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「河童」は、ある精神病患者の談話を筆録したという形で書かれたユートピア小説。ここに描かれた奇妙な河童の国は、戯画化された昭和初期の日本社会であり、また、生活に、創作に行きづまっていた作者の不安と苦悩が色濃く影を落している。脱稿後半年を経ずして、芥川は自ら命を断った。(解説=吉田精一)
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Posted by ブクログ
(河童)面白く読んだ。どうなのかな、河童の国とこの人間の国、どちらが住み良いかな。芥川はどう思っていたのかな。生きにくかったのかな。
本編収録の『蜃気楼』について 話のない話 『蜃気楼』に対する直接的な評価を記す前に、少し考えてみたいことがあります。そのことが、『蜃気楼』 の魅力の片鱗を知る前提となるはずです。それは、言語の機能についてです。 当然のことではありますが、言語はあくまで表象であり、そのものではありません。「愛...続きを読むしてる」といっても、当の「愛」なるものは言語化不可能な総体のことですから、人間は「愛する」という行為の具体例をひとつひとつ挙げることはできますが、「愛」のすべてを説明しきることができません。つまり、人間が理性とともに感性を持つ生き物であるかぎり、理性の領域に属する事柄は言語化可能であっても、感性の領域に属する事柄は、理性では永遠に解することができません。 しかしながら小説は、仮にそれが芸術であるならば、そうでありながら、つまり感性の領域を問題としながら、その表現に言語を用いるという、大いなる矛盾を抱えています。もちろんさまざまな種類の文芸作品があり、それらのすべてがすべて、純粋に(書き手の、あるいは読み手の)感性を言語化する営みだけではありません。しかし、少なくとも芥川龍之介という人は、言語表現の限界と格闘した作家です。『蜃気楼』の特殊性は、おそらくここに、つまり芥川の企ての無謀さに起因しているのではないか、それこそがこの作品の魅力になっているのではないかと思うのです。 『蜃気楼』は、「話のない話」です。すなわち、なにか筋があるわけではなく、ただ淡々とある日の情景が描写されるだけで、オチというオチがありません。しかし、読者はこの作品を読むことで、ひとつの幻視体験をします。 ここで読者が目にする幻は、「唯ぼんやりとした不安」(芥川の遺書にある言葉)です。少なからぬ人が、時折この不安を覚えるのではないかと想像しますが、これは具体的に何とはいえない、得体の知れない影で、タチが悪く、存在することの必然性の無さ、生の無意味さを執拗に問わせます。この不安は、前述の「愛」と同様に、感性の領域では確かに存在するのに、それを理性の領域で認識しようとした途端に的外れとなって、その手から滑り落ちてしまいます。しかし、『蜃気楼』は、まるで一枚の絵画のように、読む(幻をみる)人の感性に隠された、その荒涼とした地平を想起させる、そしてその人の感性に巣食う、その不安という言語化不可能なものを言語化しようと試み、またそれに成功した稀有な一編ではないでしょうか。 言語化できないなら、「唯ぼんやりとした不安」とやらは、実在しないのかも知れません。しかし、この理屈では、同じく言語化できないものすべてが実在しないことになってしまいます。では、人間は幻なのか。そうではないと、感性はいいます。優れた作家は、理性でもこれを認識しようと、言語化を試みるわけで、その無謀な企てに成功する人は多くありません。 人間が人間となって以来、この無謀な企ては絶えず繰り返され、「人間」が打ち立てられてきたのであるとすれば(まるでこれはカミュですね)、『蜃気楼』が今後も読まれつづけることを祈らねばならないように思います。もし彼のような作家が読まれなくなったとき、それは人間が人間ではなくなる、すなわち動物か機械になるときではないかー合理化を最高善とする現代社会の行く先さえ暗示するといえば、深読みでしょうか。しかし、これからも『蜃気楼』は、読む人、読む時代の不安を映しつづけることだけは確かであろうと思います。願わくばこの明瞭な鏡が、あの海岸に打ち捨てられないことを祈るばかりです。
