あらすじ
ノーベル文学賞受賞作家による珠玉の短篇集
大切な人の死や自らの病、家族との不和など、痛みを抱え絶望の淵でうずくまる人間が一筋の光を見出し、ふたたび静かに歩みだす姿を描く。
『菜食主義者』でアジア人初のマン・ブッカー国際賞を受賞し、『すべての、白いものたちの』も同賞の最終候補になった韓国の作家ハン・ガン。本書は、作家が32歳から42歳という脂の乗った時期に発表された7篇を収録した、日本では初の短篇集。
「明るくなる前に」:かつて職場の先輩だったウニ姉さんは弟の死をきっかけに放浪の人になる。そんな彼女を案じていた私に3年前、思わぬ病が見つかる。1年ぶりに再会した彼女が、インドで見たというある光景を話してくれたとき、小説家の私の心は揺さぶられる――ウニ姉さんみたいな女性を書きたい、と。
「回復する人間」:あなたの左右の踝の骨の下には穴があいている。お灸で負った火傷が細菌感染を起こしたのだ。そもそもの発端は姉の葬儀で足をくじいたことだった。ずっと疎遠だった姉は1週間前に死んだ。あなたは自分に問いかける。どこで何を間違えたんだろう。2人のうちどちらが冷たい人間だったのか。
大切な人の死や自らの病気、家族との不和など、痛みを抱え絶望の淵でうずくまる人間が一筋の光を見出し、再び静かに歩み出す姿を描く。現代韓国屈指の作家による、魂を震わす7つの物語。
[目次]
明るくなる前に
回復する人間
エウロパ
フンザ
青い石
左手
火とかげ
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
読みながら少したじろぐ。なぜハン•ガンさんは、異郷のゆかりもない僕に対して、抱え込んだ孤独を、疼き続ける痛みを告白するのかと。
僕には、受け止めるだけの度量も、分かち合う優しさもないというのに。
だが、彼女は決して弱音を吐いて、己の傷や悲しみを嘆き訴えているのではなかった。
むしろ、誰からも助けの手が差し伸べられなく、独りで耐えるしかない痛みに押し潰されたときでさえも、消え去ることのない強さが人の内には秘められている、そう静かに告げていたのだ。
人は自らの意志で、身体や生活を律して前へ進んでいるいると思い込んでいるけれど、果たしてそうだろうか。
心がたとえ悲しみを求めていても、
理性が抑えつけようとしても、
思い描いていた理想や夢が損なわれて二度と戻らなく絶望の淵に沈んでいたとしてもー
身体は、心にひそやかに抵抗し、新たな出口を求めて蠢めく。
深くうずめられた種子が、見えるはずのない光へと伸びてゆくように。
硬い岩盤にしみこんだ雨水が、たしかな道筋を辿って湧き出すように。
回復とはかならずしも機能的な復元を意味するわけじゃない。いつだって生命は変化してゆくのだから。
変わり得ることー それは希望と呼んでもいいのではないか、そう思った。
Posted by ブクログ
肉体に受ける血の流れる傷の他に、罪悪感や後悔や喪失感も紛れもない傷。
この本に収録されている七編の主人公や登場人物たちほどでなくとも、それらの傷は多くの人にあると思う。
もちろん、私にも。
読んでいて、登場人物たちの傷と共に自分の古い傷を改めて意識する。
登場人物たちはたとえば表題となっている「回復する人間」ではタイトルどおり傷から回復するのだろうか?
どうやって?
