芥川龍之介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ名前だけ知ってても一度も手にしたことがない、
歴史的文豪、芥川龍之介の世界に触れてみよう。このたびやっと決心致しました。
短編集で各々、読みやすいものから難解なものまで
用意されていて、出し手の波長の変化を受け取りつつ、
そして、どれも内容は違うようで横文字混じりの『芥川節』が随所に込められていて、
それが全体を束ねる、いわゆる芥川色の紐として機能してると思いました。
表題にもなっている有名な『羅生門』ですが、一見して、
正直なところ自分には、これの何がそんなにいいのかがわかりかねましたが、
落ち着いていま考えるとこれは、老婆の言葉尻を捕らえて、
食うに困るなら相手の道理にならって追い剥 -
購入済み
河童忌
芥川龍之介の晩年の作品である。(晩年と言っても35歳で死んでしまっているのだが)自分自身そして社会に対する諦めににも近い虚無感 徒労感を読み取ることができる。この作品は、芥川龍之介の命日を「河童忌」というように代表作と評価されているが、私はあまり好きな作品ではない。
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Posted by ブクログ
ネタバレ平安時代の画師・良秀の生涯を描いた作品。本作は、その卓越した技術と人々を惹きつける独特の魅力を持ちながらも、醜い容姿と傲慢な性格で周囲から疎まれる老画師の姿を通して、美と醜、愛と欲望、そして芸術の本質について深く掘り下げています。
良秀は一人娘に対する深い愛情を抱いており、彼女の幸せを何よりも優先していました。しかし、その娘が大殿様の目に留まり、良秀は娘を手放すことを拒みました。この決断が、後に彼と娘の運命を狂わせることになります。大殿様からの命令で「地獄変」の屏風絵を描くことになった良秀は、作品に没頭するあまり、次第に狂気に陥っていきました。彼の中で、現実と芸術の境界が曖昧になり、その過程 -
Posted by ブクログ
“地獄変”はアーティストとは?という問いを芥川が投げかけているようだった。自分もアーティストとはどんな人なのかよく考える。類まれな才能があって、ストイックで、人生より芸術に重きを置いている人、私生活や人付き合いを犠牲にしてでもただひたすら、独りで何かを考えたり作り上げたりしている人なのかなと思う。例を出すと、ハリウッドの巨匠、スピルバーグや毎日コントを上げているジャルジャルとかかな。
ただ地獄変の絵師、良秀は娘を殺されてまでも、自分の求める芸術を追い求め続けた。作中の高僧は仏教的な立場から、いくら芸に優れていても、人を殺してはダメだ的なことを言っていたが、実際はどうなんだろう。自分もこれはや -
Posted by ブクログ
芥川龍之介と言えば羅生門を教科書で読み、地獄変、蜘蛛の糸を思いだしたんです。
こちらは少し物語がやさしい、わかりやすい感じでした。
その中でもはじめて読んだ蜜柑にとても惹かれました。
これは…好みのやつだ。
どの時代も、平然たる、日常の、生活での感情の機微は凹凸があるのだと思うが、作品そこにトリップしたような後読感で気持ちよかった。
こういう生活感があって、そこでのちょっとした非日常がすきなのかも。
龍之介目線。
列車でどこぞへ向かうのだが、ほぼ客のない列車内で、発車まで座席でなにを思うでもなく退屈に待つ龍之介。
やっと発車の笛がなる中、一人の娘が乗り込んでくる。
身なりがいか -
Posted by ブクログ
十代の頃、新潮文庫で初めて「侏儒の言葉」を読んだ時、閃光のようにきらめく知性と厭世的なポーズに酔いしれ憧れた。二十代で再読した時には、頭でっかちで底の浅いひ弱な精神しか見出せなかった。不惑を過ぎて「文藝的な、余りに文藝的な」と合わせて改めてこの箴言集を読み、芥川がなぜ自ら命を絶たねばならなかったのか少し分かるような気がした。
詩人兼ジャーナリストでありたいと願った芥川は詩的精神と知性をともに追い求めた。だが彼の知性は詩人に徹することを肯んぜず、その詩的精神は散文芸術としての総合性とあい入れなかった。芥川の中の詩人とジャーナリストがギリギリのバランスを保つことができたのがアフォリズムという形式