あらすじ
ここに収めた三篇は、いずれも作者最晩年の代表作。『玄鶴山房』の暗澹たる世界は、作者の見た人生というものの、最も偽りのない姿であり、『歯車』には自ら死を決意した人の、死を待つ日々の心情が端的に反映されている。『或阿呆の一生』は、芥川という一人の人間が、自らの一生に下した総決算といってよい。(解説 中村真一郎)
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芥川龍之介の遺稿の一つ。苦悩と傑作。
「歯車」あらすじ
筋のない小説の一種で、きわだった構想はないが、幅の広い作品で、芥川龍之介が直面した人生の種々相をそっくりとり入れようとしている。
作品を順に4つに分けると
① 知人の結婚式に向かう途中、主人公はレインコートを着た幽霊の話を耳にする。その時を境に、「僕」は幾度となくレインコートを着た人間を目にするようになる。
② 義兄がレインコートを着て自殺したと知り、「僕」は世の中に存在する様々な物や言葉から死に対する連想をするようになる。
③ 憂鬱に苛まれた彼の視界には原因不明の半透明な歯車が広がっている。歪んでいく精神状況で、自分も母親のように気が狂ってしまうのだろうか、という強迫観念が彼を襲う。
④ 安息のために実家に帰宅したが、精神は錯乱し、まぶたの裏に銀色の翼が浮かび上がる。「僕」は、誰か眠っている間に締め殺してくれないか、と考える。
書評
『歯車』は「地獄」に落ちた彼自身を描き上げた作品である。激しい強迫観念と、神経のふるえが、一行、一字の裏にまで流れている。彼がしばしばこころみた怪奇の描写が、恐ろしい迫力をもって、見事になされている。
この『歯車』の世界に住んでいた彼の、自殺することは必然というべきであった。
作中に出る「寿陵余子(じゅりょうよし)」とは中国の田舎の若者が、都会に行って洗練された歩き方を取得しようとしたが、結果的に身に付けることが出来ず、それどころか本来の自分の歩き方すら忘れてしまう、という説話から来る言葉。
これは、芥川龍之介は長編小説に悪戦苦闘した結果、傑作を完成させることはできず、それどころかかつて夏目漱石に賞賛されたような秀逸な短編も書けなくなってしまった、という自身の作家としての苦悩が表現されている。
キリストにさえ救われなかった。芥川龍之介はキリスト教を批判していたわけではなく、いくら努力をしても理解することが出来なかった。
芥川龍之介の前期の作品は秀逸な短編が多い中、後期になって長編が書けないという苦しみがあったというのは意外なことのように感じる。また、自殺直前の作品であることからその当時の状況を知ることができる貴重な資料という面も併せ持っている。
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歯車とは偏頭痛で出現する「閃輝暗点」のこと。
しかし芥川にとっては、悪い予兆、彼にとって死を暗示する数々の符号の一つであった。
彼の自殺の数ヶ月前に書かれた本作は、死の不安というものが人の心理にどう感じらせるかを上手く描いているとともに、おそらく芥川が実際に陥っていたであろう死の強迫観念をそのまま小説にしたようにも思われる。
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表題作である『歯車』について。
病んでます。これに尽きる。かと言って、
病的な美しさがあるのかと言えば、そうでもない。
なんと表現したらいいものか、言葉に詰まります。
ただ、なんとなく歪んだ世界が心地良い。
この辺の感覚は、それこそ人を選ぶものでしょう。
ゆっくりと流れる時間と、奇妙な風景。それに惹かれました。
大正浪漫な雰囲気が好きだという方には、おすすめできる作品です。
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「歯車」の細部の連関ぶりは、瞠目すべきものがある。
すでに我々が芥川の自殺を知っているからではなく、あまりに緊密な細部がひとえに〈死〉の縁へと集まり、〈死〉に張り付く異様な様がひどくパセティックであるがゆえに、テクストを読みながら芥川が死んでしまうことを予感させるのであった。
そうした「歯車」とくらべれば、「或る阿呆の一生」は本人も遺書のようなものとして書いているため、むしろペシミスティックな感じがある。
収録されている順に、「歯車」→「或る阿呆の一生」と読むと、いっそう芥川の死が決定的なものにみえてきて、せつない。
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晩年の芥川流の死生観があらわれている。
「死」と照らし合わせての「生」を描いた小説は多いが、「死」の方向へ突き進む小説って実はあまり例がない。
芥川のみた世界の片鱗を味わえる。