目が離せなくなる。
だが、彼らは必ずしも回復するわけではない、と私は思う。
ただ、登場人物たちは自らの傷との向き合い方、折り合い方を通して私たちがそれぞれ持つ傷に寄り添う。
傷を抱えたわたしに寄り添う。
それは同じような痛みを感じる者として心強いこと。
読み終えて、傷はあって、ときに傷んでも、きっと前を向いて歩いていける、そう思える。
回復する人間
火とかげ
が好き。
青い石
も好み。
Posted by ブクログ
どれもこれもリアルな傷を抱える女性たちが(ひとりだけ、普通の男性が出てくる)でてきて、それぞれの回復の過程が描かれている。
回復仕切らない人もいるし、回復を拒む人もいる。
だけど、人は自然状態で回復していく生き物なのだと感じる。
生きることは痛いことなのだろう。
短編「回復する人間」の文章が好きでした。
文字で遊んでるというような、軽いのに重く静かで、圧巻でした。
「火とかげ」の痛みと鮮やかな色を感じさせる物語も良かった。
復活に色がないという着地も見事。
Posted by ブクログ
静かで落ち着いた美しい文章なのに鋭利な刃物を突きつけられているよう。読みながら心のどこかがヒリヒリした。「左手」はとても怖かった。印象に残る短編が詰まっている。
Posted by ブクログ
ここ3ヶ月ほどの間に『すべての白いものたち』『菜食主義者』『そっと静かに』の3冊を読みハン・ガンさんに強く惹かれる自分と向き合う充足した時間を過ごしてきました。
『回復する人間』は詩的で静謐な文章が美しい『すべての白いものたちの』と同じ斎藤真理子さんが翻訳された短編集です。
初出年月日の1番古い「火とかげ」が7つの短編のうち最後に掲載されていて2003年初出。韓国でのタイトルにも使われたこの作品が、韓国の文芸評論家シン・ヒョンチョルに「この本の関心事は(中略)〈傷と回復〉だ」と言わしめた7つの物語のいずれの基底ともなっているテーマが2003年の時点で作者にとって重要でその後ほぼ10年に亘り深く掘り下げられてきたことがわかります。
「火とかげ」の主人公の女性は画家。事故で使えなくなった左手のリハビリを懸命になってやり過ぎたため右手も使えなくなる。絵を描くことも、家事をすることもできなくなって2年、洗濯や皿洗いも夫に託すことを余儀なくされた時、2人の穏やかで、情熱的ではないけれど慈しみあった関係性は、健康であることを前提としたものにすぎなかったと知ることとなる主人公。前提条件が変われば関係性も変わり、完全な他人であった2人だという明瞭な事実だけが残ることに。
この経過、この3年ほどの間の私自身の経験と重なります。転倒して打った左肩故に左手が使えなくなり、2日置きに整体に通ってもさほどの好転もしない中、それでも緩やかに回復の兆しが見えてきた頃のこと。何をするにも右手で。ある日鍋底の汚れが苦になって右手で磨きあげていたら右肩が左肩と同じように痛むようになりました。幸いまったく使えないところまではいかなかったのですが不自由なことこの上ない。高いところのものが手を伸ばして取れない、重いものが持てない、という身体になってみて初めて常日頃当たり前に動けていたその当たり前が筋肉や骨が緻密に機能することによって成り立っていたことに気がつきました。そしてほぼ1年前、今度は右足に痺れが出て、脚の付け根のあたりに激痛が走って突然歩けなくなりました。脊椎管狭窄症。痺れとは一生の付き合いになりそうです。
閑話休題。
アトリエの賃貸契約を夫に一方的な打ち切られる、という状況下、友人が見かけたという写真館に飾られた主人公の写真が23歳だった頃の山登りの記憶を呼び覚まします。条件の悪い山登りの最中に出会った物静かで理知的な男性との邂逅の記憶。足をくじき背負われ下山。彼に好意を持たれ自分も彼に惹かれたと自覚したものの、名前も年齢も、職業も知らないまま過ぎた10年の歳月。この山行の描写が抜きん出て美しい。
そしてこの短編集のどの作品にも抜き書きしたくなるような心に染み入る一節があるのです。
