あらすじ
ある日突然言葉を話せなくなった女。
すこしずつ視力を失っていく男。
女は失われた言葉を取り戻すため
古典ギリシャ語を習い始める。
ギリシャ語講師の男は
彼女の ”沈黙” に関心をよせていく。
ふたりの出会いと対話を通じて、
人間が失った本質とは何かを問いかける。
★『菜食主義者』でアジア人作家として初めて英国のブッカー国際賞を受賞したハン・ガンの長編小説
★「この本は、生きていくということに対する、私の最も明るい答え」――ハン・ガン
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Posted by ブクログ
哲学の先生の推薦があって読んだ。一度目に読んだ時には今ひとつ主題がつかみきれなかったが、それでも、中動態という今は失われた文法様式を持つ古典ギリシャ語が読解の鍵なのかな、と思った。それで、國分功一郎氏の『中動態の世界』を読んで、再度、読んだ。今度は、ストーリーが自分の中で、クッキリと浮き上がってくるようにわかった。
言葉=聴覚、映像=視覚によるコミニケーション、それぞれに、意思疎通の限界を越えて、いかにして互いに理解しあって行くか、そんなことが小説のテーマとしてあるのかな、と感じた。
Posted by ブクログ
詩の素晴らしさに出逢わせてもらい星5。
この本を通して教えてもらったこと。↓
詩においては“美しい”とは、そのものの(あるものや事柄)について良さを表さない。台無しにする言葉でもある。
“美しい”と言う一言はかけがえのなさを表せる。唯一無二のそのものの様子やあらゆるどんな比喩を失うほどの完璧さを表すのだけれど。それ故にディテールや本来持つ個性を表現しないが故に大切な物を同時に失わせてる。
そこにこの言葉の素晴らしさと残酷さと完璧さが表現できる。とても深い想いを巡らせられている言葉だと感じました。
光に彩色色彩が。その様な表現の様。
ですが、私は“美しい”を知っています。
とても大切な存在です。
冒頭より作者の渾身とも感じられる比喩に溺れる。
次第にその流れは変化して、心地よいゆったりとした流れに落ち着いていく。
流れに身を任せスリリングさも穏やかさも、時折ある子供の純粋さや穏やかさをアクセントに癒されながら、登場人物の心境やそれぞれの視点を交えつつ、時に静寂の会話が2人を包んでいく様はとても引き込まれました。
綴られた折り重なる言葉達の豊富な豊かさから、そこにギリシャ語の時間の時の流れを彷彿とさせているかの様。きっと作者はそのギリシャ語の素晴らしさを体系的にも感じさせることを目的なのかもしれない。そう私は感じることができました。
ギリシャ語について興味を抱くこともできたし、もう一度知見を持って再読したいと思いました。
Posted by ブクログ
一度読んだだけでは到底理解は出来ない。
視力を失っていくギリシャ語講師(男)の回想と
ある時から言葉を発することが出来なくなったギリシャ語受講生(女)の回想が続いて行く。
冒頭と結末が同じなので二人がいかに交わっていくのかという話ではあるのだが、恋愛模様とは全く違う。
哲学論と詩のような文体が入ることにより、物語より深い不思議な体験を味わえる。
始めはそれが、読みにくいし、全く理解出来ず苦痛だったのが、慣れとともに心地良くなり次第には独特な言葉の禅体験をしたような晴れやかな気持ちになっていた。
傷を抱えた者が世の中に馴染めず、かといって落としどころを見つけて合わせて生きていくのも苦しい。
二分で区別の出来ない中間の状態が存在しても良いし、和解出来ないことがあって良いんじゃないかと訴えている。女が喋れなくなった理由が彼女の人生の過程の結果でしかなく、セラピストや周りが言うほど、そんな簡単なことじゃない っていうセリフが凄く心に残った。
大切な犬が事故に遭い、死ぬ間際に抱こうとした際に噛みつかれたことが一生理解出来ないだろうと彼女が言うように、時間が経っても絶対に理解出来ないことが世の中にはたくさんあるんだからと。
また時間をおいて読んでみたくなる。
勿論他の作品も
Posted by ブクログ
