斎藤真理子のレビュー一覧
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ネタバレ主人公は徐々に視力を失っていく男と、言葉を発せなくなった女。二人は古代ギリシャ語のスクールでそれぞれ教師、生徒として参加している。
二人の人生では、言葉に対する期待と絶望、大切な家族や友人の喪失、自身の身体的機能の喪失がゆるやかに重なりながら進行していき、それらが疎外感のような言葉の揺らぎとして表出しているように感じる。
段々と言葉が自分から滑り落ちていく疎外感があるからこそ、小説の言葉がより一層の重みを持っているように感じられた。
そんな二人は、古代ギリシャ語という死語を学ぶことで自分の存在を確かめていく。
女は死語を学ぶことで失った自分の言葉を取り戻そうとし、男は死語を教えることで段々 -
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ネタバレひとひらの雪片が地に降りる前に雨となり、泥濘みを生じる。
雪の美しさは、-イデアは、雨や泥濘みとなって失われたのか?
この問いへの答えとして、僕らは自ずと円環の摂理を見いだすだろう。
絶対的な美や善、光と理想だけで作られた世界と、理想の影にすぎない現実の世界、というプラトンが説くような二元論とは違う、東洋的な感覚。それは韓国でも日本でも同じく、なじみ深い感覚なのだろう。
消滅と薄暮の中にある世界。それは絶望でも欠落でもなく、儚くともあるがままの生だ。
人生は理想に向かって前に進む訳ではない。ひとときの煌めきと、繰り返す苦しみの連続だ。
だがそれは何度でも新しく生まれる世界とも言えるだろう。
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読んでいるときずっと辛かった。。私もこれ以上男性に悪いイメージを持ちたくなくてあえて考えないようにしていたテーマだったので。ショッキングだけど、読むのが止まらないような本だった。。
私の親も、「女は稼げないから結婚して男に稼いで貰わないと」とか言う。あと、私が趣味で何か料理を作ると、祖母に「これでいつでもお嫁に行けるね」と言われたりもする。これは世代の価値観だからしょうがない、と受け流している。
私はそう言われるたび、「自分で生きていくために稼ぐしお嫁に行くために料理していない」と心で言う。
特に印象的だったのが、女性は結婚、出産で失うものがあるけど、男性はあくまで「手伝い、メインで稼ぐ側 -
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原著は2021年発行。日本語訳は白水社から2024年4月に刊行。架蔵本は2025年12月刊の第17刷。訳者は斎藤真理子。
偏頭痛と胃痙攣に苦しみ、自らの遺書を書くために生きていると感じていた作家・キョンハのもとに、しばらく連絡を取り合っていなかった友人・インソンからの連絡が届く。故郷の済州島で小さな木工所を営んでいた彼女は、作業中に誤って2本の指を切断、何とか接合手術には成功したが、入院中は3分に一度、神経を殺さないため、接合した指を腐らさないために指を針で刺し続ける必要がある。彼女を見舞ったキョンハは、インソンのたっての頼みで、彼女が家に残してきた小さなインコ「アマ」が生きているかを確 -
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出会ってしまいました!!
小説という枠組みを越え
詩のようであり、祈りのようでもある
息を呑むほどに美しく静謐な文学世界_
この世界に存在する「白」という
色彩のなかに潜む
儚さや生と死の記憶にそっと触れたとき…
胸の奥にひんやりとした
けれど不思議と温かい一筋の光が
差し込んできたような感覚を覚えました
あまりの美しさにしばらく言葉を失い
幾重にも寄せては返す余韻が広がりました
この作品が紡ぎ出すのは
世界に散らばる「白いもの」をめぐる
かつてないほど純度の高い言葉たち…
生まれてまもなく、たった数時間で
この世界から去ってしまったという
著者の「かつていたはずの姉」の -
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ハン・ガン作品から韓国文学に入り、こちらの作家も読むべしと聞いて読んだ。
どの短編も、大小様々の不幸に見舞われた人々の懸命に生きた物語が、淡々とした語り口で進んでいく。
ハン・ガン作品と比較することが適切かはわからないが、ハン・ガンさんが逃げようのない大きな不幸を描くのに対して、ファン・ジョンウンさんの不幸は直視を避けたり逃げたりできるくらいの大きさの不幸なだけに登場人物に選択肢があり、動けちゃうだけにその人間のありかたが湿度を持って立ち現れる感じがする。
淡々とした語り口の中に、どうしても胸に刺さる言葉が多く混ざってくる。共感できない主人公もたくさんいたが、どれも嫌いにはなれない痛さがある