら人は他人を陥れてでも生き延びようとするという、人間の恐ろしい性根が見える。 自分はどんな状況にあっても高潔でいられるかなと怖くなった。 鼻 内供は、いつものように、鼻などは気にかけないと云う風をして、わざとその法もすぐにやって見ようとは云わずにいた。そうして一方では、気軽な口調で、食事の魅年に、弟子の手数をかけるのが、心苦しいと云うような事を云った。(p23) 15〜18cmほどの長い鼻がコンプレックスである禅智内供。 お弟子さんが「都で鼻を短くする方法を聞いてきました!」と言っても、「マジか!すぐやろう!」となるのではなく、「ふーん、そうなんだ。まあ、いつも君に食事の時に鼻を持ち上げてもらうのも申し訳ないし、やろうかな」くらいの感じで言い返す内供が、人間味があって好き。 何となくこういう会話って今もあるよなあと思う。 こうなれば、もう誰も晒うものはないにちがいない。 内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。(p30) 茹でた鼻を踏ませて、出た油を取るというまさかの方法で鼻が短くなった内供。 しかし短くなって普通サイズになった鼻のある内供を見て周りの人が笑い出す。 「他人の不幸を同情しつつも面白がる『傍観者の利己主義』とも言える感情が人間にはある」と芥川は言う。 そして最後、また長い鼻に戻った内供は「これで笑われない」と安心する。 結局、鼻の長さがどうというより、「他人からどう見えるか」「浮いてないか」が大事なのであって、内供のようなお坊さんでもそんな気持ちになるんだなあと思う。 芋粥 栄養の不足した、血色の悪い、間のぬけた五位の顔にも、世間の迫害にべそを掻いた、「人間」が覗いているからである。(p35) いじめられる五位を見た一人の青年の侍が、五位の顔を見て感じたのは、同情か、憐れみか、そんなものかもしれない。 「いじめられる側にも問題はある」のような言い分は昔からよく聞く。 それは「いじめても良い理由」にはならないし、本質的な話じゃないなと個人的には思う。 誰しも一生懸命生きているのだ。 第一、時間のたって行くのが、待遠い。 しかもそれと同時に、夜の明けると云う事が、芋粥を食う時になると云う事が、そう早く、来てはならないような心もちがする。(p53) 主人公の下級官人である五位は、皆からいじめられている役人だったが、一つの夢があった。 「芋粥をお腹いっぱい食べたい」というものだ。 当時、芋粥は高価なもので、滅多に食べられるものではなかった。 ある日、利仁という武将の家のある敦賀へ招かれ、芋粥をお腹いっぱい食べられるチャンスを得る。 しかしその少し前から、五位に「芋粥を食べたくないなあ」という気持ちが芽生える。 私は、「これを食べてしまったら夢が終わってしまう」という不安に襲われているのだと思った。 夢が叶う目前にいる。 楽しみなような、しかしこれが叶ったら後はどうなるんだ? という不安。 手に入れる前は強く欲するけど、いざ手に入れたら興味を失う。 現代では「お金がいっぱいほしい」とも言い換えられるかもしれない。 実際に大金を手にしていわゆる『FIRE』を達成したのに、なぜかやりきれない、という話をよく聞く。 人間は夢を追っている時の方が、辛いけど、幸せなのかもしれないな、ということをこの『芋粥』から感じた。 運 生活に困った女性が観音様に願掛けをする。 その後、お坊さんから「あなたに言い寄ってくる男の人が現れる。断ってはならない」と告げられ、お告げ通りに男性は現れるが、夜道で襲われ、結婚を迫られる。 お告げに従い結婚を承諾すると、男から高価な品をたくさんもらう。 男のいないときに根城の中を見て回ると、そこには高価な物だらけ。 「泥棒だ!」と思い逃げ出した後、男が捕まって連れて行かれるのを目撃し、涙を流す。 その後、男からもらったものを売って幸せに暮らしました、という話。 女性は被害者なのだが、何で最後に男が捕まったとに涙を流したのかが気になった。 「自分で自分がいじらしくなって」とあり、もしかしたら、悪人に捕まり、施しを受け、それで生き延びていくしかない自分が哀れになったのかもしれない。 人間、本当に困っていたら神頼みもするし、もしかしたら悪行にすがってでも生き延びようとする欲が出てしまうのかもしれない。 袈裟と盛遠 なんだかドロドロした話。 武士の盛遠、美しい女性の袈裟、袈裟の夫の渡の三角関係。 盛遠と袈裟のそれぞれの独白で構成されている短編。 盛遠の袈裟に対する愛し方はかなり過激で、本人に言わせても愛しているか分からないというほど。 袈裟も袈裟で、「渡を殺してやる」という盛遠に対して承諾したりと、正直何を考えているか理解できなかった。 DV男と、ダメ男に惹かれてしまう女性的な感じか? 