中動態。プラトンのイデア論。使われていない言葉のギリシャ語(言葉の古層の比喩か)。目が見えなくなる男性。言葉を失った女性。若き日の初恋の破綻(男性)。裁判で負け子どもを手放す(女性)。ドイツから韓国に、母親と妹との別離、距離を隔てた地での親友(男性を愛している?)の死(男性)。ドイツでは異物としての視線にさらされる(男性)。その二人はソウルのカルチャースクールのギリシャ語講座で教え・教えられる関係にある。
なんという複雑に錯綜した構造の小説だろう。執筆に2年間かかったのも頷ける。
離別を経験し、見えなくなり、発声ができなくなっているからこその出会い(溶け合い)。
そして、この二人を描写しているのは「誰」だ。まさしくitとしか言いようのない「中動態」の世界。
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視力を失いつつあるギリシャ語講師と言葉を話すことができなくなってしまった女性。
どちらもコミュニケーションにあってほしい機能が損なわれつつあったり、損なわれている。
だが、目が見え、言葉を話すことができるからといって、わたしたちは互いを本当に理解し合えているのだろうか。
その意味で、ギリシャ語講師もギリシャ語を学ぶ女性も他人ではない。
繊細で美しくたおやかなハン・ガンの詩人の言葉で描かれるそれぞれの置かれている状況や胸のうち。
それをたどりつつストーリーを追えるのはどこか贅沢なことに思える。
問題は何一つ解決したわけではないし、二人もやはり分かり合えているわけではない、たぶん。
にもかかわらず、二人が近づけたことに明るさを感じる。
希望のような明るさを。
Posted by ブクログ
美しい痛みに満ちた物語。狂おしい寂寥に満ちた物語。言葉を失った女と視力を失い続ける男。ギリシャ語の授業で出会った二人の喪失を通してこの世界の闇を炙り出す。彼の彼女の数々の記憶から見出される孤独と悲しみ。生きていく上で欠かせない存在の消失。哲学的でありながら詩的な散文。ハン・ガンの見る世界は優しい儚さと繊細な苦痛に満ちている。生きることはあがくことかもしれない。生きることは辛いことかもしれない。それでも生を選択し続ける。神なんて存在しない。ただ、他者を求める狂気に似た感情と愛が存在するだけ。全てを許す愛が。
Posted by ブクログ
「この本は、生きていくということに対する、私の最も明るい答え」。ハン・ガンはそう語る。なぜそう言えるのか?
端的に言えば、人間は完全に理解し合えなくても互いに存在を認め合うことで、間に<剣>が置かれて触れられない世界でも、なんとか生きていけるから…だろうか?
だからハン・ガンは「『ギリシャ語の時間』はまだ終わっていない。この本の結末は、開かれている」、開かれている…と語っているのではないだろうか?
この物語は、視覚を失っていく男と自ら口を閉ざす女、の両面から「断片的」に語られる(この断片的、はハン・ガン作品の特徴、特に『すべての、白いものたちの』では)。
断片的な表現により、読者を積極的に言葉の中に参加させ、通常の文章であれば難しい、立体的かつ心象的映像を読者の脳内に再現させている。
視覚を失っていく男は、いずれ全く視えなくなる恐怖のなかで、過去の映像を、そして現在の映像を、非常に大切にして生きている。そういう意味で、病による外的要因により「見えていない」のだが、それでも能動的に生きようとする。
一方で口を閉ざす女は、世界を拒否している。しかしこれは、実は<中動態>なのだ。彼女が「拒否する」のか、世界から「拒否される」のか、そのどちらでもない。彼女は口を閉ざしているのはなく、精神的暴力により閉ざされているともいえるし、そういう意味で、彼女は受動的になっている。
つまり、ある意味で対照的な二人。
冒頭、「我々の間に剣があったね」とボルヘスの墓標が書かれているが、世界と自分の間には、剣が置かれている。
「ときどき、不思議に感じませんか。私たちの体にまぶたと唇があることを。それが、ときには外から封じられたり、中から固く閉ざされたりするということを」
Posted by ブクログ
初めて読んだ韓国文学です。
言葉で声に出されない感情への美しく、深く、鋭い洞察。雪のような冷たさと微かな明るさが読後にしんしんと降り積もるようでした。
Posted by ブクログ
静かに、繊細に紡がれていく言葉が印象的だった。
主人公が捉えている景色や感覚、思考が、詩のようだった。
この小説は、章ごとに視点が入れ替わる。
