【感想・ネタバレ】ギリシャ語の時間のレビュー

あらすじ

ある日突然言葉を話せなくなった女。
すこしずつ視力を失っていく男。

女は失われた言葉を取り戻すため
古典ギリシャ語を習い始める。
ギリシャ語講師の男は
彼女の ”沈黙” に関心をよせていく。

ふたりの出会いと対話を通じて、
人間が失った本質とは何かを問いかける。

★『菜食主義者』でアジア人作家として初めて英国のブッカー国際賞を受賞したハン・ガンの長編小説

★「この本は、生きていくということに対する、私の最も明るい答え」――ハン・ガン

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Posted by ブクログ

ネタバレ

「この本は、生きていくということに対する、私の最も明るい答え」。ハン・ガンはそう語る。なぜそう言えるのか?
端的に言えば、人間は完全に理解し合えなくても互いに存在を認め合うことで、間に<剣>が置かれて触れられない世界でも、なんとか生きていけるから…だろうか?
だからハン・ガンは「『ギリシャ語の時間』はまだ終わっていない。この本の結末は、開かれている」、開かれている…と語っているのではないだろうか?

この物語は、視覚を失っていく男と自ら口を閉ざす女、の両面から「断片的」に語られる(この断片的、はハン・ガン作品の特徴、特に『すべての、白いものたちの』では)。
断片的な表現により、読者を積極的に言葉の中に参加させ、通常の文章であれば難しい、立体的かつ心象的映像を読者の脳内に再現させている。

視覚を失っていく男は、いずれ全く視えなくなる恐怖のなかで、過去の映像を、そして現在の映像を、非常に大切にして生きている。そういう意味で、病による外的要因により「見えていない」のだが、それでも能動的に生きようとする。
一方で口を閉ざす女は、世界を拒否している。しかしこれは、実は<中動態>なのだ。彼女が「拒否する」のか、世界から「拒否される」のか、そのどちらでもない。彼女は口を閉ざしているのはなく、精神的暴力により閉ざされているともいえるし、そういう意味で、彼女は受動的になっている。
つまり、ある意味で対照的な二人。

冒頭、「我々の間に剣があったね」とボルヘスの墓標が書かれているが、世界と自分の間には、剣が置かれている。

「ときどき、不思議に感じませんか。私たちの体にまぶたと唇があることを。それが、ときには外から封じられたり、中から固く閉ざされたりするということを」

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2025年03月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

静かに、繊細に紡がれていく言葉が印象的だった。
主人公が捉えている景色や感覚、思考が、詩のようだった。

この小説は、章ごとに視点が入れ替わる。
女主人公のときは三人称、男主人公のときは一人称で書かれている。
手紙文で構成されている章があったり、詩が挟まったりもしている。
小説ってこんなに自由でいいんだ、と思い、視界が開けたような感覚になった。

話せなくなった女性は、これから先、話せるようになるかは分からない。
ギリシャ語講師の男性は、今後も少しずつ視力を失っていくだろう。
問題は解決されないまま残っている。
しかし、二人の人生は光に満ちていくのではないかと思える。
彼らが身体を触れ合わせている時間は、慈しみ合っているように見えた。

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言葉を失ったのは特定の経験のせいではないことを、彼女は知っている。
数えきれない舌によって、また数えきれないペンによって何千年もの間、ぼろぼろになるまで酷使されてきた言語というもの。彼女自身もまた舌とペンによって酷使し続けてきた、言語というもの。一つの文章を書きはじめようとするたびに、古い心臓を彼女は感じる。ぼろぼろの、つぎをあてられ、繕われ、干からびた、無表情な心臓。そうであればあるほどいっそう力をこめて、言葉たちを強く握りしめてきたのだった。 握り拳が一瞬ゆるめば鈍い破片が足の甲に落ちる。ぴったりと噛み合って回っていた歯車が止まる。時間をかけてすり減ってきた場所が肉片のように、匙で豆腐をすくうように、ぞっくりとえぐり取られて欠落していく。
(P197)

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「彼らが身体を触れ合わせている時間は、慈しみ合っているように見えた」と書いたが、その一方で、男性が女性を抱きしめるシーンは怖いと感じてしまった。
だからこそ、ラストの触れ合う場面がより印象に残っている。
彼女は彼の体温を受け入れたのだ、と。

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2025年01月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

視力を失っていく男と発話できなくなった女性とがギリシャ語の授業を通じて出会い、異国での外国人差別や親権の喪失で受けた心の傷を癒やし合いながら、回復していく物語。純文学なので、女、男それぞれの記憶と感性とが研ぎ澄まされていくなか、読者それぞれにとって何割かは理解不能な文章が続くが、しかし、意識の流れを追う文章がとにかく詩的である。

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2024年12月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

祝ハン・ガン、ノーベル文学賞受賞!ちょうど『すべての、白いものたちの』を読み終え、本作『ギリシャ語の時間』を読み出したところだった。Youtubeで発表会見を見ていて、South Korean author Han Kangと読み上げられ、ハン・ガン?!とテンション上がりました。そのテンションであっという間に読んだ。