最終的には、盛遠に殺されかける渡を庇って、袈裟は殺されてしまう。 何だか今もありそうなドロドロした恋愛ドラマみたいだ。 邪宗門 まさかの未完作品。 急なお坊さんの法力バトル展開にはびっくり。 摩利信乃法師はキリスト教だと思うけど、この作品の舞台になった当時、キリスト教は日本で知られていたのだろうか? 横川の偉いお坊さんが皆を代表して出てきて戦いを挑み、惨敗するところはかなり可哀想。 好色 「平中、最低なやつだな」 読みながら素直にそう思う。 平中は根っからのプレイボーイで、友人からも「その分野においては天才」と言わしめるほどモテモテだったが、どうしても落とせない女性がいた。 ある日その女性がようやく会ってくれそうになるが、長い経験をさせられ、未練と失意の中でこう考える。 「そうだ、あの女性の嫌なところを見たら忘れられる」 そこへ女性の『う◯ち』が入った箱を持ったお付きの女の子が通りかかる(この文化にもびっくりした)。 その箱をひったくり、「う◯ちを見れば、あの女性を忘れて、俺は俺の命を生きられる」と無茶苦茶なことを考えて箱を開けるも、中にあったのは良い香りの上等な香木。 まさかだが、企みはバレていた。 めちゃくちゃだが素直に面白かった。 俊寛 島流しされた俊寛を訪ねた有王。 都に流れる俊寛さんの噂は尾ひれがついたもので、実際は俊寛さんは島の暮らしに馴染んでいた。 人の噂話とは当てにならないものだ。 何が正しいかは、自分の目で見たものを当てにする方が良い。 また、「何を美しいと感じるかは違う」ということが語られている。 国、文化、時代によって、何を美とするかは変わる。
学生時代に読んだことがありますが、久しぶりに読みました。羅生門は、とにかく不気味で今読んでも怖かったです。鼻は面白かったです。またいつか再読しようかと思います。
日本人の国民的図書である。大正を代表する小説家である芥川龍之介の短編集だ。その中でも最もポピュラーな「羅生門・鼻」を読んだ。この本には「羅生門」「鼻」「芋粥」「好色」「邪宗門」「俊寛」などが載っている。数ある短編集の中でも、有名どころをまとめた作品だ。まあ邪宗門と俊寛はちゃんと読んだわけじゃないのだ...続きを読むが、別にいいだろう。今昔物語という作品がベースになっている作品ばかりなので、そっちを知らないと楽しめないかと思ったのだが、別にそんなことはなかった。タイトルにもなっている羅生門と鼻は本当に皮肉が効いていて面白い。ただ流石大正の作品というだけあって、言葉遣いが今と若干違うが、かといって読みづらいようなことはなかった。文章のつなぎ方や作品ごとの語り口が巧みで、見事なものだった。まったくの素人である俺でも、語り口が別人すぎて驚いた。別ジャンルなのだろうが、語り口が変わる作品で西尾維新の物語シリーズがある。これも結構変わりはするのだが、著者が描きやすいようにキャラクター性が強くなっている。本作はそんな癖はどこにもないが、しかし別人なのだ。そのあたりは技量を感じた。これについてはすべての作家に共通して言えることかもしれないが、一つ一つの作品に込めた思いが強いので、後味もしっかりしている。むしろ後味が強すぎて他が入ってこない。最後の数行で事態が一変する構造は、見ていておもしろかった。やはりこの代表作には一度目を通しておいた方がいい。
『鼻』は初読、『羅生門』は高校の授業以来の再読。鼻が短くなったのに周囲から笑われた理由や、下人が盗みを働いた後の行方など、作中にはっきり描かれていない要素がある、すなわち読者の解釈の自由度が高い点で、両物語は共通している。 『鼻』のクスッと笑えるユーモアに溢れた文章表現が気に入った。
陰鬱で不気味な羅生門。人生に詰んだ下人の心が行ったり来たりする。生きていくために盗人になろうか、どうしようか。(若いんだから、真っ当に働けよ、と思ったのは私だけではないはず) 羅生門の二階で罪深い老婆の悪行を見て、人の心を取り戻し正義を守ろうとする。 が、その老婆の言い訳を聞いて反転する。 コロコロ...続きを読む心変わりをしていくさまに、読んでる私も右往左往してしまう。 気持ちがひっくり返るのが面白い。そして最後は…。 「羅生門」は昔、読んだ記憶があるものの今イチ面白さがわからなかった。そして大人になった今、マイ芥川ブームで作品の読み直しを始めて改めて物語の深さに気づいている。どの作品も面白過ぎる。人の心の闇を書くのがうまい。 こんな気持ち、私にもあるなぁ、と思い起こさせてくれる。 「鼻」や「好色」なんかは滑稽な話で声を出して笑ってしまった。ヤバ過ぎる。こんな明るい話も書けるのか。この手の話をもっと読んでみたいと思った。初期、中期の作品をしっかり読んでから、後期に突入するのが良さげかな。
