芥川龍之介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
芥川の王朝物のなかから短めのもの十一篇が収録された短編集。
芥川って今まで本当に「羅生門」と「蜘蛛の糸」しか読んだことがなかった。なんかもう馬鹿みたいだけど、めちゃくちゃに上手い!自分が今までどれだけ教科書的な先入観に侵されていたかを反省。
とにかく文章を目で追うだけでうっとりしてしまう。「運」の、簾の隙間から覗く往来の風景描写。「地獄変」「邪宗門」での、『大鏡』の語り手を思わせる人を食った語り口。「道祖問答」「好色」「二人小町」の洒落たユーモア。漱石門下で西洋文学の読み方をガッチガチに身につけながら、日本中古の説話集から題材をとることによって、捉え直された物語のエッセンスが凝縮され、完全に〈今〉の小説と感じられる。たしかにこの人はすごい発明家だ。
「竜」は西崎憲の「雨竜見物」の元ネタかな?というかそれが収録された『蕃東国年代記』の宇内というキャラクター自体、「邪宗門」の若殿をモデルにしているように思える。『蕃東国〜』は日本をモデルにした架空の極東の島国という設定で、西洋から見た東洋のイメージを巧みに織り込んでいたが、芥川にもそういう逆輸入されたオリエンタリズムが溢れていて、だからこそ現代的なんじゃないだろうか。小説の形式としては完全に西洋文学で、平安貴族界のドンファンを描いた「好色」や、黄泉の使者すら手玉に取る女たちを描いた「二人小町」などの喜劇はフランスっぽい。「邪宗門」の摩利信乃法師もアポリネールの贋救世主みたいだし、「道祖問答」はオスカー・ワイルドっぽい。全体に、ユルスナールの『東方綺譚』も思い出させる。
また、はじめてまとまった作品群を読んだが、こんなに〈恋〉をテーマにした作品が多いのはイメージになかった。愛ではなく、より執着と幻想に近い〈恋〉。あるいは、その執着を引き起こす〈運命〉を取り扱い、身を滅ぼすほどの破滅へと人を導く恋の引力を物語の中心に据えていたのが意外だった。「藪の中」はここに男のメンツ問題が絡んできてドラマティック。でもこれ、誰の話が正しいにしろ、女は責められる謂れなくない? 一番好きなのは「邪宗門」!未完なのを知らずにエッと声を上げてしまった。こんないいところで……。
作中の女性観にイラッとするところがなくて、これもすごいと思う。もちろん王朝時代を舞台にしているのだから、登場人物たちは夜這い当たり前・女は男の所有物・行き遅れは無価値、という価値観の持ち主なのだが、それに対して地の文には人を物のように扱うことへの批判的な目線がはっきりと感じられるのだ。同じ目線は男女の関係だけではなく、身分制度というものにも当然向けられている。また、理想のみを見て実態から目を背けることの滑稽さをも描いており、崇めるにせよ見下すにせよ、他人を自分に都合よく解釈する視線には疑問を呈している。その上で、キャラクターをオブジェのように作り出して配置する物語作者としての自覚も強い。この二つが合わさると、今日基準のリテラシーで眺めても手放しで素晴らしいと思える作品になるのだなと思った。フィクション作家はみんなこうであってほしいものだよね。
あと、思ってるより全然エンタメ小説だったのも驚きだった。どんだけ先入観強いんだよって感じだけど(笑)、文体も勿体ぶったところがないしリーダビリティが高い。芥川が衒学趣味と言われたのは、自然主義小説全盛期に虚構世界のディテールを突き詰める人だったからなのかもしれない。精巧に作られたジオラマをのぞいているような、色褪せないきらきらのブローチみたいな小説。 -
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教訓になる
蜘蛛の糸と同じような匂いがした。利己主義の人はいつか痛い目を見るだろうし、優しい人は巡り巡って幸せになれるのだろう。芥川龍之介さんのが作品は、起承転結がはっきりしていて分かりやすいのが評価されている理由だと思った。
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良い教本
勧善懲悪がテーマとなっている作品です。現世のうちに徳を積み重ねていると、天国へ行けるかもしれません。情けは人の為ならずの精神を大事にしたいと思いました。
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難しい
芥川龍之介さんの一生を書いたものですが、私には難しすぎました。元来、私の想像力が乏しいことに原因があると思いますが、表現が豊かすぎて逆に想像しにくかったです。
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困難を乗り越えた人を快く思うのか、それとももう一度苦しんで欲しいと願うのかの二択において、私は困難を自分の力でこじ開けた人には前者を、困難を運によってこじ開けたものには後者を思う。
自分の外見にコンプレックスを抱いている人は読んでみるといいかもしれません。 -
Posted by ブクログ