女主人公のときは三人称、男主人公のときは一人称で書かれている。
手紙文で構成されている章があったり、詩が挟まったりもしている。
小説ってこんなに自由でいいんだ、と思い、視界が開けたような感覚になった。
話せなくなった女性は、これから先、話せるようになるかは分からない。
ギリシャ語講師の男性は、今後も少しずつ視力を失っていくだろう。
問題は解決されないまま残っている。
しかし、二人の人生は光に満ちていくのではないかと思える。
彼らが身体を触れ合わせている時間は、慈しみ合っているように見えた。
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言葉を失ったのは特定の経験のせいではないことを、彼女は知っている。
数えきれない舌によって、また数えきれないペンによって何千年もの間、ぼろぼろになるまで酷使されてきた言語というもの。彼女自身もまた舌とペンによって酷使し続けてきた、言語というもの。一つの文章を書きはじめようとするたびに、古い心臓を彼女は感じる。ぼろぼろの、つぎをあてられ、繕われ、干からびた、無表情な心臓。そうであればあるほどいっそう力をこめて、言葉たちを強く握りしめてきたのだった。 握り拳が一瞬ゆるめば鈍い破片が足の甲に落ちる。ぴったりと噛み合って回っていた歯車が止まる。時間をかけてすり減ってきた場所が肉片のように、匙で豆腐をすくうように、ぞっくりとえぐり取られて欠落していく。
(P197)
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「彼らが身体を触れ合わせている時間は、慈しみ合っているように見えた」と書いたが、その一方で、男性が女性を抱きしめるシーンは怖いと感じてしまった。
だからこそ、ラストの触れ合う場面がより印象に残っている。
彼女は彼の体温を受け入れたのだ、と。
Posted by ブクログ
ハン・ガン6冊目。これはわかりやすかった。回復の物語として。人が人に心をよせることその温かさについて。
朝刊で、ノーベル賞もらってる記事を見た日に。
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視力を失っていく男と発話できなくなった女性とがギリシャ語の授業を通じて出会い、異国での外国人差別や親権の喪失で受けた心の傷を癒やし合いながら、回復していく物語。純文学なので、女、男それぞれの記憶と感性とが研ぎ澄まされていくなか、読者それぞれにとって何割かは理解不能な文章が続くが、しかし、意識の流れを追う文章がとにかく詩的である。
Posted by ブクログ
3年ほど前、韓国文学にハマるきっかけになった一冊。主要登場人物のこれまでの人生やエピソードひとつひとつの場面が映像のように目に浮かび、(ギリシャ語はもちろん)韓国語の知識などまったくないのに、ふたりの切実な“声”が聞こえてくるようで、心が震えた。翻訳の斎藤美奈子さんによるあとがきも必読。読書会課題本のため再読。
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言葉を話せなくなった彼女とギリシャ語講師以外の登場人物や、物語の中での「私」や「彼女」が誰のことなのか、誰が語っているのか、その場面ごとになかなか把握できなかったこともあり、感想を書けるほど読み深めることはできなかったけれど、ハン・ガン氏の抒情的な世界の一端に触れる良い経験になった。
Posted by ブクログ
今まであまり読んだことのないスタイルの本で、小説であるものの詩的な表現に溢れており、現実と夢を行ったり来たりして、静謐で多層的な世界観を堪能しました。
何日かに分けて読みましたが、一気に読むともっとこの世界に浸れそうな気がします。
Posted by ブクログ
何か問題を抱える人たちの心情が表されており、イメージしやすい本であった。
当たり前のように生きれている自分には想像することはできるものの、本当の意味での理解は難しいのではないかと感じた。
Posted by ブクログ
上白石萌音ちゃんが、紹介していて、今まで読んだ事のない本に出会いました。中動態については、あまり理解出来ておらず、ギリシャ語も無知なので、すらすらと頭には入ってこなかったのですが、愛する人を想う、心の表現がとても美しかったです。難聴の友達が、どんな景色を見て、どんな心境だったか想像する事が出来ました。もっとじっくり、読んでみます。
