斎藤真理子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
韓国とは切っても切れない縁なので(個人的に)読んでみました。
「あいだで考える」というシリーズの中の1冊で
必ずしも国と国とか、言語とか限られてるわけではなく
今回はたまたま「韓国語と日本語のあいだ」について著者の経験や考えや感じたことが書かれてありました。
著者は韓国文学を日本語に翻訳している翻訳者でもあって
言葉選びや韓国語に対する視点はとても新鮮でした。
最初この本を読もうと思ったときは分厚い本で、お堅い本なんだろうな...と予想していたのですが(失礼ですね)、
そんなことはまったくなく、途中素敵なイラストもあって読みやすかったです。
私も韓国語と日本語のあいだに立たされること -
Posted by ブクログ
一読しただけでは理解が及ばず、ユリイカの特集を読み再読。でもやっぱり難しかった。
二人の主人公はそれぞれ、言葉を失い、視力を失いつつある。私には本の最後、二人の物理的な距離は重なり合ったものの、心の距離が縮まることがないのではと感じられた。ギリシャ語講師は言葉を失った女を理解しないままだし、女はやっと言葉を取り戻したばかり。今後女が言葉を尽くしたとして、ギリシャ語講師は女を視力を失ったその目で見ようとするだろうか。私はそうは思わない。初恋の相手に綴った手紙のように想いが一方的で、簡単に過去を美化してしまうから。
どうしてこの物語がハン・ガンにとって「生きていくということに対する、私の最も明るい -
Posted by ブクログ
筆者の作品に触れた2冊目。
韓国作家は 老若男女問わず 芸術面でとてつもない激しさを感じさせられる・・文学・絵画・音楽・・知らない他のジャンルでもあるのかもしれない。
ハン・ガンが持つ 内に秘めたパッションは孤独・絶望・喪失など 心の痛みを抱きしめ、抱え込み、それをばねとして再生への飛翔に連なって行く時にとてつもない光彩を見せる。
それを回復と作品として昇華させた短編の数々が収められている。
一回読んだだけでは、自分の中に 未消化に終わるもどかしさがあり、2回読んだ。
「左手」だけ激しさが圧倒的 韓国風激情の迸る不条理と言えそう。
他作品、どれも優劣つけ難い・・「痛みがあってこその回復 -
Posted by ブクログ
繊細だけれどとても鋭い、傷ついたり傷つけたりしてしまいそうな文章。そんな文章でしか書けない傷や悲しみ苦しさ、人生がある。それらの殆どの人生、物語には最後に光がさす、希望が垣間見える。前に進めるように開いた小説たち。それらは回復を促すように書かれたのかもしれない。
だけれど、ある短編の登場人物が「私を回復させないで欲しい」と願うように、残しておきたい傷や忘れるべきではない悲しみ苦しさもある。回復とは忘却にも近い。傷や悲しみ苦しさを忘れないために書き残された、そんな風にも思えた。
回復も忘却も、時間を使って人生が行使する必要な力だ。だけど、それに抗うように傷を悲し -
Posted by ブクログ
習慣で寄った本屋でなんとなく選んだ短編集が完璧にClassicだった。これは本当に凄いと思った。という体験を以前にもしたことがある、と思い出す。あのときも同じ本屋で同じ出版社、同じ翻訳者の文庫本を買ったのだった。電車で読み始めた最初の頁でこれは読みたかった本だ、と“分かった”ときの喜びも同じだったように思う。
帰り道の終点駅のホームで読んだ最初の一編の最後のページ、そこに書かれた印象的な涙を読んで、泣きそうに、いや、彼と同じように「まだ起きていないできごとと永遠に起きないできごとを思い浮かべて」泣きたいと思った。
物語られる幾つもの人 -
Posted by ブクログ
目が見えないこと、言葉が話せないこと。
それは死に半分くらい足を浸しているようなものだろう。
深い深い森の中にひとり生きているようなものだろう。
決して他人が理解できるものではない。
("そんなに簡単なことではありません")
闇の深さを、底に何かが横たわっていることを
かすかに伺い知れるのみ。
出会いとはすれ違いのことなのかもしれない。
面と向かってすれ違うことが出会うということなのかもしれない。
あなたは私の過去を知らない。私もあなたの過去を知らない。
ぼんやりとした暗闇の輪郭をなぞる。
触れ合うとは理解し合うことではないのだと初めて思った。
輪郭に触れる、輪郭を形成 -
Posted by ブクログ
「誰もが必ず自分の体の分だけ物理的な空間を占有するが、声はそれよりもはるかに広がる。彼女はただ、声で場所を取るのが嫌いだった」母親を亡くし、息子の親権も失い失語症になったギリシャ語受講生の女性。「目の炎症が目を破壊して見えなくさせ、錆が鉄を破壊して完全に粉々にしてしまう。そうであれば人間の魂はなぜ、内なる愚かな、悪しき属性によって破壊されないのでしょうか?」遺伝性の疾患により視力を失いつつある講師の男性。二人は互いに抱える苦しみにより近づき、それぞれの傷付いたフラジャイルな魂に手を差し伸べる。他の作品と同じように、物語の中に散りばめられた詩や比喩や悪夢が二人の心象風景を仄暗く浮かび上がらせる。
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Posted by ブクログ
「未来散歩練習」を読んでから、韓国の女性作家の本をもっと読みたいという気持ちになって、ずっと積読してあった「ギリシャ語の時間」に手を伸ばした(ノーベル文学賞もあったし!)。
ぼんやりとした暗闇と、それと対をなすみたいなギリシャ語の教室の蛍光灯(私にはそんな印象)の明るさが、印象に残る。私はこの暗さも明るさも知っているようだなと思った。暗さの方がかえって、自分にとって正しいと感じられることをわからせてくれる、底力のような明るさがある感じ。ギリシャ語講師の男が、明るすぎるよりよく見えると言っていたのはもしかして、そういうことかなとも思った。
途中まではこの話はどこへ行くんだろうとチロチロ進んでいく -
Posted by ブクログ
私にとって、なんとも言えないくらい、とても衝撃を受けた本でした。落ち着いた場所で、静かに読むべき本のように思いました。じっくりと読んでも1度では足りないようにも思いました。
自分の目の前でその情景を見ているような感じがしました。登場人物の心の中の細かい描写に吸い込まれそうな感じを受けたときもありました。人の繊細な部分の表現の仕方が秀逸に思えました。身体の傷、心の傷、両方とも回復を願うだけではないときがあることを知りました。ハン・ガンさんがどういう思いでこの本を書いたのか、知りたいと思いました。(あとがきに訳者の説明がありました。)
今は、私よりもきちんとこの本を理解した方のレビューが読みた