源平盛衰記や仏教用語など調べないとわからないことが多くあったのでそこは難しかった。ただ、羅生門など教科書に載るような短い話は理解が比較的簡単で面白い。
久々の芥川龍之介の再読。大河ドラマ(光君へ)で関心を集めている平安時代初期の時代背景に注目。近代小説家(自然派と言われた人々)の有名人の一人である芥川龍之介の作品から王朝物文学の傑作を読む。良く勉強しているのにはただただ驚くばかり。
「心の裏側」 芥川龍之介の「羅生門」を読んだのは先週だった 映画『羅生門』を観て、どうしても気になってしまったから 短編で読みやすいが内容はとても奥深く人は生きるためは何者にもなれるのだと思ったものです。 「鼻」 どんな本なのかと読み進むとこれまた意外 これも短編で読みやすい 読みやすいが深読みす...続きを読むるとどこまでも深い 噺家がやればなかなかの笑い話だけども心の動きがよく分かる 漱石さんお墨付きになるわけだ 今度は芥川龍之介の短編集を読んでみたいです。
引き続き昔の文学を…の流れで、芥川龍之介作品を。 オーディオリスニングにて読める代表作をパラパラ(蜘蛛の糸、蜜柑、羅生門、トロッコ、杜子春、鼻)と…代表して感想をここに記載。 いや…何かエモいやん、芥川龍之介・大先生( ̄∇ ̄) 美しいながらも読みやすい…程よく装飾性のある文章、個人的にはスゴく心...続きを読む地良かったです。 今読むと話自体は決して珍しくはないんですが… 芥川龍之介作品とは、その超絶王道なストーリーを「巧みな筆力」と「偉大なる文豪の肩書き」を命綱にして読む作品なのかなぁと…我ながら、結構なお手前で…( ̄∇ ̄)wwwww あと、どの作品も最後(あたり)の一文が素晴らしいですね。 羅生門で言うところの「下人の行方は、誰も知らない。」的な(笑) 綺麗なフリオチのストーリーを、最後の圧倒的な美しい文章で仕上げつつ、ピリッとした緊張感を持たせる…コレが「文学」感を出してるんかなぁと。 「ええ感じのオチ書いたやろ」って、ほくそ笑んでる芥川龍之介さんの顔が浮かんできますね…うっすら漫才の最後で言ってんなぁ…「もうええわ」って…したり顔で…(´∀`) <印象に残った言葉> ・下人の行方は、誰も知らない。(P18) ・ーこうなれば、もうだれも嗤うものはないにちがいない。内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。(P29) ・しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんなことには頓着致しません。その玉のような白い花は、お釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら蕚を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、なんとも言えないよい匂いが、絶え間なくあたりへ溢れております。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。(P70) ・暮色を帯びた町はずれの踏切と、小鳥のように声を挙げた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮やかな蜜柑の色とーすべては汽車の窓の外に、瞬く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ないほどはっきりと、この光景が焼きつけられた。そうしてそこから、ある得体の知れない朗らかな心もちが湧き上がってくるのを意識した。(P152) ・塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細々と一すじ断続している。……(P236) <内容(「BOOK」データベースより)> この天才を越えた者がいただろうか? 近代知性の極に荒野を見た作家の珠玉作品集。 小説家の登龍門である「芥川賞」に、その名をとどめる芥川龍之介は、深刻な人生の悩みに耐えながら、機智と諧謔と博識を駆使し、みごとな短篇小説を書き残した。 平安時代、荒廃した都で途方に暮れていた下人は、若い女の遺体から髪を引き抜く老婆に怒りを燃やす……「羅生門」。 蜘蛛の糸につかまって自分だけ助かろうとした男のエゴイズムの果てを描く「蜘蛛の糸」。 贅沢と転落を繰り返し、人間に愛想をつかした若者が仙人になりたいと望んで……「杜子春」。 新鮮な抒情、傑出した虚構、そして明晰な文章で、今なお人々を魅了してやまない不世出の天才の代表的作品を、一冊に収めた21世紀への日本の遺産。
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