再読、再再読必至の短編集です。
Posted by ブクログ
読んだときに自分が、どんな状況か、どんな気持ちでいるのか、にもよるかもしれないけど、素晴らしかった。ハン・ガンは初めて読む。衝撃的。すぐに再読。今度はなるべく音読している。
Posted by ブクログ
短編集。初出は2003~2012年だが、作品の印象はほぼ変わらない。紹介文の「強靭さと繊細さを併せ持つ清冽な文体で描かれた7つの物語」というのがぴったりくる。内面に深く沈み込んで思考が流れていくような作品。男女の日常を描写しながらちっとも俗っぽさを感じさせない洒落た作品。いずれも人間に向き合って見据えている。
軽い内容の作品はひとつもないわけだけれど、なぜか読みやすいと思った。退屈さもなく、次はどうなっていくのだろうと読み進むことができた。短編だからだろうか。難解でもなく、読み応えのある読書の愉しみがあった。
Posted by ブクログ
訳者解説によると、傷と回復をテーマにした短編集。ハン・ガンの邦訳のなかでも、著者の考えていることが理解しやすいほうだと思う。希望の見える明るいものもあり、希望の見えない暗いものもある。しかし、これだけは言えるのは、ハン・ガンのかんがえる回復は、元どおりの健康な状態に戻ることではなく、元には戻れないけれど、以前とは異なる感受性を受け入れながら、自殺せずになんとか生きていくことだ。うわべだけの幸福を生きるよりも痛い真実を受け入れることのほうが貴いのだ。いちばん長い最後の「火とがけ」がすばらしかった。
Posted by ブクログ
4冊目のハン・ガン。繊細な心の持ち主だなあ。「生きる」ことを、その内面をとても大事にしているのに感化される。写真で見る通りのやさしい人なのだと思う。
Posted by ブクログ
特に「火とかげ」が印象に残った。私も去年は茶碗を持つのもきついくらい両手が痛くて使えなかったから投影して読んでしまった(ハンガンさんもこれを執筆していたころ手が痛くてタイピングが出来なかったらしい)。画家の主人公は、事故で手に痛みが残り絵も描けなくなるし夫との関係もうまくいかなくなる。そんな彼女を支えてくれるものは、昔登山をした時偶然あった男性との記憶とQという画家の絵。記憶だけで残る男性と友人ソジンが繋がって、ソジンの子供が飼ってる前足を切断したトカゲからまた足が再生されていく描写で主人公に細い光が差し込みだすのがわかる。
トカゲの手が再生するように、最後、主人公は以前と違う手法で絵を描いてみる。闇の中でもがき続けている時間も無駄ではない。それが新しい生を支えている。回復するということは新しい生を生きなおすことであると改めて感じた。
Posted by ブクログ
回復する人間とフンザがよかった。次点で明るくなる前に。
想像をしすぎてどこにもないどこかになってしまった理想郷。理解し合えないことがだからといって愛していないことにはならない。
いまのところ彼女の作品の中でどれかひとつだけ読み返すならこの短編集。
Posted by ブクログ
ハン・ガン4冊目、菜食主義者に続いて読んだ中では好きかもしれない。ギリシャ語の時間も面白かったのだけど。
7つの短編集ということもあり、すらすら読んでしまった。エウロパ、左手も好きだったけれど、青い石、火とかげ、の二篇はさらに好きだった…。
「エウロパ」
僕とイナの"友情"について。僕はイナのことを愛しているし、女性の格好をして出歩くことをイナといる時にはできるといういくつもの設定で、エウロパというタイトルは僕でありイナなのだろうか?とまだ理解しきれていないところはあるのだけれど。
…僕は黙ってベッドに近づき、イナに短くキスをする。イナの唇から苦いタバコの匂いがする。彼女はまだ僕を卑怯者と呼んだことはない。狭くて高い平均台のような、僕が生きている境界から飛び降りろと言ったこともない。ただ、時々一緒に夜の町を歩いてくれるだけだ。僕らの間に何ごともなかったように、優しく、そしてつれなく。砕けそうなほど強くお互いの体を何度も抱きしめ、鎖骨をまさぐり、苦痛に近いほどの愛着を感じながら、温かい肌をこすりつけあったことなどなかったように。