Posted by ブクログ
一読しただけでは理解が及ばず、ユリイカの特集を読み再読。でもやっぱり難しかった。
二人の主人公はそれぞれ、言葉を失い、視力を失いつつある。私には本の最後、二人の物理的な距離は重なり合ったものの、心の距離が縮まることがないのではと感じられた。ギリシャ語講師は言葉を失った女を理解しないままだし、女はやっと言葉を取り戻したばかり。今後女が言葉を尽くしたとして、ギリシャ語講師は女を視力を失ったその目で見ようとするだろうか。私はそうは思わない。初恋の相手に綴った手紙のように想いが一方的で、簡単に過去を美化してしまうから。
どうしてこの物語がハン・ガンにとって「生きていくということに対する、私の最も明るい答え」なんだろう。
Posted by ブクログ
喪失とは。
失って得るものがあり、気付くこともある。また、生きていくとは同時に失っていくことでもある。
夜の森を歩けば目は役に立たず、視覚以外の全てを研ぎ澄ますだろう。
愛が失われていくなら、より繊細にそれを伝えるだろう。
突然奪われ失うこともある。そこでは何が得られ何を気付くことごできるのか? その喪失には、回復と再生が必要になるはずだ。まずは手探りでその糸口を探さなければならないのだろう。
それは時間、時だったり、熱だったり…
Posted by ブクログ
目が見えないこと、言葉が話せないこと。
それは死に半分くらい足を浸しているようなものだろう。
深い深い森の中にひとり生きているようなものだろう。
決して他人が理解できるものではない。
("そんなに簡単なことではありません")
闇の深さを、底に何かが横たわっていることを
かすかに伺い知れるのみ。
出会いとはすれ違いのことなのかもしれない。
面と向かってすれ違うことが出会うということなのかもしれない。
あなたは私の過去を知らない。私もあなたの過去を知らない。
ぼんやりとした暗闇の輪郭をなぞる。
触れ合うとは理解し合うことではないのだと初めて思った。
輪郭に触れる、輪郭を形成しているものの内側に、
何かが横たわっている予感を感じとる。
予感は予感のままに、尊重し合う。
ひんやりとした詩のような文章がとても心地よい。
いつでも心地よい冷たさを失わない、絶妙な温度感のある文章。
この人の文章ならどんなものでも読んでいられる気がする。
Posted by ブクログ
訳者あとがきにあった「和解のできなさ」という言葉がしっくりきた。世界と和解できないまま生きていくことの苦しみが、とても美しい文章で描かれている。引用される古代ギリシャ語、哲学などのエピソードも作品にうまく融和していて、特に「かすかな光でも存在しないところにイデアはない」という部分が好きだった。
「和解のできなさ」を抱えたままでも光はある。そう信じたい。
Posted by ブクログ
言葉を話せなくなった女と視力を失いつつある男の話し。
社会の矛盾や歪みを一手に引き受けたような2人が出会い、言葉や論理以前の世界を直接的に経験をする。再生への希望をほんのりと感じるラストが素敵でした。
とても内省的で瞑想的な思考で進んでいき、詩的で哲学的で幻想的な、とても静かな小説。
マイノリティなんて生優しい話しではなく、もはや点になってしまった人の再生の話し。
設定は全然違うけど「菜食主義者」の続編と言っても良いような流れを感じる。
Posted by ブクログ
「誰もが必ず自分の体の分だけ物理的な空間を占有するが、声はそれよりもはるかに広がる。彼女はただ、声で場所を取るのが嫌いだった」母親を亡くし、息子の親権も失い失語症になったギリシャ語受講生の女性。「目の炎症が目を破壊して見えなくさせ、錆が鉄を破壊して完全に粉々にしてしまう。そうであれば人間の魂はなぜ、内なる愚かな、悪しき属性によって破壊されないのでしょうか?」遺伝性の疾患により視力を失いつつある講師の男性。二人は互いに抱える苦しみにより近づき、それぞれの傷付いたフラジャイルな魂に手を差し伸べる。他の作品と同じように、物語の中に散りばめられた詩や比喩や悪夢が二人の心象風景を仄暗く浮かび上がらせる。
Posted by ブクログ