河童について。物語としてはとても面白かったが、読む前に聞いていた人間社会の風刺とはそこまで強く結びつかなかった。私が現代に生きているから?感受性が足りないから?だが相変わらずアフォリズムの宝庫だった。彼の中でベスト3に入る作品かもしれない。蜃気楼について。解説を読むまですんなりと理解できなかった。こ...続きを読むれを楽しめるようになると彼を語れるのか。三つの窓について。これぞ短編というでき。体にしみこむような悲壮感が漂う。全てにおいての解説が読みやすかった。
今までに「羅生門」や「鼻」や「蜘蛛の糸」などといったものは読んだが、どれも特に思うことはなかった。でも本作の「河童」は「蜃気楼」「三つの窓」を含め、始めてなんだこれはと当惑した。これが芥川が評価される根源なのか、といった具合に。もちろん他にもその要素はあるんだろうけど、少なくとも、この皮肉か嫌味か愚...続きを読む痴か呆れか後悔のような混沌とした感情を織り込んだ物語は他ではそう見られない。それも内容はすべて――この三篇において――は、気分が落ち込むでもなく、ただの日常とも思える出来事の中での話。哀しいことに、作者が伝えたかったことは解らなかった。が、この世界はどれをとっても狭く深い。
ユーモアとは、批判することだと理解した。批判することはユーモアを含むことだとも理解した。批判を伝える手段としてのユーモアのベストな作品。
芥川龍之介の晩年の著書3作が収録。 "河童"、"蜃気楼"は同じ頃に脱稿した作品で、共に1927年3月号の別雑誌に掲載されました。 "三つの窓"は本書の解説によると同年7月号の文学雑誌「改造」に掲載、同年、7月24日が芥川龍之介の没月日なので...続きを読む、"三つの窓"に関しては死の直前に書かれたといっていいと思います。 晩年の芥川作品は、人生や死をテーマにすることが多く、一人称が"僕"である私小説のような作品も多く見られます。 本作収録の作品もそういった内容で、特に掲題にある"河童"は、人間社会のあり様を痛烈に批判したことで著名ですね。 一方で、初期のようなわかりやすさ、親しみやすさというものは失われており、そういう意味で、初期と晩年では大きく印象が異なります。 どちらが読みやすいかというと圧倒的に初期の作品だと思うので、晩年の作品は芥川龍之介という文士に興味があれば読むべきと思います。 ・河童 ... 晩年の代表作。 それまで"河童"のイメージも呼び方も一定ではなかったが、本作のヒットによってkappaという発音やその容姿が固定されたという話があるほど有名な作品です。 内容は、ある精神病患者の第二十三号が語った内容を記したものということとなっています。 彼はある日、穂高山へ単独登山に赴くが、その途中で河童に出会い、追いかけているうちに河童の国に迷い込む。 そこで河童の国でいうところの「特別保護住人」として認められた彼は、この奇妙な国について見聞きしたことを語るという内容です。 河童の国は人間社会で固く信じられた常識の逆を取っていて、そしてそれは妙に納得できる内容となっています。 「子供は親の都合で生まれず、生まれるかどうかを生まれる前に確認される」、「新機械の導入で工員が解雇された際には、法律により屠殺され食卓の肉として並ぶ」、「悪い遺伝子を駆逐するため、健全な河童と不健全な河童の婚姻が奨励される」など、正気ではないがそうなれば頭を悩ませる様々が解決すると思わされるような気にさせてくれます。 精神病患者はそんな河童達をやがて清潔な存在として振り返り、人間社会に戻った後も河童の国に"帰りたい"と望むようになります。 