無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
目次
★偸盗 ちゅうとう
地獄変
竜
往生絵巻
★藪の中
六の宮の姫君
藪の中最高
偸盗=こっそり盗むこと(=窃盗)
「 その上、貌も変れば、心も変った。始めて娘と今の夫との関係を知った時、自分は、泣いて騒いだ覚えがある。が、こうなって見れば、それも、当り前の事としか思われない。盗みをする事も、人を殺す事も、慣れれば、家業と同じである。云わば京の大路小路に、雑草がはえたように、自分の心も、もう荒んだ事を、苦にしない程、荒んでしまった。が、一方から見れば又、すべてが変ったようで、変っていない。娘の今している事と、自分の昔した事とは、存外似よった所がある。あの太郎と次郎とにしても、やはり今の夫の若かった頃と、やる事に大した変りはない。こうして人間は、何時までも同じ事を繰返して行くのであろう。そう思えば、都も昔の都なら、自分も昔の自分である。…………」
—『地獄変・偸盗(新潮文庫)』芥川龍之介著
「ここにあつめたのは、芥川龍之介の「王朝物」といわれる、平安時代に材料を得た歴史小説である。この種のものをこの文庫では二冊に分載したが、この集には最初期のものを省き、より後期のものを多くおさめている。配列はほぼ年代順であるが、その発表年時、発表機関は次のようである。偸盗 大正六年 四月・七月 『中央公論』地獄変 大正七年 五月 『大阪毎日』『東京日日』竜 大正八年 五月 『中央公論』往生絵巻 大正一〇年 四月 『国粋』藪の中 大正一一年 一月 『新潮』六の宮の姫君 大正一一年 八月 『表現』 ちなみにこれらの諸編は、すべて『今昔物語』もしくは『宇治拾遺物語』の説話集に出典をあおいでいる。その素材源を示せば次のようである。偸盗 『今昔物語』巻二十九「不レ被レ知レ人女盗人語第三」地獄変 『宇治拾遺物語』巻三「絵仏師良秀家の焼くるを見て悦ぶ事」(『十訓抄』巻六第三十二話も同じ)及び『古今著聞集』巻十一「弘高の地獄変の屛風を書ける次第」竜 『宇治拾遺物語』巻十一「蔵人得業猿沢の池の竜の事」及び同巻二第十二話「唐卒都婆に血つく事」往生絵巻 『今昔物語』巻十九「讃岐国多度郡五位聞レ法即出家語第十四」藪の中 『今昔物語』巻二十九「具レ妻行二丹波国一男於二大江山一被レ縛語第二十三」六の宮の姫君 『今昔物語』巻十九「六宮姫君夫出家語第五」及び同巻十五「造二悪業一一人㝡後唱二念仏一往生語第四十七」」
—『地獄変・偸盗(新潮文庫)』芥川龍之介著
Posted by ブクログ
『地獄変』は中学生くらいの頃に読んだはずだけど、今回読んだら思ってたのと違った…多分『宇治拾遺』の話とごっちゃにしちゃってたんだな〜
解説に
『地獄変』の良秀は、他の思う通りの傑作を完成したが、しかしそのためには最愛の娘の生命を犠牲にするという残酷な所業をあえてした。絵を完成したのち、一たん道徳的な気もちに立ちかえると、くびれ死なざるを得なかったというところに、芥川の芸術家としての、また同時に人間としての、生き方なり、立脚地なりがあった。
って書いてあって、宇治拾遺の方も『地獄変』も「芸術と道徳の相剋・矛盾」が語られる印象があるけど、『地獄変』は違う気がする。
確かに良秀は芸術第一の変人だろうけど、娘を愛していたのは確かなのにその娘を檳榔毛の車の中に鎖で繋いで火を放ったのは堀川の大殿で、しかも火にかけようと思いついたのは手篭めにしようとして失敗したからだろう。
良秀が見たものしか描けないって大殿に言った時の「悦しそうな御景色」「まるで良秀のもの狂いに御染みなすったのかと思う程、唯ならなかった」とかさ〜〜この時に自分の思い通りにならなかったことへの意趣返しとして娘を燃やすことを思いついて顔に出ちゃったんでしょ?外道だコイツ こいつはくせえッー!ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーッ!!と思いながら読んだ。
燃える娘と車を見ながら
あのさつきまで地獄の責苦に悩んでいたような良秀は、今は云いようのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを満面に浮べながら、(…)両腕をしっかり胸に組んで、佇んでいるではございませんか。それがどうもあの男の眼の中には、娘の死ぬ有様が映っていないようなのでございます。唯美しい火焔の色と、その中に苦しむ女人の姿とが、限りなく、心を悦ばせるーそう云う景色に見えました
ってあるけどさ〜悦んでるんじゃなくて限界を越えて心が壊れちゃった様子としか思えない。辛い。
八で語られる良秀の変人エピソードの中に
「誰だと思ったらーーうん、貴様だな。己も貴様だろうと思っていた。なに、迎えに来たと?だから来い。奈落へ来い。奈落にはーー奈落には己の娘が待っている」
っていうこの物語のオチを仄めかすような独り言を言ってる場面があったけど、これも語り手が直接見たことじゃなくて伝聞した話だし…この語り手って明らか大殿の肩を持っていて、乱れた服装で転び出てきた娘を見て「性徳愚かな私には、分りすぎている程分っている事の外は、生憎何一つ飲みこめません」とかどういうこと??
生前の出来事を語ることは死者の鎮魂となり得るはずけど、大殿の従者であろう語り手が、お上に逆らえない状況で多少なりとも良秀に同情を寄せていたのか。個人的には良秀と娘が可哀想すぎて同情していて欲しいと思ってたけど、八のエピソードから語り手の存在も含めザ・作り物語って感じで、それにしても、大殿のゲスさや娘を燃やされた良秀の描写は作りモノにしてはあまりにも凄まじい
追記
女が自分の思い通りにならなかったら殺すってまるでノートルダムの鐘のフロロー判事だなと思った
Posted by ブクログ
主に地獄変の感想となります。
モデルとなる宇治拾遺物語は何となく知っている程度です。それを元に描かれた画師・良秀の芸術と狂気の紙一重の描写が重く思えました。
作品を生み出すため自身の愛情を込めた人物が犠牲となった際の良秀の情景描写で、人としての良心と芸術家としてのエゴが相反し、複雑に混ざりながら葛藤している様子が痛いほど伝わります。
その後、事象を経て描いている良秀の様子は忘我の状態と表現すべきか、神懸かり的な様子で描写されていました。その場面は読んでいて、ついに作品を生み出すために犠牲を厭わなく思ったのかと怖さを抱きました。その一方で、常人では到達できない所に辿り着いたのかとも思いました。
読んでいて気になった所が、良秀については悪く(醜くというべきか)表現されているのに対し、作品を描かせるように仕向けた大殿は良く書かれており対比されるようになっていた所です。その対比は物語の最後まで続いていますが、果たしてこの視点は公平なのでしょうか?そして良秀が迎えた結末は本当に呵責に耐えられなくなったからなのでしょうか?違う視点を持って読み直すとまた、違う感想を抱くのではないかと思いました。
偸盗に関しては作中の情景描写から平安時代、別作品の羅生門の頃の物語なのかと思いました。しかし羅生門とは違い登場する人物が多く、愛憎が交錯した描写や物語の視点が変わる事が多く今どちらの視点なのか?と混乱する感覚がありました。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
少年・青年マンガ
少年・青年マンガ
小説・文芸
小説・文芸
試し読み
小説・文芸
試し読み
小説・文芸
試し読み