「未来散歩練習」を読んでから、韓国の女性作家の本をもっと読みたいという気持ちになって、ずっと積読してあった「ギリシャ語の時間」に手を伸ばした(ノーベル文学賞もあったし!)。
ぼんやりとした暗闇と、それと対をなすみたいなギリシャ語の教室の蛍光灯(私にはそんな印象)の明るさが、印象に残る。私はこの暗さも明るさも知っているようだなと思った。暗さの方がかえって、自分にとって正しいと感じられることをわからせてくれる、底力のような明るさがある感じ。ギリシャ語講師の男が、明るすぎるよりよく見えると言っていたのはもしかして、そういうことかなとも思った。
途中まではこの話はどこへ行くんだろうとチロチロ進んでいくのだけど、ある瞬間を境に実際の時間はそれまでの経過時間より短いけれどグッと濃密な時間に突入し、そこからは本当に目が離せない想いだった。その時間もやはり薄暗くて、どこか落ち着く明かりの感じなのである。
どのシーンも、どんな明るさだったかということとセットで覚えている。そんな本、初めて。
Posted by ブクログ
ノーベル賞を受賞していたから、という不純な理由で彼女のいくつかの本を読んだ。
恢復と再生の話、まだきちんと産まれ直してないものの。ずっと暗闇を歩いて、終わりなのか、途中なのかもわからないような薄明かりが見えて終わる。読後感は不思議といい。すべて解り合えることはないけれど、という諦念が結局生きるために必要なのかも。
Posted by ブクログ
祝ハン・ガン、ノーベル文学賞受賞!ちょうど『すべての、白いものたちの』を読み終え、本作『ギリシャ語の時間』を読み出したところだった。Youtubeで発表会見を見ていて、South Korean author Han Kangと読み上げられ、ハン・ガン?!とテンション上がりました。そのテンションであっという間に読んだ。
訳者あとがきでよく解説されているのだが、
...彼女のテーマが徐々に、恢復と再生の方向へ向かって変化してきたことがわかる。
とあるように、著者自身が「この本は、生きていくということに対する、私の最も明るい答え」とあるように、あとがきに戻るが
...繁栄と孤独が背中合わせになった社会のゆがみから決して目をそらさず、「和解のできなさ」を忘れない。「和解のできなさ」と共存しながら生きていく。
というのが生きるということであり、その重さであり、ハン・ガンが身を切るように(?)しながら産んでいる言葉たちなのではないかと思う。
終わり方も、二人の人間が寄り添い合う白くて寒そうだけど、体温があるというような終わり方だなと思いました。この先二人がどうなるかはわからない、男の目はきっと見えなくなるだろうし、女の言葉は戻ってくるのか。それでも一人ではなく誰かがそばにいる事で乗り越えられる夜があるのだと、「閉じない円環の中に招き入れられて物語の結末を共有するとき、読者は見晴らしのよいところに立って静かに自分のなかの言葉に耳を傾ける気持ちになっている」(あとがき)
『菜食主義者』を読み終えた時は、どちらかというと打ちのめされ気味であったので、今回は少し違っていた。
以下好きだったところ、思わず情景に泣きそうになるところも多かった。
...今あなたは子どもを抱いて、暗い聖堂から出てきたところでしょうか。...善なるがゆえに悲しむあなたの神を肩に負って、一歩、一歩、静寂の中を歩むのでしょうか。
そこではここより七時間遅く日が昇るでしょう。遠くない日、私が正午の太陽の下でフィルムのかけらを取り出すとき、あなたは早朝五時の闇の中にいるでしょう。あなたの手の静脈の色に似た大気の青さはまだ、漏れてきません。あなたの心臓は規則的に脈打ち、燃え上がり、涙ぐんでいた両の目がまぶたの下でときどき揺れるでしょう。完全な闇の中へと私が歩み入っていくとき、この長く続いた苦痛とは別に、あなたを思い出してもよいでしょうか。(P54)
話せたころ、ときどき彼女は話す代わりに相手をじっと見つめた。...視線ほど、たちどころに思いのままを表せる接触方法はないと彼女は感じていた。接触せずに接触できる、ほとんど唯一の方法だと。
それに比べると言葉は、何十倍も肉体的な接触だった。肺とのどと舌と唇を動かし、空気を震わせて相手に届かせる...(P62)
ときどき考える。血肉とは何ておかしなものだろうって。何て奇妙な悲しみを連れてくるんだろうって。(P94)...