ライブ、頑張ってね。金曜日の。
イナは返事する代わりに笑いながら言う。送らないからね。
僕もまた人を信じないと、時に僕に苦痛を与えるイナの笑顔を見ながらそう思う。いつか彼女が僕に、僕が彼女に、深い傷を負わせるだろうと僕は知っている。僕らの散歩が永遠に続かないことも知っている。(p.92)…
この終わりを明確に自覚しながら、それでも今この瞬間に愛着を持って生きていくしかない自分というものが、痛いほどわかるので、ジーンときました。
「青い石」
私からあなた(同級生の叔父さんで初恋の相手であり、おそらく血友病であって、もうすでに鬼籍に入っている)へ語りかける話。
出だしの、
久しぶりにあなたに呼びかけてみます。そこであなたは、元気でいますか。私は今も、ここで元気にしています。…そうやって元気に暮らしているのです。寂しいときに木を数える癖、照れくさいときに手で額を隠す癖も変わりません。
あなたもそんなふうに、元気でいるでしょうか。(p.119)
という部分を、話を読み終えてから最初に戻ってどういうことかわかって読むと、切なさが胸に去来した。
…私が勇気を出して再びあなたの唇を自分の唇でおおったとき、あなたは私の背をかき抱き、しばらく震えていました。そして黙って私の体を押しやりました。
…ここまで。
あなたは上気した顔で言いました。私の頬を撫でおろすあなたの墨のついた手に、私はもう一度口付けしました。
早く、早く、大きくおなり。
あなたが笑いながら言った言葉に、私たちは一緒に、長いあいだ笑いましたね。そしてあなたは快活に言いました。
知りたいよ、君がどんなふうに年をっとていくか。老いていく時の様子がどんなふうか。(p.139)
こんな素敵なラブストーリーはなかなかないじゃないですか…年の差があっても、二人が個人として交わす時間が愛おしくて、でもそれが叶っていないことも知っているからより切なくて…。こういうの私好きなんですよーー。私も好きな人がどういう風に歳をとっていくのか見ることはできないから、より一層そう思うのかもしれない。それから私とあなたの間にあった年の差も、親近感をうむ一つの要素。私もあの人と同い年になったときに、何か述懐することがあるのだろうか?
墨色の空がだんだん明るくなっていきます。こうやって青い光が毛細血管のように、暗闇の隙間から染み出してくるときには、私の体内の血もまた違ったように流れている感じがします。私の意志、私の記憶、いえ、私というものが何でもないもののように消えていきます。波がひとしきり寄せては返すまでの短い時間に現れるやわらかい砂浜のように、私たちがここに止まっている時間はわずか一瞬だという気もします。そんなときにはふいに、あなたの絵が見たくなります。
もしかしたら時間とは流れるものではないのかもしれない。そんな思いも同時に訪れます。つまり、あの時間へと戻っていけば、あのときのあなたと私が雨音を聞いてるの。あなたはどこへ行ったのでもないの。消えてもいないし、立ち去ったわけでもないの。いつからか身についた、あなたと同い年の男性に出会うたび、歳月が変化させたあなたの顔を漠然と思い描く癖を捨てたのは、そのためです。
だから、あなたに尋ねてもいいでしょう。
そこであなたは、元気でいますか。雨音はまだ、耳に心地よいですか。永遠に持ってこられなくなったじゃがいものことは忘れてしまったでしょうか。ずっと昔の夢の中のあなたは、むくんだ腕で青い石を拾い上げているでしょうか。水の感触がわかりますか。陽射しを感じますか。生きていることを感じていますか。
私も、ここで、それを感じているのです。(p.141)
この終わり方、大好きでした。
「左手」突然意思を持ったかのように動き出す左手と、それによるバッドエンド。。