考えながら読む、ということが許されなかった。それほどに話に引き込む言葉選び、描写の仕方、構成。ただただ面白く、貪るように読み進めていきました。
解説を読んではじめて考察することができました。
これは一度だけでは考察しきれない作品だと思います。それほどに、お話の一つひとつが面白すぎるので。
蜘蛛の糸はずっと小さい、それこそ小学生のころに杜子春などと一緒に読んだ記憶がありますが、大人になってから読むとまた違った見方ができて面白いですね。
解説をうけて、確かにこれを子供に読ませるのは、酷いかもしれないなぁと思いました。あまりにも現実を突きつけすぎていますよね。ここから反省をして次に生かしていると知り、納得しました。
この本は、一度めは純粋にお話を楽しみながら読む。
二度めは芥川の考え、思いを推し量りながら読む。
二度だけではきっと足りないでしょう、何度も読むことで芥川の考え方を理解できると思いました。
すぐに2周目にいきたいところですが、ほかにも読みたい本がたくさんあるので、また後日、日を置いてから読んでみたいと思います。
でも、それでもまた「面白い!」と思って考えられないのかな…そんな気もしています。
芥川は芸術家ということが、この一冊からでもよく理解できました。本当におもしろかったです。 -
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一番思い出深い作品
芥川龍之介の作品の中では短編で子供向けの話の様だけどかなり深い話です。子供の頃読んだ時は地獄の描写が恐ろしかったのですが「蜘蛛の糸」より感覚的に好きです。
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Posted by ブクログ
本編収録の『蜃気楼』について
話のない話
『蜃気楼』に対する直接的な評価を記す前に、少し考えてみたいことがあります。そのことが、『蜃気楼』 の魅力の片鱗を知る前提となるはずです。それは、言語の機能についてです。
当然のことではありますが、言語はあくまで表象であり、そのものではありません。「愛してる」といっても、当の「愛」なるものは言語化不可能な総体のことですから、人間は「愛する」という行為の具体例をひとつひとつ挙げることはできますが、「愛」のすべてを説明しきることができません。つまり、人間が理性とともに感性を持つ生き物であるかぎり、理性の領域に属する事柄は言語化可能であっても、感性の領域に属する事柄は、理性では永遠に解することができません。
しかしながら小説は、仮にそれが芸術であるならば、そうでありながら、つまり感性の領域を問題としながら、その表現に言語を用いるという、大いなる矛盾を抱えています。もちろんさまざまな種類の文芸作品があり、それらのすべてがすべて、純粋に(書き手の、あるいは読み手の)感性を言語化する営みだけではありません。しかし、少なくとも芥川龍之介という人は、言語表現の限界と格闘した作家です。『蜃気楼』の特殊性は、おそらくここに、つまり芥川の企ての無謀さに起因しているのではないか、それこそがこの作品の魅力になっているのではないかと思うのです。
『蜃気楼』は、「話のない話」です。すなわち、なにか筋があるわけではなく、ただ淡々とある日の情景が描写されるだけで、オチというオチがありません。しかし、読者はこの作品を読むことで、ひとつの幻視体験をします。
ここで読者が目にする幻は、「唯ぼんやりとした不安」(芥川の遺書にある言葉)です。少なからぬ人が、時折この不安を覚えるのではないかと想像しますが、これは具体的に何とはいえない、得体の知れない影で、タチが悪く、存在することの必然性の無さ、生の無意味さを執拗に問わせます。この不安は、前述の「愛」と同様に、感性の領域では確かに存在するのに、それを理性の領域で認識しようとした途端に的外れとなって、その手から滑り落ちてしまいます。しかし、『蜃気楼』は、まるで一枚の絵画のように、読む(幻をみる)人の感性に隠された、その荒涼とした地平を想起させる、そしてその人の感性に巣食う、その不安という言語化不可能なものを言語化しようと試み、またそれに成功した稀有な一編ではないでしょうか。
言語化できないなら、「唯ぼんやりとした不安」とやらは、実在しないのかも知れません。しかし、この理屈では、同じく言語化できないものすべてが実在しないことになってしまいます。では、人間は幻なのか。そうではないと、感性はいいます。優れた作家は、理性でもこれを認識しようと、言語化を試みるわけで、その無謀な企てに成功する人は多くありません。
人間が人間となって以来、この無謀な企ては絶えず繰り返され、「人間」が打ち立てられてきたのであるとすれば(まるでこれはカミュですね)、『蜃気楼』が今後も読まれつづけることを祈らねばならないように思います。もし彼のような作家が読まれなくなったとき、それは人間が人間ではなくなる、すなわち動物か機械になるときではないかー合理化を最高善とする現代社会の行く先さえ暗示するといえば、深読みでしょうか。しかし、これからも『蜃気楼』は、読む人、読む時代の不安を映しつづけることだけは確かであろうと思います。願わくばこの明瞭な鏡が、あの海岸に打ち捨てられないことを祈るばかりです。