あらすじ
ある日突然言葉を話せなくなった女。
すこしずつ視力を失っていく男。
女は失われた言葉を取り戻すため
古典ギリシャ語を習い始める。
ギリシャ語講師の男は
彼女の ”沈黙” に関心をよせていく。
ふたりの出会いと対話を通じて、
人間が失った本質とは何かを問いかける。
★『菜食主義者』でアジア人作家として初めて英国のブッカー国際賞を受賞したハン・ガンの長編小説
★「この本は、生きていくということに対する、私の最も明るい答え」――ハン・ガン
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Posted by ブクログ
主人公は徐々に視力を失っていく男と、言葉を発せなくなった女。二人は古代ギリシャ語のスクールでそれぞれ教師、生徒として参加している。
二人の人生では、言葉に対する期待と絶望、大切な家族や友人の喪失、自身の身体的機能の喪失がゆるやかに重なりながら進行していき、それらが疎外感のような言葉の揺らぎとして表出しているように感じる。
段々と言葉が自分から滑り落ちていく疎外感があるからこそ、小説の言葉がより一層の重みを持っているように感じられた。
そんな二人は、古代ギリシャ語という死語を学ぶことで自分の存在を確かめていく。
女は死語を学ぶことで失った自分の言葉を取り戻そうとし、男は死語を教えることで段々と薄れていく自分の存在を強固にしようと踠く。
言葉と身体。生と死。生きる上での複雑なテーマが絡み合いつつも、不思議な暖かさが全体を包んでくれる素敵な物語である。
Posted by ブクログ
ひとひらの雪片が地に降りる前に雨となり、泥濘みを生じる。
雪の美しさは、-イデアは、雨や泥濘みとなって失われたのか?
この問いへの答えとして、僕らは自ずと円環の摂理を見いだすだろう。
絶対的な美や善、光と理想だけで作られた世界と、理想の影にすぎない現実の世界、というプラトンが説くような二元論とは違う、東洋的な感覚。それは韓国でも日本でも同じく、なじみ深い感覚なのだろう。
消滅と薄暮の中にある世界。それは絶望でも欠落でもなく、儚くともあるがままの生だ。
人生は理想に向かって前に進む訳ではない。ひとときの煌めきと、繰り返す苦しみの連続だ。
だがそれは何度でも新しく生まれる世界とも言えるだろう。
彼女が、彼女を取り巻く世界との繋がりと意味を失ってゆくとき、彼女の中から言葉という記号も消えてゆく。
沈黙の中で彼女は、古典ギリシャ語という、美と真理を精緻に表現を目指した到達点であり、もはや誰も話す人のいない言語に触れる。
古典ギリシャ語やその哲学が彼女を新しく導いたわけではない。
それでも、コミュニケーションの道具としての言語から離れることこそが、彼女には必要だった。
彼女が再び言葉を発したことは、決してなじみのある世界への帰還ではない。
それはまるで、新しい言葉が生まれてくる瞬間を描写したかのようだ。
“両のまぶたが襲える、昆虫が激しく羽根をこすり合わせるように。
すぐに乾いてしまう唇を、開く。
根気強く、さらに深く息を吸い込んでは吐き出す。
ついに最初の音節を発音する瞬間、力をこめて目を閉じ、また開ける。
目を開けたらすべてが消えていると覚悟したように。”
彼女の発した言葉、それは古典ギリシャ語が希求する純粋な理想の世界の言葉でもなく、仕事や訴訟のための生活の言葉でもない。
彼女が新しく生きるー新しく暗闇の中を歩み続けてゆく世界のための言葉だ。