果たして彼は精神異常者なのか、精神異常者はどちらなのか、わからなくなるような内容です。 ・蜃気楼 ... 10ページほどの短編作品。 副題は"或は「続海のほとり」"で、1925年に書かれた"海のほとり"という作品の続編ともとれる作品です。 なお、"海のほとり"は未読ですが、"蜃気楼"同様、主人公が友人と海辺を歩く内容とのことです。 蜃気楼が出るということで有名な鵠沼の海岸に出かけた主人公「僕」と友人が浜辺を歩くという内容で、不気味な雰囲気、重い空気は、絵画のような写実的な印象を与えます。 二度に渡り同海岸に主人公は出かけるのですが、何が起きるわけでもなく終わります。 "流れ着いた遺体の木札"、"土左衛門の足のように見えた遊泳靴"、この頃の芥川龍之介のざわついた心が伝わってくるようですが、友人たちや妻の存在が「僕」にやすらぎを与えるような感じがあり、短い文章から受けるものは様々だと思います。 不思議な雰囲気の作品です。 ・三つの窓 ... こちらも10ページ強ほどの長さの短編作品。 最晩年の作品といっていいほど間際に書かれた作品ですが、有名作でもなく、収録されていることに違和感を感じました。 とある一等戦闘艦を舞台にした3つの短い話をまとめたものですが、なんとも感想の書きづらい内容です。 「2.三人」は、K中尉が艦内であった三人の死についてで、完成度が高く虚無感の伝わる内容でしたが、「1.鼠」に至っては正直内容の意味がよくわからず、「3.一等戦闘艦××」はまさかの艦隊擬人化で、変わった作品という印象しか持ちませんでした。 研究家は意味が見いだせる内容なのかもですが、楽しんで読めるかというとそういう感じはなかったかなと思います。
『河童』 河童の国の話を通して人間の社会や風俗を風刺している。単なる寓話のような比喩物語ではなく独自の世界観を持ったユーモアあふれる作品になっている。 『蜃気楼』 蜃気楼を見に行く話。幻想的だか妙なリアリティがある物語で、まさに蜃気楼のような印象。 『三つの窓』 鼠、三人、一級戦闘艦×× の三部...続きを読む構成。芥川龍之介が自殺前の最後に書いた作品だけあって、不安や公開・あきらめと言った感情が、様々なものに投影されて漠然と表れている。
生きづらさを感じる者が求める理想郷とは何だろうか。 そういえば或る女がいた。女は理想郷を求め海へ飛び込み、北朝鮮へと亡命した。しかしそこは女の言う理想郷では無かった。女は祖国へ帰りたいと言った。 この小説を読みながらその女が重なる。 恐らく女はまた理想郷を求め、生きづらいと否定し排除して行くので...続きを読むあろう。 そこに存在する、排他的であるくせに他者の理解を求める自意識に僕はいつも辟易する。 何よりも最優先に自我を主張し尊重する人間には、理想郷など無いのだ。 本当の理想郷はその実、いつも自分のすぐ側にある。
なんてゆうか…芥川の考えてることがよくわからなくてある意味恐ろしい。河童を通して人間を書いた、ちょっとダークで痛いとこをついてくる内容。それでもユーモアがたっぷり効いているとこがすごい!最初の『どうかKappaと発音して下さい。』でやられたよ。自殺の直前の作品、「幸せ」にこだわるわけ…謎はたくさん!...続きを読むこれから深読みしていく予定。
河童の国に迷い込んだら、慣れるまでちょっと時間がかかる。たとえばこんなことがある。河童の出産では、まず父親が母の股に口を付け、赤ん坊にこう尋ねることになっている。「お前はこの世界で生まれてくるかどうか、よく考えて返事しろ」突然こんなこと訊かれても、困ると思う。ちなみにこの赤ん坊は生まれるのを断った...続きを読むらしい。「僕は生まれたくありません」かくのごとく河童の世界は変である。しかしできることなら一度のぞいてみたい。河童のトック君あたりとおしゃべりしてみたいものである。(けー)
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