「火とかげ」原題は「黄色い模様の蠑蚖(ヨンウォン)」で、ヨンウォンというのが永遠という言葉と同音異義語なのだそうだ。それをかけ合わせた素敵なタイトル。絵が全てと生きてきた女性が事故で手をうまく動かせなくなり、描けなくなったときに、という話。まさに「痛みがあってこそ回復がある」というような話だった。この話も、青い石も、運命の人とはすれ違ったまま相手が亡くなっているという設定が多い。
…深夜、眠りから覚めて洗面台の鏡を見ると、多々の動物的な感情が波打つ私の内面がかろうじて一枚の皮膚で縫い合わされているように思えた。信じられなかったのは、子どもっぽくて繊細なその顔が以前に比べて別に変わったように見えなかったことだ。ドリアン・グレイの肖像のように、暗闇の中の倉庫で、私の顔は醜く歪んでいったのか。退行と人知れぬ発狂の痕跡がそのまま刻印されていったのか。(p.216)
ニヤリ笑。
結局のところ、私とは何の関係もなかった人だ。永遠に行き違う運命だったのだ。彼の長い眠りの中に、私の思い出ーほんの形だけだったとしてもーも永遠に埋もれてしまった。あの人のうなじも。手を触れることすらできなかった産毛も、温かい肌も。
額から汗のしずくが垂れ、こめかみを伝って流れ落ちる。ずっと忘れていた憐憫の気持ちが、静かに私の体に染み渡る。
どこから湧いてくるのだろう、この静かな気持ちは。
どこからこんな気持ちがー生きたいという、生きねばという思いが、響いてくるのか。(p.274)
Posted by ブクログ
ハン・ガンの短編集。気になっていた白水社のエクス・リブリスシリーズを初購入。
訳者のあとがきにあるように、傷口が回復する前には痛むもの。人の心も同じで、様々な挫折、諦め、苦悩の果てに、回復の兆しが見えてくる。そんな作品が多い短編集だった。
相変わらず文体や情景が綺麗で、読んでいるだけで心が洗われた。以下、作品毎の感想。
◎明るくなる前に ★おすすめ
弟を亡くした姉。自分がもっと気にかければと後悔し、以後、自身を罰するように生きる。“そんなふうに生きないで”。この祈りが刺さる。
◎回復する人間
誰かの視点で語られる、決して分かりあうことのできなかった姉に先立たれた“あなた”の話。回復するためには痛みが伴う。心の声が、もう本当に切実で良い。
◎エウロパ
女性になりたかった、でも心から愛する人は女性だった男の話。路地裏に響く歌の情景が良い。決して手の届かない女性をエウロパに例えることも綺麗。永遠には続かない関係だと予感させる終わり方も切ない。
◎フンザ
自分の思い描く桃源郷に逃げながら、子育てと大黒柱を担う生きることに疲れた女性の話。少し暗い話。いつか破滅するか、破滅することを選ぶであろう終わり方か。
◎青い石 ★おすすめ
友達の叔父に恋した女性の話。綺麗な恋愛小説。凄く映像化してほしい作品。
◎左手
まさかの凄く暗い話。この短編集の中ではかなり異色作。勝手に動くようになった左手のせいで、守りたかったものも守れず自滅する男の話。夜、店でライトに照らされて影が壁に伸びる情景が本当に良い。
◎火とかげ
事故の影響で両手が使えなくなってしまった画家の話。絵を描く事にしか生き甲斐がなく、両手がほとんど動かなくなったため生きているだけの屍となってしまい、夫とも不仲になってしまう。生き甲斐を失っても、そこからどうやって希望を見出すのか。この本のテーマである、喪失と回復が描かれた作品。
Posted by ブクログ
「明るくなる前に」と「火とかげ」が好きだった。
ハン・ガンが書く物語には結婚生活が破綻している人しか出てこないが、本人も離婚しているので何か自身の経験に基づくものがあるのだろうと考えた。
Posted by ブクログ
もっと韓国という国、韓国人という独自性を全面に打ち出した内容かと思っていたが、日本人作家が書いたと言われても全く違和感がない現代性、普遍性。生きづらさに直面して足掻く人たちの物語で、どれも心をざわつかせて落ち着かない心持ちにさせた。