でも、信じてくれるかい。僕が毎晩絶望せずに明かりを消しているということを。夜明け前に目を開けなくてはならないから。おぼつかない手でカーテンを開け、ガラス窓を開け、網戸越しに薄暗い空を見るのだから。
ただ想像の中でだけだけれど、薄いジャンパーをひっかけて僕はドアの外へ歩き出す。真っ暗な舗道のブロックを一歩一歩踏み締めて出ていくんだ。暗闇の布が薄青い糸にほどけて僕の体に、この街にからみつき、包んでくれる光景を見る。めがねを拭いてかけ、両目を見開いて、その短い青い光に顔を浸すんだ。
信じてくれるかい。そう思うだけで、僕の胸は高まるってことを。(P98)
すべての事物は自らの内に自らを損なうものを持っていると論証する箇所ですね。目の炎症が目を破壊して見えなくさせ、錆が鉄を破壊して完全に粉々にしてしまうことを例にとって説明していますが、そうであれば人間の魂はなぜ、内なる愚かな、悪しき属性によって破壊されないのでしょうか?(P124)
もしも君が死なず、僕がドイツに戻って君にまた会うことができたなら、僕は君の顔に触れただろうか。僕の手で君の顔を、まぶたを、鼻すじを、頬とあごのしわを手探りで撫でて、読み取っただろうか。
いや、僕にはそれはできなかっただろう。...
僕は君を深く傷つけ、全速力で君から逃げたのだから。
君を恨んだのだから。
君ではない君に会いたくて眠れなかったのだし、君ではない君だけを狂うほど思いこがれたのだから。
*
あの寂しい体はもう、死んだの。
君の体はときどき、僕を思い出したかい。
僕の体は今このとき、君の体を思い出している。
あの短くて、苦痛だった抱擁。
震えていた君の手と、あたたかい顔を。
目に溜まっていた涙を。
(P147-8)
まるで、時間が私に口づけしてくれたようでした。
唇と唇が出会うたび、果てしない闇がそこに溜まりました。
すべての痕跡を永遠にかき消してしまう雪のように、静けさが積もっていきました。
膝まで、腰まで、顔まで、黙々と満たしていきました。(P228)
「中動態の世界」だから読まないといけないんだってーー!それからボルヘスの『七つの夜』、『華厳経講義』(スッタニパータ、法句経、涅槃経講義も)
Posted by ブクログ
韓国小説のおすすめで読んだ本である。韓国の状態を知るおいうことではなかった。ギリシャ語がそのまま出てきたのだが、まだ勉強をしたことがない言語なので、訳は日本語で書いてあるが理解がイマイチであった。
Posted by ブクログ
いつか読みたいと思って積んでいた1冊。カバーの白と淡いグリーンが素敵です。わかりやすく楽しいストーリーというよりも、文学的な雰囲気を味わうといった感じですかね。詩のようなパートもあり、これがハン・ガンの世界観なのか…!と。他の作品も味わってみたいです。
Posted by ブクログ
中動態。能動態と受動態、そのどちらでもない行為。
和解のできなさと明確に分類されない態とともにたゆたう2人がゆっくりと出会う。
やはり今作も静かに物語は進むのだが、心の奥底にじんわりと炎立つ力強さも携えている。
Posted by ブクログ
ハンガンの著作を読むのは4冊目。他の作品と比べると私にはちょっと難しかったです。
文章は他作品と同様に美しいです。
好きな一文:
「まるで、時間が私に口づけしてくれたようでした。」