訳者あとがきでよく解説されているのだが、
...彼女のテーマが徐々に、恢復と再生の方向へ向かって変化してきたことがわかる。
とあるように、著者自身が「この本は、生きていくということに対する、私の最も明るい答え」とあるように、あとがきに戻るが
...繁栄と孤独が背中合わせになった社会のゆがみから決して目をそらさず、「和解のできなさ」を忘れない。「和解のできなさ」と共存しながら生きていく。
というのが生きるということであり、その重さであり、ハン・ガンが身を切るように(?)しながら産んでいる言葉たちなのではないかと思う。

終わり方も、二人の人間が寄り添い合う白くて寒そうだけど、体温があるというような終わり方だなと思いました。この先二人がどうなるかはわからない、男の目はきっと見えなくなるだろうし、女の言葉は戻ってくるのか。それでも一人ではなく誰かがそばにいる事で乗り越えられる夜があるのだと、「閉じない円環の中に招き入れられて物語の結末を共有するとき、読者は見晴らしのよいところに立って静かに自分のなかの言葉に耳を傾ける気持ちになっている」(あとがき)
『菜食主義者』を読み終えた時は、どちらかというと打ちのめされ気味であったので、今回は少し違っていた。

以下好きだったところ、思わず情景に泣きそうになるところも多かった。
...今あなたは子どもを抱いて、暗い聖堂から出てきたところでしょうか。...善なるがゆえに悲しむあなたの神を肩に負って、一歩、一歩、静寂の中を歩むのでしょうか。
そこではここより七時間遅く日が昇るでしょう。遠くない日、私が正午の太陽の下でフィルムのかけらを取り出すとき、あなたは早朝五時の闇の中にいるでしょう。あなたの手の静脈の色に似た大気の青さはまだ、漏れてきません。あなたの心臓は規則的に脈打ち、燃え上がり、涙ぐんでいた両の目がまぶたの下でときどき揺れるでしょう。完全な闇の中へと私が歩み入っていくとき、この長く続いた苦痛とは別に、あなたを思い出してもよいでしょうか。(P54)

話せたころ、ときどき彼女は話す代わりに相手をじっと見つめた。...視線ほど、たちどころに思いのままを表せる接触方法はないと彼女は感じていた。接触せずに接触できる、ほとんど唯一の方法だと。
それに比べると言葉は、何十倍も肉体的な接触だった。肺とのどと舌と唇を動かし、空気を震わせて相手に届かせる...(P62)

ときどき考える。血肉とは何ておかしなものだろうって。何て奇妙な悲しみを連れてくるんだろうって。(P94)...
でも、信じてくれるかい。僕が毎晩絶望せずに明かりを消しているということを。夜明け前に目を開けなくてはならないから。おぼつかない手でカーテンを開け、ガラス窓を開け、網戸越しに薄暗い空を見るのだから。
ただ想像の中でだけだけれど、薄いジャンパーをひっかけて僕はドアの外へ歩き出す。真っ暗な舗道のブロックを一歩一歩踏み締めて出ていくんだ。暗闇の布が薄青い糸にほどけて僕の体に、この街にからみつき、包んでくれる光景を見る。めがねを拭いてかけ、両目を見開いて、その短い青い光に顔を浸すんだ。
信じてくれるかい。そう思うだけで、僕の胸は高まるってことを。(P98)

すべての事物は自らの内に自らを損なうものを持っていると論証する箇所ですね。目の炎症が目を破壊して見えなくさせ、錆が鉄を破壊して完全に粉々にしてしまうことを例にとって説明していますが、そうであれば人間の魂はなぜ、内なる愚かな、悪しき属性によって破壊されないのでしょうか?(P124)

もしも君が死なず、僕がドイツに戻って君にまた会うことができたなら、僕は君の顔に触れただろうか。僕の手で君の顔を、まぶたを、鼻すじを、頬とあごのしわを手探りで撫でて、読み取っただろうか。
いや、僕にはそれはできなかっただろう。...
僕は君を深く傷つけ、全速力で君から逃げたのだから。
君を恨んだのだから。
君ではない君に会いたくて眠れなかったのだし、君ではない君だけを狂うほど思いこがれたのだから。

あの寂しい体はもう、死んだの。
君の体はときどき、僕を思い出したかい。
僕の体は今このとき、君の体を思い出している。
あの短くて、苦痛だった抱擁。
震えていた君の手と、あたたかい顔を。
目に溜まっていた涙を。
(P147-8)

まるで、時間が私に口づけしてくれたようでした。
唇と唇が出会うたび、果てしない闇がそこに溜まりました。
すべての痕跡を永遠にかき消してしまう雪のように、静けさが積もっていきました。
膝まで、腰まで、顔まで、黙々と満たしていきました。(P228)

「中動態の世界」だから読まないといけないんだってーー!それからボルヘスの『七つの夜』、『華厳経講義』(スッタニパータ、法句経、涅槃経講義も)

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2024年10月12日

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