斎藤真理子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
自分がk-popを好きになってから韓国に対する心の距離感は近くなったし日に日に縮まっているとも思うけどまともに韓国について読書を通じて知ろうと思ったことは少なかった。(おそらくこれが2か3冊目)
韓国文学や詩の翻訳等でご活躍されてる著者の目線から韓国語(言葉、文字、声)について、全く堅苦しくない形で、韓国の歴史や韓国語の歴史にも触れながらわかりやすく書いてくれている。知識を得るために読む!という目的の本というよりかは、韓国や韓国語について興味がある人が手軽に読める本、なのに知識がかなり得られた。
ハングルの成り立ちについてかるーくは知っていたけど、言葉(マル)や声(ソリ)については知らないことが多かったし、だからバンタンのラップに惹かれるんだと初めて認知して面白かった。
ハングルを作った「世宗大王とチューニングする」というように、過去の人物と"チューニングする"という表現が素敵だと思った。
ただやっぱり、歴史について論じている本ではないにも関わらず、韓国が(というか朝鮮半島全体が)抱えている歴史って暗くて、だけどあちらの方々はたくましくて、そして日本人としては手放しに隣国の歴史を単なる知識や情報としてはもちろん捉えられなくて、泣くような本じゃ全くないのに、涙しそうになった。
もっと知りたいと思うきっかけにはなった。 -
Posted by ブクログ
なんとなくわかるようでむずかしい、後書きがあったことで理解ができた部分もあり助かった。
読み終わりは確実に残る余韻に不安と安心がまざってざわりとするが、祈りによるものか、あたたかく血の通った希望みたいなものも私の中に置いていった。
うつくしいものほどこわい。
美術館に置かれたそれぞれの白い展示を次々に見て歩く、名残惜しいけど歩みを進める、そんな感覚でページを進め、すぐに読み終わった。
においや感触すらも伝わってくるような言葉選びと作者の柔らかでやさしい思考がつまっている。
自分がこの世に生きていること、そんな偶々の出来事、わかっていても生活に注目して見落としている祈りや問いかけ。
日々のあゝ苦しい、しんどい、そんなことを差し置いてただ輝かしくそこに在る、自分の生を実感することができると言うだけでも手元に迎えられてよかった一冊。
ただすべて、すべてのいのちが、今日はあたたかいふとんでねむってほしいとそんな気持ちにならざるを得なかった。 -
Posted by ブクログ
詩人の言葉で綴られた短篇集は、その一篇一篇が「九つの物語」だけでなく、長めの詩のよう。
哀しみの通奏低音はあるものの、必ずしも哀しいわけではなく、色のない痛みみたいなものがある。
同じ経験など一つとしてないのに、読み終えて自分自身が身を削ぐような経験をしたように思う。
「誰がどうしてどうなった」という物語には収まらない展開は形自体も詩のよう。
比較的初期の中・短篇集ということで、「菜食主義者」を出すまでもなく、のちのハン・ガン作品の萌芽を感じられて、それも嬉しい。
最初のあいさつやあとがきに作者の謙虚で控えめな人柄がうかがわれて、親しみを感じるし、桜庭一樹の解説も斎藤真理子による訳者あとがきも読めてよかった。
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Posted by ブクログ
何か不思議な小説だなと思った。勿論、この小説を貫く骨格は1948年の「済州島4・3事件」とそれに伴う南側の警察、軍、右翼組織による多数の一般市民無差別虐殺。
最初は、キョンハが見た悪夢から「済州島4・3事件」の真相、真実を描き、人間の愚かさ、残虐性をこれでもか言うぐらい強調するのかと思って読んでいたが、第1部は親友のインソンの頼みで吹雪の済州島へ行って小さなインコを助けようとする話。そこでは、「済州島4・3事件」に関わる虐殺の話は重要ではあるが、主要な話ではない。しかしキョンハの猛烈な吹雪の中でインソンの家を目指す描写は、キョンハの思い出と悪夢、インソンの治療と思い、そして吹雪の中でバスを待つ老婆の様子、キョンハをまるで凍らせるような猛烈な吹雪の様子など、さすがの表現力だと感じた。
不思議な小説と感じたのは、第2部の内容。死んでいたインコのアマが飛んで、ソウルの病院に入院しているはずのインソンが済州島のインソンの家にいて、キョンハに話し掛けたりするところ。それはキョンハの夢なのか、それともインソンの幽霊か?本当はキョンハは吹雪の中で死んでいて、インソンは妄想の中でキョンハに母の辛い思い出を語ったのか?
そのインソンが母から伝え聞いた話。「済州島4・3事件」に何の関わりもなかった普通の多くの島民が「アカ」と断定され、拷問をうけ残虐に殺された事実。犠牲者は3万人近くと言われている事実。
ひょっとして虐殺された人たち、生き残った人たちの怨念がキョンハを生かし、インソンを済州島に連れてきたのか、迫害され惨殺された人たちのことを語り継ぐために。そんな不気味で恐ろしく、そして不思議な感想を覚えた。
人間はどんな場所でも、どんな時代でも、どんな時でも簡単に愚かになり、残酷になってしまう。
それを教えてくれる小説だと思った。 -
Posted by ブクログ
差別の問題が個人の倫理観の問題ではないということを突きつけられる。
善人、悪人という二項対立で物事を単純に切り分けることはできない。特に流動性の高い現代において、普遍的にみえる価値観というのは少なくなっている。気がする。
その変化に合わせて社会のあり方もアップデートしていかないといけないのだが、実際問題そんなに早く変わっていくわけもない。
社会が人間の集団なのであれば、それらを作るのは個々人の心、しかし個々人の心は社会構造によって形成されているからだ。
個々人の心と社会構造は、お互いに制約と促進という関係で結ばれている。であれば、個々人の心の変化が社会構造に制約されることによって差別というものが生まれているのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
話すことができない女性と、視力を失いつつある男性。二人はギリシャ語教室で、生徒と教師として出会う。
二人は身体的な喪失だけでなく、それぞれの人生で大切な人を失った痛みも抱えている。
ボルヘスやギリシャ哲学に詳しければ、この作品の構造やモチーフをもっと深く読み解けたのだろう。例えば古典ギリシャ語の「中動態」は、二人と彼らを取り巻く世界との関係性を考える上で重要な鍵になっているように思えた。残念ながら私にはそこまでの知識はなく、その奥行きを十分に味わい切れたとは言えない。まるでアトリビュートを知らずに西洋絵画を鑑賞しているような、もどかしさも残った。
最終章の番号は「0」。そこには、喪失を抱えたまま新たな始まりへ向かう地点が示されているように感じた。
詩のような静けさを湛えた文章は、二人が向き合ってきた痛みをいっそう際立たせる。とりわけ、女性が言葉と和解できない苦しみ、そのために子どもと引き離されてしまった悲しみには胸が痛んだ。
しかし、この作品は単に傷を抱えた人々を描くだけの救いのない物語ではない。0章には、失われたものを抱えながらも再び歩み始めようとする、かすかな恢復の兆しが描かれているように思えた。