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或阿呆の一生
架空線は不相変鋭い火花を放っていた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかった。が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換えてもつかまえたかった。
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末期芥川の小説三篇。『歯車』は良作。
彼は一貫するメロディーを持つ世界を書くことのできる作家だった。末期に描いたそれが、自己愛に満ちた内的世界だったとしても、優れたものは仕方がない。
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表題の歯車。
作者らしき人物、晩年の芥川の苦悩が迫ってくる。
半透明な歯車閃輝暗点〜偏頭痛?身体的苦痛。
そして途切れることの無い、精神的不安定、苦痛。
…レエン.コートに示唆される不吉な死の符号。
…飛行機に乗っている人間は高い空の空気に慣れ、下界の空気に耐えられない…という描写。心が壊れていく感覚。
様々な優れた作品を生み出せる能力を得ていくにつれ、チャンネル?次元?が違ってしまうのだろうか。我々には当たり前の日常が、彼にとっては耐えがたい苦痛になのかと感じた。
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漱石の『道草』を読んで、芥川の『歯車』を思い出した。
神経が剥き出しになったような、痛々しい文体がそっくりだと思った。
漱石は、自分と近い資質を大学生の芥川に見出してに違いない。
漱石が激賞したのは芥川23歳の作品『鼻』だが、初期芥川作品を読んだだけで、漱石は将来の芥川の作品(芥川死の直前35歳時の作品)を既に予期していたのかもしれない。
そして、死を意識した芥川は、尊敬する漱石の作品を思い描きながら『歯車』を書いたのではないか。
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三作とも暗かった、ただひたすら、暗かった。
晩年は生きているということが、即、地獄の生活だったのだろう。実母の病気のことはこの本で初めて知った。
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晩年の死を意識した頃の短編集。龍サマの神経がヒリヒリしている感じが伝わって来て痛々しい。
その一方で「或る阿呆の一生」に登場する狂人の娘は誰?といった下世話な勘繰りをしてしまい、いろいろググってしまった。
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芥川、晩年の作品。芥川の神経のすり減っていく様、精神のバランスが崩れていく様が描かれている。
産まれたばかりの自分の子を見て「何のためにこいつも生れて来たのだろう?」と思いそれをわざわざ書き残す深刻さといい、なぜこの人はいつも何かに打ちひしがれているのか。なぜこんなに罪悪感に駆られているのか。と正直度が過ぎており理解の範疇を超えていると思っていた。しかし、小林敏明氏の評論に或る「露出する神経」というワードがしっくりきて、腑に落ちた気がした。
小説というより彼の遺書のようで、重々しい内容だった。この精神状態を書き残せること事態が並々ではないからこそ、後世に伝えられる作品なのかなと感じた。
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芥川龍之介氏の晩年の作品、3作が収録されています。
収録作は"玄鶴山房"、"歯車"、"或阿呆の一生"で、"歯車"と"或阿呆の一生"は死後に遺稿として発見されました。
そういう意味では"玄鶴山房"だけ発表時期がずれていますが、生きることの苦しさを書いた作品ということで共に収録されたものかと思います。
3作とも、強く死のイメージが出た作品です。
精神が不安定になり、心理的に追い詰められた状態で筆を執った3作は、生々しくややキツい内容でした。
教訓やユーモア、挑戦心があり、子供にもわかりやすい氏の前・中期の作品とどうしても比較してしまいますね。
晩年の作品はそもそも読まれることを前提に書かれているような感じがなく、小説の体を成していないとも感じられます。
そのため、非常に読みにくく、ドグラ・マグラのように読んだこっちの頭がおかしくなりそうな文章が続きますが、一方で、研究家には、初期より晩年の作品を評価する赴きもあり、好きな人は好きなんだろうなと思いました。
各話の感想は以下の通り。
・玄鶴山房 ...