Posted by ブクログ
ハン・ガン氏の小説は少し曇天の澄んだ空気を持つ初冬の朝をイメージさせる。不安定で漠然とした「何らかのものたち」を柔和で静謐な文章で書き表していく。人と人とが織り成す関係を丁寧に解きほぐして再構築する文体が印象的。失ったものもしくは失いつつあるものからの回復。記述的ではないけど抽象的でもない。「回復する人間」と「火とかげ」が個人的好み。
Posted by ブクログ
登場人物たちはみな生きることに大層疲れている。生きていくことはなんて困難なことだろうと思った。それでも人間は回復する力がある。静かだが確かな力が。きっと自分にもあるんだと信じたい。自信はないけど。
最後まで燃える心臓、フンザ、「黄色い模様のヨンウォン」など、主人公たちに力を与えるものがみな印象的で美しくとても素敵だった。ハン・ガンの文章はいつも映像が頭に浮かぶ。静寂で美しい時間だった。
Posted by ブクログ
短編集。
明るくなる前に
回復する人間
エウロパ
フンザ
青い石
左手
人とかげ
危うさと脆さ、ギリギリのラインに立つ人、どの作品にも痛みがあり苦しい。でも、なんだろうか。生への思いが強く静かに届いてくる。
Posted by ブクログ
初めての韓国文学で、初めてのハン・ガン。
静謐な文体。読むうちに心が沈黙して、無我の境地になる。喪失からの静かな、みずからはそれと気づかないほどの細い細い糸のような回復。希望がほんのりと差し込んでくる。
「時間とは流れるものではないのかもしれない」(p.141「青い石」)
「私たちももともとはああだったけど、そのあとにいろいろプログラムされて、本来の状態を忘れて暮らしてるんじゃないかと思うわ」(p.261「火とかげ」)
失ったものは取り戻せないけれど、それを置いてきた時間にいつでも戻れる。そこから回復の一歩を踏み出す。
Posted by ブクログ
筆者の作品に触れた2冊目。
韓国作家は 老若男女問わず 芸術面でとてつもない激しさを感じさせられる・・文学・絵画・音楽・・知らない他のジャンルでもあるのかもしれない。
ハン・ガンが持つ 内に秘めたパッションは孤独・絶望・喪失など 心の痛みを抱きしめ、抱え込み、それをばねとして再生への飛翔に連なって行く時にとてつもない光彩を見せる。
それを回復と作品として昇華させた短編の数々が収められている。
一回読んだだけでは、自分の中に 未消化に終わるもどかしさがあり、2回読んだ。
「左手」だけ激しさが圧倒的 韓国風激情の迸る不条理と言えそう。
他作品、どれも優劣つけ難い・・「痛みがあってこその回復」死を思うからこそ 生を愛おしむに繋がる一筋の糸
特に「火とかげ」は身体障碍の身となった人の心情を労わるのではなく、突き放すわけでもない。。。当人のエンパワメントによりどころを置いた「内なる強さを希求する」究極の発想が黄色の色と共に強い印象を受けた。
Posted by ブクログ
「火とかげ」に圧倒された。途中出てくるTears In Heavenのエピソード知らなかったので、改めて聴いて心に沁みた。「左手」だけ他の作品と違った作風だったが、先が気になりグングン読んだ。どの作品も人が傷つき回復する様が丁寧に描かれていた。自分が辛い時に読んだらきっと、もっとハマると思う。そんな時、この本を思い出して、また読みたいと思う
Posted by ブクログ
繊細だけれどとても鋭い、傷ついたり傷つけたりしてしまいそうな文章。そんな文章でしか書けない傷や悲しみ苦しさ、人生がある。それらの殆どの人生、物語には最後に光がさす、希望が垣間見える。前に進めるように開いた小説たち。それらは回復を促すように書かれたのかもしれない。
だけれど、ある短編の登場人物が「私を回復させないで欲しい」と願うように、残しておきたい傷や忘れるべきではない悲しみ苦しさもある。回復とは忘却にも近い。傷や悲しみ苦しさを忘れないために書き残された、そんな風にも思えた。