「玄鶴」は、肺結核を患っており、"玄鶴山房"と呼ばれる自宅で療養をしています。
玄鶴は本業は画家なのですが、ゴム印の特許で財を成しており、生活は困窮していません。
妻の「お鳥」も寝たきり状態のため、玄鶴の身の回りの世話は、看護師の「甲野」が行っています。
"玄鶴山房"の離れに住む娘の「お鈴」は、家事をこなすと夫の「重吉」と共に夕食を取ります。
そんなある一般的な家庭に、「お芳」という元お手伝いさんが子供を伴って訪れます。
彼女は玄鶴の愛人として囲われており、体調の悪い玄鶴の看病を手伝うと申し入れたのですが、お鈴は財産がお芳に奪われるのではと気が気ではない、お鳥は娘たちに八つ当たりをし、甲野はそんな家庭の諍いを覗き見ることに快楽を得るようになります。
そうして家庭が崩壊していく中、病床の玄鶴は布団の上でひとりごちるという展開です。
発表されたのは「中央公論 2月号」で、"河童"や"蜃気楼"より前に発表された作品です。
20ページ強ほどの短編ですが、登場人物が多く、また、各人物の抱える負の感情が赤裸々に描かれています。
そうなるとごちゃごちゃとしそうですが、人物の動きがわかりやすく、各々の思考も伝わってきます。
晩年の作品の中では、"河童"も含めて最も読みやすい作品と思います。
・歯車 ...
芥川龍之介晩期の代表作。本作が氏の最高傑作と評価する文人も多々いるほどの作品です。
死の4ヶ月前からその直前まで執筆されたとされており、もはや死ぬ以外に道がないという追い詰められた気持ちが文章から伝わってくるようです。
果たして本書は小説なのか?と思うほど、内容は散らかっていると感じました。
はっきり言って読みにくく、話をすじをつかみにくいです。
主人公は結婚披露宴に出席するため東京のホテルへ移動する途中、乗り合わせた理髪店の店主からレイン・コオトを着た幽霊の話を聞きます。
それ以来、レイン・コオトを着た人物を頻繁に目撃するのですが、同時に街の風景がいちいち死を想起させるとともに、歯車のようなものが見え始めて、自分は狂ってしまったのだと怯え、苦しむ。
奇書とも思える作品ですが、書かれる内容は真に迫っていて恐ろしさを誘います。
・或阿呆の一生 ...
芥川龍之介の自殺後に見つかった文章。
51編の短い文章からなり、各々の文章はつながっているようなつながっていないような、一連の作品としての連続性を見出すのが難しい内容です。
芥川龍之介の自伝的な内容と言われていますが、非常に読みにくく、読んだとして理解するのもまた困難です。
序文に、芥川龍之介の友人の久米正雄に宛てて、原稿を託す文章が記されています。
以降は羅列、といってもいい死に面した奔流が書かれていて、短いですがずっしりとした重い、暗い作品でした。
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なんか或阿呆の一生はTwitterだし歯車はnoteだなあと思った。死に、とくに自死に取り憑かれたとき、人はみんななにかを書き残したくなるのかな。
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岩波文庫では初。あるぼんやりとした不安を抱えた芥川龍之介の晩年の3作。玄鶴山房は少しも覚えていなかった。面白いかは別として芥川龍之介を読む上で必要な作品。暗い。
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面白くはない。暗い。陰鬱。主人公が長生きしない感満載に見えるのはその後を知っているからなのか、劇中夫人が問うた通り、滲み出るものだからなのか。。
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今まで読んできた芥川とはかなり違う文体。だが頭を使わないと読めない所は変わらない。三篇とも面白かったが特に題名にもなっている「歯車」は秀逸だ。人間の奥底の黒い部分を的確に表しているのではないか。やはり短編は素晴らしい。
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龍之介の遺稿集。亡くなる約半年前頃に書かれた作品集で、死臭漂う「玄鶴山房」、ジャンキーの夢を描いたような「歯車」、日記形式で支離滅裂な「或阿呆の一生」を収録。来るところまで来た時期の話だが、暗さや重さはそれほどなく清々しささえ感じる。
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これは辛い。
或る阿呆の一生は発表しない方がよかったのではないでしょうか。プライベートの独白か、それに近い虚構。小説の体をなしてない。これだと芥川のプライベートを探る後世の批評家の餌でしかない。