回復も忘却も、時間を使って人生が行使する必要な力だ。だけど、それに抗うように傷を悲しみや苦しさを持ち続けることも必要なことがあるのが人生だ。相反するようにも思えるけれど、どちらも必要なことがこの短編集には同時に書かれていた、そう読んでいた。
最後の一編を読み終わって、知らずに強張っていた身体が解れてため息が出た。消えることのなかった傷や忘れていなかった悲しみ苦しさを思う。もう一度ため息が出た。その意味を考えている。
そうだということを意識させない、元々あった繊細さや鋭さも失っていないように思える翻訳もやはり凄かった。
この短編集のなかでは異質な一編、勝手に動き出す左手に翻弄され、生活を狂わされ、自らも狂っていく、不可解で悲しくて希望もない話。三人称で書かれているから書き方はまた違うものなのだけど、その短編で感じる、不可解だけれどない話ではない、自分にも降りかかることがあるかもしれないという怖さは、実話怪談に感じる怖さとも同じようなものだった、ということも書いておきたい。
Posted by ブクログ
私にとって、なんとも言えないくらい、とても衝撃を受けた本でした。落ち着いた場所で、静かに読むべき本のように思いました。じっくりと読んでも1度では足りないようにも思いました。
自分の目の前でその情景を見ているような感じがしました。登場人物の心の中の細かい描写に吸い込まれそうな感じを受けたときもありました。人の繊細な部分の表現の仕方が秀逸に思えました。身体の傷、心の傷、両方とも回復を願うだけではないときがあることを知りました。ハン・ガンさんがどういう思いでこの本を書いたのか、知りたいと思いました。(あとがきに訳者の説明がありました。)
今は、私よりもきちんとこの本を理解した方のレビューが読みたいと思っています。
Posted by ブクログ
受賞後に読み始め、3冊目。
左手、が特に印象的だった。
自分が無意識に抑圧してきたことや
傷ついてきたこと
それらを無かったことにしないで、自分の一部として大切にして良いのだと感じつつある。
影が深まることで、光がより明瞭に感じられて。
Posted by ブクログ
人の死や、告げられた余命によって、周囲の人間は変化する。自分の生をありがたく思ったり、悩みがちっぽけに見えたり、本当に大切なものに気づいたり。また、生きることの生々しさを痛感して辛くなったり。
安全圏から『死』を見ることにより、自分の『生』が明確化される感覚があった。
Posted by ブクログ
最初はとっつきにくい印象を受けたが、とても詩的で美しい物語。孤独と刹那さに打ちのめされそうでありながら、微かな光が必ずあって、作者の方は凄く繊細で表現力が豊かな方なのだと感動した。
Posted by ブクログ
「回復する人間」というタイトルがぴったりの、7つの短編集。
さまざまな種類の痛みが描かれていた。
私の経験にかなり近い感覚を登場人物たちの中に見たり、語られる言葉によって気付かされることもあり、興味深いながら苦しい読書でもあった。まるで自分の抱えた問題のようにも感じられてくる。他人事と切り捨てることはできない。
折り合いをつけて生きようとする女性たちの、揺れている心が魅力的に見える瞬間もあった。真剣に向き合いながら傷ついている姿は痛ましいはずなのに。
この中では「左手」という作品の印象が強い。自らを追い詰めていく主人公に、ひとつの救いも用意されていなかったからかもしれない。ひとつ間違えば、自分だって同じような状況になるかもしれないという怖さがあった。この短編をもう一度読みたいとは思わないけれど、揺さぶられるものがあった。
Posted by ブクログ
短編なので読みやすいと思ったが、内容が余りにも濃すぎてくたびれてくる。
歳のせいかふと感じる恐怖や不安と言った物を言葉として表現されると少し心が重たくなる。
それだけ重厚な内容なんだろう。
決して嫌いではないがだんだん疲れてくる。